名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ダヴィンチ 「モナリザ」 さらに詳しく 小さな人間を喰う巨人族

Wikipediaのダヴィンチの項の画像に「remastered color, from the Musée du Louvre」と言うのを見つけた。「ルーブル美術館による色彩復元図」と訳せば良いだろうか。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「モナリザ」 1503年~1505年/1507年 ルーブル美術館

実際の表面洗浄等による修復では無く、コンピュータによる画像処理と思える。

3221×4782ピクセルの高画質で、細かい所までよく見える(縦10000ピクセル前後の画像もあるが、僕の安い中国製パソコンでは処理スピードが追い付かず、ソフトがフリーズしてしまって使えない)。特に婦人の左腕の辺りのモヤっとした部分が捉え易い。この左腕部分は、椅子の背もたれがあるのか、半透明のショールが垂れているのか、よく分からない不明確な表現であり、前から疑問に思っていた。保護用のニスの反射で無い事ははっきりわかる。

Wikipediaには他の画像が並べられている。カメラの具合、画像処理の具合によって随分印象が違う。

この世界的に有名な絵に関して、素朴な疑問として挙げられるのは、何故背景がこんなに荒涼とした景色なのか・婦人の肩が極端に落ちてなで肩なのは何故か・両手の位置が下すぎないか・何故眉毛が無いのか・左目の目元にレオナルドの自画像と同じイボがあるのは何故か等である。

それに加えて自身で調べた結果、婦人の口は血の色が付いており何かを咥えているし頬も少し膨らんでいる・肩や腕に大蛇が巻き付いている・手の先や腹に小さい人間を捕まえて押さえている。すなわちこの絵の婦人は人間を食糧とする種族(巨人族)を描いた物では無いかと言う事である。また婦人は蛇の仲間(遺伝子的に近い存在)である。

何度も調べ、描き直しているが、前回のイラストはこんなだった。世界中の名画をぐるっと調べまわして来て、結局ダヴィンチの作品に戻ってくる。戻る都度新しい発見がある。今回もまた新しい視点で、イラストも描き直しながら調べて行きたい。

肌の色、白目の色が輝きを取り戻して美しさが増したように感じる。しかし口の端から何かが垂れているのは見逃せない。口の右端、左頬上の縦線は経年劣化による物とは思えない。天を指さす「洗礼者ヨハネ」も、「聖アンと聖母子」も同じように口から血のような物を垂れさせていたではないか。

改めてイラスト化してみた。見る都度若干の違いが出るが、口から小さな人間の足らしき物が見えているのは同じである。また上下の唇の間に何か挟まっているように見えるのも同じだ。蛇と同じような「牙」さえ見える。口角が上がって「微笑み」に見えるのは口の端に血が溜まっているからではないか。

この部分が一番怪しい。詳しく見て行こう。

右手の人差し指の先の輪郭線が二重になっているのは、描き損じを修正したのではなく、指の下にいる小さな人間を押さえ付けているのではないか。他の指の間にも何か小さな人間の身体の部位が見えているのではないか。下にした左手も、指の間に何かを挟んでいる。指先で何かを押さえている。

イラスト化するとこうなる。小さな人間を逃がさないように押さえ付けているように見えないだろうか。

またこの手、どうも不自然で、三本指の手の外側に指の太さの蛇が付いているようにも見える。爬虫類の恐竜やその子孫の鳥のように三本指なのではないか(爬虫類遺伝子を強く受け継いでいる事を示している?)。

左手の肘の辺りには、大蛇が二匹いるようだ。赤い蛇は肩から下りて来て婦人の千切れた手を咥えて支えている。青い蛇はその外側にいて、小さな人間を口に咥えている。二匹の蛇が重なってお互いに透けて見える。

右手に肘あたりには青い蛇が巻き付いている。「白貂を抱く婦人」の右肘と同じである。また同時に切断された右手を口に咥える大蛇をも表している。

画面下半分をまとめてイラスト化。やはりこの両手、肩の所で切れており、下にずれている。その手が小さな人間を押さえている。

全体図にしてイラスト化。体中に蛇が巻き付いている。その蛇たちは口先に必ず小さな人間を咥えている。

分かり易くしてみた。青い蛇・赤い蛇が何匹も絡みついているようだ。婦人は小さな人間を何処からか捕まえて来て押さえている。神への生贄の為だろう。彼女自身も人間を食糧としている。そして彼女自身、いずれは手足を千切られ呑まれてしまう運命にある。

婦人の下半身を呑み込む巨大な爬虫類の顔が見える。

 

ダヴィンチ 「白貂を抱く貴婦人」 神が呑み込みやすいように人間は解体しておく

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「白貂(テン)を抱く貴婦人」 1490年頃 チャルストリキ美術館(ポーランド)

レオナルドのほぼ真作とされている。ミラノ公何某の愛人の肖像画だと言う。

背景が暗すぎて分かりにくいので明るくしてみる。 

端正な顔立ちの婦人が綺麗に見えて来た。背後に何らかの文字が描かれているが読めない。白貂の胴が異様に長い。婦人の右手が魔女のようにゴツゴツしている。

婦人の背中の肉は異様に盛り上がり、極端ななで肩である。左手の位置が何とも下すぎないか。

部分図にすると少しは分かり易いかもしれない。左手は、肩から下が本来の位置から下にずれている。それはあたかも肩から手を切断し、ずれ落ちているかのようになっている。右手の方も上腕の膨らみが下にずれている。

前回の「キリストの洗礼」のヨハネ。両手共に本来の位置からずれている。この右手は何度見ても違和感を抱く。

ドミニク・アングル 「ドーソンヴィル伯爵夫人」(部分) 1845年 フリック・コレクション

この絵の場合、右手の位置が下がりすぎているのが分かると思う。右手と比べて明らかに左手の上腕が長すぎる。イラストのように肩の辺りで切断されていると疑ってみた方が自然だと思う。

「モナリザ」においても、両手の位置が下がっていると思わないか。極端ななで肩で、背中の肉が異様に盛り上がっているのにも気付かないか。

エドゥアール・マネ 「オランピア」1865年オルセー美術館(パリ)

左手は身体にくっ付いて無いのが分かるだろう。右手は肩の所で、頭部も首の所で微妙にずれており、胴体と離れているらしい事が示されている。

ポール・セザンヌ 「赤いチョッキの少年」1880年 ヴァルラフ・リヒャルツ美術館(ドイツ)

ここまではっきりと異様に長い手は他では見られない。少年の肩は腕を咥えた爬虫類の顔と思わしき口が見える。両目も見える。咥えられた腕は肩あたりで筋肉組織が崩れて伸びている。

少年の下半身は机の下なのか、上なのかが分からない。このおかしな形の机には良く見ると人間の形がいくつか見つかる。少年の手はこの人間たちを押さえるようにして置かれている事が分かる。左手の肘もまた人間の身体を押さえ付けている。

ダヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」に戻る。腕がおかしいこと以外にこの白貂がおかしい。「貂」と言う動物は良く知らないが、毛皮にされるのでもう少し毛がふさふさしていても良いのではないか。この絵ではまるで胴長のネズミのようだ。

それにこの婦人の手、およそ女性的ではないし、手の中に何かが隠れているようでもある。

イラスト化しながらよく見てみた。やはり手の中にいるのは小さな人間であり、白貂とかではない。小さな人間が数体組み合わさってこの白貂の形を作っている。貂の頭だけは耳を目とする大蛇の頭となっている。貂の目は喰われる人間の尻から産まれ出ている子供だろう。この貴婦人は蛇に人間を与えているらしい。

全体図にする。婦人の身体は大蛇数体の組み合わせで出来ている。婦人は白貂を抱いているのではなく、白蛇を抱いているらしい。

背景の中にかろうじて上から降りて来る巨大蛇神が見える。婦人の頭の上で髪の毛のように張り付いている人間を喰っている。また婦人自体をも喰っている。

背景の中にこの婦人の物か、下半身がぶら下がっている。上にいる巨大蛇に喰われているらしい。

もう少し分かり易く描いてみた。婦人は白蛇を手に巻き付けながら抱いている。この辺り、「モナリザ」とよく似ている。「モナリザ」も右手に蛇を巻き付けているから。

両手は既に喰い千切られ、上腕の所にいる大蛇の口に咥えられている。

蛇神が呑み込みやすいように準備係があらかじめ人間の手足を千切っておいてやるらしい。準備係と言うのはもちろん絵の登場人物、ここでは「貴婦人」であり、「白蛇」である。





 

ダヴィンチ 「キリストの洗礼」 少年たちもヨハネも神の食糧。手足を切断して呑み込む。

この作品は何度も見て来たが、Wikipediaに「Remasterd Color」版を見つけ、なかなか解像度が高いのでまた調べてみた。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「キリストの洗礼」 1472年~75年 ウフィツィ美術館(スペイン)

ダヴィンチが20代前半くらいの時の、ヴェロッキョ工房にいた時の作品で、師匠との合作と言われている。

このキリストはチンチンが丸出しであると何度も言っているのだが、誰も反応してくれない。一日のアクセス数100人くらいのこの小さなブログでは誰も気付いてくれないのだろう。元絵のコントラストを少し変えるだけでこんなにはっきりとチンチンが見える。こちら向きに突き出ていて、その影が腰布の上に出来ている。

ダヴィンチはキリスト教の画題を決して真面目に描こうとはしていない。

今回のイエスの部分図から、口の下に何か得体のしれないものが垂れているのが見えた。首の後ろから顔を覗かせる黒い蛇がいるようでもあるし、合わせた手の上に小さな人間がいるようにも見える。こいつはやはり何かを喰っているらしい。

十字架を持ち、毛皮の着物を着ているのは洗礼者ヨハネ。左手の先から字の書かれたリボンが見えるが、これはヨハネ自身の腕の皮だろう。皮がはがれているだけでなく、このヨハネの手足は本来あるべき位置から微妙にずれており、それが切断されている事を示している。左肩は下に落ちているし、右腕も変に離れて違和感がある。白い布の不思議な形は、そこに捕まえた人間を抱えているからのようだ。

二人の少年。向かって左の少年がレオナルドの描いた物で、右が師匠が描いた物とか言われるが本当の所はどうだろう。顔面を殴られた少年の顔としてはどちらもそん色なくリアルに描けていると思う。右の少年の右目は目の周りにあざが出来るほど痛めつけられたらしく、目が死んでいる。左の少年の左目も腫れている。

この子供たちはイエス・キリストの衣を持って待機しているだけでなく、神への生贄の為に力づくでここに居させられている。

左の少年の向こう側の脚は、膝を立てているのではなく、イラストのように途中から切られてその切断面を見せている。少年は右足一本で身体を支えている。左足の先は川の水の中に沈んでいる。

右の少年は上半身しか描かれていないが、下半身は恐らく川の中だろう。

イエスとヨハネの脚の間には、恐竜にも見える怪物の頭がある。川の中の何か(人間の身体のパーツらしき物)を口に入れている。

イエスの足の下にあるのは、先ほどの右側の少年の下半身。ヨハネの足元にも別の人間の身体が沈んでいる。捕まえた人間を押さえて逃がさないようにしているかのようだ。

イエスの足元に沈んでいる少年の下半身・・・・と思えばそう見えて来ないか。綺麗な尻の形が辿れる。

さらに重ねて切断された別の人間の片足が転がっているようにも見える。

この絵の不思議な所はこの辺である。UFOらしき物体が背景の中にやたら目に付く。後世の人によってそれが鳥に見えるように修復されてはいるが、それでもアダムスキー型UFOの形が残っている。着陸した機体もあるようだ、

ヨハネの背後の山の上にUFOが駐機している。

ヨハネの背後の穴の入口のある岩山は、恐らく少年たちを捕まえて閉じ込めていた牢獄だろう。神への生贄の為の貯蔵庫・いわば食糧庫が岩で作られているのだろう。

全体図。イエス・キリストの洗礼の儀式のように見せて実は神の食事風景を描いてある。神はUFOに乗って空からやってくるらしい。

神の姿は良く見えないが、おそらくこんなではないか。

 

ダヴィンチ 「洗礼者聖ヨハネ」 蛇を抱いた蛇の化身

名画はわざと暗くしてそれを見つけにくくしてあるのか。背景がやたら暗い物が多い。レンブラントなどもそうだが、ダヴィンチのこの作品などもそうである。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「洗礼者聖ヨハネ」 1514年頃 ルーブル美術館

Wikipediaにあった画像を明るく処理して、コントラストを変えて見たりすると何やら不思議な形が浮かび上がってくる。洗礼者ヨハネを象徴する持ち物としての十字架や、毛皮の着物がはっきりとし出した。

真ん中はWikipediaで見つけた「Remastered color」(黒ずんだニスを洗い流して修復した物?)版。右側はそれをさらに画像処理した物。

こうして見て来ると、ヨハネが手に抱えている毛皮の着物は、衣類では無く大蛇に見えて来る。この不思議な髪型も、頭に大蛇が乗っているように見える。さらに天を指さす右手の背後に何者かが隠れているらしい。

この絵を見ていつも感じるのだが、ヨハネのこのニヤけた表情、何なんだろうか。意味ありげな、含み笑いをしているような、鑑賞する者はあまり愉快にはならないだろう。

口から何か血のような物が流れているのは、「聖アンナと聖母子」と同じである。首の真ん中に付いている縦線ははっきりと赤い。長い年月の間に付いた損傷だと言うのか。

口を拡大すると、明らかに何かが挟まっている。不二家のペコちゃんのように舌なめずりをしている? まさか。これは聖人の顔だぞ。

生肉を喰ってその血が流れ出ていると言う説明が最もしっくりくる。自分たちが教えられた常識とはかけ離れているが、この説以外に説明が付かない。誰かが描き加えたとも思えない。

口の間に牙らしき物も見えている。

ヨハネの目が鑑賞者の方に真っ直ぐに向いている。右目は強者が威嚇するような目で、左目は催眠術師が幻惑させるようなトロンとした目である。この両目は笑ってない。

「モナ・リザ」 1503年~1507年 ルーブル美術館

ヨハネの左目の目元に、「モナ・リザ」の目と同じイボがある。何だろう。

ヨハネは男だろうが、このヨハネの身体は福々しく柔らかそうで、女性的だ。顔も女性だと言えばそう見えるし、この仕草も乳房を隠しているように見えなくもない。

男女の区別がまだついてない時代の、原初の人間(巨人族)を描いているのかもしれない。

毛皮の着物の所をイラスト化してみた。大蛇がヨハネの身体に巻き付いているし、あちこちに小さな人間が捕まっている。大蛇の頭に見えたり、小さな人間に見えたりする部分があって分かりにくい。

上方からさらに大きな蛇が降りて来て、小さな人間に口を付けているようだ。

ヨハネはこの蛇たちに小さな人間を喰わせているようだ。

十字架の背後にいる大きな蛇に小さな人間を喰わせている。ヨハネ自身もそのおこぼれをもらって人間を口に入れているらしい。

ヨハネは右手人差し指で天を指差し、「人間たちよ! お前たちは天から来るこの生命体の餌になるべく生まれて来たのだ。」とでも言っているのだろうか。

全体図のイラスト化。

ヨハネの身体に巻き付く大蛇は胴体と頭がどう繋がっているのかが不明確でわかりにくいが、こうではないかと想像してみた。右わき下に胴体を見せている蛇の頭は左手の横に見えている。ヨハネの頭を這う大蛇の頭は左手の下まで垂れた大きな頭だと見た(ヨハネには2匹の大蛇が巻き付いている)。

天を指す右手の背後に真っ黒な巨大蛇がいる。天から降りてきたようだ。まるでヨハネが愛馬に餌を与えているような形で蛇神に人間を与えている。

 

この大きな蛇の右目にヨハネの持つ十字架の棒が突き刺さって(下まで突き抜けて)いるように見える。他の名画でも時々同じような形を見る事があるのが僕には前から疑問に思っていた。「蛇の目」と言うのは獲物を威嚇し、動けなくして丸呑みする為の武器である。その目をつぶされては蛇は戦えない。食い物も喰えずに餓死するしかない。ダヴィンチは喰われる存在である人間に同情して、巨大蛇神と戦う方法を示唆してくれている可能性がある。つまり・・・・「奴らの目を見ないようにしろ!」・「奴らの目をつぶせ!」だろうか。とりあえず奴らの洗脳装置であるテレビを見ない事かな?

こんな風にも見えた。ヨハネ自身も巨大な蛇に呑まれている。彼の下半身は背後にあるのか。

まだまだ隠し絵がありそうだ。またいつか見直したら見えて来る物もあるだろう。

 

ダヴィンチ 「ブノアの聖母」 幼児を喰う聖母

世の中、少し見ただけでは誤解をしかねない所が随所にある。フェルメールの絵の室内の空気感に魅了されたり、モネの絵の光の移ろい表現に感心したり、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵の女性の肌の質感に人間が絵筆で描いたとは思えないほどの天才性を見出したりするが、それら見る人を惹き引き付ける表現は人を惹き付ける為だけの物であって、より深く見ると別の物が見えて来る。

この絵などは若い聖母の滑らかな肌と輝くような笑顔、その膝の上でころころと健康的に太った幼子イエスが花を与えられて遊んでいる様子が微笑ましい・・・・と、一般の人々は思うだろう。実際に時間を掛けて見続けていると別の物(隠し絵)が見えて来る。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「ブノアの聖母」1478年 エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルグ)

上左が Google Arts & Cultureからの物、上右がWikipediaからの物。どちらも明るくし、コントラストを少し強調した。色合いが若干違う。

不思議な構図である。前回見た「カーネーションの聖母」とは左右逆になっている。聖母の右足がこちら側に長く見えている。まるでジーンズを履いている様であり、腰に金色のペチコートのしわ(降誕の象徴)を見せている。イエスの尻の下にあるのはクッションのような物か。左足はどこか分からない。イエスは豚の子のように良く太り、素っ裸である。イエスの腹に透明な布を巻き付け、それを左手でまとめてイエスの身体を支えるようにして持っている。聖母の右手に小さな白い花があり、それをイエスに見せているようだ。

聖母の下半身の表現が謎である。スカートらしくない。下着が腰の上に出ている。長椅子に座っているのか、テーブルの上に尻を乗せているのか。イエスの下のクッションの丸みは二つほどあるが、どちらかが聖母の左足の膝なのか。またイエスの下半身のデッサンが狂っていて、尻の形がおかしいし、上半身とうまく繋がってない。レオナルドがこんな不格好な尻の形を描くのはおかしい。

高画質な元絵が手に入らなかったので詳細が分からない。全体図を部分的に拡大してみたらこんな風に見えた。聖母の口から何かが下に垂れている。口の中に見えているのは歯では無いようだ。歯にしては変に赤いし、一本一本分かれてない。何だかよく分からないが半透明の何かがぶら下がっている。頬も膨らんでいるから何かを喰っているのではないか。口角が上がって遠目には笑っているように見えるが、口の両端に血が付いていてそう見えているのではないのか。

左肩に掛けた上着が人の手のようだ。

幼児の顔は無表情である。身体が裕福な家の子のように良く太っている。人間の罪を一身に背負って死んで行く救世主の表現としてはこれで良いのか。無理やり太らされた家畜の豚のようである。右手の先の色が悪い。青黒く変色している。この両手・首は切断されているのかもしれない。

幼児は口から血を出しているのか。首は切断された物がそれらしく置かれているだけか。あるいは首に赤い蛇が巻き付いているのかもしれない。

右肩の付け根には切断線が見える。花の葉の線と並んでいるので見つけにくい。

幼児の背中に置かれた聖母の左手。ヴェールのような透明な布を握って幼児の身体を支えているようにも見える。また右手に持った花の予備をまとめて持っているようにも見える。緑色の葉が束ねられている。

ラファエロ・サンティ 「カーネーションの聖母」 1506~07年頃 ナショナルギャラリー・ロンドン

後にラファエロが模写するようにして同様な画題の絵を描いている。ここでは聖母は左手に別の花を持っている。

ダヴィンチ 「聖アンナと聖母子」 1510年頃 ルーブル美術館

しかし「ブノアの聖母」の左手の形はどこかで見た事があった。この絵のイエスの左手と同じ形なのである。ここではイエスは生贄の子羊の耳を掴んで捕まえているように見えるが、よく見ると実際にはイエスは手に短刀を持っていて羊の頭に突き刺しているのである。

だから「ブノアの聖母」でも、生贄の幼児の背中に聖母が短刀を突き立てていると言うのが本当だろう。聖母が生贄の人間の幼児を切り刻んで喰うのだと作者は暗示している。

全体図をイラスト化してみた。前回「カーネーションの聖母」と同じように聖母は二匹の大蛇が絡み合って形作っているようだ。そいつらが空から降りて来て人間の幼児を切り刻みながら喰う図である。聖母の下半身はどうやら子作りをしている人間が隠れているらしい。

こんな風にも見えた。上から降りて来た巨大な蛇が大口を開けて幼児やその他の人間を喰っている。目を細めて元絵を見ると、見える人には見えると思う。

小さくしたり、色を無くしたり、ぼかしたりするとこんなイラストが描けた。

またこんな人喰いの化け物の絵にも見えた(少しやりすぎかもしれないが)。長い黒髪の、目の白い化け物である。幽霊や妖怪伝説は、暗がりで見たこんな物が始まりなのかもしれない。

 

人々を惹きつける魅惑的な聖母子像。若くて健康的な母子につい人は見入ってしまうが、そこが狙い目であり、惹きつけられた人はいつの間にか神への生贄礼賛信者になってしまっている。何も考えずに神の身体の栄養物になる事に至福の喜びを感じるようになる。よくよく目を見開いて、時間をじっくりと描けてその物を良く見る事が肝要である。パッと見や感じでその人・物を判断してはいけない。