僕と同じように、絵の中に人を喰う蛇の隠し絵がある事に気付いている人がどれほどいるのだろうか。またたとえそれが見えたとしても「それが何だ。何の意味があるのだ。」と分からないから、「たまたまそう見えただけさ。」と思って以降関心を向けなくなる人も多いだろう。空に浮かぶ雲を見て自分には何に見えると言っているわけではない。一度それに見えた物は、時間を掛けて見続けるとさらに鮮明にそれにしか見えなくなる。思い込みとか色眼鏡ではない。視覚は脳を通じて認識されるから勘違いしやすいが、何処をどう見方を変えてもそれに見えると言う、自分の目を信じる事である。
それが見えたら、次の作業としてその意味を考えたい。その辺は正に試行錯誤であり、僕の場合、デーヴィット・アイクの著作からヒントを得た事が多い。その他神話・伝説もそれを裏付ける。龍神伝説などは、正に蛇の神の支配(生贄を捧げる事を含めて)を物語っている。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「マルメロ・レモン・洋なし・ぶどう」 1887年 ファン・ゴッホ美術館(オランダ・アムステルダム)
ゴッホは日本の浮世絵の色彩に魅了され、次第に色を強調する画風になって行く。それまでオランダの田舎で牧師として農家の生活を暗い色彩で描いていたのが変わってきた。この絵などは額縁まで黄色くしたもので、描かれているのは全て黄色い果物である。明るい黄色に執着した。単色の中の微妙な変化を追求して独自の画風を打ち出した、それまでに無い画風となっている。
額縁を外してみた。黄色い果物が纏めて置かれているが、周りは何だろう。麦わら帽子の裏側のように見える。それを裏返して頭の入る部分に果物を入れてあるのだろうか。それともただの黄色い布をテーブルの上に敷いてあるのだろうか。よく分からない。
ネットで拾った実物の写真。左からマルメロ(カリン)・洋梨・ぶどう(シャインマスカット)・レモン。
絵の中ではレモンが左右手前に転がっていて、ブドウが右上の方で他の果物の上に乗っかっている。マルメロと洋梨は絵では形が少し違って見える。
マルメロの尻のくぼみが蛇の口に見えたり、人の頭蓋骨の目の部分に見えたりする。ぶどうの下の洋梨の形は明らかにおかしい。輪郭も窪みもはっきりしない部分がある。
画質を色々と変えて、小さくしてみた。
これは、果物が置いてあるのではなく、頭蓋骨がゴロゴロと転がっているのではないか。
周りの黄色も蛇っぽく見えて来た。
とりあえず見える通りにイラスト化するとこんなになった。左上から大蛇が人間の頭をまとめてごっそり呑み込もうとしている。右上からは少し小さめの大蛇が人間の頭群を押さえながら、画面最下部に横たわった人間に喰い付いているようだ。
さらに彩度を低くしたり(上図左)、ぼかしを入れてみた(上図右)。
頭蓋骨っぽい形が見え始めたかと思う。ゴッホの尊敬するミレーの「晩鐘」の足元のバスケットの中身もこうだった。
ひょっとしてこの絵に隠れているのはイラストのような物かもしれない。大蛇が人間をとぐろの中に巻き込んで逃さないようにして喰っている図である。
蛇型生命体が人間を生み出し、その卵を大事に抱えてふ化させて増やしているように見えなくもない。