名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ボス 「快楽の園」 神の推奨する現世の在り方

西洋画で「極楽図」・「天国の絵」と言えば、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画と共の思い出すのがこの絵である。

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ヒエロニムス・ボス 「快楽の園」 1503~1504年(他説あり) プラド美術館(スペイン・マドリード)

三連祭壇画で、左扉にエデンの園でのアダムとイヴ、中央に現世、右扉に地獄が描かれている。つまり人間の過去・現在・未来が表されている。人間がどうして産まれ、どのように生き、何処へ行くのかをボスの視点で描かれている。

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前景。アダムとイヴ以降、人間はひたすら異性を求め、享楽にうつつを抜かす事に専念して来た。真面目くさった顔で仕事をしていても、結局我が家庭、我が子孫の繁栄のみを願ってそれぞれが繁殖行為に励んできた。

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中景。真ん中の池に美女がいる。男たちは馬等に乗り、彼女たちの周りを駆け巡る。人生は祭りのように楽しければよい。娯楽と癒し、いわば快楽を追求するのが人生である。

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遠景。文明の最先端のスマホやゲーム機器は良いおもちゃである。電車に乗りながら、歩きながら、自転車に乗りながら操作して事故を起こす。ラインやメールを絶えず確認していなければ、ネットに繋がっていなければ不安になる。最先端機器の向こうには何者かによる洗脳がうかがえる。大事なことから目をそらさせている。

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左扉内側。エデンの園。神がアダムにイヴを紹介しくっつけようとしている。その手前では猫がネズミを捕まえる等、鳥や動物たちが捕食活動を盛んにしている。

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左扉内側全体。アダムとイヴをくっつけて繁殖させ、人間を増やすつもりなのだが、その人間を捕食しようと狙っている生物がいる。背後の樹々や丘は大きく見ると巨大な蛇の形をも表しているのだ。捕食されるのはネズミや虫たちばかりでない。人間も捕らえられ、喰われる存在なのだとこの絵は説明している。アダムを作り、イヴを与えたのはその子孫たちを食糧とする為だと言っている。

人間の繁殖を図るため、真ん中の絵で神は快楽に溺れる人間を礼賛する。

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右側扉内側。「樹幹人間」とか「耳の戦車」とかいろいろと名付けられているが、要するに人間の身体の解体である。ナイフや包丁がそれを象徴している。

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快楽の園で享楽的に生きて来た人間は地獄に落ちて身体を切り刻まれる。遠景に見える地獄の業火によって焼かれるのだろうか。手前右下にいる「地獄の王子」が人間を口から呑み込む。

全体的に大きく見るとここにも巨大な蛇がいるようだ。中々捉え難くてイラスト化がうまく行かない。ふわっとした捉え方で、大体こんな感じで巨大蛇の顔が並んでいるのではないかと・・・・。

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真ん中の絵にも巨大蛇の顔が見えている。画面いっぱいの大きなもの、小さめの物、上下縦に並んでいる物等、数匹が重ねて描かれているようで捉えにくい。いずれにしろ画面下端の人間たちを巨大蛇が口に入れると言う約束は守られている。

ここでは人間たちは解体されず生のまま呑まれて食されているようだ。

この祭壇画を見て、巨大な蛇に人間が襲われている図が見えると言う人は僕以外にいなのだろう。美術館の閉館後、暗くなってから見廻りのガードマンがこの絵を見て恐怖を感じる事は無いのだろう。一度それに見えてしまえばもうそれにしか見えないのだが・・・・。

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千手観音像 絹本着色 平安時代・12世紀 東京国立博物館

日本の国宝である。国民皆の税金を使って保管している絵である。この絵など蛇が鎌首をもたげて、人型の化け物(鬼とか悪魔とか言われる物)になっているのがはっきりと見えるではないか。東博の学芸員は夜中に見回りをして、懐中電灯でこの絵を見たら、恐ろしい鬼の顔が見えて驚くと思うのだが・・・・。そういう話は伝わってこない。

要するに西洋のキリスト教であっても、日本の仏教であっても、こう言う蛇に似た生命体が神を騙(かた)って人間をだましているのだ。

 

正月は一週間ほど入院し、手術をするのでしばらくの間ブログは休みになります。

「極楽浄土」とはどんなところ?

「フランダースの犬」の少年が天使によって昇って行った先の「天国」とはどんなところなのだろうか。自分自身後10年もしない内には行くかもしれないので興味がある(或いは地獄かもしれないが・・・・)。

日本の仏教ではそれは「極楽浄土」と言う。奈良博にあるこの重要文化財に描かれている。

f:id:curlchigasaki:20211229183546j:plain絹本著色浄土曼荼羅図(伝清海曼荼羅)1幅 絹本 著色 金箔 截金 掛幅    縦162.1 横134.0 平安時代・12世紀 奈良国立博物館

極楽寺(奈良)伝来とされる。

損傷が激しく、大雑把な形しか見えないが、全体の隠し絵は今も良く残っていると思える。

極楽浄土が描き表わされていて、中央に阿弥陀如来が手に印を作って蓮の座に座っている。 建物や池、舞楽を奏でる人々が大勢描かれている。差し詰め美しい人々や蓮の花に囲まれ、優し気な歌舞音曲の流れる、さぞ心地よい所なのだろう。

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左は元絵を明るくして小さくした物。右はそれの色を取った物。こうして小さくしてみると、全体で何が隠されているかが少しは見えて来るのではないか。

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阿弥陀様は多くの人々に囲まれているが、その辺りを大雑把に捉えると、巨大な蛇の頭に阿弥陀如来が乗っていると見える。蛇は真正面を向いている。阿弥陀の背後にも巨大蛇がおり、大きな口を開けている。

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画面上半分。阿弥陀の後ろの建物の屋根が、巨大な蛇の目や輪郭を形作っている。

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画面下半分。阿弥陀の乗った巨大蛇によって、画面下端の人間たちが喰われている・・・・ように僕には見える。

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全体で見るとこんなイラストが描けた。

静かで心地よいイメージの「極楽浄土」も、ここでは阿鼻叫喚の地獄絵図そのものである。蛇型生命体の餌になる事が人生の目的であるかのように人間を導く。そのためにこの絵は描かれている。その日が来るまでは別世界に行けることを楽しみにしているように人間たちを騙しておく。この事は誰にもバラしてはいけない。家畜は家畜としてその命を終わらせてやるのだ。もちろん大抵の人は繁殖用で、生の終わりに直接喰われるのではないかもしれない。しかし子孫繁栄をひたすら図っていても結局は奴らに食肉を提供してりことに変わりが無い。今日もどこかで分からないように、奴らに喰われている人間がいるのだろう。病院とかも秘密裏に何事かが成されているのかもしれない。

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こちらは飛鳥時代、法隆寺の玉虫厨子。これにも「極楽」が描かれている。

上図右は厨子の下の段、須須弥座正面の「舎利供養図」。坊さんが二人対面して仏舎利を供養しているらしいのだが、全体図を全体でぱっと見で見ると、明らかに「鬼」の顔(正面)に見える。坊主が目で、舎利容器の台座が口である。実は巨大な蛇が上下にずれて描かれていて、「鬼」の角に見えるのは、上の蛇の咥えている天女(生贄の人間)二人である。

厨子の全体を写した写真で、この「舎利供養図」を眺めていると、「鬼」の伝説が生まれたきっかけはこんな蛇の二段重ねの画像からであったのかと推測できる。

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「鬼」の顔の裏側、須弥座背面にこの絵がある。「須弥山世界図」である。「極楽浄土」の中央にそびえたつと言う山の絵が描いてある。いわば「天国」の中心とも言える。

山の手前に入口の建物。山を登って行くとまた別の建物。一番上はどこに繋がっているのか、何分7世紀の物なので損傷があり、判別が難しい。

僕の目にはこう見えた。視覚は脳を経由しているから、思い込んだ通りの図像が見えて来るとも言う。これはどうだろうか。

須弥山の入口の建物の屋根に龍の巻き付く剣のような飾りがあり、そのあたりがどうも僕には人間の尻の間の生殖器に見えてしまう。全体として人間が生殖行為をしているところを真後ろから見ているような絵に見える。尻が二つ上下に並んでいる様には見えないだろうか。

生殖行為・遺伝子の伝達、これこそが人間の生存の行き着く果て、目指すべき山の頂であるとこの絵は訴えているのではないか。「繁殖せよ!」との示唆の為の絵であるか。

イラスト描いている時は見えなかったが、今見ると元絵の上方の白丸二つが巨大蛇の両目に見えて来た。ここでも人間が喰われる存在である事を表しているらしい。

 

先日兄の一周忌を営んだが、坊さんのお経の間仏像をじっと見ていた。後背の彫刻の中に蛇神の両目が見えて「ろくな宗教ではないな」と改めて分かった。宗教は人間をミスリードするためにあるのだ。真実に限りなく近い事を説いて人々を信じさせ、何も考えずに素直に教義に従っていなさいと教える。

 

ルーベンス 「キリストの降架」 絵の前で昇天した少年の行き先

日本人は、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝う。自分の実家は浄土真宗なのに「メリークリスマス」とか言ったりする。日本人は世界の文化の集積地、保存される地であり、元々の各地の文化が滅んだ後もそれが保存されている不思議な国である。何でも良い所、楽しい部分は全て取り入れて吸収してしまう。

ただ、これはどうか。キリスト教がいかにも「悪魔教」である事がこの絵を見ればわかる。最も仏教も元々は全く同じ「蛇神信仰」なのだが・・・・。

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ピーテル・パウルルーベンス 「キリストの降架」1611~1614年 聖母マリア大聖堂(ベルギー・アントウェルペン

ベルギー・アントワープの教会。日本人にはアニメ「フランダースの犬」の最終回の場所と言った方が分かり易い。少年ネロが最期に見る事が出来たのがこの絵。観音扉式になっていて、扉の内側にも絵が描いてある。真ん中の絵と関連がある画題らしい。

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前にも一度調べて、この絵には悪魔の顔が浮き出ているとしたのだが、今回また見てみる事にしたい。同じ絵でも何度も見直す事でまた違って見える事があるからだ。

元絵を画像ソフトで明るくした。

人間の「原罪」を一身に背負って磔になって死んだイエス・キリストを人々が地に降ろす作業をしている。男四人は梯子のようなものに乗って遺体を支えている。布を当てて包むようにして丁寧に下ろしている。別に赤い服の男は下からイエスを受け、支えるようにしている。女たち三人はイエスの足元で嘆き悲しんでいるようだ。イエスの方に手を差し伸べながら目に涙をためている。奥の青い服の、髪の長い女がマグダラのマリアだろうか。

登場人物たちはルーベンスらしい芝居っけたっぷりのポーズを取っているが、絵の人物を人物とは見ず、色の濃淡の変化として見るとどうだろうか。絵全体を目を細めてわざとぼやかして見る。すると別の物が見えて来る。聖書物語をそこに見てはいけない。単純に、自分の目に見える物だけを素直に見る。

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上方から巨大な蛇が降りて来ている。二匹を重ねて描いてある。巨大蛇どもは下端の女たちや赤い服の男を口の中に入れようとしている。イエスはこの巨大蛇の目と目の間、蛇の頭脳に位置する所にいて、食人を指図しているかのように見える。

両側の扉絵も同じように蛇に喰われる人間たちの図が描かれている。

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僕の目には見直しを始めてからこんな風に見えていた。真ん中に大きく見えるのは、角を頭に生やした悪魔の顔。下の人間たちを襲って喰っている。両側面の扉絵もこの悪魔の両手が人間を襲っているようにも見え始めた。

元絵を目を細めてじっくりと見ていただきたい。真ん中に牛かヤギの頭蓋骨にも似た悪魔の顔が見えて来ないか。

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見せ方を変えて、こうならばどうか。

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女たちは目に涙をためて悲しんでいる。巨大な蛇神に噛み付かれて口から血へどを吐いている。彼女たちはイエスの犠牲を悲しんでいるのではなく、自分たちが喰われる痛みによって苦痛の表情をしているのだろう。

血へどと言ったが、おかしな形をしている。口から赤いミミズが飛び出しているようだ。上図真ん中の女の口には微かに見え、左右二人の口にははっきりと見えている。これは小さな人間の身体の一部ではないか。彼女たちは巨大蛇に喰われる被害者であり、小さな人間を喰う巨人と言う加害者でもある。

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このブログ読者にはこの絵がどう見えるのだろうか。天使に支えられて昇天するネロ少年が最期に見る絵として、これがふさわしいのかどうか考えていただきたい。悪魔の腹の中に納まる事が人間の行き着く先であるならば、それは悪魔側の考えではないか。悪魔たちの洗脳を振り切って自分なりの本当の行き先を見つけ出すことが出来るか出来ないかが、人間の課題なのではないだろうか。

 

フェルメール 「窓辺で手紙を読む女」 修復しない方が良かった

フェルメールのこの絵、修復が完了し一般公開されたそうだ。今まで白かった壁の中にキューピットの絵が浮かび上がったと言う。最新の分析によると白く塗りつぶしたのは作者とは別人の手によるものと見られる・・・・と新聞記事は言っている。果たして本当にそうなのか。作者自身が塗りつぶしたのではないのか。

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ヨハネス・フェルメール 「窓辺で手紙を読む女」 1659年頃 ドレスデン・アルテ・マイスター絵画館

フェルメールらしい空気感、部屋の中の静かな様子、窓から差し込む柔らかな光が感じられて好ましい絵である。わざわざ窓際に行って手紙をよく見えるようにしている事から、この女性にとってよほど大事な手紙なのだろう。キューピットがいるから恋文だと鑑賞者に思わせたいのか。

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手前のカーテンをキューピットが手で開けているようにも見える。彼女の心の中を覗いてみる形で絵になっている。キューピットは愛の矢を放つわけではなく、弓も矢も下ろしてしまっている。足元の仮面とざるのようなものが何を意味するのかは分からない。

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左の修復前の写真と並べて見比べると、修復前の方が絵としてすっきりとしている。右の修復後の写真だと何だか情報量が多すぎてごちゃごちゃしている感じがする。

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窓ガラスに映った彼女の顔は暗い。四谷怪談のお岩さんを思わせるような不気味さもある。肩に小さな人間の足のようなものが乗っている。頭の上の方が何者かによって齧られている感じになっている。ガラスに映った方で無い実物の彼女も、よく見ると口からうっすらと何かを出しているようにも見える。

この絵の描かれた17世紀中頃と言うのは英蘭戦争の真っ最中であり、ひょっとして彼女は恋人の戦死の知らせを受け取ったのではないか。だとすればこの暗い表情も頷ける。また彼女の背後の壁が白い方がふさわしい。頭の中が真っ白になった事を表すのにはその方が良い。作者はそれに気付いて作品を仕上げる段階になってから、または完成後に壁を白く塗りつぶしたのではないか。作者以外の別人が塗りつぶしたと言うのは違うと思う。修復師は余計なことをしてしまったのではないか。

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テーブルの上の果物皿は倒れ、テーブルクロスはくしゃくしゃである。この辺に手紙を読む彼女の心の中が垣間見れる。お腹には戦死した彼の子が・・・・彼女のお腹が少し膨らんでいるようにも見えて来た。

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絵の中の物語がどうであれ、作者が絵の中に隠し込んだものはまた別の主題である。

このくしゃくしゃのテーブルクロス、僕には大蛇に見える。人間を体の中に摂り込んだ大蛇であり、その腹の中に人間が入っているのが分かる。果物皿の手前の部分など蛇の胴体の模様がそっくりそのまま写し取られて生々しい。

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そして前回ドガの絵でも見えた、逆さ吊りにされた貯蔵用の人間。それがこの絵に描かれている。下端に人間の頭がゴロゴロと転がっている。やはり牛や鶏のように首を切って逆さに吊るし、血抜きをするのだろうか。

どこかで聞いた話だが、倭の国が朝鮮に攻め込んだ時、朝鮮の船の側面に日本人の遺体を並べて吊るしてあったと言う。捕虜を殺し、日干しにして食糧にすると言う事があったとか。ヨーロッパでも英蘭戦争はもっぱら船同士の戦争だったらしいから違いは無いだろう。彼女の恋人の姿がここに描かれているのか。

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ヨハネス・フェルメール 「真珠の耳飾りの少女」 1665年頃 マウリッツハイス美術館(オランダ・ハーグ)

フェルメールで最も好かれる絵だと思う。しかしこの絵も同じような隠し絵が出て来る。

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少女の頭部のターバンを縦方向に縮めるとこんな隠し絵が出て来る。上方にいる大蛇に頭を咥えられる人間たちである。数人が束になって咥えられている。

この絵程有名な絵は無いと思うのだが、少女のターバンに喰われる人間の姿が表現されている事に気付いたのは僕一人だけらしい。一度気付けばもうそれにしか見えない。歩きながら頭を齧られているような裸の人間が、こんなにはっきりと描き表されている。

 

ドガ まとめ と殺場で殺される人間たち

エドガー・ドガの作品について、今まで見て来た所をまとめてみた。

ドガの描く絵に出て来る人物には恐怖・苦痛の表情が見て取れる。絵の中は人間の断末魔の叫びであふれ、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されている。制作年代順に調べて行きたい。

まずこの踊り子の表情を見ていただきたい。

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「舞台上のリハーサル」 1874年 パリ・オルセー美術館

舞台上で間違いを犯し嘆いているのではない。あくびや伸びをしているのでもない。ひも状の物を首に巻き付けられ、死にそうになっている少女の顔である。もしくは頭を背後の化け物に噛み付かれ、苦しんでいる顔である。

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全体図はこれ。今見た少女は真ん中の少し左寄りにいる。

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さらに左に目を移すと、こんな部分がある。踊り子三人が顔を並べている。しかし真ん中の少女の首は変にこちら側に飛び出ていて、不自然ではないか。生首だけが空中に浮いているようにも見える。

背後の巨大な化け物の口が見えるので、それに咥えられているのではないか。何とも不気味な雰囲気の描写である。

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「舞台上の二人の踊り子」 1874年 コートールド・ギャラリー(ロンドン)

先日見た絵。巨大な蛇が踊り子の下半分を呑み込んでしまっている。スカートの下側に見えている二本の足は別の人間の物か、あるいは切断されたこの少女の物であるようだ。

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「パリオペラ座でのバレエ」 1877年 シカゴ美術研究所(アメリカ)

これも先日見た絵。少女たちをまとめてごっそり口に入れる巨大蛇の図。左上が全体図。

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「舞台の花形(エトワールまたは舞台の踊り子)」 1878年頃 オルセー美術館

有名な絵だからだれでも一度は見た事があるだろう。左上に全体図、その下に中央付近の踊り子の右手を中心とした部分図を掲げた。右手を横ぐわえにする大蛇は結構写実的に描写されている。牙が手先に喰い込んでいるようだ。

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「バレーシーン」 1880年 ディクソン・ギャラリー・アンド・ガーデン(アメリカ・メンフィス)

この踊り子はもう瀕死の状態である。身体のあちこちを噛まれ、喰い千切られ、血を口から吐いている。

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これが全体図。波打ち際でバレエの練習をしているわけではない。海から上がって来たトカゲのような顔をした怪物に噛まれ、身体を千切られているらしい。怪物が咥えているのは一人の人間ではなく、複数の人間と見える。ドガの描く踊り子は上半身と下半身がうまく繋がってない。

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「水浴する人々(Bathers)」1890~1895年 ダラス美術館

左上が全体図。その右下が部分図。そこをイラスト化した。上半身を大蛇にすっぽり呑み込まれた女が描かれている。

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「After the Bath (風呂の後)」 1895年 フィリップスコレクション(アメリカ)

左上全体図。右部分図。その部分図をイラスト化。

人間の上半身を残して喰いまくっている怪物は何だろう。まるで恐竜が現代でも生きていて人間を襲って喰っている光景のようだ。片足も手前に転がっている。画面右側の、タオルが置いてある所は、小さめの人間が数体積み重ねられている。ドガの描く絵の隠し絵はこんな風に、千切れた四肢や喰いかけの断面を見せる肉塊があって残酷この上ない。作者の性格が普通では無いからだろうか。

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「Breakfast After The Bath(風呂の後の朝食)」1895~1898年 スイス バイエラー財団 

似た構図の絵だが、こちらにはコーヒーのようなものを持つメイドが描き加えられている。この絵の中にも怪物に喰われる人間が多く隠れている。一番見つけやすいのは床に四つん這いになって尻を見せている少女だろう。風呂桶から出る女は手に人間を捕まえており、上から降りて来ている巨大な蛇神(壁全体が蛇の頭の形になっている)の生贄として捧げている。四つん這いの娘も頭を口の中に入れられている。

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この絵で気になるのが右端の黄色いカーテンである。全体図をゆがめて縦方向に縮めると不思議なものが見えて来る。ホルマリン漬けの動物標本のような色であり、人間の女の前面であるようでもある。下に手先が転がってないか。

これを見て思い出すのがこれ。

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ヨハネス・フェルメール 「窓辺で手紙を読む女」 1659年頃 ドレスデン・アルテ・マイスター絵画館

最近話題になっているフェルメールのこの絵である。修復したら白い壁の中に天使の像が出て来たとか言っているが僕にはどうでも良い。それより手前の黄色っぽいカーテンの描写が問題である。カーテン部分だけをトリミングして盾を縮めると上図真ん中の写真になる。それをイラスト化すると‥‥逆さに吊るされた裸の人間が何体もあるではないか。250年後のドガもこれを真似している、と言うよりもこの人間を吊るして干すような形が実際になされている、もしくはなされていたのではないか。

デービット・アイクの本だったかYouTube動画だったか、地下の人肉貯蔵施設の様子が語られていた。やはりYouTube動画で「Midnight Meet Train」とか言う映画にも人肉を吊るして保管するシーンがあったと思う。牛のと殺解体場のような光景が肉を人肉に変えて存在しているのかもしれない。

天才と呼ばれる画家たちは一瞬のうちに、蛇神(悪魔)の脳内データをダウンロードして、人肉を解体して喰う現場をも見ることが出来るのだろう。