名画の中の人喰い蛇

美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

「高野山阿弥陀聖衆来迎図」 死に際のお迎えは人喰い蛇

「聖母昇天図」と「阿弥陀来迎図」がよく似ている事を発見した。

国宝「高野山聖衆来迎図」絹本著色 三福 平安~鎌倉時代  有志八幡講十八箇院蔵

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古い時代の作品で劣化しており、高解像度の画像も手に入らない。分かるところだけ見て行く。

阿弥陀様のお迎えが来る。極楽浄土に行くのだ。」こんな言葉をよく聞く。西の山からお釈迦様が眷属を引き連れて来迎し、この世から死後の世界へと旅立つという話は知識として知ってはいたが、そんな死の瞬間よりもその後の自分の行く世界に興味があった。地獄・極楽・生まれ変わりの思想を常に何となく考えていたと思う。死の間際にお花畑が見えたと昔近所の人から聞いた事もあるが、自分の場合は極楽やお花畑に行ける等のそんな良い事はあるだろうかと確信が持てない。ただ何となく、歳を取ったら宗教の教えを学び、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える生活をするのかもしれないと思ってはいた。

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この「阿弥陀来迎図」は阿弥陀様のお迎えがどんな物かを教えてくれる。画質を変えてみると、正にルーベンスの「聖母被昇天図」と同じく巨大な蛇の正面顔がいくつも並んでいる。眷属たちや雲の細かい描写を「寄せ絵」で繋ぎ合わせて化け物のような蛇の正面顔を作りこちらを向けて見る者を威嚇している。この絵をありがたがって見ている人間には見えない隠し絵になっている。

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阿弥陀自身はルーベンスの聖母同様下半身が大蛇となり、その胴体が後方の空に向かって伸びていると捉える事が出来る(阿弥陀の腰のふくらみが左右対称でなく、向かって右側が外に出ているのは、そこから大蛇の胴体が始まっているのを示している)。阿弥陀は聖母、眷属は天使、キリスト教でも仏教でもその大本は同じなのだろう。蛇神のサブリミナル効果を持ったメッセージが込められているようである。すなわち太古の昔から地球の人間を支配しているしているのは自分たちである事・人間を食糧にしている事・そして自分たちに逆らうなと言う威嚇の眼を見ている人間に向ける事が絵に込められていると思う。

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阿弥陀の左右の雲様の部分、聖衆と言われる眷属たちも喰われる存在として描かれている。天使と同様、巨大な蛇顔の口の所に人物の頭があり、それを表している。

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阿弥陀の向かって左後ろ、光背の横にいる人物たちはまさに大小の蛇に喰われ、阿鼻叫喚の様相を呈している。楽器を演奏している四人の他に、僕にはあと五人ほどの人間の顔が見える。大きな蛇に喰い付かれ、小さな蛇に巻き付かれて苦痛の悲鳴を上げているように見える。

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両外側の絵もやはり人物たちはことごとく大蛇に喰われている。上から横から後ろから噛み付かれている。大きく見ると人物が乗った雲自体が巨大な化け物のような蛇の顔になる。

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向かって左のガマガエルのような蛇顔の下(三福の一番左の下)に樹の生えた岩山か何かの表現があり、これも大蛇の顔になっている。大きなのが二匹、その顔の表面に小さなのがたくさんいてニョロニョロと這っている。大きな奴の口が咥えているのは・・・・人間の足・手・・・・。

木の根では無い。喰われてバラバラになった人間の手足である。画像が不鮮明ではっきりとは判別できないが、顔を斜めにした大蛇が足を横ぐわえしている。その下に手先が見える。その下には別のひとの足。この足は左の腰と繋がっているようである。その他人の腕と思える部分、人に顔に見える部分がある。

これは国宝の「阿弥陀来迎図」なのだ。人間の死に際に迎えに来るのは巨大な人喰い蛇であるらしい。阿弥陀の「陀」は「蛇」から来ているのだろう。