ゴッホの作品は解読が難しい。荒いタッチで色をキャンバスに置いて行った感じだから、部妙な濃淡を読み取って隠れている絵を探し出すというやり方は筆跡が目に付いて難しい。
フィンセント・ファン・ゴッホ 「オーヴェルの教会」 1890年6月 オルセー美術館(パリ)
丘の上の教会はゴッホらしい荒々しいタッチでゆらゆらと揺れ動くように描かれている。背後の空は薄暗く黒い雲が垂れこめている。まだ早朝なのだろうか。前景の二股に分かれた道を婦人がスカートのすそを摘まんで急ぎ足で行く。前景の草の緑・道の黄色と背景の空の濃い青色のコントラストが目に気持ち良い。
教会自体は揺らめいて安定感が無い。建築物なのだからもう少しかっちりとした感じに描けなかったのか。よほど短時間で描いたらしく、絵筆に付いた絵具がそのままキャンバスにたたきつけられたような描き方である。ただこの描き方だとかえって作者の感情がそのまま伝わってくる。発色も良い。
この絵は昔から画集で知っているが、発色の良さ以外どこにも感じるところが無かった。今見直しても「蛇神の人喰い」とか言った隠し絵がなかなか見つからなかった。長い時間じっと見て、トレースを始めてみるとやっと見え始めた。絵の中に蛇が見える、人の形が隠れていると言う所が一つでも発見できると、そこをトレースするうちに別の隠し絵が順に見えて来出す。
部分を詳細に見ても筆運びしか見えないので、いきなり三分の一の最下段部分である。最初教会のすぐ下の濃い緑の草の中に横たわる人間が見えたので、これをとっかかりにしてトレースし始めた。すると上図下のイラストになった。大きな蛇が数匹、無数の小さな人間を喰っている図が現れた。例えば道の筆で点々と描きなぐっている所も、よく見ると微妙に色合いが違う点々であり、目を細めて大づかみに見ると人の形が見えて来る。人は前後の重なり、性行為をしているらしい所もある。
道の土にも、草にも、世の中の全ての物の中には命が、あるいは命の元となる物質がある。そんなことを彷彿とさせる描き方である。
画面の三分の一、中央の部分。教会も蛇と人間の形で作られている。人間の身体は時々足先等で蛇の頭に変わっている事がある。と言うよりも人間にも蛇にも見えるような描き方がしてある。すなわち教会の一部分であり、人間であり、蛇でもあると言う三通りの見え方が出来る。またこのように小さく細かく見ても一つの形に見え、中くらいにしてもまた別の形に見え、大きく画面全体でもまた形が採れるようになっている。何だか三通り、三と言う数字にこだわるのは何故だろう。
三分割の最上段。教会の屋根の尖った部分に人間が捧げられている。まるで生贄が串刺しにされているようだ。空の中では巨大蛇が人間を咥えて持ち上げながら蠢いている。
三つの部分を繋いで全体図にした。左の元絵と右のイラストを合わせて見れば、暗雲垂れこめた空の下、怪しげな教会が見えて来る。ゆらゆら揺らめく教会は人間たちを喰う悪魔の建物だと言う事がはっきりして来た。
こんな絵が見えて来た。空に巨大な蛇の正面顔があり、口を開けて教会ごと食わんとしている。その教会自体は恐らく三体の悪魔(鬼)のような怪物になっている。一番上に腕を伸ばして口に人間を咥えている悪魔(イラストでは青)がいて、頭に王冠を被っている(世界に王族とか皇室とか言う物があるが、王冠を被るような者はこういう悪魔に違いない)。中間の屋根の所を顔にした蛇(緑)はギザギザの歯で窓にぶら下がる人間を咥えている。建物の下半分は恐らく蛇の大きな顔(黄緑)で草むらの人間を喰っている。画面最下段は喰われる人間たちが折り重なっている。人間たちは喰われながらも性行為をして子供を産んでいる。
画面を大きく見ればこんな性行為・出産図が見えた。
画面中に四組ほどの男(青)女(赤)がセックスしている。空の中、教会自体、道と草の中である。道と草の中の左側の男女は男の方の頭が左奥に位置している。そして全ての男女共に尻から子供を産んでいる(左下の男の股間から道を歩く婦人が出ているが、これは男性器にも見える。向こう側が透けて見えているのだ)。
男女の身体が透けており、重なっても向こうの身体の線が見える。こういう描き方は普通の人間はしないだろう。名画の中の隠し絵独特の表現法である。性行為と出産を同時に描くのも人間には考えられない。やはり人間以外の長寿の生命体が画家に命じて絵を描かせているのだろう。