レンブラント・ファン・レイン 「水浴する女」 1654~1655年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
背景に一瞬大蛇が見えたのでこの絵を詳細に見てみる。
洞窟の中だろうか、非常に暗い中で一人の女が衣服をたくし上げて足を水に漬けている。背後の大岩のような物の上に上衣を置いているが、それは所々金色に光る上等な物のようである。結構裕福な家の女らしい。身に纏っているのは下着なのだろう。水に濡れないようにまくっているが、まくりすぎて下腹部まで見えている。画面右や上の部分はかなり黒く何が描いてあるのか分からない。レンブラントはこの絵で何を描きたかったのか。
暗い画面を明るくしてみると暗い部分もしっかり描き込んであるのが分かる。女の顔である。顔の左の部分は汚損しているのか、不自然な縦線が上から下に大きく付いている。この液だれのような縦線の下端には大きな水滴型の蛇の頭があり、白い点の眼が二つ付いている。よく見ると縦に降りて来る物だけでなく、頭の中央から額の端・頬の端を蛇が伝っている。左頬は全くの蛇の頭である。口の中から右側に向けて赤い蛇が飛び出している。どうやらこの女の顔や髪の毛は全て蛇で出来ているらしい。
少し引いてみると女の顔に掛かった縦線が、かなり上から降りて来ている紐のように細い蛇である事が分かる(上図右イラスト)。もう一筋右肩にも上から降りて来た細い蛇が描かれている。この蛇は背景の中の黒い大蛇の口から出ている。その他背景の中には大小の蛇が上から垂れて来ている。
女の体も衣服も背景も全てが大小の蛇で出来ており、この事は森羅万象仏で無い部分は無いと言った仏教思想にも通じる。仏とはすなわち蛇である。有機生命体である。
人間の体を動かしているのももしかして脳の作用の表れではなく、無数の細胞あるいは体内細菌の意志が人間を動かしているのかもしれない。
この女は本当に女だろうかと少し疑問を持った。同じレンブラントの「ダナエ」には男性器がほんのかすかな陰影で描かれていたからである。この人物の両乳房は左右が段違いで、左乳房のふくらみがはっきりしない。たくし上げた下着の下に見える下腹部に何か男性器っぽい物が見える。
下腹部を画質変更して左側の円内にイラスト化した物を置いた。ちょっとはっきりしない。男根が下向きになってぶら下がっているようにも見えるし、黒っぽい蛇が下から這い上がって来て女性器のあたりに喰い付いているようにも見える。
次に両腕を見る。左手は全く手の形を見せていない。レンブラントがこんな稚拙な手を描く訳が無い。これは人間の手では無い。この人物の左手は既に無く、蛇どもがそれらしく形を作っているのである(上図左イラスト)。
右手は肘から肩まで(上腕部)が無く、蛇どもがその振りをしている。
大岩の上に置かれた上着は大蛇である。肘に噛み付く者・尻に噛み付く者がいて、その下にひっくり返って何かを咥えている大蛇がいる。金色のそれは人間の手ではないか。失われた左手はここにあった。この赤い大蛇が喰っているのである。
水の中にも欠損した人体の部分が見つかる。まず先ほどの赤い大蛇は下向きの大蛇に変わり、鳥のくちばしのような口の下にあるのは右手の上腕であろう。その手前に横倒しになっている肉隗は女のすねから下の足先。左右が並んで沈んでいる。結局人物の見えてない部分は全て欠けており、バラバラにされて大蛇どもに喰われている。この足先にも左右や上から大蛇が迫って来て口を付けている。
画面全体を大きく見るとまた別の物が見えて来る。背景部分は何通りにも見る事が出来、二例を揚げた(上図イラスト)。
左のイラスト。大蛇が画面上から右側にくねり降りて来て、女の背後下の上腕部肉隗を喰う(赤色で描いた)。左上部からも大蛇が降りて来て女の肩に喰い付く(黄緑)。女の真後ろから頭を咥える奴もいる(青)。画面左からやって来て女の尻にかぶりつく奴もいる(緑)。こいつは同時に女の左手をも喰っている。
右のイラスト。画面いっぱいに巨大な蛇の頭がある。その上に少し小さな大蛇が乗っている。そいつの口から出たやつが女の頭に喰い付く。画面いっぱいの巨大蛇の口から真正面を向いた巨大蛇がおり、そいつの口からまた別の巨大蛇が吐き出される。そいつは振り向きざまに女の尻あたりを齧る。こちらの奴は女の手や足のパーツには目もくれず、体全体を喰おうとしている。
こんなにはっきり巨大な蛇が描かれているのが人々には見えないのだろうか。UFOの存在を信じない人は実際にそれを見ても認識しないと言う。だから名画の中に巨大な蛇が描かれていても見えず、自分にとって都合の良い物だけしか見ようとしない。
巨大な蛇が人間を喰っている絵を見ても、「そんな馬鹿なことが実際にあるはずがない」と見て見ぬふりをする。生まれた時からの教育で洗脳されているから、そんな一般常識でしか考えようとしない。現実を自分の眼で見ようとはせず、一般常識からはずれる事を恐れている。自分の眼に見えた物だけが真実であり、教育・マスコミ・有識者の意見等常識になっているような他人に教えられる事はほとんど全てが違うのだ。騙されているのだ。