この絵が「ひまわり」連作の後に描かれている事が意外である。あの「ひまわり」よりもはるかに具象的ではないか。色の発色も抑えられている。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「デイジーとポピー」 1890年 ソングアート美術館(中国・北京)
デイジー(ヒナギク)とポピー(ケシ)の実際の写真をネットから拾って来て掲げておく。ゴッホのこの絵では「ひまわり」の黄色ではなく、ケシの赤色が前面に打ち出されている。それでも「ひまわり」の黄色ほど原色が絵具のチューブから出たそのままに残っていると言う事は無い。
元絵を明るくし、コントラストを強め(上図左)、色の彩度を低める(上図真ん中)と、イラストのような光景が見えて来る(上図右)。巨大な蛇が人間を束にして口に入れている図である。人間たちは喰われながらも交接し、子孫を残そうとしているようだ。
元絵を逆さにしてみた。目を見開いて全体を大きく見ると・・・・どうやらこの形は・・・男性器・・・らしい。花瓶が亀頭でポピーが睾丸である。花瓶の置かれた白いテーブルが女性の尻であり、そこに挿入されようとしている。ポピーの下に(逆さになったこの絵では左上)出ている白っぽいにょろにょろした物は精液か(位置的にはおかしいが)。白いポピーの花(ここでは右上)は卵子か、または蛇の胴体の柄かもしれない。卵子と精子と言う事であれば、この絵は生物の授精の瞬間を表しているのではないか。
そう言えばゴッホの「ひまわり」の一つにこんなのがあった。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「ひまわり」 1889年 アムステルダム・ゴッホ美術館
2年ほど前に調べた時のイラストを、ほとんどそのまま掲げる。この構図の「ひまわり」をゴッホはよほど気に入っているらしく、何枚も描いている。
僕の目には女性の背後から身体を合わせる男性が見える。はっきりと見えるのは一組だが、他にもいるようだ。はっきり見える性交中の男女は何故か手足がちょん切れている。その切断面が円形のひまわりの花になっている。ゴッホの「ひまわり」と言うのは、人間の身体の断面の赤い肉と白い骨の形を表しているのだ。テーブルの上に、千切れた手足が転がっている残酷な絵である。
実際のひまわりは花びらの中に種が並んでいるが、その中心部はゴッホの絵のように白い丸が無い。少し丸く見える所のある個体もあるだろうが、ゴッホの絵のようにはっきりとした「骨付き肉」にはなってない。
目を大きく見開いて全体的に見れば、巨大蛇が見えて来る。前記性交中の男女を口に入れる奴と、その下にいる、テーブル上の手足を喰う奴の二匹が見える。
人間はこいつらに肉と血を捧げる為に、日夜繁殖行為に励んでいるのだ。人間と言うのは何て哀れな生き物なんだろう。