絵画芸術において、人々に高く評価されるきっかけとなる作品がある。これもその一つ。カラヴァッジョの出世作と言われ、またバロック芸術の先駆け的作品とも言われる。
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ「聖マタイの召命」1599~1600年 サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会(ローマ)
例によって暗すぎるので明るくしてみる。
イエス・キリストが税管理所に来て、12使徒のひとりマタイを連れ出す場面である。
なかなか謎の多い絵で、マタイがどの人物かがまず分からない。キリストが指挿しているのだが、人差し指が誰を指しているのかはっきりしない。作者は何を言いたいのだろう。
自分の胸を指さす髭の男、これが長い事マタイだと思われてきたらしい。しかし最近は解釈が違って来ている。そもそもこの髭の男の指が挿しているのが自身なのか、それとも机に顔を伏せている若い男なのか判然としない。
キリストの右手は上の方で伸びている手だと思うが、人差し指が下を向いているので誰を指しているのかが不明だ。キリストの手前で背中を向ける男も右手で人を指しているが、尻を向けて座っている男を指しているようでもある。
この人物、顔立ちと言い、手の表現の柔らかさと言い、女にしか見えない。
とすると税務署内に女(娼婦)が堂々と出入りして税管理官を相手に商売をしているのか。髭の男の肩に置いた手に態度のデカさ、馴れ馴れしさを感じる。
税務署も腐敗して娼館のように成り果てている様子が描かれているのかもしれない。
顔を伏せてひたすら金を数えている若い男。これがマタイらしい。
彼の右手は机の上ではなく、胸元に引き付けて金袋を握りしめている。右手の横に揃って見えるのは彼の手ではなく、後ろの髭の男の手、あるいは爺さんの手である。
何だろう、この男。くすねた小銭を入れた金袋を奪われないように身体で覆っているようにしか見えない。口が膨れている事から、金に対する執着心が強いと思われる。
好意的に解釈して、キリストに誘われて使途になるかどうかを迷っていると見る事も出来るが、これはどうだろうか。僕は信じられない。
キリストの顔。高画質の物が見られないので、口の辺りが良く見えない。口が少し開いて何かが挟まっているらしいのは分かる。歯もギザギザだ。
キリストは手前の男の後ろにいるが、推測するとこんなポーズである。下半身はもう出口に向かっているが、上半身は後ろを振り向いて手を伸ばしている。
暗い部分を目を凝らして良く見ると、こんな風に見えた。
肩に人間を一人担いでいる。胸・腹辺りにも人間を巻き付かせている。手前の男は複数のそんな人間の身体が積み重なったものだ。男の顔は恐らく顔の皮だけで、頭部は大蛇か肩に乗った人間かによって咥えられている。
キリストはここに人間狩りに来たのだろうか。
考えてみれば宗教の勧誘なんて、人間の血と肉を無条件で「神」に捧げる事が目的だからこれが本当のキリストの姿なのだろう。
キリストの父である「神」の姿が全体図の中でうっすらと見えて来る。異次元の存在らしく、ぼんやりとしか見えないが確かにそこに存在する。ここには三体ほどの姿が見える。
人々はこの絵に何を見て取って、記念碑的作品だ等と言っているのだろう。作り話を謎めいた話っぽくしただけの絵なのだから、感銘を受けるはずはない。キリストは胡散臭い話の伝達者であり、悪魔の手先でしか無い事がこの絵でもよく分かる。