名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

マネ 「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」 やはり解体されている

Google Arts &Culture・E国宝・Wikipediaその他を適当に、気の向くまま見て回り、一巡二巡するうちにまた違った見え方がしてくる。この絵などもそうだ。

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エドゥアール・マネ 「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」 1872年 オルセー美術館

上品で綺麗な女性の肖像画である。この絵を見ていると何とも言えない小気味よさを感じる。ルネサンス期の絵のような人物の形の明暗の移り変わり(明るい部分から暗い部分への)筆跡を残さずにのっぺりと描いてあるわけでは無い。写真のように見える通りの客観的な形を写し取った描き方ではない。作者は明るい部分・中間部分・暗い部分を筆跡も構わずに面で描く。写実的客観的ではなく、人間の目で捉えるようなエッセンスのみを抽出してキャンバスの上に残して行く。人間の目は写真機のように全てを捉えているのではなく、自分にとって見たい部分のみをみているから、それだけを繋ぎ合わせて表現してくれていると言う事でそんな絵に共感を覚える。いわばより人間的な感覚で捉えた絵だから気持ち良いのだ。

この女性、眉毛が繋がりそうな形であり、目尻が垂れており、三ツ口気味で、耳が大きすぎるのだが、顔の中でのパーツのバランスが良いので美人に見える。

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大きく見開かれた目、大きな耳、ピンクの唇、はっきりしない輪郭、ごく大雑把な描き方なのだが、遠目には整って見える。ただ大きな目は何かに驚いている様であり、口の中に真っ赤な色を置いてあるのは不自然である。

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例によって口の中には血があるらしい。下唇の下の髭のような物は小さな人間の一部か。顎の下から頬に掛けては血が付いているのではないか。

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胸の真ん中にぼんやりと描かれているのが表題にある「すみれの花束」であるらしい。女性の美しさを際立たせる為に花をこんな風にボヤーっと描いたのだろうか。花の形も葉・茎の形もよく分からない。また首からぶら下がっているのか、服に付いているのか、手で持っているのかも分からない。

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上図右はネットで拾った「すみれ」の写真。確かにすみれっぽい。しかし泥の付いた野球のボールだと言われればそうかも知れないと思えるほどおかしな花束である。

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胸の部分をイラスト化してみた。明るさを増し、コントラストを付けるとこんな風に見えた。首に蛇が巻き付いている(イラストでは緑で描いた。これは誰でも捉え易いかもしれない)。体の中に蛇や人間の形がたくさん入っている。すみれの花束は小さな人間の塊ではないか。それを黒手袋をした手で掴んでないか(この手はイラストのようにも見えるが、骨だけになった黒い手にも見えたりする)。

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このへんてこな帽子、何処がどうなっているのか分からない。黒すぎて画質を明るくしてもよく見えない。手探りでイラスト化してみたが何となく蛇が人間に喰い付く場面が描かれているらしい。とぐろを巻く蛇が小さな人間を襲っているようでもある。

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画質を変えて暗くしてみると背景にある物が見えて来た。裸の人間の後ろ姿、尻を中心にした部分が上から吊るされている。

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全体図。このモデルは一見上半身を中心に描かれているようだが、下半身が背後に吊るされているのも描いてある。両腕も途中で切れているかもしれない。

すみれの花束に見える生贄の人間はイラストのように下から上がる蛇に喰われているか、または骨だけになった黒い手(これも切断されている)で押さえつけているかもしれない。

元絵の黒い服があまりにも黒いために、画面を明るく変えても見えにくい。レンブラントの絵のように暗い部分に非常に微妙な濃淡で隠し絵がされている。今使っている画像処理ソフトがPhotoshop Elements Ver2.0と言う何十年も前の古い物だからか、限界がある。お金をためてもう少し良いソフトを買って使えばもっと見えて来るだろうか。

どっちにしてもマネもドガやフェルメール同様解体された人間を隠し絵にしている。

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大いなる蛇神に捧げられる人間家畜を描く。絵画芸術の主題はこれしかない。

悪魔・鬼・龍・妖怪・レプティリアン・イルミナティ・フリーメイソン・・・・これらは全て真実から人間の目をそらす為の物でしかない。

 

フェルメール 「絵画芸術」 人間よ!家畜であれ!

新型コロナウィルスによる死者が出ている・・・・とかの報道がなされている。しかしこれはあり得ない。生物の基本的本能は、生きるために栄養物を摂取する事と生殖をして子孫を残す事である限り、宿主である人間の細胞を破壊し死に至らしめたらそのどちらも達成できなくなるからだ。

厚労省は既往症の為に死んだ人で、PCR検査陽性の人はコロナによる死と報告するように指導しているらしい。たとえ末期がんであり、交通事故死であるにしてもそのウィルスが少しでも見つかればコロナによる死としているらしい。

人々に恐怖心を抱かせる事でコントロールしやすくなる。人々を家の中に閉じ込め、番号管理することで家畜化が一層進む。

 

今回はフェルメールの作品の中で最も大きいサイズの物を調べる。

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ヨハネス・フェルメール 「絵画芸術」 1666年頃 美術史美術館(ウィーン)

130センチ×110センチ

一見して何の違和感もない。他のフェルメール作品同様厚手のカーテンを開けて部屋を覗いた様な形で描かれている画家とモデル。トランペットと本を手に持ち、花の冠をしたモデルは女神クリオ(文芸の女神の一人、その名は祝福を意味する)とされる。画家はフェルメール自身と言われる。壁の地図はネーデルランドの地図で、シャンデリアの上の方にはこの国の支配者ハプスブルグ家を表す双頭の鷲が見られるそうだ。鑑賞者は画面左上の窓から差す光によってモデルの女性に注目させられる。部屋の中に注ぐ窓からのガラス越しの光は柔らかく、穏やかな空気が感じられる。

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モデルの女性は下の方の机を見つめている。視線の先に何があるのだろうか。

口から何かが飛び出ている。赤い刺身を喰っているようにも見える。

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トランペットを持つ右手、左手と比べて何故か異様に黒い。明るい窓により近いのだからここまで黒くなるだろうか。その右手の手の平の上に何かがある。指の間にあるのはトランペット以外の何かだ。

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モデルの全身。不思議な服を着ている。生地の厚いアジア系の着物だろうか。しかしそれでは下半身のスカートと合ってない。顔の小さな若い女性らしいが、全身が縦に長すぎやしないか。左手も上腕が変に長いようだ。

イラスト化しながら詳細に見るとこんな風に見えた(上図右)。下半身を大蛇に呑み込まれた女の図。女自身も過去に人間を喰ったらしく体の中に人間の形が透けて見えている。現在も右手や顎の下に小さな人間を置き、喰っている最中である。

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画家の後ろ姿。何となく左側に顔を向けている様ではある。

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「取り持ち女」の中のフェルメール自身と言われる部分。同じような帽子をかぶっているが、この人物を後ろから見ても「絵画芸術」の中の画家のようには見えないと思える。「絵画芸術」の画家の帽子はずいぶん小さく、髪の毛もカールしてない。

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画家の全身図。ずいぶん太っており、尻がまたずいぶん膨らんだ形の変な服を着ている。画像を明るくしてイラスト化してみたら、この黒い服の中にこんな人間の姿が見られた。画家の胴体が太いのは中にいる人間の足がそこに垂れ下がっているからであり、画家の尻が異様にデカいのは、そこに横たわった人間がいるからであった(画家の右足膝にこの人間の頭があり、両目がある)。イラストではうまく表せなかったが、どうやら上半身・下半身で二組の重なり合った人間の男女(生殖行為中)が隠れているらしい。

帽子は頭に乗った黒い蛇。その下の髪の毛はそれに喰われる小さな人間たちである。

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モデルの背後の地図に文字がある。これをフェルメールの本名「Jan van der Meer van Delft」 が書いてあるとして、ネーデルランドの支配者は自分であるとの暗号だとYouTubeで見たテレビ番組が言っていたがどうだろうか。確かに画家はこの文字を見ている様ではある。またこの地図は怪しげな皺が多くあり、それが隠し絵にもなっている。

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テーブルの上は何て乱雑なのだろうか。半面の石膏像が転がり、薄手の本は落ちそうであり、変な布が前面に垂れている。画家のアトリエらしさを見せたいのだろうか。

薄手の本の右端がおかしい。まるで人間の手の様だ。本の閉じ目の辺りは黒い蛇が這い出て来ているようにも見える。この辺は人間の手の皮ではないのか。手前に垂れた布切れは皮を剥がされた手か足ではないのか。とすると石膏像は本物の人間の顔?

モデルがこの辺りを見つめている事でこの辺りに作者の主題的な何かが描かれているのだろう。テーブルの上は人間の解体場か。

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画面左下部分図。カーテンは人間を何体も呑み込んだ巨大蛇である。口先にも小さな人間たちが咥えられている。テーブルの左端にある紺色の布はモデルの身体かもしれない。モデル自身は下から大蛇に咥えられて上半身だけで存在している。

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画面左上、カーテン上部の詳細描写。上から来た蛇に喰われる人間たち。

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全体図。次第に見えて来た線を全て描き込むとこんなになった。

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カーテン部分に巨大蛇が一匹、その他に地図辺りにも巨大な蛇が一匹いるようだ。上から来て地面でとぐろを巻いているように見えるがどうだろうか。二人の人物をその口に入れる巨大蛇の顔は分かり易いと思う。地図上に左右の目と頭の輪郭が見えるからだ。とぐろの部分はちょっと自信がない。単純に上から来た蛇が再び頭をもたげているだけかもしれない。

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さらに巨大な蛇の形(青い輪郭)が見える。

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人間の男女交合図はモデルと画家の服の中にも見られたが、画面全体にもこんな風に見られる。画面上の人物・器物その他を見ずに、単なる線と色の濃淡だけを繋げて見ると見えて来る。画面内の物に囚われてはいけない。常識を無視して心を無にしてただ見える物を見える物として素直に見れば見えて来る。

喰った家畜はまた増産しなければいけない。絵画を鑑賞している家畜たちにも生殖行為を推奨する。

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またこんな風にも見えた。イラストの男女の形が変なのは僕の捉え方に不十分な所があるからだろう。特に赤い女の足辺りがうまく捉えられない。また生まれ出る子供も隠されているはずだがよく分からない。

どっちにしろ人間家畜には増産しろと言いたいらしいことは分かる。

世界の名画として多くの人間を魅了し続けているが、この絵にはこんな隠し絵が仕込まれていた。室内に差し込む窓越しの柔らかい日差し・空気感の魅力に多くの人々を引き付けて置いて、実際は作者の言いたい事は人間に家畜であれとの事である。一方ではウィルスの脅威等で恐れさせ、飴と鞭のようにしてコントロールしている。

 

ドガ 「踊り子 ピンクとグリーン」 上半身と下半身が繋がってない

ドガの絵はどれも残酷な隠し絵になっている。この絵もそうだ。

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エドガー・ドガ 「踊り子 ピンクとグリーン」 1890年 メトロポリタン美術館

踊り子が舞台袖で出番を待っているのだろうか。皆衣装や髪・動作の確認に余念がない。右側の柱の影の娘は舞台の方を見ているのだろうか。全員グリーンのスカートを履いているからこの後舞台で彼女たちの群舞が見られそうである。彼女たちのの人数は5人。右から2番目の娘に隠れてはいるが足が見えている娘がいる。その娘の左側に小さく描かれた二人がいるがスタッフだろうか。一見して不自然な所は見受けられない。

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ドガの描く踊り子はあまり美人でも可愛くも無い。この絵でも顔の描き方が雑で、眉毛や口が単に筆のひと塗りだったりする。右端の娘の顔は顔とも思えない。右から三番目の隠れた娘などはどこが目やら口やら分からない。普通若い女性を絵にする場合、もう少し丁寧につやっぽくみずみずしく描くと思うのだが・・・・。

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一人一人の踊り子をよく見ると少しずつ違和感があるのに気付く。

左から二番目の娘(上図左)は上半身と下半身がうまく繋がっていない。前かがみになっているから腰が後ろに引けているはずなのだが腰と足とがうまく繋がらない。下腹部が変に出っ張っている。左手の形がおかしいし、左足が異様にねじれている。

左端の娘は上体から伸びる足までの距離が長すぎやしないか。

右から三番目の隠れた娘と二番目の娘(上図右)の重なる所では奥の娘の形がうまく捉えられない。右端の娘は顔だけでなく体の線や腕・足の線でデッサンが狂っている。

画面全体の芸術性の為に個々の形を変形させると言う事はよく聞く。これらの違和感を感じさせる変形がどこをどう生かすためになされているのか。

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中央部分を拡大しイラスト化する過程で詳細に見た。まず上図右の女は口の下に小さな人間をたくさん置いているようだ。自分が人間を喰うだけでなく、手で人間を持ち左から来る大蛇に喰わせているらしい。奥の女は上から横から来る大蛇に喰い付かれて苦悶の表情をしているようだ。

奥に小さく描かれたスタッフの所はこんな風に見えた。

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奥の女の部分だけを示すとこんなになる。大きく見開かれた目が見えるだろうか。この女の口から上は大蛇に喰い付かれて血だらけになっている。

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右端の女の部分図。頭部は既に無く、その代わりに小さな人間が積み重なって団子状になっている。左手で人間を持ち、上から降りて来る大蛇に喰わせている。

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左の二人。この二人の背後に巨大な蛇の顔があり、二人を咥えている。下半身を呑み込んで上半身だけが残っている状態である。この二人の下半身はその真下には無く、巨大蛇の口の中、つまり左横にあるはずだ。

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小さな人間を喰う巨人族の女たちが、上方から降りて来るまたは下から迫る大蛇たちに襲われている図である。

柱の後ろの黒い部分がイラストのような人間の姿に見えたがどうだろう。或いは単に上から下がってくる大蛇の姿であるのかもしれない。

大蛇たちの腹の中に小さな人間たちが入っているのが透けて見えているのでどうも見分けを付けづらい。

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全体をイラスト化するとこんなになった。踊り子たちの上半身・下半身は皆別の者で出来ているようだ。左から二番目の踊り子は下半身を巨大蛇に呑まれた娘が上半身を持ち上げており、その下では頭を含めた上半身を呑まれた娘が尻をこちらに向けるような形でいる。

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巨大蛇たちを色分けしてみた。上から下から横から、踊り子たちが喰われまくっている。

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さらに分かり易く分析してイラスト化した。右端の踊り子は上から降りて来た赤い蛇に喰われて腹から上だけになっている。顔ももう無い。別の踊り子が上半身を呑まれて腹から下だけを見せている。右から二番目の娘は上から降りて来て頭をもたげた大蛇に胸から下を呑まれている。柱の向こうで上から真っ直ぐ降りて来た黒い大蛇が咥えている別の娘の足があり、これと上半身が直立した踊り子に見せている。左端の踊り子も同じように、喰われて上半身を見せる娘と下半身を残して喰われている娘が一人に見せている。

結局踊り子は10人いる。さりげない舞台袖の光景を描いていると思わせて実の所こういう凄惨な光景である。

大抵の人はこの事実に気付けない。美術館で本物の前に立っても数分もしくは数十分しか対面しないから真実が見えて来ない。評論家も解説者も作品の来歴だけを語り、「この絵はここが素晴らしい。」とか漠然とした個人的感想を気取って言うだけだから見方が浅い。僕の他に誰も気付かないのだろうか。いや気付いてもあまりにも人間にとって衝撃的で、かつて教わった事の無い、誰も言ってない事柄だし、自分の地位を下げるような事は言えないに違いない。僕のような専門家では無く、老い先短い人間で、捨てる物が何もない人間しか言えない事なのかもしれない。

自分の目だけを信じて見える物を素直に言っているだけだ。「大様は裸だ!」と叫ぶ子供のようであれば良い。

 

ドガ 「トイレット」 と殺場の人肉

人間は別の生き物の餌である事を絵画芸術作品を通して発見した・・・・とか言っても大抵の人には信じてもらえないだろう。僕の目にはそれが見える・・・・と言っても生まれた時から洗脳されてきた人々は見ようとしないから見えないのだろう。僕の事を病的な人間だとしか見ないのだろう。

それに仮にそれが見えたとしても、何故見えるようになっているのか、気付かれるように描かれているのかの説明が付かないので納得できないのではないか。ほんのわずかでも隠し絵として潜んでいるそれに気付かせるようになっているのか僕自身にも分からない。

ドガの絵には食糧としての人間の姿がよりはっきりと見える。

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エドガー・ドガ 「トイレット」 1888年 アンドレ・マルロー美術館(フランス)

トイレの中の裸の女性を絵にする作者の意図がよく分からない。この絵の女性はトイレに腰掛け、髪を白いタオルで拭いているのだろうか。前かがみになり、左手を後ろに回した姿で描かれている。顔は見えない。

大きな尻が目立つが、所々おかしな形になっている。女性の太ももから先がはっきりせず顔だけでなく右手も左手も形がどこかおかしい。右わき腹に半円形の切れ込みがあるのも理解しがたい。ドガはデッサン力が無い画家では無いはずだが何のためにこんな風に変形した形にしてあるのか。

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右太ももに喰い付く大蛇が見える。右足全体を呑み込むほどの太さの蛇では無いので切られた右足の切断面に喰い付いているようだ。女の脇腹の半円形の傷はこの蛇の牙によって付けられたのか。喰い付いた切断面には濃い赤色の傷口が少し見えている。

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女の右腕にも大蛇が喰い付いている。ギザギザの歯も見える。喰い付いた部分から血も流れている。

女の頭は無い。別の茶色い蛇が丸まって頭のように見せている。ドガの絵は人体の手足・頭が千切れていたりしてこんな風に残酷である。

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女の身体の中に別の人間の形が見える。女の背中辺りに見えるのは二体の人間の後ろ姿であり、この二人は後背位でセックスをしているようだ(お互い身体が透けている)。二人とも大写しの女と同じように足が途中で切れているようだ。女の右わき腹の半円形の線は体の中にいる人間の下の方の左足の切断された部分であるらしい。

女の乳房は下の人間から生まれる子供を表しているのだろう。

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女の左手は後方に長々と伸びているが、これは別の生贄の人間を手で挟んで捕まえているからであろう。女の腕は腕であると同時に小さな人間を喰う蛇にもなっている。

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全体図にしてみると、この女は蛇に喰われる人間が積み重ねられて出来ている事が分かる。女の尻の下にも生贄の人間が二人ほど押さえ付けられている。画面右端には切断された人間の足と思える物が上からぶら下がっている。血だらけだ。まるで食肉工場のように人肉が吊り下げられている。

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左上から迫る巨大蛇がこれら人肉に喰い付いている。

画面左下では別の巨大蛇が正面を向いてその口の中に人間を入れている。

 

人間の存在とはすなわち家畜なのだろう。食物連鎖の頂点だと言い聞かせられても実際にはその上がいて支配されてるのだ。幸福追求・子孫繁栄を願い産まれ・死んで行くのもコントロールされている(大部分の人間は繁殖用として地上に放牧され、一部が実際に食糧になっているのだと思える)。大変な世界に生まれて来たものだ。

ただこの世が苦行の場・修業の場と考えて魂の次元上昇を求めるのならば、この世ほどふさわしい場所は無いかもしれない。

 

フェルメール 「牛乳を注ぐ女」 もう少し深く調べてみる

同じ名画を時間を空けて何度も見るとまた違った物がその中に見えて来る。

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ヨハネス・フェルメール 「牛乳を注ぐ女」 1660年 アムステルダム国立美術館

この絵が描かれた季節は冬だろう。女の足元に足温器(足を乗せて温めるアンカのような物)があるし、女中の腰に巻かれたエプロンのような布にも季節感が出ている。朝食の準備をしているのだろうか、パンと肉・牛乳をテーブルの上に揃えている。

ただ牛乳には湯気が全く出ていない。冷たい牛乳なのだろうか。パンがやたら多く大きい。テーブルに直置きしたパンもある。日本人なら皿の上に置くとかするだろうに。この女中は無神経だ。そう言えば筋骨隆々としたがさつそうな女である。青い布もテーブルの端にだらしなく垂れ下がっている。骨付き肉もやたらでかい。別の部屋に雇い主の家族が4~5人待っていそうだ。

この部屋は台所だろうか。牛乳を温めたり肉を焼いたりするためのコンロが見当たらない。それどころか調理道具が一切無い。窓際に掛かっているのはランプと籠だけである。こんなおかしな部屋は実際には無い。作者が作為的にモデルにポーズを取らせてその雰囲気だけを表した絵である。窓から入る柔らかい光に照らされた人物を表現し、その穏やかな空気を感じられればそれで良いのかもしれない。

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2年ほど前にこの絵を調べた時にはこのテーブルの辺りがこんな風に見えた。絵のすべてが蛇の姿で構成されている。長方形でないおかしな形のテーブルの上にバスケットが置かれていて、そこには人間の頭蓋骨かと思えるような物が入っている。それを求めて下から蛇が這いあがって来ている。

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女の目は伏し目になって牛乳の方を見ていると見えるが、拡大してみると瞳は左下を向いている。テーブルの牛乳やパン・肉から目を背けている。口から赤い物が出ている。

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湯気の出ない冷たい牛乳がポットから流れ出ているが、何故かポットの奥の方が全く見えない。牛乳が注がれる鉢の方は上から俯瞰した描き方なのだから牛乳ポットの中に白い牛乳が見えないのはおかしい。

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牛乳ポットの中の黒々とした部分は凹んでいると見せて手前に向けて膨らんでいるのではないか。つまり凹凸が逆になっている。ここではポットの奥が見えているのではなく、こちらに向かって膨らむ何かを表している。僕にはここが黒い蛇の頭に見える。

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不思議な形のテーブルの上のパンと骨付き肉。

今まで見て来た名画の中で、画面の下端は大抵生贄の人間が隠されていた。このことから言ってこの辺りが怪しい。

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イラスト化しながら詳細に見るとこんな風に見えた。牛乳を注がれる鉢は大蛇の頭である。イラストのように縦線の瞳の目が左右に見える。こいつの胴体は右手に回ってから上の牛乳ポットに巻き付いている。女はこの大蛇の胴体を手に持っているらしい。この蛇は人間を呑み込んでいるから所々に腹の中の人間が透けて見える。

バスケットの後ろにあるぶつぶつしたパンは人間の膝から下の足ではないか。足指が鉢の大蛇の口の中に当たっている。

右側のテーブル直置きのパンは小さな人間だと思う(同時に蛇の頭をも表しているが)。

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バスケットの後ろの人間の足は骨付き肉と繋がっている。左側が皮をすっかり剥かれた足の太もも辺り、右側が剥かれた皮が重なった膝から下の足先。

バスケットの中の大きな丸いパンはこんな風に置かれた頭蓋骨ではないか。

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少し引いて見るとこんな絵になった。テーブルの右端には逆さになった人間の足がテーブルクロスの端に見えるようにぶら下がっている。

その他あちこちに人間の形が見えて来たが、大きなパーツは頭蓋骨と足二本だから、もしかしてこれらはこの女の身体の一部ではないか。この女中もいずれ大蛇に喰われバラバラになる事を暗示しているのではないか。こんなテーブルの方を女は直視できないから目を背けている。

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全体図にすると女を呑み込む巨大蛇が画面いっぱいに描かれているのが分かる。画面左下隅のテーブルの側面に人間の尻が見える。テーブルから垂れ下がる青い布は人間の手二本を表しているのか。とするとテーブルの上に女の身体のパーツがほぼ全て揃う。画面いっぱいの巨大蛇はこの女も小さな人間たちや別の蛇たちも全てを口に入れようとしている。

牛乳から湯気が出ていないのはポットの中に黒い蛇が顔を出しているから、テーブルの形が変なのはその左端に人間の尻が隠されている為である。

 

さらに女はどうしてこんなに筋骨隆々としているのか・青いエプロンが腹の辺りで出っ張っているのは何故か等疑問点がいくらか残っている。それらはまた他の名画を研究し続けていつかこの絵をまた見る事になった時に分かるかもしれない。