名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

Windows10 起動画面 は人食い蛇が表現されている

天気が悪いので畑仕事はお休み。

前々から気になっていた画像を自分なりに検証してみたので見ていただくことにする。

名画ではなくWindows10の起動画面である。

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以前のWindows7でもブルーの起動画面に線でもって蛇っぽい隠し絵が入っていたが、Windows10になって一段と露骨に気味の悪い隠し絵が入っていて毎日気になって仕方がない。洞窟の中から見たその入り口の海辺の絵である。海や空の明るさが引き立っているが、右側の洞窟の壁が恐竜の顔に見える。

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暗い部分を明るくしてみると恐竜の顔は蛇の連結したものであることが分かる。丹念にトレースして行くと上のイラストのようになった。前の蛇を後ろの蛇が呑むという蛇の連結で壁面が出来ている。上の方には心霊写真のように人の顔がいくつも見えてきた。蛇の口先にも何やら怪しげな形が見える。はっきりとは表現されてないが人間の顔や体がそこにあるのではないか(イラストでそれらしいところを黄色くした)。

砂の中にも蛇がいて、その口の先に人間の体が埋まっているようにも見える。

この部分図の中央の暗い影の所(三角形に窪んだ所)は少し赤みを帯びている。

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その部分の拡大図。赤くなった部分に人の頭蓋骨が4個ほど見えてしまうのはゴッホの絵を検証したことによる思い込みだろうか。

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二つの岩礁も蛇で形作られている。大小さまざまな蛇が寄り集まって岩になっている。

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左側の真っ暗な部分は普通に見ている限りただの暗い影だが、画質を明るく調整すると何かが見えてくる。大きく見れば恐竜が大口を開けた横顔である。眼は左上隅にある。口の中から何か出てきている。あるいは口の中に何かを入れようとしている。それは蛇の横顔が二つ並んでいるようでもあるし、人間の横顔と切断されて断面を見せている足にも見える。また至る所に髑髏が散らばって置かれているようにも僕には見える。

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全体図の画質変更したものと、イラスト化したものを上に掲げる。

左側に大口を開けた巨大蛇がいる。右側にも上から降りてきた巨大蛇がいる。また真ん中の海辺の見える空間もまた巨大な蛇が形作っている。左上から並んで降りてきた巨大な蛇である。その下の方の一匹は二つの岩礁を眼としているようにも見えるがどうだろう。

非常に分かりにくく、巧みに隠してあるがどう見てもこの写真は「名画の中の人食い蛇」と全く同じ手法で作られている。

絵画芸術だけでなく、大勢の人間が目にするもの全てにこう言った人食い蛇を隠しこんでおくことで人間たちを教育している。

 

ゴッホ 「アルルの跳ね橋」 散乱した骸骨 生贄の終盤

フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの跳ね橋」 1883年3月 クレラーミュラー美術館(オランダ)

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認知度の高い有名な絵である。このブログでも過去に一回取り扱ったが、絵の中に蛇画像が散らばっている事を発見しただけであった。時間がたって今回はもう少し深く読み取れたと思う。ただ解釈が難しく判別できない部分もあった。他の無数の名画を見て回ってもう一度検討する機会があったらまた少し理解が進むかもしれない。

跳ね橋の袂に洗濯場がある。女たちが川の水で洗濯している。その横に沈みかけた小舟があり、跳ね橋を渡る馬車が描かれている。明るい日差しの中の何気ない日常風景を色鮮やかに描いている。黄と水色の発色が良く清々しい。

画面手前の草むらの表現に注目した。「カラスのいる麦畑」にあった左下の土盛りがここにもある。その右手前あたりの表現も怪しげである。

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土盛りと見えた部分が骸骨に見える(上図右イラスト)。画質を変えてみると赤い色がそこに使われているのが分かる。「カラスのいる麦畑」同様に血だらけの人間の顔がそこにあるようである。この骸骨の後ろに大蛇が口を開けて噛り付いている(イラストでは緑色で描いた。骸骨の側頭部のあたりにいる)。骸骨を咥えて近距離で大写しになっているらしい。人間の頭部を咥えて振り回しながら喰っている大蛇がこんなに大きく描かれている。

その右側にも骸骨が散乱している。一つや二つではない。生贄の人肉の解体現場に不要になった頭蓋骨だけを集めて転がしてあるかのようである。ただ背後の草むらや川の中にこれらに喰いつく大蛇がたくさんいるのでまだ喰える部分があるのか。

洗濯する女たちも大蛇に襲われているらしい。服のように見せて大蛇が喰いついている。川の中からも波紋と見せかけた大蛇が女たちに向かって口を大きく開けている。

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画質を変えて見やすくした。色は変えてないのだが、赤い色が元々あったらしくはっきりと出てきた。赤色は大写しの骸骨・草むらの中の転がった骸骨・洗濯女たちの中等に見られる。血の表現だろう。空の中にある微妙な濃淡も次第に見えてきた。

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全体的にみると画面右上から超巨大な蛇の顔(イラストでは青い目のやつ)が一匹、左上からも同様に一匹(茶色い目のやつ)見えてきた。右上からの蛇は草むらの骸骨を喰い、左上からの蛇は洗濯女たちを喰っている。

草むらの骸骨群は上のイラストのように見ることもできた。うつぶせの人間が顔を上げている。下半身は巨大な蛇に喰われている(大写しの骸骨は同時に大蛇でもある)。全身血だらけで胃液で半ば溶かされたようになっている。その後ろには布に包まれた人間があおむけに転がっている。同じ形で布に包まった人間が洗濯女たちの足元に数体あるように見える。(この草むらあたりの判別が難しい。)

ゴッホの筆致は一見乱雑な筆運びに見えるが、その一筆ごとが作る微妙な濃淡が隠れた人体や人食い蛇を表している。

 

ゴッホ 「星月夜」 食人蛇が生贄を喰うと言う事

ゴッホの作品の中にまた生贄の食人画を発見した。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「星月夜」 1889年6月 ニューヨーク近代美術館

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昔から画集などでよく見かけた有名な絵であるが、今まで気付くことが出来なかった。

・・・・月夜の夜空、月や星が沸き上がる情念のように渦巻く。糸杉がまた作者の燃え上がる情熱を表すかのように立ち上がる。街並みはそれらを引き立てるように青黒く静まっている。人の営みを表す街の明かりが所々に見られる。

この絵を見る時、蠢く描写にゴッホの生きる情熱のようなものを感じ、それに圧倒されてしまう。今までこんなに心情を率直に表現した絵があっただろうかと驚く。そしてそんなゴッホに親近感を抱く。他人の評価など全く気にせず、心情を素直に吐露するのが真の芸術家なのだと思う。

空の中に蛇っぽい表現が見られるのが不思議であった。中央で絡み合う渦は明と暗・陽と陰のような思想を表すのかなと何となく思っていた。

隠し絵はやはり手前の左右にあった。

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画面右下部分のあるのは木々や街並みではない。巨大な蛇の顔である。斜め横を向いた顔が大写しになっている。家の屋根に見える部分はどうやらこの蛇の歯であるらしい。

街の明かりの黄色は人間の顔のようだ。またこの蛇のごつごつした皮膚を形作っているのは布に包まれた人間であるらしい。ミイラのように白布にくるまれた人間が転がって蛇の唇や頭になっている。皆頭をこちらに向けており、顔らしき部分が所々に見える。蛇の左目の所に真っ白な骸骨もある。

右下隅の緑色の物は木では無く、二つの遺体であろう。うつむくような形で立てられている。 

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画面左下には、同じような布にくるまれた人間の遺体が3~4体ほど転がっている。目や口らしき部分がかろうじて見分けられる。杉の形を借りた巨大な蛇が上から降りてきてこれらの人間を喰っている。

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布に包まって転がされた人間を今まで絵の中にいくつか見てきた。上図左から「地獄草紙」・「横山大観」(上)・「ゴーギャン」(下)である。蛇紙に生贄にされる人間の姿らしい。

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これは左から「モネ 睡蓮」・「ミレー パンを焼く農婦」・「ミレー 晩鐘」の中から切り取った部分である。こういう形を採ることが一種の儀式のようになっているのか。

人間の場合家畜を食べる時、肉を切り刻んで煮炊きしまたはすり潰して野菜と混ぜ、焼いたりして元の姿が分からないくらいに変形させて調理するが、蛇神の場合は基本的に生を食するので、手足を取ってこけし状にして丸呑みするか、心臓を取り出したり血を集めて飲んだりする(「モネ 朝食」・「ダヴィンチ 聖ヒエロニムス」・「ゴーギャン 我々はどこから・・」・「フェルメール ワインを飲む女」等で見られた)。

この布で人間をくるむと言うのは調理法というよりは他の人間が生贄を差し出す時の形であるらしい。布ごと丸呑みして胃液で溶かして食するのだろうか。

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画面下半分を見ると、山の形が人に見えてきた。両手を万歳して横たわる男だろうか。頭を大蛇に噛まれている。とすると遠近感が全くない表現となる。空にこの人間に食いつく大蛇どもが群れているから「蛇による食人」を表すためにはその辺の現実感は無視しているようである。

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画面全体の中での空の表現。一段と黄色く輝く目立つ月星は巨大蛇の目である。山並みと糸杉を輪郭とする超巨大な蛇の顔である。その中にはそれよりも小さな蛇が無数に蠢いているが、この絵の中で一番大きい蛇神はこいつと思える。こいつが生贄の人間を喰う大蛇をも同時にまとめて喰う神の中の神であろう。

 

人間が家畜を喰う時は、「いただきます」だのと呪文を唱え、「豚さんに感謝」だのと言って罪を逃れようとする。有機的存在である人間は他の有機物(動物・植物)を摂取することでしか生きて行く事が出来ない。現実を素直に受け止めないと言う事では人間はよほど罪深い生き物である。巨大な存在である蛇型有機生命体が自分以外の有機生命体を摂取する事はこの宇宙の中では普通のことではないのか。人間のみがその原則を考えないようにし、子供たちに「人間が地球上で食物連鎖の頂点に立つ」とか嘘を教えるからいけないのだろう。ただこの現実を受け入れるのは、生まれた時から変な風に教育洗脳されてきた僕にもなかなか容易ではない。名画の中に発見したこの現実の方が嘘であればと願う自分もいる。

ゴッホ 「カラスのいる麦畑」 理想の生き方が崩れた

ゴッホにはかなり影響を受けた。特に他人の眼を気にせず我が道を行くところを若い頃から参考にしていた。僕は今もこんなブログを世間に公表し、このページを訪れる人はおそらく「なんてオカルト趣味の狂った人間の書いたブログだろう。」と毛嫌いしてさっさと通り過ぎて行くのだろうが、それでも僕はゴッホの様に我が道を行きたいと思っている。誰にも理解されなくても自分の信じるところを追求したい。ただこのゴッホも蛇神に魂を売った情けない人間の一人であったらしいので指針を失いかけて困惑している。 

フィンセント・ファン・ゴッホ 「カラスのいる麦畑」 1890年7月 ゴッホ美術館(オランダ・アムステルダム

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ゴッホの死んだ月に描かれた有名な作品である。この絵の中に人喰い蛇が隠されていることを発見した。こういう筆跡の荒い作品の中にも非常に巧みに隠し込んである。

麦畑が黄色く色づいている。空にはカラスが群れ飛んでいる。真ん中に奥に通じる一本道が通っている。夕方の景色だろうか、空は暗くなり始めている。いや雲が真っ白だから昼間の情景であり、空の青・麦畑の黄色を故意に強調してあるのか。筆に絵具を乗せそのままキャンバスに擦り付けたような描き方だが、この場合色の鮮やかさがそのまま見る人の眼の中に入って来て新鮮で気持ち良い。

道の描写が変である。蛇行した道、左側の盛り上がった土、右側の凹凸の激しい道(?)。ゴッホはこんな道の遠近感もまともに描けないようなデッサン力のない画家ではない。特に左側の土盛りか草の生えた小山のような物に秘密がある。

この絵を最初見た時は遠くの麦畑の黄とカラスの黒の、また空の鮮やかな青と雲の白コントラストに目を奪われて近景の土色の部分はまったく目に入らなかったがそこが一番大事なところであった。

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蛇行した真ん中の道はうつぶせた人間である。尻を見せた一人とその右にもう一人、左側には千切れた手や足が転がっている。

麦畑の中に黄色い大蛇がいてこの人肉を喰っているらしい。

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画面右下には人間が横たわっている。乳房っぽい所・へその様な所があるので仰向けの女かもしれない。右下隅にも足のようなものが置いてある。やはり黄色い大蛇がこの体に口を付けている。この人の身体は全体が赤く血だらけである。だいぶ損傷している

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画面左にある土饅頭は、大蛇の頭である。人間の腕を横に咥えている。さらに左端には人間の横顔が見える。血だらけのだいぶ溶けたような顔である。2人分くらいの顔が並んでいるのではないか。

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全体図である。画面にわざとノイズを入れてみた。左端の大蛇は部分的に見たら腕を横咥えした大蛇がこちらを向いているように見えたが、全体の中でこうしてみると真横を向いているようである。横向きのイグアナのような顔である。皮を溶かされ真っ赤になった人間の顔は別の大蛇が近景で咥えているのか。それともこの大蛇の体内にすでに入っていることを示しているのか。このイグアナの眼の部分に人間が一人入っているようにも見える。

道にはほとんど全て生贄の人肉が置いてある。画面手前の一番目立つところにそれを置くのが奴らの常套の手法である。

麦畑は黄色い大蛇である。大蛇であり、巨大な蛇でもある。大蛇が二つ重なって巨大な蛇を作っている。画面上には左右に一匹ずつ巨大な蛇がいる。

空も雲も全て巨大蛇である。食料を求めて異次元から集まってきている。

 

ゴッホの様に力強く我が道を行き、モネの様に豊かな晩年を迎えるのが僕のかつての理想であったのだが・・・・。この人生、一筋縄では行かないようだ。

ゴーギャン「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」 蛇神側の言い分はこうだ 

ポール・ゴーギャン 「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」 1897~1898年 ボストン美術館

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この作品を扱うのは2度目である。前回は画面の中に無数の蛇がいる事を発見し、この絵は生贄の場面を描いた物らしい事を指摘した。その後より高解像度の画像を手に入れ、他の絵の研究も進めたのでもう少し深く追求できると思う。

横374cmばかりの大作であるこの絵は日本にも来、見に行ったことがある。美術館では人の頭越しであり、良く見えなかった。今回の様にWIKIMEDIA COMMONSの画像で分析した方がよほどよく見える。哲学的画題は絵の左上に文字で描かれているので作者本人が付けた画題である事に間違いない。ゴーギャンが何を思ってこんな画題を付けたのか考えてみたい。

画面は中央にいる黄色い男の他に老若男女様々な人々がマンゴーのような実を収穫し、食べて憩っている所だろうか。犬・猫・ヤギ・アヒル等の動物も一緒にいる。神の石像があり、泉に反射した光を下から受けている。地面の起伏が大きく、果樹の枝も異様にくねくねしている。

人間の生誕から子供時代・青年・老年と老いて行く人生。恋・病気・悩み・死・悲しみ・神への祈り等人生のイベントを描き並べているようである。

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しかしこの絵はただ単に人生を並べて表したものではない。例えば中央少し左寄りの、少女のいるあたりを拡大して精査すると‥‥少女の後ろには生贄の人間の遺体が無数に置いてある(上図イラスト)。肌色の物体はことごとく人体である。赤い翼の鳥の向こうに裸の女と子供が突っ伏している。その手前に緑・赤・青色の人体が折り重なるようにうつぶせている。猫に見える物は大蛇の口から出て来た白蛇で出来た物で猫ではない。ヤギも鳥も蛇で出来た偽物である。

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神の像の向かって左側、拡大するとこんな絵が見える(上図イラスト)。真ん中の黄色い女は小さな少女のようである。その上に覆いかぶさっているのは黄色い人間(ここは出産を表しているのかもしれない)。これらの手前に2体の女(?乳房らしき物が見える)が横たわっている。後方は暗くて良く見えないが僕にはこんな感じに見えた。神の像の右手先には仰向けの人間、頭をこちらに向けている。その下に大蛇に咥えられて顔だけ出している人が4~5人いる。「J」の字に曲がった樹の幹(これは空から降りて来た蛇だが)の左に広い背中を見せる男が逆さに咥えられている。f:id:curlchigasaki:20190214155922j:plain

画面右手に小さく描かれている部分を拡大した。角のある青い怪物が見えるが、そいつの顔の赤や黄色い部分が同時に人の姿に見える。抱き合う男女?下の方にも赤い服の女が上向きに寝ている。その他肌色の部分は千切れた人体のパーツか?水中に漂っている感じで描かれている。モネの「睡蓮」のようである。

上図右は、中央の黄色い男の右上にある木の実の束。マンゴーなどがこんな風に葡萄状に房生りすることはあり得ない。これも人体のパーツであるに違いない。

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この黄色い男はイエスキリストであろう。なぜなら手足や胸に傷口(聖痕)らしき物があるからである。ゴーギャンは「黄色いキリスト」と言う絵も描いている。

そしてマンゴーを捥いでいると言うよりも、神に捧げ物をしているポーズであろう。手に持った物は赤みを帯びた果実に見えるが、右手の後ろにある赤い果実は真っ赤な心臓の色・形をしている。

左手の横の木の実の束も人間の心臓であるとすればつじつまが合う。イエスがその父である蛇神に人間の心臓を捧げているのだ。レオナルドダヴィンチの「聖ヒエロニムス」の場合は自分の心臓を取り出して桶の中に絞り出しそれを神に飲ませていたが、ここではイエスは他の人間の心臓をそのまま神に喰わせている。

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全体図を見るとこんな風になった。生贄の儀式が行われる特定の場所、そこの地面は生贄の人間の遺体や生きたままの人間が集められている。巨大な蛇神が空から降りて来てそれらを呑み込む(半透明の巨大蛇は人間の画像をその中に含めている)。画面いっぱいに広がる超巨大な最上級クラスの蛇神も何となく見える。

エスは蛇神の子だから下半身が蛇の姿であろうと思って神の像の方に伸ばして見たがどうもうまく繋がらない。地面にうねるように縦横に這う大蛇たちばかりが目立つ。

後ろの方にいる胸に手を当てた女たちは心臓を抜かれたのかもしれない。イエスがまとめて神に与えているから。

右手の赤ん坊は病気なのだろうか、もう死んでいるのだろうか、生気が無い。左手の老人はしゃがみこんでムンク「叫び」のようなポーズである。肌の色も悪い。人間赤ん坊の時にはあらゆる病気を一通り経験し免疫を付けて成長し大人になる。活動的な青壮年期を過ぎ老衰するとまた病気の恐怖がやってくる。彼らが画面の端に追いやられているのは食材として相応しくないからか。

子供から青壮年期の健康な人間を蛇神は好んで喰う。血や心臓は大好物である。

 

人間は蛇神が地球生まれの類人猿と他の星から来た爬虫類人を遺伝子操作で組み合わせて創ったと聞いている(われわれはどこから来たか)。その目的は蛇型爬虫類人の地球における食糧確保のためであると言う(われわれは何者か)。人間は地球上に放牧された家畜であり、その事が人間に知られないように少しずつ事故・自殺に見せて誘拐したりして喰っているらしい(われわれはどこへ行くのか)。

・・・・と蛇神側に立っているゴ-ギャンの言い分である。こんなことを人間に知らしめすためにこんな絵を描いた。