この絵を調べるのは三度目か。しかし何度も時間を掛けて見続けるとまた別の発見がある。
ジャン・フランソワ・ミレー 「晩鐘」 1857~1859年 パリ・オルセー美術館
陽の沈む頃、ジャガイモの収穫を終えた夫婦がその糧を神に感謝している様子が描かれている。女の後ろにある一輪車には袋詰めしたジャガイモが乗っているのだろう。夫婦の足元にはバスケットに入れた別のジャガイモが置いてあるが、これは今夜の食事用だろうか。遠くに教会の尖った屋根が見え、「晩鐘」と言う画題からして鐘の音が鳴っているらしい。二人は頭を垂れてひたすら祈る・・・・。「天のお父様、今日の糧を与えてくださり感謝いたします・・・・。」
見えにくいので明るくして見た。
一輪車の上の袋の形が子供が寝ているように見える。女の足元のバスケットが骸骨っぽい。二人の足元に散らばった芋の茎が何かの骨の様だ。それに教会の上の空にある雲が怪しげで何か意味ありげな形をしている。この絵も単に神に祈りをささげる夫婦の絵では無いはずだ。
女の後ろの一輪車の上の芋袋、少しおかしいとは思わないか。大きい袋二つと小さい袋一つが乗っているのか。ふつう同じ大きさの袋がいくつか並んで乗っていそうなものだがここでは違う。同じ大きさの袋を揃えられないほど貧しい農家と言う事か。
絵のコントラストを強めたら所々赤い色が浮き出て来た。女のスカートもだが、芋袋・一輪車・また地面(畑の土)にも赤い色が使われているのが分かる。夕焼けの赤とはその使われ方が違うような気がする。女のスカートの赤色など布地と全くなじまず、まるで血が付いた物を扱って汚れたような色の付き方である。
日の当たっている左二つの芋袋の中には子供が入っているのではないか。仰向けかうつ伏せか分からないが、上の方の小さな袋に目らしき黒い所がある。背中か胸か日の当たっている所に白い蛇が「つ」の字に乗っている。
子供の頭の上にも蛇の顔が見える。芋袋の結び目ではなく、顎を乗せた白蛇である。その右横にも黒い蛇が同様に顔を見せている。
子供の右手(左手?)の先に赤い色がある。血を流しているのではないか。
子供の右にあるもう一つの芋袋の所がよく分からない。この子と同様な生贄の人間が入っているのではないか。
一輪車の上をイラスト化しながらよく見てみた。右の袋の部分にはより小さな人間が何体もいた。はっきりとは捉えられないが恐らくこんなではないかと思う。
夫婦は収穫物を持って帰るのではなく、神への生贄を持ってきた所であるらしい。
夫婦の足元のバスケットの中には既に神に喰われてしまった子供たちの頭蓋骨が入っている(前回この絵を調べた時にはここには多くの蛇が生まれ出ているように見えたがそれは違っていたようだ)。
男の足元にある芋の茎ガラは喰われた子供たちの骨だろう。
ここは生贄の現場なのだ。この男と女は子供たちを何処からかさらって来てここに持って来る。神が喰い終わったらまた別の生贄を運んで来る。
教会の辺りの空の様子。僕にはここに巨大は蛇神が見える。白い腹を見せて地から立ち上がる巨大な蛇神。その口には子供たちが咥えられている。子供たちの顔がいくつも見える。こいつに喰わせる為に男と女は人間の子供を調達しているのだ。次の生贄を運んで来て、喰われてしまった子供たちの頭蓋骨を集めてバスケットに入れ、その子たちを供養していると言う絵であった。