名画の中の人喰い蛇

美術館にある名画には蛇の隠し絵がある。その蛇は人間を喰っている。

ゴッホ 「ひまわり」 残酷な世界

ゴッホの「ひまわり」は、1888年~90年にかけて制作されており、花瓶に挿されてない無い物も含めると11点(12点)にもなるそうである。自作を模写した物もあり、SOMPO美術館・ロンドンナショナルギャラリー・アムステルダムゴッホ美術館所蔵の3作品は同じ構図となっている(先先回くらい「デイジーとポピー」でその一つを紹介した)。またミュンヘンにある物とフィラデルフィアにある物も同じ構図だが、ミュンヘンの物を模写した物がフィラデルフィアの物であるとされる。今回高画質の物が手に入ったので順に調べて行こうと思う。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「ひまわり」 1888~89年頃 フィラデルフィア美術館(アメリカ)

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左が1888年、ミュンヘン・ノイエピナコテークの物、右が1889年、フィラデルフィア美術館の物。左の画像はWikipediaから、右の画像はGoogle Arts&Cultureから採った物。色合いが若干違うのは仕方がない。

どちらも花瓶に挿さった十数本のひまわりの花。種が成熟して黒くなっている物もあるし、未熟な物もある。向かって左側の花は枯れかけているのか花全体が黒ずんでいる。

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フィラデルフィアの物の部分拡大図。

ゴッホの色の追及はここまで来た。黄色いひまわりの花びらを表すのに、黄色絵の具のチューブをキャンバスに直接絞り出したような使い方である。実際には筆に黄色をたっぷりと乗せ、そのまま置いて行くのだろうか。パレットで色を混ぜ合わせる事は無いようだ。それでこそ絵を見る者の目にはひまわりの花の黄色の鮮やかさがより鮮明に伝わる。自然の中の、画家が感動した事物・色彩を単純に抽出して見せて初めて心を伝えられる。人々は共感できる。それゆえにゴッホは愛されるのだ。

ただ人々を魅了するだけでなく、別の要素も入っている。それを解明するのがこのブログの目的である。鑑賞者を感動させ、感心させ、心を奪ってから強制的に見せつける隠し絵が入っている。テレビドラマの手法と同じだ。いい所でコマーシャルが入る。視聴者がテレビに注視し始めた所で洗脳映像を流す。

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画質を変えて、色合いを落として、小さくしてみた。

これまでの経験からして、何となく右上から巨大な蛇の頭が左下に向けて見えて来ないか。花瓶は喰われる人間である。

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僕の目にはこんな風に見えた。まるで龍のような風貌の蛇が右上から降りて来ている。並んでもう一匹蛇がいる。共に花瓶の上の何かを喰っている。人間の姿をした肉塊である。大きい人間と小さい人間がいる。花瓶は人間の尻であるらしい。この尻に繋がる上半身が上に有って齧られているような‥‥。テーブルの上にも人間が隠れていて、赤い血の色で染まっている。背景の壁にも半透明の蛇がいるようだ(イラストで描いたように見えた。龍のような大蛇の胴体がひまわりの周りをぐるっと囲んでいるのではないか)。

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ミュンヘンの物では絵の真ん中あたりがより鮮明である。イラスト化するとこうなった。右上から龍のような大蛇が降りて来ているのは同じだが、そいつの口に喰い付かれているのは人の顔のようだ。この顔と花瓶の尻とが同じ人間の物とすると、首が切られて血だらけになって喰われている図ではないか。頭の左下には手や足のパーツがぐしゃぐしゃっと置かれている。人間をバラバラにして喰っている残酷な絵ではないか。

首の下には別の蛇がいて巻き付いている。手足のパーツはこいつに呑まれており、それが透けて見えているのではないか。

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全体図にしてイラスト化。

巨大な蛇と大蛇が人間をバラバラに解体しながら呑み込もうとしている。

テーブルの上にも人間が横たわっているらしい。背景の壁の中に半透明の大蛇がいて、それをつついているようだ。

 

ゴッホの「ひまわり」を、今回は「ひまわり」以前の別の花の絵を調べる事で、周辺から秘密を探って行く手法で調べてみた。名画の中にはこの世の真実が隠されているので、その真実に少しでも近づくことが出来れば幸いである。

それにしても、人間が巨大な蛇に解体され喰われる姿が隠されていようとは、信じたくない。こんなブログはやめてしまってお気楽に楽しく生きて行けたら良いのだが・・・・。この世は次元上昇の為の修行の場であると仮定しても、これほどまでに残酷な真実を突き付けられるのはきつい。この世が自分自身の脳が創り出した仮想現実であるとしたら、僕の脳はもう少し明るい未来を思い描ける世界を見るようにしたい。この世が残酷で絶望的なのは、僕の性格のせいでもあるのか。