人間は別の生き物の餌である事を絵画芸術作品を通して発見した・・・・とか言っても大抵の人には信じてもらえないだろう。僕の目にはそれが見える・・・・と言っても生まれた時から洗脳されてきた人々は見ようとしないから見えないのだろう。僕の事を病的な人間だとしか見ないのだろう。
それに仮にそれが見えたとしても、何故見えるようになっているのか、気付かれるように描かれているのかの説明が付かないので納得できないのではないか。ほんのわずかでも隠し絵として潜んでいるそれに気付かせるようになっているのか僕自身にも分からない。
ドガの絵には食糧としての人間の姿がよりはっきりと見える。
エドガー・ドガ 「トイレット」 1888年 アンドレ・マルロー美術館(フランス)
トイレの中の裸の女性を絵にする作者の意図がよく分からない。この絵の女性はトイレに腰掛け、髪を白いタオルで拭いているのだろうか。前かがみになり、左手を後ろに回した姿で描かれている。顔は見えない。
大きな尻が目立つが、所々おかしな形になっている。女性の太ももから先がはっきりせず顔だけでなく右手も左手も形がどこかおかしい。右わき腹に半円形の切れ込みがあるのも理解しがたい。ドガはデッサン力が無い画家では無いはずだが何のためにこんな風に変形した形にしてあるのか。
右太ももに喰い付く大蛇が見える。右足全体を呑み込むほどの太さの蛇では無いので切られた右足の切断面に喰い付いているようだ。女の脇腹の半円形の傷はこの蛇の牙によって付けられたのか。喰い付いた切断面には濃い赤色の傷口が少し見えている。
女の右腕にも大蛇が喰い付いている。ギザギザの歯も見える。喰い付いた部分から血も流れている。
女の頭は無い。別の茶色い蛇が丸まって頭のように見せている。ドガの絵は人体の手足・頭が千切れていたりしてこんな風に残酷である。
女の身体の中に別の人間の形が見える。女の背中辺りに見えるのは二体の人間の後ろ姿であり、この二人は後背位でセックスをしているようだ(お互い身体が透けている)。二人とも大写しの女と同じように足が途中で切れているようだ。女の右わき腹の半円形の線は体の中にいる人間の下の方の左足の切断された部分であるらしい。
女の乳房は下の人間から生まれる子供を表しているのだろう。
女の左手は後方に長々と伸びているが、これは別の生贄の人間を手で挟んで捕まえているからであろう。女の腕は腕であると同時に小さな人間を喰う蛇にもなっている。
全体図にしてみると、この女は蛇に喰われる人間が積み重ねられて出来ている事が分かる。女の尻の下にも生贄の人間が二人ほど押さえ付けられている。画面右端には切断された人間の足と思える物が上からぶら下がっている。血だらけだ。まるで食肉工場のように人肉が吊り下げられている。
左上から迫る巨大蛇がこれら人肉に喰い付いている。
画面左下では別の巨大蛇が正面を向いてその口の中に人間を入れている。
人間の存在とはすなわち家畜なのだろう。食物連鎖の頂点だと言い聞かせられても実際にはその上がいて支配されてるのだ。幸福追求・子孫繁栄を願い産まれ・死んで行くのもコントロールされている(大部分の人間は繁殖用として地上に放牧され、一部が実際に食糧になっているのだと思える)。大変な世界に生まれて来たものだ。
ただこの世が苦行の場・修業の場と考えて魂の次元上昇を求めるのならば、この世ほどふさわしい場所は無いかもしれない。