この世はあまりにも欺瞞に満ちている。この世に生きるのはあまりにも辛い。苦痛やストレスを感じる事が多すぎる。その理由は、人間の上に立つ支配生物が存在するからである。自らを人間に神と呼ばせ、人間の血と肉を食べてエネルギー源とする生命体がいるのだ。そんな奴らの残酷な食事風景が名画の中に隠されている。
エデゥアール・マネ 「草上の昼食(水浴)」1863年 パリ・オルセー美術館
この有名な絵の中の登場人物たちは何をしているのだろうか。森の中で紳士二人と婦人二人が昼食を採っているらしい。女の一人は素っ裸であり、もう一人の女は下着のような物を身に纏い水辺で体を洗っている。手前にある昼食の入ったバスケットは倒れ、食べ物や酒の入っていたと思われる瓶も転がっている。女の衣服らしき物も帽子のような物も雑然と置かれ、一体何をしていたんだと思わせる絵である。サロンに落選したのは風紀上の問題から当然だが、今ではこれが初期印象派の名画と言われ、マネの代表作の一つとも言われたりしているのは何故か。画集でもネットでもよく見かける絵である。僕も昔から知っていて、「ああ、そうか。マネの代表作か。絵画芸術史上歴史的な意味のある絵なんだろうな。」と思っていた。「色の使い方がそれまでと違っているのかなー。」とかボ~ッと思っていた。
2年ほど前に調べた時、この絵が非常に残酷な生贄の儀式の現場を描いた物である事を発見した。今回はもっと分かり易く説明してみたい。
四人の登場人物、その身体に注目した。皆身体が少しずつおかしくないか。
裸の女の左足、膝の位置がもう少し上にあった方が姿勢に無理が無いのではないか。首をこちらに向けているが、強く首をひねりすぎて首の皺がすごい。
真ん中の男の右足は何だ。ダボダボなズボンなのか。左手の手先の描写がマネとは思えないほど稚拙である。
右の男の右足先の靴が無いように見える。右太ももが異様に太い。
奥の女は右足の形が掴めない。短すぎるのではないか。
それぞれの身体の隠れた部分が不明確であり、その存在が確認しづらい。
四人の隠された手足を想像してイラスト化してみた。想像しにくいのは、それらが存在しないからなのではないか。
四人の周りにが大蛇がうじゃうじゃいるようだし、身体を這う蛇もたくさんいる。この人物たちの手足は蛇に喰われて無くなっている、もしくはこれから無くなる運命にあるのではないか。
画面左下の散乱した衣服の中の一部分。麦わら帽子のような物が置いてある。これは人間の足ではないか。帽子の頂点が膝小僧である(少し潰れているが)。色も人の肌の色だ。
裸の女の尻の下あたりの何か分からない描写。この部分図の真ん中にある物体は、人間の足首ではないか。足首で切れた足の先ではないか。切断面は左に転がった瓶のキャップにも見えるがそれは左側にあるからそれでは無く、足首の灰色の切断面である。
左に戻って、バスケットの辺りの散らかった衣類。この辺の訳の分からない不明確な描写の、皺・陰影を丹念に辿って行くと別の物が見えて来る。
時間を掛けて見続けるとこんな風に見えた。バラバラにされた人間の身体のパーツが集められている。手・足・頭・胴体、手先だけ・足先だけの部分も置いてある。
一番はっきりと見つけやすいのは麦わら帽子の足と瓶の右のある足首だろう。
これらは上の四人の身体の部分部分が寄せ集められているのではないか。頭も胴体もあると言う事は上の四人は手足だけでなく首も切られている、もしくは切られる予定になっているらしい。
その他画面右下の地面にも人間の身体らしき、怪しげな陰が見え、大蛇がそれを咥えている様子が僕には見えるがそれはまたいつか解説したい・・・・。
全体図にすると画面いっぱいに描かれた巨大蛇神がこれらの人肉パーツを喰っている様子が隠れている。こういう隠し絵が含まれているから支配層はこの絵を美術館に大事に保管し、多くの人に見せている。