名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ルノワール 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」 可愛さの奥に恐ろしい隠し絵

山田五郎のYou Tubeチャンネルでこの絵を題材にしていた。この絵は僕も何年か前に調べて、三本指のレプティアン少女だと言ったりしていた。少なくとも現存する人間の少女とは別物であるとの思いは今でも変わらない。

山田五郎は名画に関するゴシップ的な周辺情報を面白く伝えるのが得意なのだが、絵その物に関しての評論に乏しい。この絵に関しても少女の肌の質感が非常に巧みに表現されていること以外言ってない。身体・髪の毛・背景部分は雑に描いて顔をその分際立たせているくらいしか言ってない。背景が何故こんなにもうっそうとした木の茂みなのか、髪の毛が尋常でないくらいに、実生活では邪魔になって仕方ないだろうと思えるくらいにぼうぼうと膨らんでいるのか、などの事は説明しない。

良く見てみればもっとおかしな部分があるだろうに。気付かないのか。

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」(可愛いイレーヌ) 1880年 ファンデーションEGピエールコレクション

鑑賞者は少女のあまりにも可愛く美しい事に心を奪われて。他の部分は全く見ていないのかもしれない。

今言った事に他に、肩の位置が下すぎる。尻の所に白いリボンがあるようだがそこに変な白い膨らみがある。頭に青い魚の形の髪留めがあって何か不思議だ(日本では生臭そうなので、こう言う物は無いだろう)。背もたれの無い椅子に腰かけているのか。

白い肌はただ白いだけではなく、所々に赤い斑点が見える。血管が透けて見えるのか、そばかすのような物が見えるのか。

下唇に付いている赤い色は何を意味しているのか。

閉じた口から何か赤い物が飛び出している? 

暗い背景でも唇から何か出ているらしい事が分かる。

血の滴るような生肉を喰っているのか。小さい人間が見えるようで見えない。頬に付いているのは飛び散った血痕ではないのか。

イラスト化しながらより良く観察して行くとこんな絵になった。顎の際に沿って流れているのは血なのだろう。こういう微妙な陰影の表現は、決して偶然筆先で生まれるものでは無い。どういう技法かは知らないけれども、少女の顔を表現しながらまた別の画題を重ねて表現している。作者の意図は少女の可愛さ・美しさを表すと共に「人間は蛇型生命体に喰われる存在、巨人族には実際喰われていた。」事をも表す。

三本指の手。トカゲやニワトリと同じである。

何年か前に調べた時のイラスト。解像度の低い画像しかなかったのでこれ以上の事は見られなかった。

今回、WIKIPEDIA COMMONSに高画質画像が発見できたので、イラスト化し直した。指の一本一本が蛇で出来ており、その蛇の口先に小さな人間は咥えられているのが見えた。

爬虫類生命体の思考法が分かりにくい。一つの絵での中で、二つ三つの主張を同時に描き込んであるから。ここでは少女の手を描きながら、その指一本一本が蛇や小さな人間で構成されており、、これは少女が有機生物を食糧としている事を説明している。そしてその蛇が口先に小さな人間を咥えているのは、蛇自体が人間と言う有機物を食糧としている事を表現している。少女の手の中に蛇が含まれ、その蛇の中に人間が含まれる。食物連鎖のような事を絵の中に同時に重ね合わせて表現している。

豊かすぎる赤毛の髪にはこんな画像が隠れていると思う。少女の肩の膨らみが隠された人間の尻の膨らみである。人間は四体ほど見え、上二体と下二体がそれぞれ交尾をしていると思える。

少女の下半身、スカートの部分にも同様に四体ほどの人間が後背位で交尾しながら存在している(僕にはこう見える)。ちょうど少女の両手で押さえつけられて捕まっている状態である。

画面向かって右上、背景の木の繁茂の中にこんな絵が隠されていた。

向かって左側には少女の顔に齧り付く巨大な蛇が見える(こうは見えない人も多いかもしれないが、僕にはこう見えた)。

全体図。少女の前方、後方に巨大な蛇がいて、彼女に齧り付いている。肩の所に大蛇がおり、人間の腕を咥えてあたかも少女の手であるかのようにしている。少女は頭も大蛇に咥えられている。実質少女は顔と両手が大蛇に支えられてその位置にあり、それらしく見せている。バラバラに解体され、喰われる運命にある事を示唆しているのだろう。

少女の下半身は本来あるべき所に無いとなれば、何処にあるのだろう・・・・背景の中にあった。少女の右上は上から降りて来る巨大蛇だけでなく、彼女の下半身も表現していた。少女の尻から下の部分が後ろ向きになって吊り下げられている。

もう一体下半身が吊られているのが見える。向かって左側である。想像だがこれは右の彼女の下半身に性交しようとする男の下半身ではないか。他の名画でも、必ず人間の繁殖を促す隠し絵があったから、ここでもそれがあるはずだと思う。

鑑賞者を美しさ・可愛さで虜にしながらその実恐怖の真実を隠し込んである、残酷な絵である。人間を惹きつけてから洗脳(家畜としての教育)を施す・・・・これがいつもの奴らのやり方である。

 

ルノワール「読書をする少女」 ホラー 下から生える手

ルネッサンス期の絵画から離れて、近代の印象派絵画を観る。

ピエール・オーギュスト・ルノワール 「読書をする少女」 1890年 ヒューストン美術館(アメリカ合衆国)

椅子に座って読書をする少女の絵。ルノワールの絵は、時にホラー映画のような不気味な表現が見られるのだが、これもその一つ。そもそも画面下半分が赤色で染まっている事からしてその辺のことを予感させる。

右腕を椅子のひじ掛けに乗せて肩をうんと盛り上げさせているのだが、どうだろう。実際にこんなにも肩を上げながらだとこんな形になるのだろうか。少し無理が無いか。

左腕は胴体の向こう側に見えている部分か。変に真っ赤ではないか。そこだけ服の色とは違う。

衣類の中の身体だけを想像してイラスト化してみたけれども、どうもうまく身体が繋がらない。胴体と首、手が繋がってないのではないか。右肩は上すぎるし、首も後ろすぎる。左手は・・・・下から上に向かって生えている? 肩から左腕と見えるる所は真っ赤な逆向きの手? ルネッサンス期の聖母子像における幼児キリストのように、身体がバラバラに分断されているのではないか。

椅子の形がよく分からない。イラストのような形だろうか。しかしこれだと肘かけの左右の高さが違っていておかしい。

絵画は「絵空事」と言われるように、全体の主張の為には部分的に変形を許される場合があるらしいが、この絵のように形のつじつまが合わないのはどう説明されるのか。少女の左腕だか、椅子のひじ掛けだか、よく分からない。不明確な描き方がされるのはどんな目的の為だろうか(少なくとも画家の空間把握力・デッサン力の不足による物ではない)。

左手の下に続く同じ色の腕と思える繋がり。これは何だ。こんな下から手が生えて本を持っているはずが無い。この絵で一番不気味な部分である。僕には手首が切断されてそこに垂直に立てられているようにしか見えない(他に説明できる人が居たら説明してもらいたい)。

「ピアノに寄る少女たち」1982年 オルセー美術館 (右は部分拡大図)

この絵の中で、手前の少女の左手を掴んでいる別の手があり、何とも不気味であった。「読書する少女」はこれの2年前の作である。

「読書する少女」の口は真っ赤である。よく見ると口の中に何か入っている。何かを喰っているのか、血を吐いているのか。

少女の両手だけでなく、別の人間の手も何本か見つけられる。左腕と見える部分の他に、椅子のひじ掛け部分にも人間の手と思しき物体があるようだ。

それと、壁のカーテンのしわも、まるで剥がされて伸ばされた人間の足の皮のように見える。この少女も手足をバラバラにされて吊るされた食糧であるのか。横浜中華街に行くと、店頭に吊るされたチャーシューが見られるが、それと同じようにここには人間の少女の肉が分断され、吊るされている。

少女の右肩は、腕を咥えた大蛇がいて、そいつの頭の上に別の腕が乗せられているらしい。少女の頭の上にも膝の上にも蛇がいて肉に喰らい付いている。少女の身体自体も、大きな蛇であり、口に人間の頭を咥えているらしい。

大雑把に、単純化してみると、片手を咥える大蛇と、頭を咥える大蛇の2匹がいて、それがこの絵を形作っているのではないか。

何度見ても、この左手の部分は不気味だ。

 

ボッティチェリ「神の子を崇める聖母と5人の天使」 喰われる幼児と少年たち

神は人間の肉を喰い、血を飲む。それは太古の昔から今でも続いている事である。それどころか人間は神の食糧として創造された・・・・と言うのが真実なのかもしれない。なぜなら名画の中にその証拠が見えているから・・・・。人間は生まれた時からその事を考えないように教育されている。先祖代々がそうだから誰も気付かない。家畜は自分が家畜である事を信じない。信じられない思考回路が出来上がっている。

証拠のひとつとしてこんなのはどうだ。

サンドロ・ボッティチェリ 「神の子を崇める聖母と5人の天使」 1485~90年 バルチモアー美術館(アメリカ・メリーランド)

我が子であってもそれが神の子である事を知っている聖母マリアは、手を合わせて彼を崇める。背後には協力する5人の天使が見守っている。一見しただけでは敬虔なキリスト教徒をも納得させそうな美しい光景の絵ではある。

天使たちの背中には翼が無い。無い代わりに変な木の枝が後ろに生えている。木の枝が頭に突き刺さっているような感じで描かれている。ボッティチェリが良く描く美少年たちは恐らくここの幼児と同じく生贄の供物として存在しているのだろう。

全体図を小さくし、ぼかしてみた。

登場人物を無視して絵の中の色や形だけを繋いでみる。薄目にして大雑把に見ると、全く別の物が見えて来る。

僕にはこんな物が見えた(上図右)。聖母の後ろに巨大な爬虫類の顔が迫っている。幼児はそいつの口の端に咥えられて今にも呑み込まれようとしている。聖母が人間の幼児を蛇神に与えている図である。

聖母マリアの顔はどの画家の物であっても非常に冷たい表情になっている。そして口が少し開いていて、口の中の物が少し見えている。また頬が少しだけ膨らんでいる。

これは歯が見えていると言うのではおかしい。丸くて赤い何かを口に入れていると見える。

この幼児、顔は良く描けているが身体が変だと思わないか。下半身が異様に大きい。上下別々の身体を腹の所で繋いだような感じになっている。手足・首もバラバラのパーツを取って付けたようになっている。頭が無脳症のように途中から無く、木の枝が頭頂から左目の下に突き抜けるようにして刺さっている。天使が幼児の頭を支えるようにしているが、頭に当てている半透明の布が何だか脳みそのように見えて仕方がない。5人の天使にも頭に枝が刺さっている様なのは、皆脳に傷を付けられているとしか思えない(脳に刺激を与えて人間をコントロールする?)。

頭蓋を割られて脳が飛び出し、頭から木の枝を突き刺されている。枝の出口では左目が少し飛び出しているし、皮膚も棒に引っ張られて少し外に出ている。

口の中は血へどでいっぱいである。

拡大して良く見ると、天使たちは幼児に何の関心も持ってない様子だ。むしろ自分たちの頭に刺さった木の枝の為に思考が止まってしまっているかのようだ。一番左の少年の頭は脳が露出していないか。

頭にロボトミー手術を施されて意識もうろうとした少年?

新型コロナウィルス以降次々と別のウィルスが蔓延し(サル痘もその一つ)、ワクチン接種が常態となった世界では、遺伝子操作のし放題であり、思考能力を奪われた家畜人間が無数に誕生するのだろう。耳かどこかにマイナンバーを刻んだプレートを付けられ、または体のどこかにチップを埋め込まれて、ひたすら太らされ出荷を待つ存在となる。

もう一度全体図を丁寧にイラスト化した。緑の巨大蛇神が幼児を口に咥えている。また別の、さらに大きな蛇神がその後ろにいた。こいつは聖母の下で捕まっている黒い人間を喰っているらしい。

聖母の身体自体も人間の身体で組み立てられているようだ。聖母の下半身を形作っている人間は、後ろ向きで足を上に上げ尻をこちら側に向けていて、あたかも幼児(イラストで黄色)をその股から産んでいるようにも見える。産まれたばかりの幼児から黒くなった老人まで全ての人間を喰うのだと宣言しているかのようだ。

またこんな風にも見えた(上図真ん中・右)。円形の画面の中で、二匹の蛇が絡み合っている。まるで陰陽五行説の明暗の図(で良かったか、デンデン太鼓の絵柄)のようにも見えた。蛇が交尾する時も二匹が絡み合って、神社の社殿前のしめ縄のようになるらしいから、それをも表しているのかもしれないと思った。

 

ボッティチェリ 「反逆者たちの懲罰」 神を信じない奴は死んでしまえ!

僕の伝え方が良くないのか、人々の生まれながらにしての洗脳が奥深く沁みとおっていて溶けないのか、理解してくれる人は少ないようだ。普通に考えて・・・・この世の支配者は巨大な蛇であり、その食糧として人間が創られ、今でも食べられ続けている。それがこの世である。・・・・などと言う荒唐無稽な説を信じろと言う方が無理があるかもしれない。しかし僕に言わせれば、「ほら、ここにこんなにはっきりと奴らの顔が見えているじゃないか。その口先には人間が咥えられているじゃないか。何故見えないんだ。」・・・・と言う事になる。

なぜそれが見えるのか、理由は分からない。それが真実だとして、なぜ奴らがそれを見えるようにしているのか、それも分からない。分からない事の方が多い。しかし奴らがそこに見えている事は真実であり、奴らの存在を明らかにする一助になるはずだと信じて、この不人気ブログを続けて行こうと思う。

サンドロ・ボッティチェリ 「反逆者たちの懲罰」 1481~1482年 システィーナ礼拝堂

礼拝堂の南壁面にはモーセの物語が有名画家たちの手によって描かれている。多くの人は天井のミケランジェロに見惚れてほとんど見てないだろう。その中のこの絵を選んだのは、この絵に蛇神の顔がはっきりと見えているからである。

三つの場面が一つの絵に同時に描かれている。画面右側には石をぶつけられるモーセが描かれている。モーセに導かれて来た約束の地カナンに入れそうにない事に怒った民衆が彼に石を投げつけている。石を持った手を振り上げる人、怒りに満ちた顔をする人、モーセをかばおうとする人等さまざまである。

この場面の上の空には、雲・木・建物・山で蛇神の顔が形作られている。手前の人間たちをその大きな口で一呑みに呑み込んでしまいそうである。

部分図を小さくし、ぼかしを入れてみた。さらに薄目で見ると見えて来るかもしれない。

初代のローマ教皇を信ぜず反乱したコラの一族は地面に開いた穴に落とされたり、火に焼かれたりして懲罰を与えられた。この部分図の真ん中で手を振り上げているのがモーセらしい。しかし250人もの人を焼き殺したと言うのもすごい話だ。

画面左のこの絵の上方の空にも、蛇神が顔を見せている。空・雲・山・木で作られた神の顔はなかなかリアルではないか。開いた口の中は真っ黒で、下顎は黄色い。建物の向こうから侵入してくる巨大な蛇神が威圧的である。

小さくしてぼかしてみた。建物の隙間から顔を覗かせる巨大蛇。

モーセが火皿を投げ付けているのだろうか、法王を信じようとしないコラ一族を懲らしめている。モーセの後ろでとんがり帽子を被った白髭の人物が初代ローマ法王(今でもシスティーナ礼拝堂で次期法王が決められる)。法王も香炉を手前の男にぶつけるようにしている。教義の事になるとなりふり構わずに相手を攻撃するのは今も昔も変わらない。

画面真ん中のこの部分では、こんな隠し絵が見えた。ドクロである。モーセも法王も自分たちを信じない物は死んでドクロになれと言っているのか(すごい宗教だな)。

全体図。

画面全体を大きく一つにして見るとこんな風に見えた。さらに巨大な蛇の正面顔である。

小さくしてぼかす。こんな風にしても見ようとしない人には見えないのだろう。

また反対に一度そう見えた人には何度見てもそうとしか見れなくなるのだろう。

僕にはこんな風にも見えた。左右の群衆の塊が嫌に繋がりのある線を作り出している事から、この辺に意味のある形が無いかと探ってみたら見えて来た。出産シーンである。人間の女が四つん這いになって子供を産んでいる。そこを後ろから見た図だ。蛇神は人間の死だけでなく、生をも制御していると言う事を示したいのだろう。

 

ボッティチェリ 「ホルフェルネスの発見」 悪魔の顔

人間に恐怖心を抱かせる物のひとつとして「悪魔」・「鬼」と言うのがいる。いると言うのか、それは実在するのかどうか。想像上の架空の存在であるのかもしれない。あるいは神が人間を怖がらせるためにその存在をあえて想像して示しているのかもしれない。ここにもその例が見られる。

サンドロ・ボッティチェリ 「べトリアの町で首をはねられたホロフェルネスの発見」 1470~1472年 ウフィツィ美術館(イタリア・フィレンツェ)

敵将の首をはねて街を救った勇敢な寡婦ユーディットの絵は多く、男の首を持った剣を持つ女(ミケランジェロ、システィーナ礼拝堂天井画等)、または女が首切りをする場面の絵(カラヴァッジョ等)が多い。この絵にはユーディットはおらず、残された首の無い身体を部下が発見した瞬間が描かれている。聖書の中の話である。ヘブライ人よりもアッシリアの軍人の嘆き悲しむ様子が中心となって描かれている。「ヴィーナスの誕生」や「プリマヴェーラ(春)」で有名なボッティチェリだが、首の無い死体をメインに絵を描くなんてちょっと変わり者なのかもしれない。普通なら街を救った勇敢な女を絵にするのが自然だろう。

画面を明るくして一人一人の人物を色を変えて分かり易くしてみた。死体の上に覆いかぶさって倒れかけている赤毛の青年は将軍の息子だろうか。右の方には何故か馬が二頭入り込んでいる。ここはベッドのある部屋の中ではないのか。人物たちは思い思いのポーズを取っているが、それぞれ何の意味があるのか。よく分からないことが多い。

全体図をぼかして小さくし、斜めにしたりしてみた。何か見えて来ないだろうか。

僕にはこんな隠し絵が見えて来た。二つの角を持った「悪魔」の顔である。ちょっと牛のようでもある。ホルフェルネス将軍その他の人間の身体を口の中に入れている。目は嘆く赤毛の青年の甲冑と右の青い服の部下の肩が形作っている。

角と角の間の青い布はまるで魔女の帽子のようである。おまけにこの「悪魔の額には白いドクロが張り付いている。

「玉虫厨子」の背面扉絵でも指摘したが、こちらは「鬼」の絵がさりげなく全体に隠されていた。蛇の頭を二つ重ねて少しずらす事で「鬼」の顔が形作られていた。

現在でも、アニメ・ドラゴンボールZのポスターに似た様な「鬼」または「悪魔」の顔がさりげなく隠れている(目を細めて全体的にぼやかして見ると見える人には見えるだろう)。

「鬼」や「悪魔」は人間を怖がらせるために創られた架空の物である。その実態は蛇神がもたらす幻覚である。

商品を売りつけるためには「限定販売だから早くしないと売り切れるよ!」とか言って焦らせたり、「まだそれを使っているのですか! これならもっと便利なのに!」とか言って購買を押し付けるやり方があるが、それと同じである。人に危機感・恐れを抱かせて何らかの行動をとらせる方法である。新型コロナウィルス・サル痘その他をいかにも恐ろしい物であるかのように宣伝し、ワクチンを打たせたり、行動を制限したりする。騙されてはいけない。人間の元々持っている免疫力を最大限発揮できるように、世の中を自分の目でしっかりと見なければいけない。

YouTubeのニュースを見ていても、おかしいと思えるところが必ずあるはずである。最近の自然災害と言われるニュース、例えば熱海であった土石流災害も、ニュース映像で最初チラッと山上の太陽光発電のソーラーパネルが映っていた。ニュースでは業者の培土のせいで土石流が起きた事にされたのだが、本当の原因はソーラーパネル設置のために樹々が刈り取られた為に起きた災害ではないのか。何年か前の多摩川の氾濫による水害も、土手のソーラーパネルを設置した場所から堤防が決壊しているのでこれも人災であると思う。人災を自然災害であるかのように報道している。

「環境」の為と称される行為はまず疑った方が良い。「地球温暖化」も、ニュースでは盛んにその方向に持って行こうとするが、実は原因が全く違う。最近の猛暑がきついのは、単にエアコンの普及が進み、道路もアスファルトやコンクリートで土を露出させないから起こるヒートアイランド現象による暑さにすぎない。土が雨を吸い込むことが出来ないので、水害も場所によっては一時的に水没する所が出来たりするだけである。