名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

フラゴナール 「読書する娘」 おいしそうに盛り付けされた食卓の光景。人間の身体が食材

非常に巧妙に隠された物が存在する。それは奴らの食卓風景。生肉の盛り付け。生贄の祭壇に置かれたその肉を、奴らは空から降りて来て喰う。

この絵にそんな秘密が隠されているとは誰が思うだろう。一見して読書をする若い娘の静かな横顔が描かれた絵だとしか思えない。

ジャン・オノレ・フラゴナール 「読書する娘」 1775年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

おかしな点と言えば、椅子の構造がよく分からない。肘掛けが長すぎるし、右側の肘掛けが見えない。

肘の下にある布のたるみは何なのか。スカートがまくれ上がっているのか。

本を持つ右手の指が蛇のようにぐにゃりと曲がって関節が無い。

これらを踏まえても全体的にふわっとした感覚で見れば良い絵だと思うのではないか。若い娘、美人で胸もふくよかで魅力的だ。黄色い服が目に心地よい。真剣なその表情から思わず鑑賞者も本の中に引き込まれてしまいそうだ。

81.1cm×64.8cmと小さな作品のせいか、油彩の筆跡が荒々しく残っている。頬が赤らんでいるのは、恋愛小説でも読んでいるからか。

上図左、この目はどんなものだろう。黒目が無い。彼女が空想の世界に入って現実を見ていないことを表しているのか。または瞳孔が開いた死体の目か。

上図右、下唇が異様に赤い。しかも形が普通では無い。遠目には健康的な若い唇に見えたが、こうして近くで見ると、これは唇ではない。口に入った赤身の肉だ。

椅子の肘掛けから下の、何かくしゃくしゃした部分を詳細に見た。小さな人間の身体が幾つも見える。クッションやスカートの皺がこんな風に人間の尻の形になる事は実際には無い。下に行くにつれて血のような赤色が強くなる。

食糧としての人間の生肉の山。娘の頬や下唇が赤いのはこの生肉を喰っているからだろう。

娘の肩から下の形においては、正に逆さになった人間(娘とは別の)が置いてある。最下端にあるのは血だらけになった頭であるらしい。

絵の上部、背後の壁に目を向けて画像を目いっぱい明るくすると、そこにこんな形があった。人間の男女が性行為をして子供を作っている。身体が半透明なので男の向こうの女の尻も見えている。

名画にはよく性行為の隠し絵があるが、これは消費した人間を補充する為に新たに子供を産み増やさせるのが狙いなのだろう。名画を美術館で鑑賞した人間は、知らずにこんな隠し絵を目に入れておのずから繁殖行為に励むと言う寸法なのかもしれない。

ここでは性行為する人間の頭が右側に見ているが、これを反対に頭を左側に見ても同じような性行為画像が見える。

こんな風にも見えた。読書する娘を尻から産む形での人間の姿の隠し絵。

名画の登場人物は皆巨人族だが、これは「神」が宇宙から来て地球上に最初に創り出したものだろう。自らの遺伝子を地球に元々いた猿人の遺伝子に混ぜて創ったが、産むときは地球の猿人の雌に産ませた・・・・と言う事を表しているのか。

娘を産む雌も、良く見れば性行為をしながら同時に出産しているのが見えて来た(異時同図描写法)。雄の身体の向こうに雌の身体がある。

それと、背後の壁に吊り下げられた女の身体も見えて来た。右側の壁である。胸の膨らみの小さな女の身体があるが、これが読書をする娘の本当の身体かもしれない。つまりこの娘は首しか無く、胴体部分には別の人間の身体が逆さまに置かれており、本当の身体は壁に吊り下げられている。

背中のクッションは背後から飛び出て来た大蛇であるらしい。逆さまの身体に喰い付いている。

背後の壁はこう見る事も出来る。巨大な爬虫類型生命体(「神」)の顔が娘に迫っている。その口には人間の身体が咥えられているようだ。

 

ブーシェ 「ヴィーナスの勝利」 ヴィーナス・ニンフはキューピッドを喰う

フランスのロココ時代の巨匠ブーシェは、王宮で暮らす貴族たちの富貴な暮らしぶりを見せる、僕にはあまり好きになれない画家だが、ギリシア神話を題材にしたこんな絵を描いている。

フランソワ・ブーシェ 「ヴィーナスの勝利」 1740年 スウェーデン国立美術館(ストックホルム)

130cm×162センチと、思ったよりも小さな作品である。登場人物が多く、大構成となっている。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」と同じテーマ。ヴィーナス(ギリシャ神話ではアフロディテ)が海の泡の中から誕生する。最初キュテラ島に立ち寄り、次にキプロス島に上陸する。絵の右側にある岩場がキュテラ島だと言う。

ボッティチェリのそれは、浜に到着した瞬間を貝の上に乗って表されたが、この絵では、ヴィーナスがニンフやイルカ、トリトン(ほら貝を吹いている)たちに持ち上げられており、空にキューピッドが舞い遊んで喜びを表している。空に飛んだピンクの布はヴィーナスの日よけで、キューピッドが戯れてこんな形になっているらしい(Wikipedia)。

画面中央の、ひときわ肌の白い女性がヴィーナスであるらしい。人間の愛と情熱を支配したと言うだけあって肌が魅力的だ。横にいるニンフが真珠のネックレスを見せているがそれに目を向けているのか。誕生したばかりのはずなのに、髪に飾り物を付けている。

周りはニンフ(精霊)たちが囲っている。皆魅力的な肌、尻をしている。

左側のニンフの後ろにもう一人のニンフがいて(上図左上)、その股の間に白い鳩(性行為を意味している)を置く。

ヴィーナスの顔。拡大するとその表情が独特だ。愛に満ちた顔、ではなく、冷酷な目だ。ちょうど聖母子像で見るマリアの目のように、幼児に向ける目が冷たく、獲物を見る目のようだ。画質がこれ以上良くならないので良く見えないが、唇が血のように赤く、何かを咥えている様であり、目が向いているのはニンフの持つ真珠ではなく、キューピッドの方ではないか。

この二人のニンフの口、少しおかしくないか。白い牙のような物が見え、何かを喰っているようにも見える。

キューピッドと言えば可愛らしい幼児で表されると思うのだが、これはどうだ。皆険しい顔をしている。身体に損傷を与えられたかのような、苦し気な表情である。

鳩を股間に当てたニンフ。左手に何か持っている。拡大して良く見ると、身体を丸めた小さな人間ではないか。ニンフも巨人族の女神だから、小さな人間を捕まえて喰っている図かもしれない。そう思うとこのニンフの口から頬、のど、胸に掛けて血が付いているようにも見える。

巨人族の神々は人間の幼児を好んで食するらしい。空中に飛び回るように見えるキューピッドは、上から降りて来た目に見えない「神」の口に咥えられて飛んでいるように見えているだけのようだ。日よけの布も人間の形で組み立てられているから、これも「神」の食糧であろう。

異次元の存在である「神々」が空中に集まって来ている。折り重なってたくさんいる。ヴィーナスは「神」の鼻先に乗っているが、その他の人型の生命は全て「神」の口の中に呑み込まれる。

画面全体に大きく表されるのが「神」の中の「神」。ギリシア神話で言うゼウスの姿だろう。

 

ティエポロ 「ヴィーナスとヴァルカン」 神話の世界はかつての人間の悲惨な人生を表す

ギリシア・ローマ神話で語られた物語は、半ば真実の話だったのではないか。

巨人族がいて、神々がいる。神の父ゼウスがいて、美の女神ヴィーナスがいる。彼らが実際に存在していて、小さな人間を狩り集めている。そんな世界が本当にあったのではないか。時間が経ち、想像上の話が加えられたが、基本的には巨人族が「神々」として世界に君臨していたに違いない。人間は小さく弱く、「神々」には逆らえない。ただ指図に従うだけの存在であり、その肉や血を「神」に与えるために存在していたのではないか。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ 「ヴィーナスとヴァルカン」 1765年 フィラデルフィア美術館

二人の息子ともども画家であり、18世紀イタリアを代表する偉大な画家と言われている。そのティエポロの描くギリシア神話の一挿話、ヴィーナスが元の夫ヴァルカンに鎧兜を作らせる場面である。鍛冶屋の仕事場らしくかまどがあり、おやじや若者がいる。手前に盾や兜、鎧が置いてある。

画面を明るくしてみる。おやじたちが手に持っているのはハンマーだろうか。地面にも同じ物がある。

この絵でおかしな所は、ヴィーナスとヴァルカンがいるベッドが変に盛り上がっており平たくない事と、二人の背後にいる横向きの顔を見せる、剣を持った女(鍛冶場の使用人?)がいる事である。

ヴァルカンの身体は一見向かって右下に流れているように見える。ヴィーナスは右手を背中に回して一種恍惚の表情をしている。

この二人、セックスをしているのではないのか。

ヴァルカンの左手に小さな人間が数人掴まれている(毛皮にも見えるが)。ヴァルカンの身体はこの下ではなく、ヴィーナスの背後、画面に向かって左側に流れているらしい。ヴィーナスは上体を気持ち前のめりにして尻をヴァルカンの方に付きだしてないか。多分この二人はヤッている。

二人の身体の下には小さめの人間がたくさん積まれている。巨人族に狩られた人間たちが山盛りになって集まっている。人間は「神」の食糧だから、二人の「神」は食糧の上で性行為をしていると言う事になる。酒池肉林のお気楽な世界か。

鍛冶屋のおやじや使用人の若者たち。竈に鉄を入れ、ハンマーで形を整えているように見える。しかしよく見るとそうではない。鎧兜に見える人間たちをハンマーの柄で突き刺しているのではないか。小さな人間たちを棒で突き刺して集めてヴィーナスたちのいるベッドに積み重ねようと言うのだろう。ヴィーナスの背後にいる剣を持った女は、小さな人間をそれで突き刺しているらしい。

小さな人間たちは小さいがゆえに巨人に抵抗する事も出来ず、ただ狩られ、棒や槍・剣で突き刺され、集められて巨人たちの食糧となるしかない。

人間にとってはこれは地獄絵図だ。しかし巨人たちにとっては普段の食事風景でしか無いのだろう。食卓の上に肉料理が並んでいる光景でしかない。今の人間は家畜のと殺を人目にさらす事無く、肉を切り刻んで火を咥えて全く別の形にして器に乗せているが、「神」は生食が基本らしく、その場でと殺し、血も肉もそのまま見える形で喰うらしいから、この絵は彼らにとって御馳走が並んでいるように見えるのではないか。

ヴィーナスとヴァルカンは、蛇型生命体である「神」が自らの遺伝子を加えて地球上に創りだしたものだが、「神」自身の姿も絵の中に隠されている。異次元の存在だから人物・器物の輪郭線・陰影を繋ぎ合わしてやっと見えて来る。

「神」はヴィーナスとヴァルカンを頭の上に乗せて、小さな人間たちを口に入れる。空中に「神」はいくらでもいる。

画面全体で表された最も大きな「神」の姿が見える。天の父なる「神」、神話ではゼウスとか、ヤハヴェとか、天照とか、大日如来とか、色々な言い方で呼ばれる存在である。こいつが地上のすべての有機生命体を吸収して地球を支配している。存在は一つではあるが、無数でもある。恐らくいつかはこの生命体もより大きな地球外生命体(宇宙生命体とでも言おうか)に吸収される時が来るのかもしれない。

 

コロー 「ナポリの浜の思い出」 森の中の神々

膝関節の痛みがなかなか無くならない。鎮痛剤でごまかしながら仕事をしている。そろそろ人生の終盤に向けて準備をする時期かもしれない。

しかしこのブログで得られた知識では、人生は家畜としてのそれであり、一つも希望が無い。この世を支配する悪魔に問うても悪魔的な答えしか得られないのだろう。より上位の存在に問わなければ良い答えは無い。

まずは悪魔の存在を人々に知らしめれば、その存在の上が見えて来ることを期待する。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「ナポリの浜の思い出」 1870~72年 国立西洋美術館

フランスの画家コローと言えば、風景画と婦人の肖像画が思い浮かぶが、これは風景画。何度もイタリア旅行に出かけたが、彼の晩年70歳代の頃の作品である。

船の見える浜を遠景にして、二人の女と一人の赤ん坊が手を繋いで森の小道を駆け上がってくる。女の一人は片手にタンバリンを持ち、踊るようにしていて楽しそうだ。

この三人とコローの関係、女同士で手をつなぐ二人の関係は分からない。たまたま見かけた姉妹だろうか。

赤ん坊を抱いた女は口づけをしているのだろうか。隣の女はタンバリンを振り上げていながらスカートが広がるほどに踊っているのだが、手は繋いだままだ。スカートの真ん中に何かがあるらしいが、足なのかどうか分からない。赤ん坊を抱いた女もどういう服装なのか不明確だ。ともかく明るい浜を背景にして三人が楽しそうに歩いている様子が描かれている。

三人の足元は赤っぽく、落ち葉が厚く重なっているらしいのだが、よくその辺りを見てみると・・・・画質調整しながら長い時間見つめていると、こんな風に見えて来た。短時間見ただけでは見えないだろう。全く別物に見える人もいるだろう。一つの絵で何通りにも見えるように形が重ねられていて分かりにくい。僕にはこう見えた。

左端に逆さに転がった赤ん坊、真ん中に仰向けに横たわった女、右側にうつ伏せになった女、である。その他辺り一面に骸骨等が転がっている。

拡大して、丹念に見て行くと、こんな形が見えて来る。見ようとしなければ見えないだろう。まさかこんな隠し絵があるはずが無いと思ってじっくり見ようとしない人には見えないだろう。単なる落ち葉の描写の陰影にしか見えないのだろう。

全体図。

画面下端には楽し気に歩いている三人の変わり果てた姿が転がっている。他にも人の肉が積み重ねられている。ここは「神」の食事処。生贄の現場だ。三人の人間の未来を表している。もしくは人間の産まれた意味、生きる意味を説明している。

縦長の画面には上から降りて来る「神」の姿が隠れている。大きな「神」だけでなく、小さな「神」も同時に隠れている。まるで森の中にいるヤオロズの「神」だ。森羅万象全ての生物に「神」が宿っている事を具現化している。

 

昔僕は、自分が歳を取ったら宗教とかに帰依して極楽行きを願いながら、念仏を唱えながら生きるのかと思っていた。しかし絵画の研究をして行く中で恐ろしい現実を発見してしまい戸惑っている。人間の存在がこんなにも残酷な運命の中にある事に驚いている。

何も知らず、何にも気付かずに、気楽に生きて死ねればそれはそれで良いとも思える。

自分が気付いてしまった事を他人に伝える事に何らかの意義があるのか。人間は「神」の食糧として創られ、そのために家畜として存在し、全員ではないにしても肉と血を「神」に捧げる為に死ぬのだ・・・・。こんな事を言われて不愉快になる人の方が多いに決まっている。拒絶されるに決まっている。

自分の心の中だけにしまっておいた方が良いのか。

 

ターナー 「トラファルガーの海戦」 戦争の勝敗は「神」が決める

戦争には気象が大いに関係する。日露戦争で連合艦隊の打ち出す玉がバルチック艦隊を沈めたのは、波が高く水線下に大穴を開けたからだとされるし、太平洋戦争のミッドウェー海戦で日本の空母が大打撃を受けたのは、当日雲が低く、急降下爆撃機の発見が遅れたからだと思う。その他の条件もあるだろうが、こんな気象に受ける影響が一番大きい。

気象を制御し、戦争の行方を決定付ける者がいる。空の中にそれはいる。巨大な存在で、人間全体の生き死にをコントロールしている。

ウィリアム・ターナー 「トラファルガーの海戦」 1822年 ロンドン国立海事博物館

1805年、イギリス人にとっては国を守った歴史的勝利としてこの海戦があった。ナポレオンの指示で組まれたフランス・スペイン連合艦隊に対して、ネルソン提督率いるイギリス艦隊が船の数が少ないにもかかわらずに勝利した戦いである。王の依頼によりターナーが絵にしている。

中心に描かれた旗艦ヴィクトリー号。撃沈されるフランス船が右に描かれる。手前の浅瀬にボートで避難したイギリス水兵が勝利の雄たけびを上げている。

フランス船が沈むのは海戦の後で、事実とは違う。旗艦に乗っていたネルソン提督はこのフランス船の狙撃兵により命を失っているが、そう言う事は絵には描かれない。

旗艦ヴィクトリー号。イギリス人にとっては知らない人はいないだろう船。日本人にとっての「三笠」のようなもの。東郷平八郎率いる連合艦隊は、この100年後、鋼鉄で出来た船同士の戦いで行われた。ただ海軍はイギリスに多くを学んでいるから戦法は似ている。旗艦が先頭を行き、真っ先に敵艦に突っ込むような所だ。ネルソン提督は敵艦の並びの横腹に一直線に突っ込んで行った。

当時は船の先頭の衝角で敵の横腹を突き刺すような戦いが主であったらしい。横向きの大砲を撃つよりも先に突き当たる。

手前の岩場に上がったイギリス兵。赤い服の陸軍兵と横縞のシャツの水兵は分かるが、他は服装がまちまちでよく分からない。兵以外の一般人も機関部員や料理人としていたのだろうか。

沈む敵艦。敵艦の船体から人がばらばらと落ちている。倒れるマストには狙撃兵がいるようだが倒れている。

メインマストに旗による信号。上から二つが「U」、次の二つが「T」、次が「Y」、次が「終わり」。合わせて英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」と言う意味になるらしい。東郷艦隊の「Z旗」、「皇国の興廃この一戦に有り。各員一層奮励努力せよ」はこれを真似た物だろう。

戦いの結果、イギリス側には喪失艦は無かったはずだが、何故か浅瀬にボートで乗り上げたイギリス兵。分かり易く大きな国旗が広げられている。

左下の暗い部分は何が描いてあるのか分からない。船の一部だろうか。

右下部分も暗すぎて何か分からない。

全体図。空に浮かぶ雲の形に注目したい。

空の色が、画面の右側と左側で違っているのが分かるだろう。右側の空には巨大な爬虫類の顔が見え、フランス船を口に入れている。左側には少し明るい色の、やはり巨大な爬虫類の顔が見える。まるでカエルの様に目が上に突き出ているように見える。こちらはヴィクトリー号を大口を開けてぱっくりと呑み込もうとしている。

画面下端の陸地(岩場)は、巨大な爬虫類(「神」)への生贄なのだろう。人間の形がたくさん横たわっている。

戦争は「神」にとって人間を大量に取って喰うには良い機会である。

画面全体を大きく見るとこんな風に巨大な一匹の爬虫類「神」の顔になる。空に浮かぶ雲の中には「神」そのものがいる。

 

ウクライナのゼレンスキー大統領が、戦争の死者が今までに3万人以上出ていると発表した。ロシアでは18万人の死者が出ているとしている。国としての発表だから数に増減はあるだろうが、死者が大量に出ている事は間違ってはいないだろう。アメリカはアラビア半島の敵性組織を攻撃したりして、戦争が拡大して来ているようだ。日本もその内戦争に巻き込まれないかが心配だ。ロシア・中国・北朝鮮が攻めてきたらどうなるのだろう。「神」のみぞ知る。正に「神」が指図しているのだ。国の指導者を誘導し、戦争になったら気象を巧みにコントロールし、どちらかに勝たせる。