名画の中の人喰い蛇

美術館にある名画には蛇の隠し絵がある。その蛇は人間を喰っている。

セザンヌ 「水浴する人々」 神への生贄 首を切られて喰われる

人間は巨大な蛇型生命体の食糧として地球上に存在する。この信じがたい事実を証明する絵画が無数にある事をこのブログで紹介している。

ただボーッと絵を眺めているだけでは見えない。穴のあくほど、へそ下丹田に気をため時間を掛けて見続けてやっと少しずつ見えて来る。絵を模写しながらより細かく見、その上で全体図を目を細めて大雑把に見るとまた別の物が見えて来る。

セザンヌのこの絵は、小さな人間たちや巨人たちが蛇の姿をした生物に喰われている絵である。しかも生きたままの残虐な喰われ方を見せている。

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ポール・セザンヌ 「水浴する人々」 1890年頃 グラン・パレ (パリ)

男たちが森の泉のような所で水浴している。10人ほどが水の内外にいる。手前の二人は手にタオルを持っていたり、パンツを履いていたりする。岩に腰掛ける人、腕組みをして立っている人、踊りを踊るような形の人、ポーズはさまざまである。遠景には夏を思わせる入道雲と青空がある。

ただ、真ん中の男が手に持つタオルの形が変・人物の顔が皆不明確・左端の男の顔は何故赤い?・地面に転がっている丸い物は石?・・・・等疑問点がいっぱいある。

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真ん中の男の持つ白いタオルは人間の形に見える。その向こうに座る女にも見える人は頭部と身体がうまく繋がってないのではないか。

男の上に上げられた左手の親指と人差し指の間には色の違う何かが挟まっている。手先全体が赤っぽく染まっている。これは背景の雲の中にいる神に小さな人間の捧げ物をしている手ではないか。

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真ん中の男だけをトレース(模写)してみた。その身体は複数の人間の身体を組み立てて出来ている。この事はこの男は人間を喰う巨人族である事を示している。右手に持つタオルは3人ほどの小さな人間であり、どこかで捕まえて来たものであろう。神への捧げものである。

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画面右側の、パンツを履いた男。上に上げた左手の先が赤い。指の間に何かを挟んでいる。右手の下に、泉に飛び込む勢いを示す男が描かれているが、この男の頭はどうなっているのか分からない。パンツの男の右脇の下にこの男の黒髪と左肩が見えているのか? パンツの男の腰から誰かの手先が見えていて何かを握っているようにも見える。よく分からない。

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パンツの男は身体が上下逆さまである。両肩が尻であり、両足が手である。頭が左尻の所にある。こんな風に人体を逆さまに入れ込んで隠す手法は他の画家の絵にも見られるが、何を表しているのだろうか。恐らく世の中は善と悪が一般に思われている事とは逆であると言いたいのだと解釈する。神は悪魔であり、人を殺したり喰ったりする。善人と見える人が実は悪魔的な思想を持っていたりする。そんな事を知らせているのではないかと思う。

この男の頭部は尻の上に乗せられているだけである(詳細に見るとこれは頭部ではなく、小さな人間が丸く固められた物である)。

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岩の上に腰掛ける男。身体が数体の人間で組まれている。左足・左手・頭部は身体と繋がっていない。

腕組みをした男は遠くにいるのではなく、この男が左手で掴んで持っているらしい。その証拠に泉の中にいる男の頭部よりも前面に足先がある。腰掛ける男は小さめの人間を捕まえて持っていると言う事である。

人間を捕まえて神への捧げものとして持っていて、わが身もいずれ神に喰われる運命にある事を示している。

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男が腰かける岩は、黒い人間であるらしい。

泉に浸かる男は頭部だけで存在しているようだ。血塗られた生首がそこに置かれている。腰掛ける男の赤い頭部が将来的に切断されてここに置かれると言いたいのではないか。

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泉の中の頭部(上図左)は白蛇に巻き付かれているのか、小さな人間がそこにいるのかよく分からないがとにかく血にまみれた生首だけであるようだ。首筋から血が流れ出ている。

地面の真ん中に置いてある石(上図真ん中)も生首かもしれない。かなり崩れているが目らしいくぼみがぼんやりと見える。誰の頭部か。

地面右手の石(上図右)も切断された生首だろう。首の所の切断面をこちらに見せている。パンツを履いた男の右にいる男の頭部がここに置かれているらしい。

生贄の人間の中で捕まえた巨人と同じ大きさの者がいる。奴らは同族同士で殺し合い捧げ物にし合うらしい。

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画面下端の地面にはこれら生首の他にも人間の身体が多く横たわっている。巨人たちの足が彼らを踏みつけて押さえている。

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全体図。白い雲・青空・木の中に巨大蛇神がいる。地上では彼らの餌としての人間たちが巨人たちによって狩られている。蛇神への貢物を捧げているのだ。後に巨人たち自身も蛇神に喰われ、身体も頭部・手先・足先を切断されて地面に転がされたりする。人間型の生き物は全て喰われる運命にあるのである。

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最終的に食物連鎖の頂点に立つのはこの唯一神。この絵の中の登場人物全てを体内に取り込む。

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地球牧場が繁殖して総数が減らないようにこう言う隠し絵で人間の潜在的欲望を刺激している。

画面いっぱいに人間の女(赤い輪郭)が四つん這いになって尻をこちらに向けている。その背後から男(青い輪郭)が覆い被さっている。後背位で性交し、後に出産する事も性交と同時に描かれる。

 

モネ 「画家の息子ジャンとカミーユ」 性のシンボルを鑑賞する 繁殖せよ!

自分を含めて自分の身の回りにいる人々が、この世界の中における繁殖用の家畜である事が名画の中に隠し込んで表現されている。地球上は家畜の放牧場であり、支配者はその家畜の欲望を刺激し、子を産み育て増やさせる事を目指している。男女のセックス画像を絵の中に潜在させ、鑑賞する人間の性欲を増させる。美術館等にいる人間は知らず知らずのうちに繁殖活動に励むように促されている。

この事は現代ではテレビ・映画での音楽・アニメ、CM・広告看板等にも顕著に見られる仕組みだが、ここでは絵画美術の中での仕組みについて解説を試みる。

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クロード・モネ 「画家の息子ジャンとカミーユ」 1867年 ワシントン国立美術館(ワシントンD.C.)

27歳のモネが最初の妻カミーユと息子ジャンを描いた絵である。小さな寝台の中の赤ん坊が中心に描かれており、妻がその傍らの椅子に腰かけ我が子を見つめている。太鼓や風車などのおもちゃも描き加えられている。

病院の中にあるような白いカーテン、その手前に花柄の布が吊り下げられている。一番天辺に描かれているのはカーテンレールの端だろうか。画面左端の黄土色の物は何だろうか。

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赤ん坊の目は真っ黒である。寝ている様子では無さそうだ。まるで死人の目のようである。鼻は豚のようでで唇は真っ赤、画家は自分の息子をこんなおかしな風に描くものだろうか?

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部分図にしてトレースしながらよく見ると次第に見えて来た。このベッドの上には大小さまざまな大きさの人間がまとめて置かれている。生贄の儀式の石の台であるらしい。そう言えば赤ん坊も白い布に包まれている。

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妻の姿ではあるが妻ではない。生贄の子供を用意した神の補助者であろう。顔も体も以前に喰った人間の身体の形の組み立てで出来ている。今現在でも蛇が人間を襲い喰い付く姿を所々で表現してある。

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全体図。上方から蛇がたくさん降りて来て画面下半分の人間たちを喰っている。

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最も大きな蛇神(青)は画面の半分以上を占め、上方から生贄の赤ん坊を喰おうとしている。花柄の布に見えるのも蛇(緑)であり、下から立ち上がり折れ曲がりベッド横の人間に噛み付いている。

画面左下隅に性行為をする人間の男女(青と赤)が隠れている。赤ん坊のいるベッド上にも後背位で性行為をする男女(青と赤)がいる(お互いに重なり合っているのが透けて見えている)。ここで下になっている女(赤)の尻の中心に黄色い風車が位置しているが、これは女性器から人間が何人も生まれ出ている様を表していると思える。右の妻の身体の中にも性行為をする男女がいる。

すなわち人間たちは性行為をしながら(繁殖しながら)巨大な蛇神に喰われている。

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吊り下げられた花柄の布はその全体の形で女性器を表している(このイラストでは赤)。赤ん坊のいるベッドはそれを下から突き上げる男性器であろう。亀頭の周りに精液が付いている。

また背後の白いカーテンの部分に尻をこちらに向けた女(オレンジ)がいる。その尻に妻カミーユの頭が位置しているからここでは出産を表しているらしい。

男女の生殖器を隠してある絵は他にもある。

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ティントレット 「春の寓意(Allegorical Figure of Spring)」 1555年頃 クライスラー美術館(アメリカ)

目覚めたニンフの股の間から突き出ているのは大きな男性器である。この男性器には男の身体(青)も描かれていて、頭が画面右上隅にある。木の幹が女性器を表していてこの女性器を持つ女(赤)は頭を画面左上隅に置いている。尻をこちらに向けた形で性交しており、女性器に挿入された男性器が何故か内外逆に描かれている。女性器内部が透けて見えていると言う事か。珍しく向き合った形での体位で交わっているように見える。

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ニコラ・プッサン 「ヴィーナスとファウヌス、プットーたち」 1630年 エルミタージュ美術館

この絵のヴィーナスはヤギの中にいる人間と交わっているが、画面を大きく見ると別の男女(青と赤)が性交している。背後の岩山に見えるのが横倒しになった女である。ヤギの顔辺りが男性器で、男女とも性交と同時に子供を産んでいる。

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ピエール・オーギュスト・ルノワール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」 1876年 パリ・オルセー美術館

この有名な絵も画面を明るくしたり、薄くしたりするとイラストのようなセックス画像が見えて来た。手前の椅子に座る男の肩から肘に掛けての部分が男性器になる。女の方は出産している。

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クロード・モネ 「散歩 日傘を差す女性」 1875年 ワシントン・D.C. ナショナルギャラリー

この絵がこんな風に見えるのは僕だけだろうか? 空の中の横座りの女の背後から、やはり横座りの手前の男が男性器を突っ込んでいる。男は男性器を左手で握りしめ、女は自分の股の間から左手をのぞかせ、多分女性器を広げている。男性器の先から精液が流れ出ており、男女ともに出産している。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖アンナと聖母子」 1508年頃 ルーブル美術館

この絵の場合、背景の中に隠れた人間が性交している分けではなく、絵の中の人物がそのまま性交している例である。聖母とその母との事だが、実は二人とも男女の性を両方持った、初期の巨人族であると思う。座位で性交しながら後ろの者が前の者の性器を弄んでいるのか。

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重要文化財 尾形光琳 「太公望図」 江戸時代 京都国立博物館

日本の「太公望図」でも男性器が露骨に描き表わされ、先から精液まで垂れ流している。女性の池の中に精液を流し込み、子作りに励む事を示唆(指示)した絵である。

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ミロのヴィーナス 紀元前130~100年頃 ルーブル美術館 

美術館・博物館と言うのは、放牧場の人間家畜たちに繁殖を促す為の洗脳装置かもしれない。この写真は彫刻作品だが、僕には屹立した男性器に見える。ひょっとして鑑賞者はこう言った性の「秘宝館」のような物を見せられているのではないか。男女の生殖器・性行為の図を見せられて「素晴らしい」とか「美しい」・「感動した」とか言っているのではないか。

 

狩りによる拉致・解体・生贄の儀式・保管

太古の昔、人間は単に狩られる存在であったらしい。教科書で習う歴史よりずっと前の神話でしか語られない時代の事である。

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ピーテル・ブリューゲル 「雪中の狩人」部分 1565年 ウィーン美術史美術館

狩人が担いでいるのはキツネとかの獣ではない。微妙な陰影を繋いでみるとそこに小さな人間が担がれているのが見えて来る。この巨人族は小さな人間を槍で追い、短剣で刺したりして仕留めた物を獲物としてどこかへ持って行く。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「ウルビーノのヴィーナス」部分 1538年頃 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ヴィーナスのいるより奥の部屋にいるこの女が担いでいるのもやはり人間である。大小の大きさの違う複数の人間を、または一人の人間を担いでいる。一人の人間として見ると女と同じくらいの大きさだから、同じ巨人族の仲間を供出するのだろうか。

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ギュスターヴ・クールベ 「窓辺のイギリスの三人の少女(Young Englishwomen  by a Window)」1869年 ニュー・カールスベア美術館(デンマークコペンハーゲン

三人の少女のうち、向かって左側の二人の表情がさえない。意識がもうろうとしているか、もしくは死体となっているのか。二人の身体の上に小さめの人間が何体も積み上げられている。右側の気の強そうな少女(イラストでは青)がこの二人と小さめの人間たちを神への生贄として捧げているように見える。

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エドガー・ドガ 「ベレッリ家の肖像」1858年~67年頃 パリ・オルセー美術館

家族のポートレート写真の代わりの絵ではない。手前の少女二人には足が一本ずつしかない。手も位置が少し下にずれているか全く見えないかであり、首もどこか取って付けたようにわずかずつずれている。少女たちの失われた足は背後の家庭教師(?)の女の首にマフラーのように掛かっている。後ろの机の上に上から降りて来た長い大蛇が頭を見せていて、そいつに女が何かを喰わせている。この大蛇の頭、少女たちの手を既に呑み込んでおり、その手が透けて見えているかもしれない。

どこかから捕まえて来た少女二人を解体し、神への食糧として捧げている図であろう。

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モネ 「昼食」 1870年 ドイツ・フランクフルト・シュテーデル美術館

裕福な家庭の豊かな朝食の風景・・・・ではない。母親と家庭教師の視線の先の幼児には手足が無い。画面左下隅の、こけしのような人形が幼児の今の姿を暗示している。テーブルの左端にあるフランスパンが落ちそうな位置に置いてあるが、これは幼児の片足である。家庭教師のコートの中にいる大蛇に咥えられている。奥のメイドがこの光景をこわごわ見つめている。テーブルの上にあるのは幼児の肉や血であり、上方から降りて来る巨大な蛇神(イラストで青)の為の食糧である。

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ムンク 「継承(Inheritance)」 1897~1899年 オスロムンク美術館

遺伝病でやせ細って死んだ子供を膝の上に乗せ、ハンカチを口に当てて泣く母・・・・ではなく、この女は拉致した子供を神への生贄として捧げているのである。供物は白い布で包み、石の台の上に乗せて捧げるのが生贄の儀式のルールであるらしい。この女は椅子に腰かけているのではない(長椅子は途中で切れている)。また生贄の儀式に協力した余禄として自らも小さな人間を口に入れている。

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ヨハネス・フェルメール真珠の首飾りの女」部分 1664年頃 ベルリン国立美術館

窓辺で首飾りを持ち上げている女の手前に大きく描かれたこの部分、ここには神への捧げものとしての人間たちの肉体が積まれている。既に切断・解体されすぐにでも呑み込めるようにしてある。

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ヨハネス・フェルメール 「窓辺で手紙を読む女」部分 1659年頃 ドレスデン・アルテ・マイスター絵画館

手紙を読む女の右側に何故かカーテンが大きく描かれている。ここには捕獲された人間たちが吊るして保管してある。逆さ吊りだったりもするが、この人間たちの頭部は既に切られて地面に転がっているようである。

映画に「Mid Night Meet Train」と言うのが有ってYou Tubeで見た事があるが、電車の中で人間を殺し、逆さ吊りにして血抜きをする場面があった。それとそっくりである。また同じYou Tubeでレプティリアンの地下での人間貯蔵の様子があったがそれとも似ている。

定期的に地上に降りて来て人間を喰う蛇型生命体の為にこんな風に人肉を貯蔵しておく施設がどこかにあるのだろうか。

 

今は太古の昔のように露骨に人間狩りをする事は無く、秘密裏にそれが行われているのだろう。

大方の人間は繁殖用として、一生涯それに気付かないまま死ぬ。ただ家族・親族の繁栄だけを祈願しながら何も気付かないで死んで行く。それはそれで幸せかもしれないが・・・・。

 

ルノワール「プロムナード」 人間を拉致、解体、そして食い物へ

 子供を誘拐し、神への生贄として捧げる役目の者がいる。この作品に描かれた姉妹を引き連れる女がそれだろう。

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ピエール・オーギュスト・ルノワール 「プロムナード(散歩道)」 1874~76年 ザ・フリック・コレクション(アメリカ・ニューヨーク)

この作品を観るのは2回目で、前回は2年前、蛇に絡められて拉致される少女たちの姿に気が付いた。今回はさらに詳しく調べたい。この2年間で自分の目がより良く見えるようになっただろうか。

公園の散歩道を姉が妹たちを連れて歩いている。妹たちはお揃いの暖かそうなフリル付きのコートに身を包み、姉も厚手のコートに毛皮のマフラーのような物を身に付けている。寒い時期なのだろう、皆大きめの帽子もかぶっている。画面右手奥には散歩道上で談笑する人々、赤ん坊・女の子・犬などが固まって描かれている。

疑問点としては、紺のコートの姉が異様ななで肩で、腕も長すぎる事である。スカートの裾も野外で履くには長すぎ、地面を擦っているのも変だ。3人の帽子がケーキのような形であり、少女たちの手の付け根が髪の毛やマフラーに隠れてよく見えない。右に見える少女の前に出した左足は右足と色が違う・・・・等である。右奥の群衆も、3人を引き立たせる為とはいえ、こんなにぼやかせて固めて描かなくても良いのではないか。右端真ん中のピンクっぽいのは岩か? 姉の背後の景色は低木か? 何であるかが分からい表現になっている。 

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姉の口から何かが出ている。イカゲソを喰っているのか。頬が赤く少し膨らんでいる。

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二人の少女の顔。おしゃれ着を着て取り澄ましているようにも見えるが、何かを頬張っているようにも見える。左の少女の目が茶色っぽく、右の子の目と微妙に違う。髪の色の明るさも違うし、ひょっとして姉妹では無いのかもしれない。

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右の子の手に持つ人形、全く可愛くない。乱暴に扱って壊れかけた人形? 首の位置も少しずれている気がする。この部分図では見えないが全体図で見るこの人形の足はかなり下にずれていて、足が胴体と繋がっているのかどうか分からない。

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少女二人を部分図にしてトレースしながら詳細に見てみた。まず人形の足の位置が下すぎるのが見える。二人のドレスの縁の飾りは蛇であるのも見えて来る。蛇の身体の所々にが呑まれた人間が透けて見えている。姉の袖口の毛皮もマフラーも蛇である。つまりこの二人は蛇によって首・手・胴体を絡められ縛られた状態になっている。また二人とも右腕の位置が下にずれており、肩の所を姉の手が抑えた形になっている。

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姉の濃紺のコートは大蛇で出来ているらしい。大蛇が絡み合うようにして形作っているからこんななで肩に、また長い腕になっているのだ。やはり呑み込んだ人間が透けている。肩や首元に見える大蛇の頭が人間の足を咥えている。髪の毛やマフラーではない。恐らく切断された少女たちの足を咥えているのだろう。時間的にこの後の少女たちの運命をこうして示しているらしい。姉の首元のリボンのような物が大蛇の頭の一つであり、その上に横に流れる茶色っぽい物は少女の手かもしれない。

誘拐された少女たちはこの後首・手・足をバラバラにされて蛇神に供物として捧げられる。その手助けをしているのが、この絵では姉に見えるこの女である。いや女と言うよりも蛇の化身と言った方が良い。

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少女たちの下半身。コントラストを強めにすると、血の赤色が浮かび上がる。ここに見える3本の足は噛み千切られ、神に喰われる。

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画面右奥の群衆は大蛇に襲われ混乱している様子を表しているようである。同じルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(ほぼ同年の1876年作)の奥の描写と同様人々が喰われている。散歩道上に髪の長い女性が後ろ向きに横たわり(犬ではなく)、道の隅には小麦色の裸の人間が横たわっている。上方から来た巨大な蛇がそれらを口にしている。

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全体図にしてみると、蛇で絡め捕った少女二人を蛇の化身の女が手で押しながら神の下に導く様子が見て採れる。蛇の化身の女の下半身は無数の蛇が下に向かってぶら下がっており、地面の中の人間に喰い付いているらしい。蛇神は二人の少女の左右におり、また化身の女の背後にも女に喰い付く形で正面顔を見せている。蛇の化身の女もいずれ共食いのようにして喰われるのだろう。

少女たち自身も手に小さな人間を捕まえて持っている事に気付いた。右の少女の持つ人形のスカート部分も小さな人間である。太古の時代、人間が創造された頃の世界をこう言う絵画で隠し込んである。少女たちも巨人族である。

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最も大きく描かれた巨大蛇神の中の蛇神はこれだろうか(イラスト中青い輪郭で表した)。少女二人を口に当て、喰っている最中である事を表し、化身の女は聖母マリアのように蛇神の鼻先に乗っている。

冬の日の好日、お散歩をする姉妹を描いた絵の中に世の中に真実を隠し込んである。宇宙から来た蛇型生命体が地球上に自らの遺伝子を使った巨人を創り、さらにより地球に順応した小さな人間を創り、それらを食糧としている。この真実を何故絵画芸術の中に隠し込んであるのか、その理由はいまだに不明である。

現在この国で行方不明になっている人の数は8万人ほどだと言う。その内発見される人の数を引いても、毎年数百~数千人がいまだに見つからないと言う。そう言った失踪者の中にはこの少女たちのような形で拉致されて神への生贄にされている者がいるに違いない。




 

 

神の食事を補助する者

空からやって来た蛇神が人間を喰う時、その補助をする者がいる。今回は彼らの姿を追ってみた。

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ポール・ゴーギャン 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」部分 1897~98年 ボストン美術館

画面中央のこの青年、木から果実をもいでいる格好をしているが、実は上空の巨大蛇に小さな人間を与えている姿である。青年はハサミも収穫籠も持っていないし、果実自体も木に繋がって生っているようには見えない。果実を収穫する姿だとしたら何故画面中央に描かれているのか意味が分からない。神に生贄の人間を捧げる巨人の姿である。

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レンブラント・ファン・レイン 「聖ステバノの殉教」部分 1625年 リヨン美術館(フランス)

聖人に石をぶつけて殺してしまおうとする人々を描いてある。しかし空に向かって振り上げた手の先にある石は小さな人間である。それを上空から降りて来た巨大蛇が口に当てている。

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ポール・セザンヌ 「大水浴図」部分 1894~1905年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

この寝ころんだ裸の女は異常に太っているが、どうやら奥と手前の二人の女がほぼ重なっているらしい。尻や背中の線が二人分ある。二人とも両手を揃えて上から来た神に捧げ物をしている。手に持つのは(形がよく捉えられないが)小さな人間であろう。

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サンドロ・ボッティチェリ 「プリマヴェーラ(春)」部分 1477~1478年 ウフィツィ美術館フィレンツェ

上に向かって上げられた手の先に小さな人間がいる。彼らはどこかで狩ってきた人間たちを衣のように身に纏い、髪の毛のように頭にかぶり、上空で控えている蛇神たちに生贄を捧げている。

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エル・グレコ 「ラオコーン」部分 1610~14年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

絵の画面右上にいるこの人々は神話上の神らしい。上空の蛇神に手先や頭の上に乗せた小さな人間を与えている。一番右の人物の顔がおかしく見えるのは恐らくこの部分が生贄の人間の塊で出来ている事を鑑賞者に気付かせる為にわざとおかしく描いていると思われる。彼らは素っ裸のように見えるがよく見ると小脇に人間を挟んで持っている。また彼ら自身も人間を常食している事を示すように、空らの身体は人間の身体の組み立てで出来ている。人間を構成していた有機物が彼らに吸収されて彼らの身体になっている事を示しているのだと思う。

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ギュスターヴ・クールベ 「もの思うジプシー女」 1869年 国立西洋美術館

女の肘をついた左手には小さな人間が髪の毛のふりをしながらたくさんいる。それを空から蛇神が喰っている。また彼女の目線の先、画面の左下にもトカゲの横顔のような蛇神が一匹いる。うっすらと気付かれにくいような微妙な濃淡で描かれている。そいつも女の右肩に乗った小さな人間(髪の毛に見える)に口を付けている。

この絵では女(巨人)自身も喰われる運命にある事が暗示されている。女の頭に喰い付く巨大蛇神が壁の中にいるし、女の下半身が右の奥にブラ下がっているからだ。壁の右端の茶色い部分は降りて来た神にも見えるが、女の横向きの下半身にも見える。右手の肘から先の色も変わっているし左手の胴体との繋がりも不明確で、首自体も色が変わっていて赤っぽくなっている。この女は身体をバラバラに分解されて喰われる運命を示唆しているのだろう。

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ピエール・オーギュスト・ルノワール 「大水浴図」部分 1884~87年 フィラデルフィア美術館

両手の先に持った人間を上から来た神に喰わせている。

手前の女にさえぎられて分かり難いが、この女の足は異様に長い。切られた足がそこに置かれている感じで、恐らくこの女も手足を切られて呑まれるのだろう。

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ポール・ゴーギャン 「楽しい島(Te Nave Nave Fenua)」部分 1982年 大原美術館

この女の右手先、左手先をよく見るとはっきりと何かを持っているのが分かる。背後の巨大蛇神に人間を喰わせている様子が描かれている。

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ピーテル・パウルルーベンス「ヴィーナスの戦車」部分 1630年 スウェーデン国立博物館

ヴィーナスの銅像と見せて実はヴィーナスその物であろう。右手に持つのは蛇神を呼び寄せる通信機とも見えるが、単に小さな人間かもしれない。左手の先、右手の肘の辺りにも人間がいる。左手と身体でも人間を挟んで持っているらしい。おなかがぽってりと膨らんで見えるのはそのせいだろう。

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エドガー・ドガ 「ベレッリ家の肖像」部分 1858年~67年頃 パリ・オルセー美術館

黒い衣服の家庭教師(?)の左手が裏返っている。後ろの棚の上にある何か分からない大きな貝殻のような物は大蛇の頭である。左手にある人間をこの蛇に与えている。肩に二つの足を乗せているが、これは手前の二人の女の子の足であり、これも蛇に与えるのであろう。この家庭教師の女のような人間の姿をした蛇神の協力者が、現在でも政治家とか、指導者とか、有識者とか言った形で社会の中に紛れ込んでいるのだろう。もちろん大昔のような巨人ではなく人間と同じサイズで・・・・。

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レンブラント・ファン・レイン 「キリストの説教」部分 (ハンドレッド・ギルター・プリント) 1646~50年 リンクス美術館(オランダ)・メトロポリタン美術館アメリカ)等

病気の赤ん坊を掲げてイエスキリストに見せようとする若妻。この部分図ではイエスの右手辺りも見えている。イエスは別の子供を小脇に抱えており、またこの赤ん坊を若妻から受け取って神に捧げようとしているのだろう。この若妻自体は赤ん坊の母ではなく、どこかで人間狩りをして来たイエスの仲間であろう。

現在の世界で行方不明者・失踪者・蒸発者とかがたくさんいるらしいが、彼らはこう言った神の協力者にさらわれているのだろう。戦争時の戦場・疫病流行時の病院内においてさらわれる人間がいて、この絵のように神の子や神に生贄として捧げられているのだろうか。児童養護施設と言うのも怪しい。

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ポール・ゴーギャン 「イア・オラナ・マリア(我マリアを拝する)」部分 1891年 メトロポリン美術館

女の肩に乗った子供は神への捧げものである。この子の他にも女は別の人間を両脇に抱えている。

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エドゥアール・マネ 「鉄道」部分 1873年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー 

右の女の子はどこからかさらわれてきた子であろう。右手が無い。左の夫人がこの子を捕まえて来た。この女の左手は膝の上の本の所には無く、背後の鉄格子の奥で女の子の右手を持ち、白っぽい巨大蛇神に喰わせている。(女の左手の一部を肌色の小さい人間とおもえる物が隠しているので手っぽく見えないように描いてある)

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖アンナと聖母子」 1508年頃 ルーブル美術館

聖母が手を掛けている子供はイエスではなく、神の食糧となるその辺で捕まえて来た子供であろう。この子の手の中の羊は小さな人間で組み立てられている。画面右上から大きな蛇神が喰い付いている。羊型にまとまった人間たちに喰い付く地上を這う大蛇もいる。聖母とその母アンナは生贄を少し横取りして喰いながら口から血を滴らせている。神に人間を与えながら自分たちもそのおこぼれにあずかって喰うと言うのも協力者たちの特徴である。奴らは冷血動物の血が濃いから道義も礼儀も無いし、ましてあたたかい感情など全く無い。

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ポール・セザンヌ 「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」 1904~1906年頃 ブリジストン美術館

手前に人間の女が横たわっている。股を開いて出産している。助産婦が一人の赤ん坊を取り上げ、上方に掲げている。赤ん坊は真っ黒である。死産だろうか。こんな赤ん坊さえ蛇神は上方から喰いに来る。

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ヴェロネーゼ 「ルクレティア」 1580年代 プラド美術館(スペイン・マドリード

剣で胸を突くローマの貞淑な妻ルクレティア・・・・と見せて実はこの女、出産したばかりの赤ん坊を神に喰わせている。画面右下に四つん這いで出産している女がいる。椅子の背に衣装を掛けているのではない。出て来た赤ん坊を左手で持ち、右手の剣でその子を突き刺している。ルクレティアの視線は左下に注がれているが、そこに蛇神がいる。ここでは上方からでなく下から大きな頭を持ち上げて口を開いて赤ん坊を呑み込もうとしている。

画面右上のカーテンは大きな女の尻にも見え、彼女が左手で持っている赤ん坊はここから出て来たようにも見える。

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ニコラ・プッサン 「アルカディアの牧人たち」 1638~1640年頃 ルーブル美術館

 まだ出産されない胎児の状態でも喰われる場合がある。

この絵では牧場の主人が若い牧童を後ろから性交してして繁殖行為をしている。墓石に見える大きな女の身体(四つん這いになって尻をこちらに向けている)の中に胎児(墓石を指さすしゃがみこんだ男の手の向こうに影があり、それが胎児の形になっている)がいて透けて見えている。それを牧童たちは指さし示している。胎児と四人の人物を巨大な神が全て呑み込むように被さっている。人間がニワトリの卵や魚の卵を喰うように、神も人間の胎児を喰うのだ。

墓石に描かれた銘の意味は、「神は出産前の胎児の肉体でさえも喰う」と言う事だと思う。

この絵に描かれた四人の人物は神への供物を調達し指し示す協力者である。