名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ロダン 爬虫類に喰われても・・・・

ロダン私は美しい1
ロダン私は美しい1 posted by (C)カール茅ヶ崎

 オーギュスト・ロダン 「私は美しい」1885年頃 国立西洋美術館

この作品に興味を持った。男女の肉体が美しい。ポーズが斬新で他の何処にもない。

女が膝を曲げて丸まって、それを男が右手と胸だけで高く持ち上げている。こんなポーズは実際に見た事が無い。何の意味があるのか少し調べてみたい。

ロダンの「考える人」同様、この像の下の岩の様な台座が恐竜になっている(上写真3枚)。男の股にぴったりはまって食い付いている。蛇の頭にも見える。

ロダン私は美しい2
ロダン私は美しい2 posted by (C)カール茅ヶ崎

見るとこの恐竜にも眼がある。上に絵で示したが、男の前から見ても後ろから見てもそいつが噛み付いている。前から見える物は口を大きく開け、男の右足を飲み込んでいる。この像も爬虫類が人間を喰っている像だ。

ロダン私は美しい3
ロダン私は美しい3 posted by (C)カール茅ヶ崎

この像は元々「地獄の門」(1840~1917年頃 国立西洋美術館)の一部を独立させた物だという事だ。門に向かって右の柱の上方にあるが、独立した像と全く同じクオリティで同じ型を使っているのではと思わせる。

地獄の門」は、これまた人間達が巨大な爬虫類に喰われている場面がこれでもかと散りばめられていて見るに堪えない。「考える人」は上段中央に一番大きく存在している。作品紹介の解説者は「ダンテの神曲を・・・」といちいち説明するが、要するに生贄の現場での人間達の阿鼻叫喚の図。罪を犯した者たちが、扉一面に刻まれた巨大な爬虫類の化け物の口の中に放り込まれている図。

ただ、向かって右の柱にある群像だけが僕にはちょっと毛色が違って見える。

上の写真の右4枚は右の柱を下から順に追ってみた物。一番下に男女の抱擁・接吻の像。男の頭に爬虫類が齧り付いている。その上には2人が重なっている。1人が化け物に飲まれていくのをもう1人が嘆いている(上図左から2枚目)。その上は多分男が頭から喰われている。その上の女は化け物の頭に片足を乗せて、別の化け物に飲まれる子供の頭にキスをしている(上図左から3枚目)。その女の肩に脚を乗せて横向きになって両手で男の片足を持ち上げているかのようなポーズ(上図左から4枚目)。彼女自身も化け物に喰われようとしている。そしてその男の足は「私は美しい」像の男となる(上図右端)。

右の柱全体が、人間が他の人間を持ち上げる「人間梯子」の様になっている。共に喰われながら最期まで愛を確かめる男女・喰われる子供に別れを告げる母親・わが身を犠牲にしても愛する者を助けようとする男の様子などが下から上に綴られてゆく。「私は美しい」像の部分では、愛する美しい女をどこまでも高く持ち上げ、自分は喰われながら(男の股下に大小2体の蛇っぽい頭が喰らいついている)、愛する者だけは助かってほしいと願う。そんな男の気持ちこそが「美しい」と言う言葉にふさわしい。

 

ロダン私は美しい4
ロダン私は美しい4 posted by (C)カール茅ヶ崎

上図左は抱き上げられた女の上。別の女が蛇の化け物に飲まれている。コブラの様な頭だ(そこを絵にしてみた)。結局男が持ち上げる女も喰われてしまうのかもしれない。

右の柱最上段には綺麗な尻を見せる女がいるが、その女も何匹もの爬虫類に頭から喰われている(上図真ん中)。最上段に登っても蛇どもが待ち構えているのだ。

ただこの最上段の女は1人ではない事に注目したい。女の腰の横から左右に脚が出ている。ここにもう1人いる(絵では足を青色で表した)。この人もすでに飲み込まれているのかもしれないが、この足と女の身体で化け物の頭を形づくる為にあるだけかもしれないが、ひょっとして一つの希望がここに表されていはいないか。

すなわちここに地獄から抜け出す抜け穴があって、女が庇うようにしてもう一人をその穴に押し込んで逃そうとしている・・・・。と言うのは考えすぎか。

何にしろこの「地獄の門」右柱の群像は何か違った物を感じる。モネの「睡蓮」では生贄となった者は自分の運命を受け入れ静かに横たわっていたし、ゴーギャンの「我々は何処から・・」の生贄現場でも誰一人抵抗することなく大蛇たちに喰われていたが、ロダン作のこの作品のこの部分では、抵抗・戦い・愛・自己犠牲と言った物が表現されている。それのみが爬虫類に戦いを挑む人間の最大の武器であると言っている様に思える。悪魔に魂を売った人間の中には、途中で悪魔を裏切り人間側に立つ者もいるらしい。(ゲーテが「ファウスト」で伝えているのはこの事か)

 上図右端は柱の最下段にある像を独立させた「接吻」と言う題の作品(1882~87年頃 国立西洋美術館)。台座の岩が間違いなく大口を開けた爬虫類で、2人は接吻しながら同時に食べられる。しかし肉体が滅んでも2人の美しい魂は永遠に生き続けるだろう。

「モナリザ」に爬虫類が見えた。しかも人間を喰っている。

モナリザ1
モナリザ1 posted by (C)カール茅ヶ崎

世界一有名な絵画「モナリザ」、その背景の空に巨大な爬虫類の顔があった。

いつものように空の部分をトリミングし、コントラスト・色相を調整してみると(上図右上の写真)、空一面に巨大な顔がいくつも見えて来る。輪郭をなぞってゆくとさらに多くの顔が見える。トレースし、色分けしてみたのが右下の絵。顔が重なって不明確な部分があるので見るたびに違う顔に見えたりする。上に写真を揚げてみるとこの部分はまたトレースが違ったかなとも思う。どちらにしろ大方は巨大な蛇の頭っぽい。恐竜の様でもある。皆人の方を向き、口を大きく開けて喰おうとしているかのようだ。

最近はどの美術品を見ても爬虫類が見えて来るので困惑しているが、この地球は奴らに支配されているひとつの証拠が見つかったという事だから、仕方なく提示し続ける事にする。。

モナリザ2
モナリザ2 posted by (C)カール茅ヶ崎  

陸地も空も関係なくそれらに跨って隠し絵がある。上の図は人物の向かって右側。典型的な宇宙人の顔。広重の「山くじら」の絵にもあった。本当にこんなのがいるらしい。蛇を操る方か、蛇に使われている方か。この描き方だと多分人間に乗り移ってコントロールする立場ではないか。

モナリザ3
モナリザ3 posted by (C)カール茅ヶ崎

絵の下半分にも蛇がいる。身体に絡み付いて腕を齧っている。明るさ・色相・コントラストの調整でそれが見えて来る(上左図)。上右図は絵にしたもの。絵で青く塗った蛇は人物の左ひじに噛み付いている。骸骨の様な頭はゴッホの「ひまわり」にいた蛇とそっくりだ。青蛇の胴体は一旦下がり、背後に廻って肩から腰まで下がり、また上がって胸の辺りでくねって右腕に向かい、腕を一回りしてから今度は右肩に向かう。実に気持ち悪い。赤色で描いた蛇は画面の左下に大きな顔があり、人物を見上げている。その胴体は上に伸び、青蛇と重なるようにして肩に掛かる。そして背後に下がる。もう一つ大きな蛇がいる。人物の背後、画面いっぱいに顔をこちらに向けている。左右にある柱の下端の膨らみは、それと見せて蛇の両眼でもある。人物の両肘あたりで大きな大きな口を開け、飲み込もうとしているかのようだ。
モナリザ4

モナリザ4 posted by (C)カール茅ヶ崎

画面の下半分をさらに色調調整させるとまた別の物が見えて来る。小さ目な蛇の頭が寄って集って人物を齧っている。拡大してトレースしてみて僕にはこんな風に見えた(上右の絵)。右腕・左腕を上から・下から噛み付いている。モネの「睡蓮」もこんな風に小蛇が集っていたが、それと同じだ。また遠目にして大きく見ると違った物が見えて来る。胸の辺りにヤギっぽい顔が見えたりするし、他にも顔が隠れているかもしれない。

モナリザの左手の下、椅子の肘掛の辺りがいやに赤く見える(上左)。色相を少し変えたせいかもしれないが、元の写真も暗い中赤色がかっている感じだ(ネットで拾った写真の色は本当の色だろうか)。何匹もの蛇に集中的に喰われている左手は血を流してないか。それと左下隅の大赤蛇(ひとつ前の図「モナリザ3」で解説した赤蛇)、脚のあるはずの所にいるが、ひょっとして足をもう喰ってしまったのではないか。 

蛇どもに喰われていても微笑みを湛えよ、人間の宿命に逆らわずに受け入れよ。とのメッセージが込められているのか。

ロダン「考える人」は「喰われる人」

オーギュスト・ロダン 1840~1917年 僕の青春時代の憧れの人の一人だった。高校時代「ロダンの言葉集」と言う文庫本を常時持って歩いた時もあった。上野の西洋美術館でも感激を持って観賞したものだった。彼の創る人物の高い精神性のある真剣な表情・美しい筋肉美が僕を魅了してやまなかった。ただその作品の理解力は足りなかった。ただ表面的な美しさに見とれていただけだった。

ロダン考える人1
ロダン考える人1 posted by (C)カール茅ヶ崎

代表作「地獄の門」の上段で地獄を覗きこむ男を抜き出して独立させた作品「考える人」はブロンズの鋳造作品だから世界中に設置されている(本物が日本だけでも5体ほどあるそうだ)。ネットで全世界の写真を拾って検討してみた。

結論としては、この像は単に地獄を見詰めて思案しているポーズの像では無く、恐竜や蛇等の爬虫類に喰われる人間の像である。

一見岩に見える台座に恐竜がいる。口を大きく開けて人間を飲み込もうとしている(上の5枚の写真)。トカゲの大きいのが脚に噛み付いている。ロダンの彫刻はこの他にも台座が恐竜になっているのが多いようだ。人間はコイツらに食べられる者である事をこの作者もここで示唆している。

ロダン考える人2
ロダン考える人2 posted by (C)カール茅ヶ崎

台座だけではなく、この人の身体にも爬虫類があちこちに張り付いている。

まず頭。おかしな髪型だと思っていたが、これは髪の毛ではない。蛇が人の頭に大口を開けて噛み付いている。蛇の両目が見える(上図上段4枚)。ギザギザの歯も見える。上図下段の5枚左から順番に、人物の右肩・左肩・右膝、蛇の頭が腕・脚を咥えこんでいるのが判るだろうか。肩・膝と見せて実は蛇の頭のいわば隠し絵になっている。そして4枚目、腹の所、右手の下の写真。普通ここは陰になって見えないがこの写真でははっきり写っている。鬼の様な、獅子舞の様な、悪魔的な顔がこんなに大きく刻まれている。多分ごく僅かの起伏で刻まれ、光の当たり具合で見えたり見えなかったりするのだろう。5枚目右端は後ろから見た背中の左部分、良く判らないが何か不気味な顔が浮かんでいるようである。

ロダン考える人3
ロダン考える人3 posted by (C)カール茅ヶ崎

上図左から1番目は背後の背中から尻の部分。肩近くは蛇の顔が左右にあり、その下に細い蛇の胴体が下がっていて尻の左右に分かれている。普通こんな風には筋肉は付かないだろう。2番目は右斜め前方から。脇腹の肋骨の辺りがおかしい。肋骨の最下段にこんなにも段差は普通付かないだろう。その段差は背中の方に続いている。肩に張り付いた蛇と人体の境目だろうか。脚のふくらはぎの筋、まるで筋肉標本の模型の様に皮膚が無いかのようだ。あるいはふくらはぎは既に食べられて無くなっており、そこに小蛇が4~5匹並んでいるのか。一体何匹の爬虫類が張り付いているのか判らない。モネの「睡蓮」の池に浮かんだ生贄の人たちの様に、この男は寄って集って蛇どもに喰われている。

これもまた凄惨な隠し絵だと思うが、ただひとつ救いがある。

男の右手先も蛇の頭を表していると思うのだが(ひとつ前の図、頭の蛇の説明に使った上段4枚の写真の4枚目の写真の手が一番口を開けた蛇っぽい)、その蛇を男が口でがっぷり咥えこんでいる(上の3枚目)。たくさんの蛇どもにさんざん食われまくっている男が、今度は逆に蛇の頭に食い付いている。一矢を報いると言うか、僅かながら抵抗していると思う。

ロダンの他の彫刻には、恐竜の台座の上に立ち、もう一人の人間を高く持ち上げる構図の物がある。「オルフェウスとマイナスたち」・「私は美しい」と言う題の作品だが、これらの作品から・・・・「私は喰われるが、愛するお前だけでも助かってくれ。」と言う声が聞こえて来てならない。冷血な蛇どもと戦いながらヤツラには無い愛情を示す事が大事だとロダンは言ってないか。

浮世絵に爬虫類の隠し絵

北斎神奈川沖波裏
北斎神奈川沖波裏 posted by (C)カール茅ヶ崎

浮世絵の中に隠し絵がある。しかも爬虫類の巨大な顔という、西洋美術にある物とほぼ同じ物だった。

葛飾北斎 富岳三十六景「神奈川沖波裏」1823~1831年

富士山の上の空に何かが見えた。その部分をトリミングしてコントラストを強調してみると龍が見えて来た(右上図)。両眼・口・鼻の穴らしき所・角か耳っぽい所が判別できる。身体は長く、後方で左にくねる様に曲がっている。波に翻弄される船上の人間達を狙っているようだ。高く盛り上がった波自体も骸骨が大きく口を開けた形になっているがそれは今は良い。上空の龍が問題だ。

これは浮世絵なのだ。作者・彫り師・刷り師が共同で創る版画作品なのだ。どうやって色を塗り付けどうやって刷ったらこの竜の絵の様な微妙な濃淡の絵が描ける?たとえこれが龍でなく単なる雲であると言われても納得できない。これは人間が創ったものではない。

はやし浩さんはレンブラントの絵は写真技術を使って描かれたと言っているが、この北斎の絵もエイリアンの先進技術を借りているとしか思えない。

広重びくにはし雪中
広重びくにはし雪中 posted by (C)カール茅ヶ崎

歌川広重 江戸名所百景 「びくにはし雪中」

フランス印象派にも影響を与えたと言われる広重の浮世絵。それにも微妙な濃淡で不気味な顔が描かれている。版画だから摺りの良し悪しで、また写真の撮り具合でも見え難かったりもするが、この版では後方の青黒い空の中に巨大な顔がこちらを覗いている(上図中央上)。コントラストを付けてみると、馬の顔の様な物と蛇の様な物の顔が2つ並んでいる。向かって右の方には少し小さな顔が2つほどある(輪郭をなぞってその右に描いた)。トレースしてここに揚げてみて気付いたが、2体の爬虫類が前後して並んでいる様にも見えるし、馬の顔は般若にも見える。皆口を地面に付けるようにして人間を吸い取るかのようだ。

画面下方の雪の地面には最初何もないように見えたが、宇宙人と鬼の顔があった(上図中央下)。最下方に宇宙人の2つの眼。頭が大きくいかにも宇宙人ぽい。その上に般若の顔(上の右下に絵にした。うまくトレースできなくて牛っぽくなってしまったが、中央の原図を見るともっと恐ろしげな鬼の顔)真ん中の目を2体で共有している。こんな風に目を共有したりして見方によっていろいろな顔に見えるのは印象派セザンヌゴッホ等と同じ。

それにしても刷り師の絵具の濃淡の付け方でこんな物が表現できるはずがない。マネやモネたちも浮世絵のこんな爬虫類の隠し絵手法を習ったのだろう。

また隠し絵で描かれた爬虫類が西洋でも日本でも全く同じ顔と言うのは、国や時代は関係なく、何時でも何処でも人間を支配している者が同じだという証明になる。

アニメ=人間の子供の洗脳

巨大な爬虫類が人間を食う図の隠し絵は、美術の世界だけでは無い。ギリシャ・ローマ時代からルネサンス期、近代印象派前後の画家の作品だけでも無く、現代の日本のアニメにも同様な示唆がある。

ルパン3世血の刻印
ルパン3世血の刻印 posted by (C)カール茅ヶ崎

ネットで拾った画像。映画のポスターらしい。まず最上方の炎の中、青い人の頭の後ろに蛇がこちらを向いて口を開けている。下方の青い部分は巨大な蛇か恐竜の様な物が主人公たちを飲み込みそうだ。真ん中あたりにも(不明確だが)大きな蛇の頭っぽい顔がこちらに向いている。右上にはチンチンとタマタマも描いてある。

ワンピース砂漠の
ワンピース砂漠の posted by (C)カール茅ヶ崎

上方の背景部分にカエルの頭。左方埃みたいな白い物はオオカミの顔。画面中央に大きく骸骨の顔。主人公の頭に噛み付きそうだ。右手の槍を持った女の髪は3・4体の化け物の顔が重なって見える。爬虫類を隠し絵で描きこむ方法はモネやマネと同様だ。

ドラゴンボールZ
ドラゴンボールZ posted by (C)カール茅ヶ崎

このアニメは題名からして「ドラゴン」だから、それが描かれていても不思議はない。しかし登場人物の群像を一画面に組み合わせて隠し絵でドラゴンの頭にしていると言うのはどうだろう。隠し絵にする必要はないし、そもそもそんな技術は人間業ではない。鳥山明が天才だから? いや違う。作者は本物の龍に操られて作画しただけなのだ。この絵で主人公たちは龍の口の上に立ち、斜め下からの剣で体を貫かれている。こういう冷血な構図は人間には考えられない。

クエヨンしんちゃん踊れアミーゴ
クエヨンしんちゃん踊れアミーゴ posted by (C)カール茅ヶ崎

人物の後ろの画面全体にサンバの羽根飾りが広がっているが、このピンクの羽根がレプティリアンの顔になっている。しんちゃんとその友達はそいつの口に噛み付かれる寸前である。

ちびまる子ちゃんイタリアから
ちびまる子ちゃんイタリアから posted by (C)カール茅ヶ崎

これはちょっと不明確で自信が無いが、一応こうも見えるという事で…。

花火の下半分が宇宙人っぽい。その口がちょうど遠くの鉄橋の所にあり、川に流れる灯篭が宇宙人に吸われる人間の魂みたいな構図に見える。上の図中央下はミレーの「晩鐘」の背景部分だが、教会の様な尖塔のある建物の上に宇宙人がいてそいつが何かを吸い上げている(前回の検証ではこいつが何かを吐き出しているか、吸っているのか分からないとしたが、やはりこれは魂を吸い上げる宇宙人の図だろう)。流れる灯篭のこちら側に子供たちがいる。子供たちが危ない。

ドラえもん人魚
ドラえもん人魚 posted by (C)カール茅ヶ崎

やはりこのアニメにもある。まず目に入るのは三角形に目玉のイルミナティサイン=全てを見通す目。背景の海の中をよく見ると画面いっぱいに化け物の顔。これの作者も悪魔に操られている。(藤子不二雄自身か、映画製作担当者か判らないが・・・。)

アンパンマンパピーの
アンパンマンパピーの posted by (C)カール茅ヶ崎

そしてこれも・・・・。背景の樹や山が恐竜または巨大な蛇になったりするのは印象派前後の画家たちと共通だ。そしてその恐竜等が登場人物たちの背後に迫って大口を開ける構図も同じ。(作者のやなせたかしの作品はアンパンマン以前から知っている。やさしい筆致の、心がほんわかする作風を覚えている。それが今はこんな風に爬虫類に支配された絵になってしまった。作者の意志とは関係なく映画興行収入を第一に考える奴らがこんな悪魔的な絵にしているのか。)

人間を支配するにはまず子供たちを洗脳するという事か、日本のアニメを作っている大本は人間ではない。大昔から現在までそれは変わってない。悪魔的爬虫類どもだ。

 

人間が爬虫類人に食われる事を、皆の目に触れやすい場所に提示する。多くの人間にそれを見せる。だが多くの人はそれに気付かない。気付くか気付かないかで人間のレベルを計っているのか。それに気が付かないうちは人間支配がうまく行く。労働させ、繁殖させ、自らを食糧の備蓄品として存在させる。もし気付く人間が現れ、それが多くなって来たときは終わりだから地球上に災害を多発させて人間どもを殺し、自分たちも他の星に逃げようと思っているのか。