名画の中の人喰い蛇

美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

ゴーギャン「我マリアを拝する」 蛇神へ捧げられた人肉

前回同様、神への生贄の祭壇が画面左下に描かれている絵を発見した。

ポール・ゴーギャン 「イア・オラナ・マリア(我マリアを拝する)」1891年 メトロポリン美術館

ゴーギャンマリア1
ゴーギャンマリア1 posted by (C)カール茅ヶ崎

画面右に描かれた赤い服の女性がマリアと言う名前なのだろうか。子供を肩に乗せて一番大きく描かれている。その子供は寝ているのかぐったりとしている。中央に女性2人がマリアを祝福するかのように手で合掌しながら駆け寄ってくる。その左には天使らしき姿も見える。手前にはたくさんの食べ物が用意され、遠くの空には虹のようなものまで架かっている。画面全体に原色がちりばめられ、一見幸せそうな光景である。

ゴーギャンマリア2
ゴーギャンマリア2 posted by (C)カール茅ヶ崎

ただ、近づいて見ると子供のこの顔、何かおかしい。右眼は死んだ者のようだし、唇に血の気がない。頭や背中に蛇が張り付いている。左足の先はマリアの手で隠されているが、踵のあたりが見えないので欠けているのかもしれない。右手・右足は見えてない。

ゴーギャンマリア3
ゴーギャンマリア3 posted by (C)カール茅ヶ崎

近づく2人の女は共に手の指が3本である。腹に蛇を巻き付けている。頭や肩・背中に色んな物に擬態した大蛇が喰い付いている。

左の天使と見える物は顔が平面的で生命感が無い。色とりどりの大蛇が寄り集まって天使っぽく形作っているだけのかかしのような物と思える。レンブラントの「夜警」で左端に描かれていた子供のように一つの生命体としての要素が感じられない。

2人の女の顔はよく見ると沈んだ表情である。

ゴーギャンマリア4
ゴーギャンマリア4 posted by (C)カール茅ヶ崎

前回ルノワールの「2人の姉妹」同様、左手前に供物のように食べ物がある。バナナが大きい種類と小さい種類、後ろにスイカのような黒くて丸い果物が2つ置いてある。

この絵の場合。赤く色塗りしてある部分が怪しいと思ってよく調べてみた。器の中・テーブルの上は血がこぼれた様に赤い。

ゴーギャンマリア5
ゴーギャンマリア5 posted by (C)カール茅ヶ崎

左の大きいバナナの一番奥にある赤い物は、左の二つはまるで揃えられた子供の膝小僧のように見える。背後の濃い緑の地面に大蛇がいて足を腿の方から呑み込んで、膝から先だけが見えている状態である。

右の赤い魚肉ソーセージのような物は、やはり子供の膝から下の部分で、その上下を大蛇に呑まれている。ソーセージの留め金の部分には小さな赤い蛇の頭が乗っているのでそのように見えている(蛇に呑まれて見えない部分・バナナに隠れている部分を斜線・網線で描いてみた)。

その右下のくすんだ赤色のバナナの房も人体の一部かもしれないが、良く判らない。

ゴーギャンマリア6
ゴーギャンマリア6 posted by (C)カール茅ヶ崎

右のモンキーバナナの後ろにある丸い果物は、画質調整してよく見ると人間の頭蓋骨であることが分かった。特に奥の一つは眼の窪みが二つよく見える。

これも後ろの濃い緑の地面に大蛇がいて喰い付いている。子供くらいの大きさの頭蓋骨だろう。頭蓋骨の上に蛇が大口を開けて咥えていてそれで一層真ん丸になっている。その蛇の両眼もうっすらと見える。

ゴーギャンマリア7
ゴーギャンマリア7 posted by (C)カール茅ヶ崎

結局この絵も蛇神への人肉供与の絵である。神に従う巫女のような女が、何処からか調達した子供を神の祭壇に置き、それを巨大な蛇神たちが喰いに来ている。その喰っている場面を描いている。それを単なる示唆ではなく、バラバラになった人体をも絵の中に隠し込んでいる。

画面上方の空から、大小さまざまな蛇たちが降りて来ている。マリアにも駆け寄る女たちにも喰い付いているが、中でもひときわ巨大な蛇が左側に描かれている。上図イラス地で薄緑色で描いたが、半透明の巨大蛇が見える。手前の地面に一本だけ生えている木の枝や天使の羽の縁・女の青いスカートの皺等が繋がって蛇の外縁が見て取れるのだ。この巨大な蛇神は祭壇の供物に舌を伸ばし、人間を喰おうとしている。(次元の違う世界にいる蛇型宇宙人だから半透明?)

この巨大蛇は見えにくいかも知れない。僕も長い時間トレースをしながら最後の方で全体図をふと見て気付いたのだから。また他にも隠れた画像がこの絵の中にあるのかもしれない。

天使は実体が無く、この巨大蛇神を描くためにここに置かれていたというだけの物であった。

こんな一見幸せそうな画題の中に残酷な(人間にとって)場面を隠し込む。何の意味があるのか。