名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

エル・グレコ 「神」が空から降りて来て生贄を食す

名画の隠し絵には共通の画題がある。それは今までさんざん指摘して来た事だが、上から巨大な爬虫類の頭が降りて来て、口先に人間を捉えて喰っていると言う図である。巨大な爬虫類とは、地球にいる蛇と似た形でただただ大きい。とても小さな人間がまともに立ち向かえるような生物ではない。

奴らはこの地球の人間を支配し、自らを人間には「神」と呼ばせている。ただし全知全能・無限の能力を持つわけではない。人間にそう思わせ、畏れさせて支配している。

かなり古い時代にやって来た異次元の有機生命体であるらしく、絵の中では時に半透明の姿で描かれるし、その食い物はやはり有機生命体である人間であるようだ。気体や電気等無機物を摂り込んで生命を維持しているわけでは無さそうだ。

彼らの意識は自分の目より先に見える物に限定されるらしい。蛇型の長い胴体はたまにしか隠し絵に出て来ない。(人間でも進行方向にしか意識が行かない事は同じである。)だから絵にも自分の姿をほとんど頭しか描かないと言う事なのだろう。

名画を美術館で鑑賞する人には、この画面いっぱいに頭が描かれている事に気付かない。パソコン上で絵を縮小・拡大したり、明るくしたり、コントラストを強めたりすることで発見しやすくなる。

エル・グレコ 「ラオコーン」 1610~14年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

アテネからの木馬を怪しんだトロイヤの神官ラオコーンは女神アテナの怒りを買い、息子ともども蛇に喰われて死んだ。遠景に、街に運び込まれる木馬が描かれる。画面右にいる3人ほどの男はアテナの眷属か。

画題はギリシア神話からのものだが、隠し絵では全く別の話が描かれている。ラオコーン親子に上から齧り付く巨大な蛇型生命体の図である。良く見ると親子は石の上におり、これはミケランジェロの天井画のアダム同様生贄の祭壇だろう。「神」が定期的に空から降りて来て、生贄の人間を摂取する図・・・これが絵の本当の主題である。

ギュスターヴ・クールベ 「画家のアトリエ」 1854~55年 パリ・オルセー美術館

やたら大きなアトリエ。画家は記憶の中の風景画を描いている。何故か裸のモデルと子供や犬、観衆が見学している。画面右側に富裕層、左側に貧乏人たち。クールベの絵を見ているのは裸のモデルと子供だけで、他は読書していたり、男女でキスをしていたり、絵と関係ない事をしている。クールベの絵などほとんどの人が関心を持ってないと、自虐的精神でこの絵を描いたのだろうか。

背後の壁、大きな空間の中に、画面に入りきらないくらい大きな爬虫類の頭がある。人間たちを喰いに来た「神」である。

レンブラント・ファン・レイン 「夜警(フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊)」 1642年 アムステルダム国立博物館

服装もバラバラ、武器も鎧兜もバラバラで、火縄銃組合の出発と言うのに子供がそこらを駆け回る、チンドン屋のような市民隊。どうしてこれが名画として大事にされているのか分からない。

背景に巨大な爬虫類の頭。隊長・副隊長その他の人々を一呑みで呑み込むほど大きい。

人の世はまともそうに見えてこんな風にてんでバラバラ、ちぐはぐな世界だと作者は言っており、知能の低い人間たちは所詮大いなる者(「神」)の摂取物になる運命だと言っているのか。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「ナポリの浜の思い出」 1870~72年 国立西洋美術館

赤ん坊を抱いた女性、タンバリンを掲げた女性が、楽しそうに浜辺から上がって森の道に入る。この作者らしく、自然の樹が大きく描かれ、小さな存在である人間が小さく描かれている。

その自然の樹は、巨視的に見ると上から降りて来る巨大な蛇型生命体。重なって何匹もいる。地面の落ち葉の中には、良く見ると横たわった人間が数体いる。女性二人と赤ん坊ではないか(ジーっと見続ければイラストのように見えて来る。)。

楽しく人生を生きていても最終的には、こんな化け物のように大きな生物に喰われるのが人間の運命なのか。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「夜のプロヴァンスの田舎道」1890年クレラー・ミュラー美術館(オランダ)

ゴッホの情熱的な荒い筆遣い、作者の意欲が絵から鑑賞者へと伝わる。

背景の雲、杉並木等が別の物に見える。画面を大きく捉えると見えて来る。夜空の中に巨大な爬虫類の頭とその上に(手前に重なって)上から降りて来る少し小さめな爬虫類。供に地上の人間を喰いに来ている。

ティントレット「キリストの洗礼」1585年 カピトリーニ美術館(イタリア・ローマ)

川のほとりで洗礼者ヨハネがイエス・キリストに川の水を掛けて洗礼の儀式をする。

何故こんなに暗い絵なのだろう。背後のケルビムも生首が空中に浮かんでいるようで不気味だ(キリスト教徒はそう思わないのだろうが)。

ヨハネの背後の左右の樹、巨大な爬虫類の両目に見えないだろうか。

キリストの足元の水草、白骨化した人の身体で、あばら骨が突き出ているかのようだ。絵の下端には大抵生贄の人間たちが積み重ねられている。作中の人物はそのまま「神」に捧げる肉であったり、生贄を補助する人物であったりする。この絵の場合は、キリストの背中に槍が刺さっているので、ヨハネと共に「神」の為の肉なのだろう。

ポール・セザンヌ 「大水浴図」1894~1905年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

太った身体の水浴者。顔もボヤっとしか描かれていない。全体で大体三角形の構図になっており、色塗りが面的で、これが先進的と言われる所以だろうか。

名画として尊重されるのは、その隠し絵に人間の真実を持っており、「神」が人間に示したいサブリミナル効果を持っているからである。その隠した主題で最も大きなものが、「人は神の食い物」と言うメッセージであるらしい。

マルク・シャガール 「私の祖国」 1943年 トリノ・アート・ギャラリー

抽象画であり、夢の世界を描いているようでもある。「愛の画家」と言われるシャガールが描いた絵。

全体的に巨視的に見ると、抽象画でも何でもない。上から巨大な爬虫類の顔が降りて来ている。抱き合った男女に口先をつけている。濃い青の馬の形は、後ろ向きの人間であるようだ(二人重なっている?)。(左目はイラストではヤギの尻の所と見たが、地上の家の白い屋根の部分かもしれない。)

エドガー・ドガ 「ザ・スター」 1876~78年 フィラデルフィア美術館

ドガの絵のバレエダンサーの後ろの方はいつも不明確だ。少女を引き立たせる為なのか。それにしては少女の顔が不細工で暗い。

背後に巨大爬虫類がいる。ダンサーのちょうど腰の辺りを折るようにして噛んでいる。ダンサーの上半身、下半身は分割されているのか少しずれている。巨大な爬虫類の口元には小さめの蛇もいて別のダンサーを襲っている。

ヨハネス・フェルメール 「牛乳を注ぐ女」 1660年 アムステルダム国立美術館

この絵に関しては研究者によっていくつかの疑問点が上がっている。自分の疑問点を合わせてあげてみる。

・ミルクポットの口をこちらから俯瞰して見ているのに、中のミルクが見えない。

・左のテーブルの天板が正四角形ではない。

・女性が不必要なくらい筋肉隆々である。

・パンの一部がテーブルに直置きになっている。

・テーブルクロスの上に無意味な青い布がある。

・地べたに足温器があるほど気温が低いのに、ミルクから湯気が出ていない。

確かに窓から入る柔らかい日差しが独特の空気感で巧みに表現された名作だとは思う。しかし不可思議すぎる。

ミルクポットの中に黒い蛇が入っている。デカい丸いパンは人間の頭蓋骨っぽい。その後ろに脚が横たわっているのではないか。テーブルは四つん這いになった人間。

女性の背後の白い壁は巨大な爬虫類の頭である。女性を含めて画面左下の生贄の肉を喰おうとしている。

ピーテル・ブリューゲル 「雪中の狩人」 1565年 ウィーン美術史美術館

「狩人」と言うと猟銃で鳥等を撃つ人だと思うが、ここの「狩人」は銃を持たない。奥の男の肩先に見えるのはキツネを吊るした棒で、男たちは三人とも長い槍を担いでいる。ブリューゲルの時代に銃が普及してないはずが無いのだが、これじゃまるで古代の狩りのようだ。貧しくて銃さえも買えない人たちなのだろうか。これだけ人や犬がいて獲物もキツネ一匹だけのようだ。遠くから吹き上げて来る空気が冷たい。

上から降りて来た巨大な爬虫類の顔。目を巨視的にしたり、目を細めてわざとぼやかして見たりすると見えて来る。喰われる人間たちは狩人たちの他に坂の向こうの樹や川も人の形を作っている。狩人たちが歩む丘も向こうの丘と合わせて尻の様であり、うつ伏せになった人の形になっている。尻の間から産まれる人間をも、巨大生物が喰ってしまうのだ。

クロード・モネ 「ジベルニーの森の中で」 1887年 ロサンジェルス郷土美術館

一見おかしなところは無い。森の中に直に座って読書するのもどうかと思うが、モデルを使って伝えたいイメージを描いたと言われれば納得するしかない。

画面全体を見る。木々の色の濃淡に境目がある。それを繋げるとイラストのような巨大な爬虫類の頭になる。画面下部はいつものように人がたくさん横たわって積み重なっている。それを食料として空から、また異次元からやって来て喰う。奴らは一匹ではなく、大小数匹いる。皆上から降りて来る。

ラファエロ・サンティ「火に向かって恐れずに進む女神とライオン」1510~20年 メトロポリタン美術館

これは気付きにくいかもしれない。

イラストのような巨大爬虫類が一度見えてしまえば、もうそれ以外の見方は出来ない。画面下部は生贄の人間の積み重ねなのだが、女神の下半身(腹から下)にも人間の形が見える。下半身もライオン自体も別の人間の組み立てで出来ており、喰われるための肉である。

ポール・ゴーギャン 「死霊が見ている」 1892年 オルブライト=ノックス美術館(アメリカ・ニューヨーク州

ベッドの上の少女がベッドからずれ落ちそうなくらい端に寝ている。後ろに平面的に描かれた「死霊」を避けているのだろうか。

この形は正に生贄の儀式その物である。少女は「死霊」すなわち「悪魔」、または「神」に捧げられた供物。

この薄っぺらい「死霊」は本物ではない。本物は画面全体に大きく表された、獅子舞の獅子のような顔をした奴。少女の身体の下のベッドは白い犠牲者。少女は彼らを抑え込み生贄の手伝いをし、そして自らもやがて喰われるのか。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「最後の晩餐」 1495~1498年 ミラノ サンタマリア・デッレ・グラツェ修道院 

修復前の絵ハガキ写真。

全体的に見る。目を細めて見る。巨視的に見る。するとやがてこんなイラストのような爬虫類の正面顔が見えて来る。上から降りて来ている奴もいる。一番大きな顔は捉えられただろうか。両側の柱の後ろに濃淡で目のような形が見える。まるで奥からこちらを覗いているかのようだ。天から降りて来た「神」がこちらを見ている。

この絵に関して、色々と細かい解説をする人が多いが、結局ここに表れた巨大な顔が人間界を宗教で支配している事を示している事が作者の一番の主張ではなかろうか。背後の闇から人間界を見つめ、コントロールしている「神」の存在を隠し絵にしている。「神」は「悪魔」であり、人が望めば即座にやって来て地位・名誉・財産を与えてくれる。しかしその代わりに魂を乗っ取ってしまう。