名画の中の人喰い蛇

美術館にある名画には蛇の隠し絵がある。その蛇は人間を喰っている。

「山越阿弥陀図」 肉体だけでなく魂をも奪おうとしている

10歳年上の兄が亡くなったので葬式に行ってきた。車で行く途中西湘バイパスを通る時雨が降って来て閉口したが、西の空・箱根の山際だけは夕陽が輝いていた。空の大部分は暗いのだが西の空の一部部分だけが眩しいくらいに明るかった。この絵を思い出した。

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「山越阿弥陀図」 鎌倉時代 13世紀 京都国立博物館 国宝

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絵の下半分をイラスト化するとこうなった。前回のイラストに少し手を加えた。

山越阿弥陀図の「山」とは生贄の人間の山積みを表している。「阿弥陀」と言う蛇の神が人間を喰いに地上に降りて来た図である。

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阿弥陀の顔は西洋画の聖母マリアのように無表情で冷酷そうである。

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この細めた目に「慈愛」とかを感じる人がいるのだろうか。僕には下等動物を見下したような冷たい目に見える。

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コントラストを強めると唇が異様に赤くなる。肉厚で中性的な唇である。

13世紀の絵なので微妙な陰影は分からず、隠し絵があるのかどうか判別できない。ただ髭の形が人の身体っぽく、下唇の上側に牙っぽい二つの白い部分が見えるか見えないかと言う所である。

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阿弥陀の左手のこの部分に注目した。右手を挙げ、左手を下げるこの形を「来迎印」と言うそうだ(国立文化財機構 「e国宝」による)。

この左手、親指と人差し指で何かを摘まんでいるように見えないだろうか。僕には小さな人間の上半身を捕まえているように見える。

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拡大図。摘ままれている人間の所だけ色が変わっている。

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右手の「印」はお金のサイン、またはOKサイン。

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阿弥陀の、向かって右側にいるのは「観音」だそうで、「蓮台」と言う物を捧げ持っている。「蓮台」は「往生者の魂を救いとって極楽へ導くためのもの(「e国宝」による)」だそうだ。

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これが「蓮台」。蓮の葉の形で周りを飾られた鉢で、中は蓮の実のシャワー口のような形になっている。右側に上向きに付いている蛇の腹のような物は取っ手か。観音はこれを大事そうに持っている。

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阿弥陀が山越をする際に膝等で押し出された雲(霧)が描かれている。谷に沿って流れるこの雲をイラスト化しながらよくよく見てみると、はっきりとは分からないが人間の形らしき物が無数に出て来る。これは生贄の人間たちの魂ではないか。山積みになった人間たちの肉体、そこから抜け出した魂が谷に集まっているのではないか。阿弥陀の方から押し出されているのではなく、阿弥陀の方に吸い上げられているのではないか。

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人間の魂は阿弥陀の方に上がって行き、その左手で摘まみ上げられる。観音の持つ「蓮台」に入れる為に。

 

死に際の人間の魂を阿弥陀がすくい観音の「蓮台」に集めて極楽に導く、と言うが本当だろうか。人間の肉体を口を血で赤くさせながら喰うと思える蛇神の化身である阿弥陀と観音、西洋ではイエスとマリアとも呼ばれるこの二神が残酷な行為以外の事をするとは思えない。少なくとも希望として「魂」だけは捕まえずに天に開放してほしい。肉体は朽ちても腐っても喰われてもいずれ自然界に帰るのは分かっているから仕方がない。ただ「魂」だけは人間個人個人の存在そのものだから自由にさせてもらいたい。

人間は恐らく天界から修行の為に地上の人間界に降りて来たものだろう。人間界の「喜・怒・哀・楽」全てを経験し「生・老・病・死」を経験して修業を終えた者の「魂」は奴らの物では無い。元々いた場所に戻らせてほしい。

「魂」の究極の行き先は誰の「魂」でも一つ所なのだろう。阿弥陀と言う悪魔にとらわれないようにしたい。