ダ・ヴィンチ 食人の証拠(信じたくはないが・・・)
「人間は神の食い物」と言う事実の証拠が、名画の中で嫌と言うほど見つかる。名画の中の人物の口は生肉を喰った痕跡があるし、聖母子像の中の幼児の身体は手足がバラバラに切り刻まれている。名画はそれらの証拠を非常に巧みに隠し込まれており、普通に見ていたらそれと気付けないようになっている。
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品で証拠を見て行こうと思う。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像」1476年 - 1478年頃(作者がダヴィンチかどうか諸説がある)、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート

不服そうな婦人の唇だが、よく見ると上下の唇の間に影と思えない様な物が挟まっている。スパゲティを食べたすぐ後のように赤い物が挟まっている。血の滴る生肉を喰った後のようにも見える。
経年劣化で口の上下が色あせたと言う人もいるかもしれない。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「ラ・ベル・フェロニエール」 1490~97年 Rmn-Grand Paris (フランス パリ)
ならばこちらはどうだろう。横目で人をギョロッと見る婦人の唇。この唇の左右は、ひび割れで偶然出来たものでは無く、口で故意に挟んでいる何かを表現していると思うのだが・・・。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖アンナと聖母子」(部分) 1508年頃 ルーブル美術館
左が聖母の母、右が聖母、。修復前の画像を見ると二人とも口に赤い物を含んでいるように見える。頬に赤い物が付いているのは、血ではないのか。作者が初めから描いた血の表現ではないか。それと、よく見ると二人とも「牙」が生えている。蛇の毒牙のように上顎から下に向かって二本見えている(右の聖母の方が見やすい)。吸血鬼ドラキュラの様に両側に二本ではなく、蛇のように中央付近に二本である。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「モナリザ」 1503年~1505年/1507年 ルーブル美術館
この作品の唇も、よく見ると何か血だまりを咥えている様であるし、牙が生えているようでもある。
口の両端が血で汚れているから、口角が上がった微笑みに見えているのかもしれない(「モナリザの微笑み」などと多くの人々を騙し続けて来た)。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「カーネーションの聖母」 1473~78年頃 アルテ・ピナコテーク ミュンヘン
次に、聖母に抱かれた幼児キリストを見て行く。
聖母子像において、幼児キリストの身体はどの作者の作品もバランスが悪い。この作品では胴が長すぎるし、手足が短すぎる。頭部が身体に比較して小さいかもしれない。そして肉付きが良く、千切りパンのように各部が区分けされている(信仰の対象としてのイエスに食生活の豊かさを感じさせる表現が必要なのか)。まるで胴部、頭部、手、足がバラバラで、組み立てた物を聖母が支えている様にも見える。
奥の足が手前の足よりも大きいのは、それがバラバラである事を作者が観る者に気付かせようとする意図があるのではないかと思ってしまう。

幼児のこの目、聖母の持つ花を見るでもなく、恨みを持って精一杯上を見る。口の両端の影は必要以上に強く描かれ、まるで口から血を吐いているように見える。
この幼児は首を切られている。
右腕の肩のあたりが、中華料理店の店先に吊るしてある豚の皮の様な質感である。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「ブノアの聖母」1478年 エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルグ)
こちらの幼児は、聖母の持つ花を見てはいるが、何と無表情なのだろう(幼児ならもう少し陽気に笑った顔とかにできなかったのか)。

笑顔が出来ない理由は背中に当てられた聖母の手の中にあった。
何かナイフかハサミのような物を幼児の背中に突き刺している。銀色の刃が少し見えている。幼児の胴体を上下に分断するように刃物を使っている。

聖母の顔、遠目には幼児を見て笑っているように見えるが、近づいてよく見ると、口の中が真っ赤である。気味が悪い。その目は我が子を慈しむ眼ではなく、食材を見て「おいしそう」と言う目である。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「岩窟の聖母」 1483~86年 ルーブル美術館
聖母の手で支えられているのはイエスだろうか。
腹に半透明なヴェールを巻き付けている。長すぎる胴体は途中で切れているのでこのヴェールでごまかしているらしい。両足も変な風に回転していておかしくないか。左足はもっと奥に無ければ変だし、聖母が支えて無ければ倒れてバラバラになってしまいそうである。

天使の手で支えられているこの幼児は、天使と共にキリストを指し示す預言者ヨハネなのか。
こちらも胴体が変にねじれて長い。右足の先もこんな風に見えるのはおかしい。切断された足ならば出来るかもしれない。短い右手、長い左手、この幼児も天使の手が無ければバラバラに崩れてしまうに違いない。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖アンナと聖母子」 1508年頃 ルーブル美術館
この幼子イエスは左手に持ったナイフか何かで子羊の頭を突き刺している。耳を掴んでいるのではない。
彼自身も腹に巻いた白いヴェールの所で胴体が分断されており、左足も胴体と繋がってない。やはりバラバラの身体を組み立ててそれを聖母の手が支えているようだ。羊も小さめの人間数体で構成されている。
幼児と羊の下の地面は流れ出た血でいっぱいである。

幼児の目は瞳孔が開ききっており、死体のようだ。聖母たちの食糧となった人間の幼児の哀れな顔である。

幼児ばかりでなく、主たる人物であるこの「モナリザ」にもおかしな点がいっぱいある。口の事は前述したが、この肩を見ていただきたい。ずいぶんとなで肩でこんな夫人が現実にいるとは思えない。右の現実の女性の肩と見比べれば一目瞭然だろう。肩の位置が下に落ちすぎている他に、首が長すぎ、顔が向かって左に少しずれている。顔が小さいか、あるいは手が大きすぎる。あまりに有名な絵なので、専門家が皆褒めたたえるので、誰も違和感を訴えない。

長すぎる首を短くして、肩がもう少し上に来るように修正してみた。右の絵で現実の女性に近づいたと思う。

元絵をイラスト化するとどうしても肩の位置がうまく合わない。右のイラストのように腕が肩の位置で切られて落ちているとすれば納得が行く。
首も切られているだろうし、手の下には小さい人間たちが複数押さえ付けられているらしい。
これが「モナリザ」の絵の真実ではないか。絵に中の人間の形をした者は全て切り刻まれて奴らの食糧である肉塊となっている。
名画は繰り返し「人間は彼らの食い物」である事を知らせている。主たる人物(例えば聖母)が別の人物(例えば幼子イエス)を喰い、その主たる人物さえ刻まれて肉片となっている。あらゆる方法でその事を伝えている。
ティエポロ 「巡礼の聖ロクス」 聖人は神への生贄の調達係
「人間は地球の支配者(巨大で蛇に近い姿を持っている。人間から神と呼ばれている。)の食い物。」
・・・・である証拠がここにも示されている。おそらくその支配者が作者の脳内に入り込んで描かせた物だろう。普通ボーッと眺めていれば見逃してしまうが、集中力を高めて穴の空くほど絵を見続ければ、見える人には見えて来るかと思う。それでも見えない人がいるとすれば、その人は小さい頃からの洗脳から逃れられない可哀そうな人だ。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ 「巡礼の聖ロクス」 1730年 ハーバード美術館(アメリカ・ケンブリッジ)
ロクスはペストの守護聖人。十字架で人々を癒して回ったとか。彼自身もペストに掛かり、足を怪我した姿で描かれる。傷をいやした犬も一緒に描かれる。
ここでも十字架らしき棒を持ち、怪我をした右足を前に出し、足元に犬が描かれている。
これって十字架なのか。横棒がよく見えない。犬の前脚が長すぎて何かおかしい。ロクス自身の右足もどこかアンバランスで、身体とうまく繋がっている様には見えない。それにペストを癒された人々が描かれていないのが何よりも不自然だ。何故こんな廃墟のような所で腰を下ろして虚ろな目をしているのか。ペストを癒す旅の途中で自分もペストに掛かってしまった虚しさを表現しているのか。


犬の尻の模様の黒い部分に黒い頭蓋骨が見える。目の窪みが一層黒くなっている。これが人の頭だとすると、犬の後ろ脚が手、前脚が人の足だと想像できる。
これは犬では無く、身体を丸めた人間ではないか。
他の名画でも画面の左下隅には必ず食べられる人間が隠れていたが、ここでもそうらしい。これは「神」に捧げられた生贄のひとつなのだろう。

ロクス自身の身体も、よく見れば別の人間の身体を積み重ねて組み立てられている。

全体を目を大きく広げて見れば、背景の中に巨大な爬虫類の頭が見えて来る。額と両目、口あたりを捉えることが出来る。その口の中にロクスの身体や犬が入る。「神」の口の中に入る人間たちである。ロクスは首だけになって山盛りの人肉の上に鎮座する。
「聖人」と言うのは「神」の食事の手伝いをする者を言うらしい。ロクスはこの巨大生物の為に人間を洗脳し、狩り集め、積み重ねて「神」の前に置く役目を果たしている。
この世界では行方不明になる人が大勢いるらしい。臓器移植の為に狩られる人もいるらしい。戦争中にいなくなる部隊も少なくないと言う。名画の隠し絵を考え合わせれば、それらの人々は皆喰われていると考えるしかない。
ティツィアーノ 「ウルビーノのヴィーナス」 頭部が喰われた死体の散乱
名画の中にある隠し絵にこの世の真実が表されている・・・・と思っているのだが、この事、どれだけの人に信じてもらえるのだろうか。僕が繰り返し「神は巨大な爬虫類の姿であり、人間を食料とする為に時々空から降りている」と言っても、名画の中のここに喰われる人間が描かれていると言っても、その事を受け入れたくない人は最初から拒絶する。見ようとしない人には永久に見えない。
見る為には長い時間見つめ続ける事が必要で、根気がいる。目を細めたり元々の画像を明るく処理したり、コントラストを強めたり、全体的に捉えたりする工夫も必要だ。そして何よりも見える物を素直に受け入れる姿勢が必要だ。自分たちは小さい頃から親から、学校の教師から洗脳されている前提で考えなければならない。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「ウルビーノのヴィーナス」 1538年頃 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
この絵の中には、食材としての人間があちこちにばら撒かれて置いてある。

奥のメイドは衣装箱に頭を突っ込んで探し物をしているようだが、少し違和感を覚えないだろうか。左腕に鎖帷子のような物を巻き付けているように見えるし、右腕は少し長すぎる。頭もどこかおかしい。
僕には上右図のイラストのように、大蛇が巻き付いているように見える。そいつの頭がメイドの頭の代わりに胴体に乗っかっているのではないか。つまりこのメイドは頭部も両腕も無くしている。

こちらの年長のメイドが担いでいる物は何だろう。縞模様のドレスか絨毯のように見える。
僕には人間が担がれているように見える。それは一人か二人で、右下にあるはずの頭が無い。頭部の切断面から大量の血がこぼれ落ちている。メイドのスカートも血で真っ赤に染まっている。

ベッドの右側に子犬が丸まっているのだが、絵の中の人物が誰も視線を向ける事無く、ほったらかしにしている。愛玩動物が描き加えられている意味が無い。
この子犬を遠目に見ると別の物に見える。仰向けに寝転んだ骸骨。奥のメイドの頭部が無いが、それかもしれない。

女の髪の毛が肩に掛かって、不思議な形を作っている。上図右のイラストのように、人間の頭部がそこにあるように見える。頭蓋骨かもしれない。
女の手に持っているのは何だろう。大腸を含んだ内臓のように見えて仕方がない。枕の下の白いクッションが人の寝姿なので、その頭部を千切って内臓を引きずり出し、喰っているのかもしれない。

元絵の解像度が低く判然としないが、女の口の端、顎のあたりに血が垂れている様にも見える。つまりこの女は人間を喰う存在ではないか。

全体図で見るとこうなる。ベッドに横たわる女は、人間を千切って喰い、頭を欠いた人間の遺体がそこら中に転がり、または積み重ねられている。奥の方でもメイドがもう一人のメイドを殺害し、別の人間の身体を担いだりしている。ここは凄惨な人肉食の現場となっている。
ただこの女自身も手や足・首が切断されているらしく、そのつなぎ目に不自然な所がある(分かりにくいが、長い時間見続けるとそれが見えて来る)。

女の身体の曲線、奥のメイドの影の線を繋ぐと、このイラストの様な爬虫類の頭が見える。画面全体にいっぱいに描かれたこれは、「神」の姿であるらしい。絵の中の人物を全て自らの身体の中に摂り込む(摂取する)。
ベッドの上の白い部分の中に人間の形が見えるが、全て頭部を欠いた身体の積み重ねである。これらを巨大な爬虫類である「神」が口に入れようとしている。正に「人間は自分たちの食糧である」と言わんばかりに。
彼らにとっては凄惨な光景でも何でもない。単に普通の食卓風景である。食材である人間にこの秘密をわざわざ知らせる必要は無いが、もし気付いた人間がいたならばそれも良い。どうせ人間の生も死も自分たちの意のままなのだから。
ティントレット 「キリストの洗礼」 暗く凄惨な人間の運命
生きると言うのは何故こんなに苦しいのだろう。人生の晩年を迎えて身体がどこかしら不調で痛かったりする。身体を使う農業などは次第に縮小させていかなければならない。もう引退しても良い歳になっているが、少ない年金だけでは暮らせない。田舎に安い中古住宅を買って食糧をある程度自給しながら細々と生活して行くしかない。
この世の暮らしが苦しいのは、この世界の支配者が家畜並みの労働を人間に強いているからかもしれない。僕も若い頃よく働いたので、今は年金だけで悠々自適に暮らせると思っていたがそうでもない。悪徳政治家のせいでもあるが、政治家の上に彼らに指図するより強い存在がいるらしい。
奴らはとんでもなく頭が良く、人間たちを洗脳し、自分たちの存在を徹底的に隠し通している。普通に生きている人間には、「まさかそんな事あるはずが無い。」と思わせるほど秘密を守っている。「人間が奴らの食糧として生まれ存在している。」など、誰も思い付かないだろう。
ただ、奴らはこの世界の所々に秘密の一端を垣間見せる。名画の中に隠し絵としてそれが見えるようになっているのだ。完全に隠すのではなく、真実を見せるヒントとして人間の目の前に置いているのだ。それは「人間にはこの隠し絵がバレる事は無い。」と高をくくっているのか、それとも人間に気付かせる事を願っているのか、どちらだろうか。
キリスト教の聖書にある「イエス・キリストの洗礼」の逸話、イエスの存在からして作り話に違いないが、何の意図があって創作された話なのか。

ティントレット 「キリストの洗礼」 1585年 カピトリーニ美術館(イタリア・ローマ)
同じ画題でダヴィンチがヴェロッキョ工房で制作に協力した絵があるが、それと比べると絵が暗い。ほとんど茶色一色で描かれたような絵だ。「洗礼」は人がキリスト教に入信する際の大事な儀式のはずだが、こんな陰鬱な絵で良いのか。
背後の空中に幼児の生首(ケルビム)が飛んでいるし、洗礼者ヨハネも逆光になって暗い。手前の青年がイエスか。ヨハネの持つ十字架の棒で背中を突き刺されていないか。

二人の背後に巨大な爬虫類の顔がある。口を大きく開けてヨハネを咥えているのか、あるいは鼻の上にヨハネを乗せているのか。そうしてイエスと見られる青年その他を喰おうとしている図ではないか。小川の中の水草に見える物は巨大生物が喰った後の骨(あばら骨)だろう。イエスは下半身をまた別の爬虫類(地を這い頭をもたげて青年に喰い付く大蛇)に半分呑まれている。

明るくして丹念に陰影を追って行くと、イエスを呑み込む大蛇が見えて来る。白い歯は見えるし、目も見える。イエスの腰は血の様な濃い赤色に染まっている。

ヨハネが右手に握っているのは何だろう。それは男性器であり、イエスに精液を掛けている様にも見える。そう見るとイエスの耳が子宮内の卵子に見えて来る。
これは授精の瞬間を意味しているのではないか。
人間をいくら喰っても繁殖させれば問題ない。人間はいくらでも増える・・・・とでも思っているのだろうか。

レオナルドダヴィンチ(ヴェロッキオとの合作) 「キリストの洗礼」(部分) 1472~1475年 フィレンツェ・ウフィツィ美術館
ダヴィンチの描くイエスも男性器をこちらに向けている。しかもこの絵の画題も「キリストの洗礼」である。ダヴィンチの場合、このチンコひとつで繁殖を想像させている。

全体図。イエスはチンコ丸出しで、ヨハネは身体がバラバラで手足が大蛇に咥えられて支えられているようだ。小川の中は餌となった人間の身体のパーツがたくさん転がっている。左の、服を持った少年二人も既に手・足・下半身を喰われて失っている。血の色の小川の中に彼らの手・足・下半身も転がっている。

画面全体に大きく巨大爬虫類の頭がある。絵の中の全ての人物をその身体の中に摂り込む。
背景にUFOらしき円盤がいくつも飛んでいたり、駐機したりしている。巨大爬虫類はこのUFOに乗って地上に降りて来るらしい。

ティントレットのこの絵も真意は全く同じ。巨大な爬虫類が空から降りて来て人間家畜を喰う場面を描いてある。小川の中の人間の骨・しゃれこうべが見えたとするなら、この絵の凄惨さに気付くであろう。
人間は本当に奴らの食い物として創られ存在しているのだろうか。ウソだと思いたい。絵の中に見えて来る隠し絵が信じられないのだが、それにしか見えないのが困る。
デューラー 厳格なドイツ人画家、と言うよりもまた別の見方
長い事更新を怠ってしまった。
スマホのバッテリーが膨張し、新しいスマホに買い替え、テザリング設定をしようとしてうまくできなくて手こずっていた。ネット環境はスマホのテザリングだけで、mineoの1Gb契約1.5Gb低速モード約1600円/月でやって来ている。これで70GB/月使う。節約の極みなのでいったん壊れると復活が難しい。
身体も壊れて来て、膝が弱くなっているので農作業はもうできない。自給用の野菜を少し作るだけになる。
他県への移住を考えているので、中古住宅探しをし、今やっている畑の整理(ハウスや小屋の解体、畑の除草・耕うん等のいわば畑じまい)や引っ越しの準備も急いでいる。
名画の中に発見した事実は引き続き探って行きたい。

アルブレヒト・デューラー 「自画像」 1500年 アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)
ドイツ・ゲルマン民族の厳格な性格を代表するような画風の画家。画面の隅々まで、写真のように正確に物の形を写し取っている。真正面に向かい真っ直ぐにこちらを見ている。右手は上着の合わせ目を掴み、左手は机の上に或いは膝の上に置いている。何処かイエス・キリストを思わせる自画像である。
日本の岸田劉生はこのデューラーを尊敬し影響を受けている。

ここまで描き込む必要があるのか。右目の拡大図。瞳の中に写り込んだ窓の桟が見える。

しかし、元絵の明度を上げ、コントラストを強めると、右の様な隠し絵が見えて来る。上着は巨大な生物の頭であり、肩の切れ込みはその目である。よく見ると背後の壁にももう一匹巨大生物の顔が見えている(最初見つけにくいかもしれないが、長い時間見続ければ次第に見えて来る)。服の皺、襟の毛皮部分もよく見ると小さな人間の形を辿ることが出来る。右手の指で襟の毛皮部分を摘まんでいるように見えるが、これはそこにいる小さい人間の足を摘まんでいるのではないか。上着部分で作る巨大生物の口の中に小さな人間を入れているのではないか。
巨大な爬虫類生物に小さな人間を喰わせている図であろう。

重要文化財 岸田劉生 「麗子微笑」 1921年(大正10年) 東京国立博物館
こちらは岸田劉生の絵。麗子の身体の上に数体の小さい人間がおり、右手に持った小さい人間を蛇に喰わせているようだ。背後の壁には巨大な爬虫類の顔があり、口を大きく開けて麗子をも呑み込もうとしている。
巨大な爬虫類が小さい人間を喰おうとしている事、絵の中の人物(麗子であれ、デューラー自身であれ)がその爬虫類に人間を与える動きをしている事が共通している。

アルブレヒト・デューラー 「聖家族とトンボ」 1495年頃 メトロポリタン美術館(アメリカ)
この胴版画の画題の「トンボ」は画面右下に小さく描かれた物と、キリスト・その父、母の家族が描かれているらしい。

僕には人間の幼児を喰う鬼女の絵にしか見えない。女の膝の上には別の人間も数体乗っている。

全体図で見ると、絵の意図がより鮮明に見えて来る。巨大な蛇が空から降りて来て、地上の人間たちを片っ端から口に入れている。マリアはその食事の手助けをしている。
こう言う事がこの世の真実であるらしい。分かる人には分かるように絵の中に隠し込んである。