名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

アングル ドーソンヴィル伯爵夫人」 写実の中に隠されたもの

最近AI生成画像なる物が横行している。You Tube動画やそのショート動画などでよく見かける。しかしなんて不自然で気持ちが悪い物なのだろう。

美少女の顔は左右対称で一部の不完全さが無い。現実世界ではお目にかかれない様な顔が多い。老人の顔の皺も一本一本くっきりしすぎている。人物の背景も空気が固く固まった様な非現実的な様子で、すぐにAI画像だと分かる。無理やり作った笑顔や怒り顔はどう見ても気味が悪い物が大半だ。You Tubeで不自然な薄気味悪いAI画像を見ると、僕はその内容にかかわらずに親指が下向きのbadマークを押してしまう。

コンピュータ処理がもう少し進化したら自然な画像になるのだろうか。それとも硬質な冷たい感じは無くならず、自然体の画像は実現不可能かもしれない。

名画において、人物画が不自然なのに気が付いた。身体のバランスがおかしい絵がほとんどなのだ。今日はアングルの絵を観ながらその解説をしてみたい。

ドミニク・アングル 「ドーソンヴィル伯爵夫人」 1845年 ニューヨーク フリックコレクション

美しい夫人であり、ドレスの皺までくっきりと描かれている。ここまで写実的に描けるのは天才画家と認めざるを得ないが、あまりに描写が素晴らしいので、おかしな点に目が行かない。すなわち、手の位置が下すぎる。特に右手は腹から生えているのではと思えるほど下に位置している。絵空事とか言って実際にはあり得ない表現であっても絵画では許されたりするが、この絵で手が下がっている理由が見つからない。100年以上存在する中で鑑賞者は誰もこの事に気付かなかったのだろうか。

アングル 「主人を称える聖処女」 1852年 メトロポリタン美術館

この絵の聖母も右手が左下にずれている。腕を切断しなければ肘がこの位置に来る事は無いと思う。

アングル 「グランド・オダリスク」(部分) 1814年 ルーブル美術館

婦人の背中が異様に長く、右手も長い。左足の位置もどこかおかしい。

アングル 「鎖に繋がれたアンジェリカ」 1859年 サンパウロ美術館(ブラジル)

手足は異状ないが、首の形がおかしい。首の骨が折れて変なふくらみが出来ている。

この様にアングルの絵(他の画家の絵でもだが)の人物は手足のバランスがおかしく、まるで胴体と繋がってない。屠畜場で解体途中の家畜肉のように切断されているようだ。

「ドーソンヴィル伯爵夫人」に戻る。腕の部分だけをコピーペースト、その際縦に縮めて重ねてみた。プリズムを通して見たようなおかしな画像になったが、手の長さ、位置に関しては自然に近くなったと思う。

この女の両手は切られて、その位置に置かれている。

口の辺りを拡大してみると、やはりおかしい。口の端から白い糸のような物が下に垂れている。鼻から垂れているようでもあり、何者かによって画布が傷つけられたようにも見える。それと手の影、人差し指の影がいやに細い。光源が二つあるのかもと思ったが他の部分(鼻の下等)を見ても光源は一つで、もう少し太くなければならない。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」では、聖母は口から血を垂らし顔中血で汚れている様子だったがそれと似ている。それとこの唇、右端から何かが飛び出ている。トカゲの尻尾にも見えるし小さな人間の足にも見える。口に何かを入れて喰っているらしい。

左手人差し指で何かを押さえている。僕にはそれが小さな人間に見える。

肉を齧って噛み切れない筋を伸ばしながら喰っているように思える。

後ろの鏡に映った女の姿がまた怪しい。特にこの手指。鏡は女のすぐ後ろにあるのだから、顎の下に当てた手指がこんな風に映るはずが無い。見えないはずだ。

拡大してみると、これは女の手指では無さそうだ。上から降りて来る蛇に喰い付かれる小さな人間が三人ほど見える。

全体図。

女は首、両手だけしか存在しない。その他身体を構成しているのは別の人間たちであり、それが積み重ねられてドレスのように見せている。女の背後の棚の上に切断された人間のパーツが置いてある。画面の右下、左下にも、損壊した人間の身体が山積みにされているようだ。

背後の大きな鏡の中に上から降りて来る巨大な爬虫類の頭が見える。こいつの為に女の身体も、その他の小さな人間も、用意された生肉である。

 

ロセッティ 「ベアトリーチェ」 おかしな点がいっぱいあるがまだよく分からない絵

暖かくなってきたので農作業の方が忙しい。ナス・トマトの苗作り、定植・ニンニクの芽やそら豆の収穫・調整・出荷・ジャガイモの追肥、土寄せ・・・・除草その他も気を抜けない。体力が年齢に応じて落ちているので、身体を騙し騙し使う。ブログも更新が遅くなり、記事が少しマンネリ化しているかもしれない。

 

ロセッティの代表作のひとつを観る。過去に調べた物をより深く観るのも良いが、新たな作品を調べる事も必要だ。

ダンテ・ガブリエル・ロセッティ 「ベアトリーチェ」 1863年 テート・ギャラリー(ロンドン) 86.4cm×66cm

ロセッティと同じ名前のダンテはルネサンス期の文筆家で、「神曲」・「新生」等の著作がある。ベアトリーチェはダンテの片思いの初恋の女性で、その恋は実らなかったが、ダンテは「神曲」の中で天国へ導く淑女として登場させている。絵はダンテとヴェルギリウスが煉獄山の頂上に来たところで、ベアトリーチェが座している。ダンテを助ける為に何かを念じているのだろうか。

明るくしてみるとより分かり易い。彼女は光を背にして神々しく描かれている。後方の日時計が9時を指しているが、これは3の倍数であり三位一体を表し、彼女が神学の象徴である事を示している(Wikipedia 「神曲」の項より)のだとか。左手にあるのはケシの花で、その横のハト(?)は平和の象徴だそうだ。確かノアの箱舟の話ではハトがオリーブの枝を咥えて来るのではなかったか。それにこの鳥はツバメのようでハトには見えない。日時計・ハト(?)・ケシの花が何を意味するのか、こういう掲示物(アトリビュートと言うのか)はどこかの研究者が解説してくれるだろう。僕は隠し絵を探しているので表立った意味はあまり興味がない。

ケシの花はアヘンの原料であり、絵の中のベアとリーチェは、すっかり幻想の世界に入っているように見える。ハトの形が変なので、それがライオンか何かの顔に見えたりする。何だこの絵は。

彼女の首は異様に長い。確かレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」も首が長かったと思う。「モナリザ」の首が長いのは、肩が下にずれて落ちているからだった。このベアトリーチェも肩が落ちているのだろう。名画を今まで見て来て、人体のパーツの大きさが不自然なのは、バラバラになったのを無理にくっつけているからだ。この女の腕も異様に小さくバランスが悪い。恐らく肩で切れていて、無理やり繋げている事を何気なく鑑賞者に伝えているのかもしれない。

遠目には分からないが、この口、奥の方がおかしい。唇が奥の方まで分厚いはずが無い。イラストのように小さな人間がそこに張り付いているらしい。下唇には赤色が全く無いが、ここにも小さな人間がいるようだ。

人間は小さくひ弱で、ただ喰われるだけの存在だと言っている。

9時を指す日時計。

ベアトリーチェの腕。ハトとケシの花。

僕にはこんな風に見える。向かって右から顔を突き出しているライオンのような獣。その口に彼女の左手が咥えられている。

指の形がおかしい。右手の薬指、小指などは長すぎる。左手には何か(小さい人間か)を持っている。

案内人のヴェルギリウス(左)とダンテ(右)らしい。どちらもぼんやりと描かれていいて、ここではさして大事では無いのだろう。

全体図。ダンテたちを両目とする巨大な爬虫類の顔が見える。ハトはライオンに見えると言ったが、ここでは胴体が後ろに流れる大蛇の頭になった。ベアトリーチェの身体は小さめの人間の身体を組み立てて出来ており、それに首、手が取って付けてある。異様に長い膝部分も別の人間の横たわった姿らしい。

彼女は小さい人間を手に持ち、口に運んで喰っているようだが、彼女自身も巨大な爬虫類によって喰われている。

 

この絵の最初の紐解きはここまでくらいしかできなかった。次回、次々回と見直す事でより深い解釈が出来る事と思う。人間の繁殖を促す隠し絵もまだ見えて来ない。

ミレー 「晩鐘」 敬虔な農夫婦の収穫の感謝の祈りでは無い。

各時代の画家による代表的名画を一作に絞って隠し絵を探っている。重複しても構わずに、より深く見続け、イラストも時に描き直しながら調べている。

ジャン・フランソワ・ミレー 「晩鐘」 1857~1859年 パリ・オルセー美術館

名画にはやたら暗い物が多い。絵具の経年劣化かもしれないし、この絵などは陽が沈む際の逆光の絵ではあるが、僕にがどうもそれが作者によるごまかしに思えてならない。

画像処理ソフトで明るくする。コントラストを強めてみる。するとより分かり易い。

この絵はジャガイモの収穫をしている夫婦が、夕暮れ、教会の鐘の音に合わせて収穫の感謝の祈りをしている場面を描いてあるのだろう。後ろにある一輪車に乗った麻袋には収穫されたイモが入っており、婦人の足元のバスケットにもイモが少し入っている。今夜の食事に使う分だろうか。

二人の足元にはイモの枯れ枝が散乱している。ジャガイモは枝が枯れてから収穫する物だから何の違和感も無いが、一輪車の上のイモ袋は大きさがまちまちの数袋になっているのがちょっとおかしいと思える。

二人の拡大図。男の方は帽子を脱いだ頭がやたら長い。手に持った帽子の形が不明確。婦人の手は農夫らしくかなりごつい。背中が異様に膨らんでいる。

気が付くのは二人とも赤い色が多く使われている事である。赤色を濃くしたのが土の茶色だから、コントラストを強めれば赤色が出て来るのはおかしくないのだが、まるで血まみれのようだ。

男は顔半分と、両肩に血の色が多い。女は目、口、首に血の色が多い。二人とも目がはっきりとは描かれておらず、目が飛び出しているようにも見える。

足元のバスケット。イモが入っていると言うよりは、小さな人間の頭部が不気味な表情をしながら入っているように見える。

バスケット内部を拡大し、イラスト化してみた。僕にはこんな風に見える。血だらけの人の頭、骸骨、蛇が見える。

男の足元。フォークの下にあるのは、イモの枯れ枝ではなく人間の骨ではないか。特に丸で囲んだ所にあるのは、白骨化した人間の手ではないか。

イラスト化してみた。何者かによって食い散らかされた残り物、人間の手、足、頭蓋骨等が散乱しているように見える。

僕は畑でジャガイモも作っているが、こんな風に枯れ枝とイモ自体を散乱させた状態にする事はまず無い。枝を狩り取ってから土を掘り、イモを収穫するから、イモをそのままにしておかないし、枝と一緒には置かない。それにイモを早く回収しなければ日に当たって緑色になって食えなくなるので、放置してはいけない。

一輪車の上のイモ袋、これが袋詰めにされた子供に見えて仕方がない。目に当たる部分が赤黒くえぐれているし、そこから血が噴き出している。

イラスト化しながら細かく見て行くと、子供の身体は小さい人間の積み重ねで出来ているようだ。子供は頭部だけで、その上に蛇が二匹ほど顔を見せている。

女の後ろの遠景に、教会らしき尖塔が見える。その教会辺りから空に向かって立ち上がる巨大な爬虫類がいる。口に人間(喰われながら二人で性行為をしている)を咥えているようだ。教会(宗教)でもって人間を支配する「神」の姿なのだろう。

全体図。イラストのように、うっすらと画面全体に大きく存在する巨大爬虫類の頭が見える。農夫たちを頭の上に乗せ、画面最下端に横たわった人間たちを喰っている。夫婦の足元のバスケットの中に食べかけの人間の頭があり、フォークの下等には食べ殻が散乱している。一輪車に乗せられた子供は、夫婦が新たに捕まえて来た人間たちで、これから捧げものにするところだろう。

この絵はこんな風にも見る事が出来る。女の下半身が男性器のような形をしているので探って行くと、こんな隠し絵が見えて来た。女の後ろから襲い掛かり、性行為をしている図である。

 

モロー 「出現」 ヨハネの首を要求したサロメ、彼女が「神」に喰われている。

この画家は初めて調べる。

調べてみた結果、いつもの主題が隠し絵になっている事が見えた。人間を喰う「神」の姿がそこに隠されていた。

いつもながら陰謀論のような、オカルト説のような、荒唐無稽と思われるかもしれない内容が浮き出て来て、絶望感に陥る。

ギュスターヴ・モロー 「幻視(亡霊・出現)」 1876年 オルセー美術館(パリ) 水彩画

聖書の物語にあるサロメの話が絵になっている。ガリラヤの王ヘロデ、その息子の誕生日に踊りを踊って気に入られたサロメは、王の息子に洗礼者ヨハネの首を要求する。ヨハネは首を切られたのだが、彼の亡霊がサロメたちの前に出現したらしい。王の息子や従者たち、首を切った剣士と共に、ヨハネの首が空中に浮かんでいる様子が絵になっている。時間関係が前後ごちゃ混ぜになって分かりにくい。何とも幻想的な絵だ。モローは同じテーマを何枚も描いている。

サロメはヨハネの首の出現を手で指し示して驚いているらしい。そのヨハネの首は今切られたばかりのように血を下に垂れ流して生々しい。

首の横に立つ剣士。その目は首の方を見ているのか。どうも不明確な描き方だ。

立てた剣先にある金の盆の向こう側に小さい人間が横たわっているように見える。

頭を向かって右側に向けて一人、その下に組み伏せられるようにうつ伏せになっているもう一人人間がいる。性行為をしている?

サロメは驚いていると思ったが、良く見ると苦悶の表情である。目が白眼がちで口から血を吐いている。被っている冠が大蛇の頭なのかもしれない。大蛇に喰い付かれて苦しいのかもしれない。肩に別の蛇が乗っているし、これは断末魔の表情と見える。

サロメの下半身が微妙にずれていると思わないか。この部分、僕にはこう見える。

上から巨大な蛇が降りて来ていてサロメの上半身を呑み込んでいる。下方からも大蛇が何匹も迫り、彼女の身体に噛み付いている。尻の所で噛み付き、腹の所でも噛み付き、よじ登って彼女の頭に噛み付いているのもいる。

ヘロデ王の息子、妃(?)、楽器を持った召使。何故か皆ヨハネの首の出現に驚いている様子が無い。無関心でそもそも存在感が無い。

アーチ形の建造物。凹んでいると見せかけて実は突出している。黄色っぽい巨大爬虫類の顔がそこにある。口には人間の形に見える物をいくつも咥えている。

ヨハネの首のあたり、目を大きく開いて見る、輪郭線、陰影を繋げて目を細めて見る。そうするとこんなイラストのような巨大蛇の形が見えて来る。楽器を持った召使と剣士がそいつの目になっている。床を良く見ると、人間の身体が長々と横たわっているのが見えて来る。ここだけで3~4人いる。巨大爬虫類は上から降りて来てこれら横たわった人間たちを喰いに来たらしい。剣士が剣先に捕まえた小さな人間も喰われている。

全体図。あらゆる空間から巨大な爬虫類が飛び出て来ている。これが「神」の真の姿だ。一番大きなヨハネの首の辺りにいるのが「神」の中の「神」。ヨハネの首はこいつの頭の上にあり、別の「神」の口に咥えられているので空中に浮かんでいるように見えているだけ。サロメも「神」に喰われる肉塊のひとつにすぎない。ヘロデ王の息子や妃、召使たちは「神」の姿を作る為にそこに置かれているにすぎない。

右上のヨハネの首の背後に、より大きな骸骨のような頭が見えて来た。ヨハネの首がそいつの口の部分にある。ヨハネの亡霊はこっちの方が本物なのか。黄色い部分は脳であり、サロメたちに幻覚を見せているのかもしれない。

サロメの方がヨハネに喰われる図では無いのか。

何だかよく分からない絵で、まだまだ研究の余地がある。

 

クールベ 「アトリエ」 非現実的な絵、しかしやっぱり神の食事風景

この作品はクールベの代表作のひとつであり、横幅が6メートルもある大作である。彼のアトリエに大勢の人が入り込んでおり、何か非現実的な光景である。

ギュスターヴ・クールベ 「画家のアトリエ」 1854~55年 パリ・オルセー美術館

中央で絵を描いているのがクールベ自身。キャンバスには風景画が描かれているのに、何故か裸婦モデルが背後に素っ裸のまま立っている。子供や犬まで入り込んだ雑然としたアトリエである。この混とんとした感じ、レンブラントの夜景を思い出す。

画面右側に描かれているのが富裕層の人たち。端で本を読んでいるのが詩人のボードレール、椅子に座った男が批評家のシャンフルーリーだそうだ。その他美術愛好家たちが立って見学をしている。窓際で抱き合っている男女は自由な愛を表現しているそうだ。画家の絵には皆無関心だ。

画面左側に描かれているのは、貧困層の人々。服装が貧相で、皆うつむき加減に描かれている。

画面を明るくしてみるとより良く見える。人々の間にドクロもあり、赤子を抱いた女、物乞いの少女などもいる。キャンバスの裏側にあるのは彫刻だろうか、イエス・キリストの姿と思える。寓意的に人生の貧しさ、苦しさ、生と死などが描き込まれている。

 

画面中央部分。画家とキャンバス、裸婦と子供、猫等、アトリエに関係ある物を集めて描き込んである。実際の光景ではない。

裸婦の脱ぎ捨てた服にしても変な描き方で、普通こんな風にはならないだろうと思う。クールベの姿自体もどこかおかしくて、両手先が千切れて血を噴き出しているように見えるし、右足も膝から先が切れている。キャンバスの中の樹の形は上から降りて来る巨大な爬虫類の頭になっていて、クールベの右手に噛み付いている。

裸婦の脱いだ衣服はごちゃごちゃで、まるでマネの「草上の昼食」の画面左下の散乱した昼食のようだ。良く見るとこの中には、人間の形がいくつか見えて来る。

画面右側。人々の輪郭、陰影、絵具の明暗を辿って行くと、上のイラストのような上から降りて来る巨大爬虫類の頭が見える。画面下の方の人型を口に付ける形になっている。

画面左側。同じように巨大な爬虫類の頭が上から降りて来ている。同様に人型の生贄を口に入れている。

全体図。広い壁の面の中に、巨大な爬虫類(神の姿)が見える。貧しい人々を喰う神、富裕層の人々を喰う神、そして画面全体に大きく、全てを呑み込む神が隠されていた。画家自身も例外でなく、神の口の中に入る。

壁の中にいっぱいに描かれた巨大爬虫類がいて、その頭の上にやや小さめの巨大爬虫類の頭が乗っている。

現実の人間世界も、このような貧富の格差あり、色々な性格の人あり、宗教の違いありの雑多な混ぜこぜの世界なのだろう。言ってみれば家畜の小屋の中と変わりが無い。

広い壁の中にもう一つ、人間の性行為の隠し絵も含まれている。画家の真上に尻に見える部分がある。画面左上の端に人の頭と目と思える形がある。辿って行くと性行為をしている男女は二組ほどおり、連続して後背位を採っているのでどこかおかしな事になっている。鑑賞者に繁殖を促す隠し絵である。

 

この絵の解釈はまだ足りない。今後時間があればより深く研究して行きたい。

全ての絵画は観る毎に深く見れる。前回よりも深く完成度を高めつつ明らかにして行きたい。