レオナルドダヴィンチ 「聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ」 1499~1500年頃 ロンドン・ナショナル。ギャラリー
この作品を見直してみる。前回、この作品には男女の交合が行われている絵だと言ったが、今回高解像度の画像で詳細に見ると少し違って見えて来た。
聖母マリアがその母アンナの片足の上に腰掛けるというポーズも不自然だし、アンナの左手が天を指さすのも意味が分からない。その手と二人の足先が描きかけであるのもその理由が理解できない。
またイエスの左手・両足がどうなっているのか、ヨハネの右手・下半身の表現も不明瞭である。
この絵を見て一番最初に感じるのが聖アンナの表情の下品さである(上図右)。何か悪だくみをしていそうな、卑猥なことを考えていそうな悪い表情である。口から首にかけて赤っぽい色が散っているがこれは絵の傷みだろうか、口から血が飛び散っているのだろうか。
聖母マリア(上図左)の首あたりにも頭部の影というよりも不自然な赤っぽい暗がりがある。それとこの聖母、胸のふくらみが全く無い。救世主の母を描くのに母性を表す豊かな胸を描かず、男のような平たい胸を描くというのはどうだろうか。
イエス(上図左)の目は死んでいる。うつろな表情である。顔の下半分が青味がかって血の気が無い。右手の指先にも力が入ってない。
洗礼者ヨハネ(上図右)の目には敵意のようなものを感じる。ヴェロッキョ工房での作品「キリストの洗礼」でも洗礼者ヨハネはイエスをこんな目で睨んでいた。それに口が血のように赤い液体で濡れている。口は開き気味で今の今まで何かを口にしていたかのようでもある。
画面中央部をトレースしてみた。ここには残酷で卑猥な表現が盛り込まれている。
まずイエスの左手と両足が無い。マリアは人間の幼児の部分死体を持っているらしい。この子の下半身には服のしわに見せかけた蛇がいて喰い付いている。ヨハネの右手・右足も無い。首や左手や腹には蛇が巻き付いている。そしてヨハネの口の先には大きな男性器がある。イエスの左手かヨハネの右手と見せかけているがよく見るとそれである。強制的にしゃぶらされているのではないか。
つまりこの幼児二人は性的虐待を受けながら手足を千切られ喰われる運命にある生贄なのである。
マリアの股間に男性器がある。イエスの足に見せかけてはいるが玉も竿もある男性器である(この部分がイエスの足先だとすると指の向きが逆である)。大きなものがでろんと露出している。すなわちこのマリアは男である。この男の右手の表現が曖昧で分かりにくくなっているが、イエスの腹を支えているように見せてアンナの股間の男性器を握っている。このアンナも男であった(上図イラストのように)。
ダヴィンチは同性愛者だとされ裁判もしたそうだが、間違いなくゲイだ。後ろの男の膝に腰掛け、その一物をいじくっている。自身の性器も露出しながら・・。もちろんこの二人は聖母と聖アンナでは無い。この絵は同性愛者が戯れながら人間の幼児をも弄び、その挙句に口を血だらけにして喰ってしまうという絵である。
聖母とされているこの男の両足の作る形が少年が四つん這いになって尻を向けているように見えて来た(上図左)。両足の間に女性器が表現されているようにも見えるがこれはどうか自信が無い。聖アンナとされる男の左足も屹立した男性器に見えて来た(上図右)。
地面には人間の身体が転がっている(上図イラスト)。見にくいが微かな陰影の違いを辿るとこんな風な絵になった。手前に大きく二人の身体がうつ伏せになっている。その向こうに小さく他の人間が大勢倒れている。
マリアとアンナの足先はこれもまた人間である。マリアの右足先の人間は手足が無くうつぶせている頭を大蛇に呑まれている。左足先の人間は頭頂部をこちらに向けて倒れており、体のほとんどを大蛇に呑まれている。アンナの右足先は尻と背中を見せた人間で、手足は見えない。アンナの左足先は横になった人間で尻の上に手がかぶさっている。頭と足先を大蛇に呑まれている。
生贄の人間のこの表現には遠近法が無視されているらしい。ヨハネの口先の男性器も誰の物とも分からないし、一種の象徴的表現ではないか。手前の二人の死体は上のマリアとアンナを騙る男二人の未来の姿であるのだろう。生贄の人間を蛇神に捧げる役目を持った者は巨人なのか。この辺はよく分からない。
この絵を全体的に見ると、巨大な蛇神が浮かび上がって見えて来た。眼を薄目にして輪郭の繋がる所を辿って行くと見えて来る。空から降りてきた超巨大な蛇神が画面いっぱいに隠れている(イラストでは緑の輪郭で表した)。その両目はマリアとアンナの膝の明るい部分だろう。下端の地面の生贄を喰っている。
この巨大蛇に重ねてもう一匹いる。マリアとアンナの上半身を呑み込むやつ(黄色の輪郭)で、その左目はアンナの左手である。アンナの左手が描き込まれてないのはこのせいだった。手を蛇の眼にも見せるためにわざと描きかけのような表現を採っていたのである。
イエスとヨハネ二人を呑み込む巨大蛇も右上から降りて来ている(ピンクの輪郭)。これら三匹の巨大蛇が互いに重ねて表現されている(三匹が重なる部分にイエスがいるのは何か意味があるのか)。
この絵は未完成の描きかけの絵ではない。空白部分にはそれぞれ理由があったのだ。マリアとアンナの足先は生贄の人間をそこに描き込むために白っぽくなっているのであり、アンナの左手は巨大な蛇神の目を表すために白抜きになっていたのである。
同じダヴィンチの「東方三博士の礼拝」や「聖ヒエロニムス」も未完成とされるようだが、同じ理由でそうでは無いだろう。それらは画面全体に血の色を散らすために赤茶色一色で描かれているのだろう。
この絵に関しては、巨大蛇神が人間を喰う事を隠し込んでいると同時に、ダヴィンチの男色趣味を入れ込んだ作品である。
ただ男色と言っても深い意味があるらしい。悪魔に指導された人間は少年に肛門性交を強要することでその子供を制御することが出来るようになると聞いたことがある。僕の記憶が正しければ、デーヴィット・アイクの本にそんな事が書いてあったと思う。日本の戦国武将にも稚児とか小姓とかの男色用の子供がおり、その子が後に一軍を率いる有力な部下になったりしている。ダヴィンチはそういった稚児や小姓の類の経験者であるかどうかは知らないが、男色の不思議な魅力(魔力)を知っていたのかもしれない。