名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

モネ 「柳のある明るい朝」 人間は餌であり糞である?

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クロード・モネ 「柳のある明るい朝」 200×1275㎝ 1914~1926年の間 オランジェリー美術館(パリ) 睡蓮の部屋の中の一点

モネの一連の睡蓮作品は生贄の池の絵である。蛇神が餌場で人間を喰っている様子が描かれている。人間から見れば阿鼻叫喚の地獄絵図である。

今回はこの大作を細かく調べてみた。

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画面向かって右側の柳の幹の左、睡蓮の花と思しきあたり。無数の人間が水に浮き、大蛇に喰われている。睡蓮の花に見える白い物は人間の顔である。水面の光の揺らめきのように見せて人間の身体があちこちに様々な肢体で存在する。大きい人間、小さい人間がいる。大蛇どもが人間の合間にいて彼らを襲っている。

大蛇に見えると同時に人間の身体にも見える部分がある。どちらでも捉えられるように曖昧に描かれているようである。

大きく見れば一段と大きな蛇が上から降りて来ているのが発見できる(イラストで茶色線で示した)。

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その左側、画面中央付近。ここでも睡蓮の花に見せかけた人間の顔、水面の光る波に見せた人間たち、大蛇どもの食事風景である。波間に見える人間たちは過去の生贄の犠牲者たちかもしれない。水と同じ色で描かれている。白っぽい人間が新しく投げ込まれた生贄であろう。

上方から巨大な蛇が降りて来て人間を口に入れようとしている。

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さらに左、画面中央。白い花は人間の顔だが、緑色の葉は大蛇の頭である。人間に喰らい付いている。

大きく見ると上方から巨大な蛇が・・・・と思ったら、ここでは緑の大蛇の頭を眼にした髑髏が二つ見える。

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画面右端にも浮かぶ人間を喰う大蛇が描かれている。

周りの水面に見える人間は大蛇にもどちらでも取れるように、水に溶け込んだような状態で描かれている。

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左側の柳の幹の左。垂れ下がる柳の葉の真下にはいろんな色が置いてある。白いのは人間の顔・・・・? 大蛇の頭にも見える。人間の身体もいろんな捉え方が出来る。この辺が分かり難い。

この画面左下に子供を抱いて蛇から守ろうとしている大人が見える(僕にはこう見えた)。この画面右下にやはり子供の頭二つを胸に抱いて横たわる大人がいる。

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もう少し大きく画面全体で見てみよう。非常に横長の画面の右側三分の一くらいの所。こう見えた。上空から人間を喰いに来た蛇神が何匹も垂れ下がっている。小さいのも細いのも大きいのもいる。木の幹にも人間が含まれているが、これは木の幹に沿って降りて来た巨大な蛇の体内に既に呑まれた人間が透けて見えているのであろう。

(睡蓮の花以外の部分も詳細に調べるべきだが、煩わしいのでやめた。ひょっとして画面の隅から隅まで全て生贄の人間が描き込まれているのかもしれない。)

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横長画面の中央部分。上から降りて来る蛇神も見えたが、別の物も見え出した。

上空で吊り下げられる人間。上の蛇が現在喰っているのかもしれないし、既に蛇の体内に吸収されている状態を示しているのかもしれない。

より大きな生贄の人間像。既に半分白骨化している人間が見え出した。やはり蛇の口先にあり、喰われているらしい。

尻を見せる女の巨大な像も見える。

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横長画面の左の端。上から垂れる蛇神も生贄の大きな髑髏も見えるが、その他に尻を向けた裸の女が何人も見える。柳の葉が作る微妙なカーブは巨大蛇の輪郭を形作るが、女の身体の線も形作っている。すべての女が後ろを向いており、柳の葉が女の髪の毛にも見えるようになっている。

そして全ての尻の間からウンコが垂れているように見える。これは僕の心が汚れているからこう見えるのだろうか。

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画面全体を見るとこんな絵である。パリの中心のテュイルリー公園内の美術館で、人々はお金を払ってこの絵を見ている。仲間が喰われて死んで行く様を描いた絵をである。

画面下方に大きな人間が描かれている(隠し絵で)が、その様子が物悲しい。僕にはこんな風に見えるのだ・・・・左端に子供を抱いた母親が横たわっている。中央やや左寄りに男の背後から抱き着く女、その右に父親の背に乗る子供。そのまた右に小さく子供に覆いかぶさって守ろうとする両親・・・・。

Wikipediaから取った画像をPhotoShopで画質変更し、拡大したり目を細めて見たりしながら、トレースしながらより良く元絵の微妙な濃淡を辿りして行く内にこう言う物が見え出したのである。他の人は別の絵に見える事もあるかもしれないが僕の眼はこう言う画像を捉えた。

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さらにこんな風にも見えた。セザンヌルノワール雪舟と見て来てその全てに見えた「隠し脱糞絵」である。

画面右の柳の幹の左側に大きな尻があるのが最も分かり易いかもしれない。両手も左右に垂れている。その肛門の下に先ほど見た悲劇の人間たちがいる。

これは何を表しているのだろう? 蛇神から見たら人間は単なる餌であり、消化吸収した後は「糞」として排出するべき存在だと言っているのだろうか。

ただこの絵の中に垣間見えた物がある。喰われる人間の哀れな姿に奴ら爬虫類は興味を持っているらしい事である。奴らには無い男女間の愛情・親子の愛等の感情を憧憬を持って眺めているのではないか。

雪舟 「秋冬山水図」(冬景図)  人間を喰い人間を排泄する者

雪舟水墨画で最も有名な作品と言えばこれだろう。

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雪舟等揚筆 「紙本墨画秋冬山水画」 2幅の内「冬景図」 約40×30㎝ 15世紀末~16世紀初(室町時代) 東京国立博物館 国宝

この作品を調べるのは二度目である。前回は下の様に見えた。

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絵の中に蛇・恐竜・宇宙人・髑髏・怪物が散りばめられているように見えた。この絵の作者は人間とは違う生き物だと思った。

一年ほど経って見直すとまた別の物が見えて来た。

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画面中央の人のいるあたりの拡大図である。背後の山、手前の山には人間の遺体が積み重なっている。ほんのわずかな陰影をトレースしながら追って行くとこんなイラストになった。人の尻に見える所、頭に、肩に見える所を繋いで行くと人体の他の部分があるべき所にある。間違いなく隠し絵である。

ここには描かなかったが人物の背後に髑髏がぼんやりと浮かび上がっている。

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絵の下半分で見るとさらに多くの人間が見付けられる。うつ伏せ・仰向け・四つん這い等様々な格好で描かれている。所々に蛇が這っている(イラストでは青色部分)。人体にも大蛇の頭にも見える部分があり、これは「天橋立図」と同様である。

大きい人間と小さい人間が共存している・・・・と言うよりは小さな人間を包括して大きい人間が出来ているらしい。言い換えると大きな人間の身体の中に小さな人間が何人か見て採れる。だからイラストでそれを示すのが難しい。

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画面上半分。例によって上空から巨大な蛇が降りて来ている。生贄の人間を喰いに来たのである。何人かの人間は巨大蛇に咥えられ空中に吊り上げられている。中央の縦筋に沿って一匹の巨大蛇が垂れ下がっている(イラストでは水色で描いた)が、その頭は既に呑み込んだ人間でいっぱいである。頭の中に体内の人間が透けて見えている。

この画面を左右に切り裂く縦線は、冬の厳しさを表すのに雪舟ならではの大胆な手法と思われたが、そうでは無く人食い蛇の輪郭を示していたのである。

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画面上下を繋げて全体図にすると、巨大な蛇神が生贄の人間たちを喰っている様子が良く見える。右上から降りて来るそれを見れば、比較的小さな蛇の頭が幾つも上下に連なっており、その小さな蛇を含めた中くらいの蛇の頭になっている。

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そして中くらいの蛇を合わせてさらに大きな蛇神に見えるようになっている。人体と同じように蛇も小さい物から中くらい、大きい物まで何段階にも捉えられるように描かれている。

絵としても、山の景色であり、生贄の人間であり、同時に大蛇であると言う三段階くらいの重複した表現が成されている。「三」と言う数に奴らはのこだわりがあるかもしれない。

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そしてこんな見方も出来るのだがどうであろう。

生贄の人間の山を大きく見ると皆尻をこちらに向けて倒れている。空の蛇神も人の尻の集まりに見える。それらの尻の割れ目から何かが垂れている。それは点景の人間であったり、隠し絵の人間の顔であったり、蛇に咥えられる人間であったりする。「人間は糞のような物」と言う事を隠し込んでいたセザンヌルノワールと同じ物がここにもあるように思える。思い違いだろうか。

人間は目から入った情報を脳を介して取捨選択して思った通りの物だけを採る。思考と目に見える物は連携しているのである。僕のように心が汚れている者には汚れた物に見えると言う事なのか。

画面中央の大胆な縦線は尻の割れ目(イラストでは青色で表した)、尻から白い物が噴き出ている。生贄の人間の山は「糞」の山、という風に見えて来た。人間を食べる種族の排泄するものは人間を構成していた成分だから、「糞」は人と言うのも物質の循環と言う点で見れば間違いでは無いのだが、それは爬虫類の見方であり表現だろう。人間である僕たちから言えば見たくない画像である。

この絵はセザンヌルノワールよりも前の時代の作品、しかも極東の日本の絵画である。制作指揮をした者は同じと思われる。すなわち地球を支配する蛇神である。

この絵が国宝になっていると言う事は、この国の現在の支配層も蛇神に操られていると言う事の証明であろう。



 

雪舟 「天橋立図」 人間の身体は蛇神に喰われて自然に還るのか

セザンヌルノワールの汚い絵を見て来たので、気分を変えて今回は日本の水墨画の一大巨匠雪舟の作品を見る事にする。国宝である。

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雪舟 「天橋立図」 室町時代(1501~06年) 約90cm×170cm 京都国立博物館

黒すぎて見難いので明るくした。

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京都北岸にある天橋立を東側から俯瞰した図だそうだ。ヘリで空撮したような感じになっている。近景の陸地、中景の天の橋立、遠景の寺や山並みが克明に描き込んであり見る者を雄大な気分にさせる。寺の名前も書き込んであるから一種の観光案内をも兼ねているのかもしれない。中国に渡って絵を学び、最晩年にこの名所に実際に行って描いたとされる。80歳を過ぎてから旅行しこんな詳細な図絵を描くとは、雪舟とはただ物ではない。

このブログでは名画の中に「人食い蛇」や「生贄の人間」が隠されている事を暴いているのだが、この絵では比較的簡単に見つかった。中景、天橋立の向かって左側陸地(島?)に山に似せた大きな人体が見えたのである。

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天の橋立の突端の向かい側(画面で言うと中景左側)。イラストにすると上図右のように見えた。裸の人体の山である。大きいのも小さいのもある。

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また同じ部分をこう見る事もできる(上図右イラスト)。数体の人体が大蛇に絡まれている。細かく見ても大雑把に見ても正確な人体を捉えることが出来た。こう言う表現は人間の手に持つ筆先から生まれようがない。雪舟がいくら天才だからと言って絵の中に二重三重の意味を同時に描き込むなど出来る訳がない。

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画面最下端の近景の中にも人体が発見できた。横たわった女が数人いる。身体に蛇が纏わり付いているがその蛇は同時に他の人間の身体にも見える。この陸地も生贄の人間が置かれた場所である。

上の方から大蛇が喰いに来ているのが薄く見えている。この大蛇の輪郭は絵を描いた紙の張り合わせ部分のように見せているがそれは見せかけである。意図的に明暗を付けている。

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 画面右上の遠景。鳥居のある建物の周りも人間の遺体だらけである。考えられないほど大きい人間があるいはうつ伏せに、あるいは仰向けになって折り重なるように山積みになっている。鳥居のある建物は寺院なのか神社なのか分からないが、ここだけに赤い色が使ってある。生贄の人間の頭から出た血だろう。

山の表現は、人体にも見えるし大蛇にも見える。どちらでも捉えられるような形になっている。一応イラストではどちらかと言えば人間ととらえた物を黄色系統の色で、大蛇ととらえた物を青系統の色で分けてみた。しかしやはりそのどちらとも採れる。

自然界は有機的存在に満ちていて、人間の身体も死後有機物に分解され、土に還り再び自然界に戻る事を考えればこの表現もあながち嘘では無い。山のような大きな物まで人間の身体で表現するのも象徴的表現法としては有り得る。

人間の身体は魂の入れ物であって所詮自然界からの借り物である。その入れ物はいずれ自然に返さなければならない。魂だけが己れ自身の物で別次元に旅立たなければならない。蛇神に喰われようとも魂は売り渡さない。この世の地位・名誉・財産をいくら与えられても名画の天才画家たちのようになってはならない。

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画面右端中ほどに不思議な表現がある。上図右イラストのような(オレンジ色部分)画像が目に入ったのである。まるで写真のような陰影の子供の顔である。仰向けになったのを頭の方から描いてある。確か「地獄草紙」の火炎地獄の中にも信じられないリアルな表現があったと思う。見間違いだろうか。

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画面上方の遠景、左側。大きな人間・小さな人間が山積みである。山の膨らみは人間の肩であったり頭であったりする。人間の身体であると共に大蛇である所もたくさんある。背後から迫る大蛇と共に空から無数の巨大蛇が垂れ下がって来ている。

左端にまた子供のリアルな顔が見つかった(イラストでオレンジ色部分)。山のように大きな子供の顔である。何だろう? 雪舟のお遊びか。

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全体をイラストで表した。蛇に喰われる人間の生贄現場の絵である。

天の橋立の根元にある「鳥居」は、生贄現場の道標であるらしい。上空にいる蛇神はこの「鳥居」を目印にして降りて来て人間を喰うらしい。

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画質変更した画面を遠目にしてまたは細目にして見るとこんな蛇神が見えて来る。まず遠景の人間を喰う蛇神、中景の天の橋立上の人間を喰う蛇神、近景の人間を喰う蛇神がいる。皆上空から一直線に真下に垂れ下がってくる。その上に右の山並みの背後から迫る蛇神たち、近景の人間の真上に長々と横たわる蛇神、そして最後にそれら全てを呑み込む画面いっぱいに描かれた蛇神。大きい者が小さい者を喰い、強い者が弱い者を喰う。蛇神同士であってもこの原則は壊れない。これが自然の摂理と言う物か。

 

ルノワール 「舟遊びをする人々の昼食」 食物連鎖?

雨が降ると農作業は比較的暇になるので前回の続きを進める事にする。

ルノワール 「舟遊びをする人々の昼食」

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画面右上、五人ほどの群像だが、皆頭に小さな人間を乗せている。髪の毛が人間で出来ていたり帽子が人間で出来ていたりする。これら巨人族の身体を形作るのは蛇である。そしてこの五人の頭を上から来た大蛇が喰い付いている。人間を喰っている彼らもまた蛇に喰われる存在なのである。

奥の黄色い帽子の男は首だけの存在である。首だけを上の大蛇に咥えられている。他の四人の男女もひょっとして首以外は無いのかもしれない。

有機生命体は喰う物でその身体が出来上がっている。だから人を喰う者の身体が人の集合体で表されるのは一つの表現方法として間違ってはいない。実際には喰った物は元素に分解され細胞に取り入れられて生命活動に結び付くのだが、露骨に原理的に説明的に表せばこの絵のようになる。

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画面上中央の人々も上からの大蛇に咥えられている。

ここで気付いたがこれらの人々の身体の中に大きく裸の人間が存在している(上図右イラストのクリーム色部分)。人々の肩の所が中にいる人間の尻になっている。

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画面左上部分の男の身体にも人間が含まれている。男の肩・首は中の人間の尻になっている。

川面のぼやっとした表現の中に大蛇の頭が幾つも見え、人物たちの頭に食らい付いている。船の屋根部分も大蛇であり、小さな人間を咥え上げている。

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絵全体で見るとこうである。前幾つかのイラストをコピペして使っているが若干手直しもしてある。

巨人族の身体には比較的大きめの裸の人間がいる。大抵尻を上に向け逆さになり、尻を肩に見せたりしている。例えば右端の椅子に座る男の腕は逆さになった人間の足である。男の手先は人間の足先となるので形が変になっている。

左端の立つ男も逆さの人間の尻が肩になっており、足先が手先になるので少し変形している。

手すりに持たれる奥の女も中の人間の尻が女の肩になり、女の両手は中の人間の両足である。皆中の人間の尻から首が生えているかのようである。

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ルノワールの隠し絵にある人間の身体はどれも尻をこちらに向けている。人物の身体は逆さになった裸の人間であり、人物自体の自前の物は首しか無い。尻の上に人物の首が据えられている。テーブルを作る生贄の人間も全て尻をこちらに向けている。空から降りて来る大蛇は尻にも見えるようになっている。

上図では尻の画像に注目して青緑色でそれだけを示してみた。画面上尻だらけである。そして尻の二つの膨らみの真ん中から脱糞のような表現が見られる。逆さ人間の尻の上の首と言い、空から迫る尻からひりだされる人間と言い、ルノワールの脱糞表現はここでも健在である。こんな絵が世界的に高評価を受けているのだ。技術的には人間離れした物を持ってはいるが精神的には最低な奴ではないか。

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上図左が元絵(少し画質を変えてある)、右が大きく見た場合の巨大蛇神のイラストである。右上から生贄のいるテーブルに向かって降りて来ている蛇神、人間を喰っている。何匹か前後に連結している。その他真ん中上からも、左右の斜め上からも巨大な蛇が降りて来て登場人物たちを丸ごと呑み込んでいる。

人間は食物連鎖の頂点であると教わって来たが実はそうでは無い。有機生命体は連鎖の輪の中から逃れる事はできない。そう言う事をこの絵は教えてくれるわけだが、こんな残酷な形であったと信じるのは難しい。実際にこの目で生贄現場を見たわけでは無いからである。ただ本当にこんな巨大な蛇に遭遇したら生き残る確率は少しも無いだろう。だから証言する人はいない。あまりに力が違いすぎるから名画の画家たちはただ従って生き残ったようである。

 

ルノワール 「舟遊びの人々の昼食」 食人の絵

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ピエール・オーギュスト・ルノワール 「舟遊びする人々の昼食」 1880~81年 フィリップス・コレクション(ワシントンD.C.)第七回印象派展出品130.2×175.6cm

この大作は非常によく描き込まれていて長いこと何ら不自然な所を見つけられなかった。しかしルノワールの代表作の一つなので取り組んで見る事にした。

セーヌ河畔での舟遊び。船上の食卓の上には酒や果物等の食べ物がたくさん並び、男女が楽し気に会食している光景である。

画面右上に巨大な蛇が描かれているらしく、それが左下に向かっているのかもしれない。船外の景色はぼやけておりここにも蛇の顔らしき形が浮かんでいる。原則的に画面下方手前に生贄の人間が描かれているはずだと思い、テーブルの辺りから調べて行く。

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何時間も見つめ、PhotoShopElementsで画質変更してまた凝視し、ArtRageでトレースしながら考えて何度も描き直しながらできたのが上のイラストである。意外と苦労した。

白布で覆われたテーブルは人間の身体で出来ていた。大抵の人間は尻をこちらに向けて突っ伏している。ワインの瓶の底部分の黒は人間の髪の黒である。頭と尻の位置が分かれば身体の線が見えて来る。両手もあるべき所に付いている。大きい人間と小さい人間がいる。ただこれらの人間は食卓を囲む人々よりは小さい。左右に見える縦長のグラスの中に人間の顔が見える。頭部だけ取って入れてあるらしい。テーブルの真ん中にある茶褐色の物はブドウではなく人肉かもしれないし、人の股の下にあるからウンコかもしれない。

イラストには描かなかったが、テーブルのこちら側の側面に四つん這いの人間も見える。頭を右にしている。また蛇の顔も描かれているようである。二通り・三通りのの見方が出来るように曖昧に描かれている。それでもやはり人肉食の巨人の光景であった。

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真ん中の果物の盛ってある高坏はその容器自体が人間の足と尻であり、果物もほとんど人間である。後ろの酒瓶の中にも人間の尻が見える。

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画面左の若い女は子犬と戯れているのではない。この子犬は拡大画像にして詳細に調べると人間の身体であることが分かった。上図イラストのように首のない裸の女である。その身体の中にさらに小さな人間がたくさんいる。若い女は犬にキスをするような形に見えるが実は口から肉片をのぞかせて人間を食べている事を示している。

下の作品を思い出した。

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フランシスコ・デ・ゴヤ 「わが子を食らうサトゥルヌス」1819~23年プラド美術館

ローマ神話の話をこれ見よがしに、見る者に恐怖を感じさせるように描かれている。これと同じ話をルノワールは隠し絵にしている。巨人族が人間を食糧にしているのは神話の中での事ではない。19世紀ルノワールの時代でも(そしてたぶん現在でも)行われているのだろう。

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女の口に何か入っている、顎・のどが膨らんでいる事から喰っている事が分かる。喰われる人間の肩は犬の口のふりをしている。その右に小さい人間の顔があり光る目になっており、左に尻があり鼻になっている。

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テーブルの右側でも食人が行われている。そこも人間で一杯だが、肘をつく女は餌の人間の一人を手で押さえつけている。椅子を反対にして座る男は左手で人間を掴み、右手で人間の腕か何かを掴み上げている。煙草を摘まんでいるのではない。

椅子の背もたれに見える部分にも人間がいる。女の尻と背中が見える。両腕を真下に垂らしている。その尻から骸骨のような子供が生まれているように見える。前に見たセザンヌの「サント・ヴィクトワール山とシャトーノワール」の隠し絵のような出産シーンなのか。または尻から大量のウンコをしているのか。人間は糞と同じだと言う事がここでも表現されているのかもしれない。

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テーブルを囲む女たちの顔。左から、口を開けて赤い物を喰っている女。上下の唇をずらして何かを噛んでいる女。グラスの中の人肉を喰っている女。口を人間の血で真っ赤にしている女。

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テーブル周りの男三人。左の船乗り風の男の唇の上下に赤っぽい蛇が喰い付いている。または男が人肉の塊を咥えている。口ひげではない。右の椅子に座る男は口からイカゲソのような物を飛び出させている。小さな蛇だろうか、人体の一部だろうか。その上のボーイ風の男は下唇や顎を赤い血で汚している。やはり人間を喰っているらしい。

 

一見何の違和感もないこの絵にもしっかりと食人風景が描かれていた。

これら三本指の爬虫類型巨人族の上に巨大な蛇神がいて、こいつらをも喰っているはずだが、長くなるので今日はこの辺で終わりにしたい。