名画の中の人喰い蛇

美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

ダヴィンチ 「モナ・リザ」 やはり生贄の人肉が配置してあった

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「モナ・リザ」 1503~1507年 ルーブル美術館

世界中の誰でも知っているが謎も多いこの作品を再々度検討する。

前回はこの婦人が蛇に巻き付かれていおり、画面中蛇だらけであることを指摘した。

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両肩に乗っかった蛇、右腕に巻き付いた蛇、両足のあるべきところにいる大きな蛇、と非常に気味の悪い絵である。

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目の中にも蛇がいて、それどころか絵のすべての部分が蛇でもって描かれている。左目の目頭のいぼの様な物も上から下がってきた小さな蛇である。

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画質変更した物をトレースして行くとこんな風に見えて来る。口から小さな蛇がたくさん出ている。口の下や顎が赤っぽいのはこの小さな蛇を喰っているからだと思える。

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身体も蛇の集合したものであるが、その手の指のうちはっきり手に繋がっているのは三本だけである。三本指の外側に別個体の蛇が張り付いて五本指に見せている。

・・・・とここまでが前回見てきた事。今回は別の角度でこの作品を調べてみる。

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上図左が元々の絵、右が多少修正した絵である。左の絵に見慣れているから右の絵の婦人が太って見える。しかし右の絵の方が現実に存在するいわば「普通のおばさん」の普通の体つきに見えないだろうか。

実は元の絵の婦人は、首が長すぎる・肩が少し下に落ちていると思い、Photpshopで修正したのである。上図右の絵の下端にある空白の部分の分だけ首から下を上げてある。元の絵に描かれているのは人間では無いと思える。

多分両腕共に肩から切断されており、そこに張り付いた蛇どもが手だけを咥えて支えている。アングルやセザンヌの絵の中の人物と同様に手が下に落ちた形で描かれている(他の名画をいろいろ見てきたおかげでこれが分かるようになった)。

両足部分が暗くて見えにくいが、そこには化け物のように大きな蛇が口を付けており、こいつに喰われたと思える。だから膝小僧の出っ張りが全く無い。

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画面右上、婦人の頭の右にやはりあった。地面に人間の死体がたくさん転がっている(上図右イラスト)。今までこの絵のこの辺りは集まって来る蛇が描かれていると思っていた。しかし最近生贄の人肉の描き込まれている事を発見したので探してみたら案の定あった。この絵では画面下方ではなく、背景の中に多く存在する。

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その下にも同様な死体があり、折り重なって山のようになっている。橋も人体でできているようだ。

婦人の肩の横に見える赤い物体は何だろうと考えた。婦人はマリアのように半身大蛇であり、その胴体が後ろに流れている?とも思ったがどうも違う。

婦人の失われた足ではないだろうか。膝を折った状態で重なるように置いてある。

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婦人の向かって左側の背景には不気味なも物が描かれている。

遠景、湖の向こうの山を抜き取って時計回りに回転させるとこんな絵になる(上図左端)。ライオンの顔のような、人間の男の険しい横顔にも見える。

その下、蛇行する道のある辺りを抜いて反時計回りに回転させたらこうなった(上図右)。地獄の獄卒の横顔? 

人間の目というのはいい加減な物で、思考と結びついている。つまりこうと思い込むことでそれが見えたりする。存在しないと思えばそれは見えない。ダヴィンチはその辺のところを利用して曖昧な表現をし、見る人によってどうとでも見えるように描いている。龍やドラゴンは実は巨大な蛇なのだが、人間には蛇ではなく空想上の生き物だと思わせようとする。ミスリードをしている。間違った方向に解釈させ、人間を混乱させ怖がらせ真実から遠ざける為の化け物の絵ではないか。

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この二つの化け物の横顔の部分、詳細に見るとやはり人間の死体である。遠方では大蛇が人間を咥えてその足がぶら下がっている。画面左端に見える骸骨は、人間を咥えて振り回す大蛇が割と近い所にいるのを描いているのであろう。

婦人の肩の横に蛇行する道があるが、この辺り赤っぽい。婦人の失われた二本の腕はここに置かれているらしい。肩から手首までが並べて置かれている。奥から来た白蛇が肉塊の上に乗って景色っぽく見せている。

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 この婦人に四方八方から喰い付く大蛇の頭が描かれているが、それよりも大きな蛇が画面全体にかけて存在する。上図右のイラストで示したものがそれである。すべて上空から降りて来ている。

婦人の左右の空間にそれがいる(緑の輪郭・赤の輪郭)。上の蛇が下の蛇を呑み、繋がって長い蛇になっている。左右とも遠景の人間を呑み込み、近景の人間を呑み込み、最下端で婦人の身体に喰い付いている。

頭に齧り付いているのがいるのがいる。胸元までを呑んでいるのがいる。画面いっぱいになって婦人の手の所までを呑んでいるのがいる(それぞれグレーの輪郭・水色の輪郭・青の輪郭で表した)。画面上の肉という肉はすべて大蛇小蛇の口が付いている。もしくはその体内に取り込まれている。

 

世界一有名なこの絵も、他の名画と言われる物と同じくひたすら「巨大な化け物蛇が人間を食糧にしている」事を語っている。

この名画の中に込められた秘密はここまでしか見出せないが、これ以上の何かを隠しているかもしれない。例えば右腕に巻き付いた蛇の胴体にアルファベットの様な物が浮かんでいるようでもあるし、婦人はひょっとして男なのかもしれないと言う疑問もあるし、画面右上に宇宙人の顔っぽい物が浮かんでいるし、今後また世界の名画を一周してからもう一度見てみたい。人間が単なる食糧であると言う救いの無い絶望の状態から抜け出す発見が出来る事を期待して・・・・。

 

ダヴィンチ 「岩窟の聖母」 人食い蛇マリア・UFO・蛇神

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「岩窟の聖母」 1483~1486年 ルーブル美術館

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この作品は分析しにくかった。聖母子と洗礼者ヨハネ・天使の四人を描いているが、不自然な所が少ない。天使とヨハネがイエスを指さし、聖母がイエスの背にそっと手を添えるという何の違和感もない絵で、人物が三角構図を構成している事くらいしか見いだせない。しかし考えてみれば救世主親子がこんな洞窟のジメジメしたところにいる事、岩窟が今にも崩れそうである事、聖母の腹にある黄色い衣の表現が不思議で目立つ事など、見て行くにしたがっておかしな所が見つかる。

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画面最下段の水たまりの部分、画質を明るく変えてみると人間の身体が無数に転がっているのが見えた。水の中に人間の死体が置かれている。縁の岩もプレスした人間のようだ。聖母の衣の最下端・天使の衣の最下端にも人間がいる。

小さな人間と大きな人間が混在している。「荒野の聖ヒエロニムス」でも「聖アンナと聖母子」でもこうだった。この事は何を意味しているのか。

蛇神が人間を創る際、最初は試行錯誤しながら創っており。他の動物との掛け合わせをが出来たり、今よりも大きな人間が出来たりした。その後環境に合わせて小さくし、男女に分け今の人間になった。・・・・というのではないかと想像する。エジプト神話や世界中にある巨人伝説にその痕跡を垣間見ることが出来る。それらが死に土に還った事をダヴィンチはこういう絵にして説明しているのではないか。

同時にこれら生贄の人間たちは蛇神に喰われている事を言いたく、その様子をも表している。

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聖母の背景にもなにかおどろおどろしい物が置かれている。大蛇の顔で表されているが同時に人間の姿でもある。見て採れたものだけでもこれだけの人間がいた(上図イラストで黄色部分)。どうやらこの岩窟は蛇神たちの食事処(餌場)であるらしい。 f:id:curlchigasaki:20190316133508j:plain

聖母の目は近くで見ると非常に冷たい。左の鼻の孔から何かが飛び出ている。下唇や顎・首・胸が微かに赤く汚れている。口の左右から白っぽい物が出て下に垂れている(?)(これ以上高解像度の画像が手に入らなかったのでこの辺はよく分からない)。

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天使は何故かイエスから目を背けている。口の中に二本の牙が生えているのが見える。口の右端から何かが出ている。

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幼児イエスは蛇に巻き付かれている。周り中蛇に囲まれており噛まれている。そして左手・左足がその付け根で切断されている。その切断個所には蛇が巻き付いてうまく隠している。口から足元に至るまで血のような赤い色が辿れる。左手・左足は形が普通ではないのですでに蛇に成り代わられているようである。イエスの目には光が無く、死んだ者の目である。

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画質が高くなく不鮮明だが、ヨハネもイエス同様蛇に巻き付かれているらしい。背中や首・腹・尻に蛇らしきものが見える。右足の足の裏の表現がおかしいからこの左足も千切られて蛇に成り代わられているらしい。頬や背中や尻の下に血のような赤い色が出ている。(ヨハネの手足がどこかに転がっているはずだが見つけられなかった。天使もその身体が無いようだがどこにあるか分からなかった。)

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これが何だか分からない。聖母の腹に巻き付く衣? 右手はイエスの背中に伸ばしているから手が入っているわけではない。画面のほぼ真ん中に紺と黄色のコントラストでもって非常に目立つから作者にとって主眼となる大事な部分なのだろう。

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聖母マリアは他の名画にあるように胴体が大蛇の化け物である。ここでもその胴体は胸から後ろに回って背後の岩と見える部分に繋がっている。逆に言えば後方から来た大蛇が鎌首をもたげており、その首がマリアになっている。こいつの右手はイエスの背に当てられている(上図イラストで茶の網目で表した)。黄色い衣は紺のマントの下で円筒形に見えるから恐らくこれはイエス(と言うよりも生贄の幼子)の足だと思える。この黄色い衣部分にマリアの胸の大蛇の口が噛みつき、背後の岩の大蛇の口がマントを突き抜け咥えている。

黄色い衣の皺の形の意味が分からない。ひょっとしてこうかもしれない(上図イラスト)。人間が二人折り重なっている。男女がセックスしているように見えたりする。

マリアは幼児イエスを見ているのではなく、この人間のセックスを見ているのかもしれない。人間を餌場で喰いまくった後は生殖行為をして増えておれよとでもいうのだろうか。天使やヨハネの刺す指先もこの部分に向けられているようにも見える。

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洞窟の後ろの方も生贄の人間がいっぱいいる。上からぶら下がっているのは巨大な蛇に咥えられているからである。

画面を大きく見るとイラストのような巨大蛇が見えて来る(分かり難くて苦労した)。一番大きい蛇は青線で輪郭を辿った物である。すべての人物を呑み込み、下端の生贄に口を付けている。

聖母の蛇の胴体(イラストではグレーで表した)は後ろに回って一回転し、画面右上に向かっている。そこから出てきたかのようである。

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右上にあるのは着陸したUFOだろう。「受胎告知」にも、「キリストの洗礼」にも同じような円盤型UFOが描かれていた。ここではよりはっきりした形で3~4機ほどが停まっていると見える。このUFOの開いた昇降口から巨大な蛇が這い出している。一番上の(奥の)機体から出た巨大蛇は橋を作った後真下に向かって降りる。二番目の機体から出た巨大蛇は斜め上に向かって橋を作ってから真下に降りる。一番下(手前)の機体から出た聖母マリアへと繋がる巨大蛇である。それぞれの開口部からは別の大蛇も顔をのぞかせている。最も手前の崖に見える部分は喰われている人間の束かもしれない。

巨大な蛇神がUFOを使って地上に降りて来る・・と言う事は彼らが三次元内に留まった物理的存在だと言う事になる。名画の中に半透明で描かれた巨大蛇神は別次元に存在していたのではないのか。その辺がよく分からない。別次元の蛇神の下にマリアのような半身蛇の者がおり、この化け物たちがUFOを使うと言う事なのかもしれない。飽くまで大本の蛇神は時空を超えた所に存在し、手下の者を使って人間を支配しているのかもしれない。

 

ダヴィンチ 「荒野の聖ヒエロニムス」 未完成品ではなく、作者の意図は表現され尽くしている完成品

前回の「聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ」同様この作品も未完成とは思えない。作者の意図する全てが表現されていると思われるからである。色の塗ってない部分も十分に描き込まれている。むしろ白地に近い部分こそ作者の思惑・意図・仕掛けが込められていると思う。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「荒野の聖ヒエロニムス」 1480年頃 ヴァチカン宮殿

この作品は過去にも検証したが、その際手前のライオンの存在意義・尻尾が綺麗な半円形を描く事・桶の口がおかしな変形した楕円である事の理由がどうしても分からなかった。他の名画を時代や国を変えてあちこち一回り見て回ってからもう一度見てみると理解を進めることが出来た。

前回の「聖アンナと・・・」よりも20年ほど前に描かれた作品だという。

自ら己の心臓を取り出して血を絞り蛇神に飲ませている。手足を切断され神に呑まれている。地面は血だらけである。背後や地面には大蛇・子蛇がうじゃうじゃといて空からは半透明の蛇神が降りて来て彼を喰っている。そんな絵であった。

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名画の画面の一番下、手前部分には神への生贄の人間が集められていることが多い。この考えでこの絵を見るとこんな物が見えて来た(上図イラスト)。ライオンは生贄の人間が集まってできた物であった。ライオンと尻と胴を共用した人間が上体をひねり右腕を地面に突いている。頭は下に下げている。ライオンの左後ろ脚は別の人間が張り付いてそれに見せている。ライオンの顔は小さい人間が逆さになって背中を向けて作っている。その人間は手と足が途中で切断されているか、背景の中にいる大蛇の口に呑まれていて見えない。後のたてがみ等は他の人間の死体の顔や手足が積み重なって構成している。非常に巧みな表現である。一見どう見ても絵具の描き込みの不足した、地塗り段階の描きかけのライオンにしか見えない。色を塗らなくても作者の意図は十分表現されている。

コントラストを強調するとライオンの胴体等に地色の赤が際立ってくる。生贄の人間の流した血の色なのだろう。

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半円形のライオンの尻尾、その中心に石ころの様な物が転がっている。これが何か分からなかったが、やっと僕なりの結論が出た。これは骸骨である。後頭部を左に向けて横倒しになっている。しかもこの骸骨には身体も付いている。うっすらとうつ伏せになった人間の身体が見えて来た(上図イラスト)。

ライオンの尻尾はもちろん蛇である。右の生贄の人間の尻の真ん中に頭を付けている。この蛇は綺麗な半円形を作り画面の一番下の位置にあり、地面との明暗の差もあり、かなり目立つ。主題の一番大事な部分である事を示しているのではないか。この骸骨は聖ヒエロニムスとされる人物の未来の姿を描いているのかもしれない。すなわち蛇神に喰われて骸骨となり土に還る事を。

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でかい桶の中にヒエロニムスの左足が入っている。桶の手前に転がっているのはこれも骸骨らしい。眼の穴が下の方とかに描かれていて判別しにくくなっている。手前には一段と大きな骸骨が上向きに転がっている。これには身体が付いているように見える。

ヒエロニムスの足元の地面にも人間の死体がたくさん横たわっている。彼の右足先と見える物は蛇である。地面の死体に喰い付いている。

桶の口がゆがんでいる。セザンヌ静物画のようだ。ここはどうやら大蛇の頭のようである。人間の足を身体に取り込んだ大蛇が地面に転がっている人間の死体を喰っているらしい。桶の口は凹んでいるのではなく大蛇の頭で膨らんでいる。

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右足は蛇が集まって組み立てられているがそれは良い。蛇神の名画の登場人物がことごとく蛇の集合体で表されているからである。足の親指と他の指の間が大きく開いているのは蛇が口を開けているからである。

ヒエロニムスの左手の下、地面に垂れた衣が変に明るく目立つ。まだ色を塗っていないのではなく、これは彼の左手が地面に落ちているのを描いてあるのである。彼の左手は方から手首あたりまでが衣で隠されているが実は切断されていて、その部分を蛇がカバーしている。実際の左手は下に落ちていて、衣に擬態した蛇どもに喰われている。

彼のこの手の奥と上に小さな人間が横たわっている。共に頭は衣の蛇どもに咥えられているので見えない。「聖アンナと・・・」でもこんな表現があった。大きな人体と小さな人体が重ねて描かれている。やはり聖人とか言われる人物は人間とは別物で巨人なのではないか。

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画面の下半分をイラスト化するとこうなる。人間の死体だらけの凄惨な現場である。

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全体図。ヒエロニムス自身の血、生贄の者たちの血で地面は真っ赤である。彼の左足は桶の中、左手は足元の地面に落ちている。心臓もすでに抜かれている。彼は人間を蛇神に捧げようと目の前に生贄を積み重ねている(ライオンに見せて)。彼の横にも大蛇がいて彼に喰い付いている。背景の岩山や空も巨大蛇であり、彼に喰い付いている。

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この絵を大きくとらえるとこうなる(上イラスト)。絵を遠くから見たり、薄目にして見たりいろいろと違った見方を考えながら輪郭を辿ると次第に見えて来る。

画面いっぱいに巨大蛇の頭が見える(イラストでは青の輪郭線で表した)。空から降りて来るやつでヒエロニムスをそっくり呑み込み、左下の骸骨あたりに口を付ける。

左側にも強大な蛇が空から垂直に降りて来て(ピンクの輪郭)、下端の骸骨に同じく口を付ける。

画面右の方からライオンの身体に沿って巨大な蛇(緑の輪郭)がやはり左端の骸骨に口を向けている。

左下の骸骨は未来のヒエロニムスだとすればこうも言える。聖人であれ、殉教者であれ結局は巨大な蛇神の餌になるのだ。

ダヴィンチ 「聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ」 男色の魔力

レオナルドダヴィンチ 「聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ」 1499~1500年頃 ロンドン・ナショナル。ギャラリー

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この作品を見直してみる。前回、この作品には男女の交合が行われている絵だと言ったが、今回高解像度の画像で詳細に見ると少し違って見えて来た。

聖母マリアがその母アンナの片足の上に腰掛けるというポーズも不自然だし、アンナの左手が天を指さすのも意味が分からない。その手と二人の足先が描きかけであるのもその理由が理解できない。

またイエスの左手・両足がどうなっているのか、ヨハネの右手・下半身の表現も不明瞭である。

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この絵を見て一番最初に感じるのが聖アンナの表情の下品さである(上図右)。何か悪だくみをしていそうな、卑猥なことを考えていそうな悪い表情である。口から首にかけて赤っぽい色が散っているがこれは絵の傷みだろうか、口から血が飛び散っているのだろうか。

聖母マリア(上図左)の首あたりにも頭部の影というよりも不自然な赤っぽい暗がりがある。それとこの聖母、胸のふくらみが全く無い。救世主の母を描くのに母性を表す豊かな胸を描かず、男のような平たい胸を描くというのはどうだろうか。

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エス(上図左)の目は死んでいる。うつろな表情である。顔の下半分が青味がかって血の気が無い。右手の指先にも力が入ってない。

洗礼者ヨハネ(上図右)の目には敵意のようなものを感じる。ヴェロッキョ工房での作品「キリストの洗礼」でも洗礼者ヨハネはイエスをこんな目で睨んでいた。それに口が血のように赤い液体で濡れている。口は開き気味で今の今まで何かを口にしていたかのようでもある。

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画面中央部をトレースしてみた。ここには残酷で卑猥な表現が盛り込まれている。

まずイエスの左手と両足が無い。マリアは人間の幼児の部分死体を持っているらしい。この子の下半身には服のしわに見せかけた蛇がいて喰い付いている。ヨハネの右手・右足も無い。首や左手や腹には蛇が巻き付いている。そしてヨハネの口の先には大きな男性器がある。イエスの左手かヨハネの右手と見せかけているがよく見るとそれである。強制的にしゃぶらされているのではないか。

つまりこの幼児二人は性的虐待を受けながら手足を千切られ喰われる運命にある生贄なのである。

マリアの股間に男性器がある。イエスの足に見せかけてはいるが玉も竿もある男性器である(この部分がイエスの足先だとすると指の向きが逆である)。大きなものがでろんと露出している。すなわちこのマリアは男である。この男の右手の表現が曖昧で分かりにくくなっているが、イエスの腹を支えているように見せてアンナの股間の男性器を握っている。このアンナも男であった(上図イラストのように)。

ダヴィンチは同性愛者だとされ裁判もしたそうだが、間違いなくゲイだ。後ろの男の膝に腰掛け、その一物をいじくっている。自身の性器も露出しながら・・。もちろんこの二人は聖母と聖アンナでは無い。この絵は同性愛者が戯れながら人間の幼児をも弄び、その挙句に口を血だらけにして喰ってしまうという絵である。

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聖母とされているこの男の両足の作る形が少年が四つん這いになって尻を向けているように見えて来た(上図左)。両足の間に女性器が表現されているようにも見えるがこれはどうか自信が無い。聖アンナとされる男の左足も屹立した男性器に見えて来た(上図右)。

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地面には人間の身体が転がっている(上図イラスト)。見にくいが微かな陰影の違いを辿るとこんな風な絵になった。手前に大きく二人の身体がうつ伏せになっている。その向こうに小さく他の人間が大勢倒れている。

マリアとアンナの足先はこれもまた人間である。マリアの右足先の人間は手足が無くうつぶせている頭を大蛇に呑まれている。左足先の人間は頭頂部をこちらに向けて倒れており、体のほとんどを大蛇に呑まれている。アンナの右足先は尻と背中を見せた人間で、手足は見えない。アンナの左足先は横になった人間で尻の上に手がかぶさっている。頭と足先を大蛇に呑まれている。

生贄の人間のこの表現には遠近法が無視されているらしい。ヨハネの口先の男性器も誰の物とも分からないし、一種の象徴的表現ではないか。手前の二人の死体は上のマリアとアンナを騙る男二人の未来の姿であるのだろう。生贄の人間を蛇神に捧げる役目を持った者は巨人なのか。この辺はよく分からない。

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この絵を全体的に見ると、巨大な蛇神が浮かび上がって見えて来た。眼を薄目にして輪郭の繋がる所を辿って行くと見えて来る。空から降りてきた超巨大な蛇神が画面いっぱいに隠れている(イラストでは緑の輪郭で表した)。その両目はマリアとアンナの膝の明るい部分だろう。下端の地面の生贄を喰っている。

この巨大蛇に重ねてもう一匹いる。マリアとアンナの上半身を呑み込むやつ(黄色の輪郭)で、その左目はアンナの左手である。アンナの左手が描き込まれてないのはこのせいだった。手を蛇の眼にも見せるためにわざと描きかけのような表現を採っていたのである。

エスヨハネ二人を呑み込む巨大蛇も右上から降りて来ている(ピンクの輪郭)。これら三匹の巨大蛇が互いに重ねて表現されている(三匹が重なる部分にイエスがいるのは何か意味があるのか)。

この絵は未完成の描きかけの絵ではない。空白部分にはそれぞれ理由があったのだ。マリアとアンナの足先は生贄の人間をそこに描き込むために白っぽくなっているのであり、アンナの左手は巨大な蛇神の目を表すために白抜きになっていたのである。

同じダヴィンチの「東方三博士の礼拝」や「聖ヒエロニムス」も未完成とされるようだが、同じ理由でそうでは無いだろう。それらは画面全体に血の色を散らすために赤茶色一色で描かれているのだろう。

この絵に関しては、巨大蛇神が人間を喰う事を隠し込んでいると同時に、ダヴィンチの男色趣味を入れ込んだ作品である。

ただ男色と言っても深い意味があるらしい。悪魔に指導された人間は少年に肛門性交を強要することでその子供を制御することが出来るようになると聞いたことがある。僕の記憶が正しければ、デーヴィット・アイクの本にそんな事が書いてあったと思う。日本の戦国武将にも稚児とか小姓とかの男色用の子供がおり、その子が後に一軍を率いる有力な部下になったりしている。ダヴィンチはそういった稚児や小姓の類の経験者であるかどうかは知らないが、男色の不思議な魅力(魔力)を知っていたのかもしれない。

 

ミケランジェロ 「サウルの改宗」 超能力のダウンロード?

前回ミケランジェロの名を出したので今日は彼の作品を見る。

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ミケランジェロ・ブオナローティ 「サウルの改宗」 1542~1545年 ヴァチカン・パオリナ礼拝堂

・・・・イエスの死後の使徒パウロは元ユダヤ教徒であり、キリスト教徒を迫害していた。そんな彼に神が光を当て目を見えなくし、弟子の一人を使わして目をみえるようようにして改宗させた。パウロキリスト教徒として地方の伝道をするようになった。・・・・

聖書の中の記述に従ってこの絵が描かれている。同じ作者によるシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」と同様に、多数のたくましい人体が画面の中に躍動し、多少演劇的なポーズをしている。素っ裸の男・下半身裸の男が何故いるのかよく分からない。武具を持っているからサウルの仲間の軍人たちだろうか。一番下に倒れている赤い服の男がサウルだろう。黒目が無い。空から神と思しき髭の男が降りて来て、右手を伸ばして光を発しているようである。その周りに翼も付けてないで雲に乗った人々がいる。天使だろうか。神の国の人たちだろうか。

画面上に広がる人間たちの群像は、それぞれ意味があってそこに描かれているはずである。ただ劇的要素を加えるためだけに存在するのではない。人体が寄せ集まって隠し絵を構成している。

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この絵をじっと見続けていたらいきなりこんな風に見えた(上図左は大雑把に見やすいようにボカシを入れた物・右はそのイラスト)。

地上に大きな人間が仰向けに寝転がっている。腐乱して半ば白骨化したような人体である。空に巨大な蛇の顔があり、その眼から光のビームを出して地上の人間の額あたりに当てている。蛇の眼は神の像の位置から出ており、地上のサウルの像の部分にあたっている。

蛇の眼には未知の力があるらしい。蛇に睨まれたカエルは身動き出来なくなるというが、その眼から何かが出ているのではないか。蛇の眼からその何かを当てられた人間も蛇の言う通りになってしまうのかもしれない。この絵では蛇の眼から照射された何かが人間の脳内に影響を与えている様子を描いているように思える。

デーヴィット・アイクだったか、レプティリアンが人間にその知恵を一瞬にして伝えるとか言っていた。あたかも光通信でダウンロードするかの如く、この絵も有史以来の蛇族の知恵をきわめて短時間で伝える様子を描いてあるように思える。ミケランジェロも蛇神の知恵・技術をダウンロードしたからあの天才的芸術を表現できるようになったのだろう。

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アメリカの1ドル札には「プロビデンスの目」と言われる絵が描かれている。ピラミッドの上の光る目は僕には蛇神の目の表現に見えて仕方がない。名画の中の空からくる巨大な蛇神の目を簡略化し、シンボル化して表したのがこの「真実を見通す目」とも言われる「プロビデンスの目」ではないのか。

よく見るとこの紙幣の絵、背景の空の中に蛇の正面向いた画像が描かれているし、目の周りの光も蛇の横顔である。左右のリボンは人間の身体のようであり、ピラミッドの手前には生贄の人体が転がっているように見える。

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これがサウルと思われる人間の画像である。白目を見せて目が見えなくなったことを示してはいるが他の人間の表現と何ら変わったところは無い。特別の人間には描かれていない。喰われる人間の一人ではないのか。服が血のような赤色である。

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神と思える画像。筋骨がたくましいが特別な表現がとられている訳ではない。後ろから迫る赤い大蛇に胸元まで呑まれている普通の人間に見える。その周りの人間たちも所々変形され、顔も不明確に表現され、何故こういうポーズをとっているのか意味が分からない。群像で、「寄せ絵」で見るしかなさそうである。

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神の向かって左側、群像をまとめてみると明らかに大口を開けた化け物である(右イラスト)。口先の人間たちを喰おうとしている。すでに喰われて化け物の身体の一部と化している人間もいる。

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神の右側、横向きの化け物の口先に人間たちがいる。ラーメンやうどんをすするように人間を喰っている。アニメ「進撃の巨人」のように一人ひとりではなくまとめて喰っている。

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画面右下の地上部分。群像がひと塊で大蛇の顔になっている。後ろの蛇が前の蛇を咥え、一番前の蛇が人間の伸びた足を咥えている。土色の裸の男は足を大蛇に咥えられ、肩や首にも子蛇が絡みつき苦しみもがいている。

地面に人体の表現が隠れていた。ミレーその他の絵のように土の中には過去生贄になった人間が埋まっているらしい。遠方の山の表現にも人体が使われている。よく見るとその起伏は尻や肩のふくらみである。

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地上左側。群像で表される化け物のような巨大な蛇、そいつらはどうやら上から下に向かって降りて来ているらしく表現されている。イラストのように輪郭線が繋がる。

地面の中に生贄の人体。山の方にも横たわった人体。山のように大きな人間はいないのでこれは生贄の人間が積み重なって大地を作っている事を示唆する表現であろう。

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馬の表現も人体の隠し絵である。馬の尻も首も、その横の空間にも人体が隠れている。

空の雲も人体で形作られている。頭や手足を大蛇に咥えられてそこは見えなかったりするが、横たわった人体がそこかしこに配置してある。ミケランジェロは蛇の画像で絵を作るのではない。(人体であり蛇でもある二通りに解釈できる表現だが、より人体に見えやすい表現である。)

そして画面全体を大きく見れば、超巨大な蛇神が画面いっぱいに描かれて(うっすらと透明に。イラストでは青い輪郭で描いた)おり、地上に横たわった人体(イラストでは赤い輪郭)の頭部に喰い付いている。ここでは超巨大蛇神の脳から地上の人間の脳内に何らかの通信が成されているように見える。

 

デューラー「聖三位一体」 化け物の絵を有難がって拝む、眼の見えない信者たち

デューラーの作品には蛇っぽい所がはっきりとは見えなくて難儀していた。この作品でようやくそれらしい表現が見えた。

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アルブレヒト・デューラー 「聖三位一体」 1511年 ウィーン美術史美術館

教会の礼拝堂の祭壇画として描かれた絵である。神とその子(イエス)と精霊(鳩で象徴されている)の三者は一体であると説明する。雲の上の天国のような位置に僧侶・聖職者・信者たちが大勢集まっている。その上の段左右に聖母マリアを始めとする殉教者たち、洗礼者ヨハネを始め、モーゼやダビデ王等が描かれている。その中央にイエスがおり、それを支えて持つ父なる神と天使たちが宙に浮かんでいる。その上に鳩の姿をした精霊がいて、その周りに天使の子供のような翼の付いた顔が囲んでいる。

これは宗教上の階級を表しているのだろうか。キリスト教を信じる者は雲の上の神の国に入る。殉教者はその上の段階に登れる。神と子と精霊を信じる者のみが救われることを絵にしてこれを見せながら説教をしたのだろう。

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元絵に画質変更とボカシを入れると上図左になる。イラスト化したのが右。化け物の顔が正面を向いている。口を大きく開けてその牙のある歯で人間を喰っている。向かって左側には骸骨もあって恐ろしい。

この絵全体を薄暗い礼拝堂の中で一人で見たら、こんな絵が見えるだろう。しかし誰も気付かない。この絵には神様イエス様という有難い存在が描かれていると教えられているので「化け物の絵だ。」などとは誰も思わないし、キリスト教が「悪魔教」だとは思ってないのでそうは見ない。東博の国宝千手観音像と同じである。

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神とイエスと精霊の鳩。デューラーは細かい所まで非常に丹念に描き込む画家であり、蛇っぽい部分が探しにくい。むしろ不自然と思われる部分を指摘してそこから探ってゆきたい。

全く違和感のない絵ではあるが、考えてみればおかしいのは、神が金の王冠を被り、金の衣を纏っている事・右の天使が首を傾げている事である。また鳩の周りの人面鳥もちょっとグロである。左の天使は槍先に肉塊の様な物を刺しているのもよく分からない。

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エスを口の所に当てる巨大な蛇神が見えた(イラストで水色で表した)。神の像に喰い付く蛇・鳩の後ろで口を開ける別の蛇も見えて来た。左右の天使たちはそれぞれ集まって上から降りてきた蛇神の姿を形作っている(イラストでは緑で表した)。それは東洋の龍のようにひげを持つ蛇で、一番前の天使を咥えているらしい。右の天使が首を傾げているのもイエスが力無い表情なのも後ろの蛇に喰われているからだろう。

エスの左右の殉教者たちもまた寄せ集まって(寄せ絵で)巨大蛇の横顔を作っている。マリアと洗礼者ヨハネを口にしているようである。

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画面の下の方を見てみると、マリアと洗礼者ヨハネの身体が途中から大蛇に変わって下方に続いているように見えた。

雲の上にいる人々も寄せ絵で巨大な蛇の顔を作っていて、人間たちをその体内に取り込んでいる事を示している。

下の雲は生贄にされた人間である。(前回のブリューゲルでも残酷な人間の死体の表現があり辟易していたのだがここにもあった。)キリスト教信者たちの足元で踏みつけられて転がって大蛇に喰われている(イラストでは黄色)。地上にも人体が横たわっている。

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画面全体をまた別の見方で見ると上のイラストのようになった。茶や青色・緑の輪郭線で表した。一つの絵で何通りにも見える。大きく見ても小さく見ても人間を喰う蛇の絵が見えて来る。

ミケランジェロの「最後の審判」同様、この絵も「寄せ絵」で描かれた蛇神の食人図であった。

 

ブリューゲル「盲人の寓意」 真実が見えない自分たち

ピーテル・ブリューゲル 「盲人の寓意」 1568年 カポティモンテ国立美術館ナポリ) 

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ブリューゲルの絵はことわざに因んだ寓意画が多くあるが、その中の一つ。盲人が別の盲人を頼って導いてもらえば、道を外れ共に転び池に落ちてしまうと言う事をそのまま絵にしてある。

この作品の中に「巨大蛇の食人」の光景が隠し込んである。

例によって作品の最下段に何やら怪しい絵が隠れている。小道の微妙な陰影の中に生贄の人肉が置かれている。

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右から数えて二番目の男の足元に人間の生首のような物が転がっている。丸印を付けたが、男の股下のそれは実にリアルである。少年のような顔がこちらを向いて頭を右にして転がっている。もう一つの生首は男の尻の向こうにある。仰向けになって頭を向こうに向けている。こちらは土と同化するほど劣化が進んでいるようで大分黒ずんでいる。

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画面右下部分、盲人たちの歩く道をイラスト化しながら隠れた絵を探ってみたら上図のようになった。二番目の男の足元だけではなく、道全体に人体が折り重なるようにしてある。盲人六人分だけではなく、より多くの人間たちが生贄になっている。すでにどれがだれの足やら手やら分からないくらい複雑に絡み合っている。池の中にも人間の下半身が見える。

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画面左下の道部分も同様にして見ると、こんな風に見えた。道の手前の白い崖部分も白い人体である。尻の二つの山が見えるし、切断された胴の断面も見える。

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画面を全体的に見ると蛇神がこの生贄の人肉を喰いに空から降りてくるところが見えてくる。背景の樹や建物を巧みに利用して半透明の巨大蛇神が隠れている。上から数匹、左右から一匹ずつのそいつが見て取れる(イラストではその輪郭を色で分けて示した)。蛇神たちは盲人たちに口を付けるだけでなく、地面に置かれた人体にも口をつけ、人間を喰う事を示している。

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六人の盲人の顔を並べてみた。眼玉がなかったり、それがあっても白目をむいて見えてなさそうだったりする。

所詮は自分もこの盲人たちと大して変わりが無い。人生という暗闇の中で他の盲人の言う事に従って行動し、共に転び池に落ちる運命にあるのかもしれない。

本当に真実は教えられてないのだ。だから洗脳された目に見える物も別の見方をすれば本当は別の物なのかもしれない。自分の眼で見えた物こそ真実だろう。たとえそれが信じられないくらい残酷な運命であったとしても・・・・。

 

人間の肉体は有機物で出来ており、死ねば有機物に帰る。その魂は別で、帰るべき所に帰る。帰る所が森羅万象全ての魂の集まる所であるならば何ら恐れる事はない。そこが未知であると言う事で恐怖が発生するから少しでも知っておきたいものである。