名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

龍の上の補助者

ティツィアーノの横たわる裸婦を調べていて気付いた事がある。画面全体に隠れている神の像の鼻先に裸婦が乗っている事である。

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テレビの「まんが日本昔ばなし」のオープニング映像にこの絵がある。空を飛ぶ龍の上に子供が乗っている画像だが、ティツィアーノの絵はこれによく似ている。龍には三本指の手や角・口ひげ・背びれ等があってもこれは大きな蛇である。これは横山大観その他の龍の絵を調べた結果、蛇である事を知っている。角や口ひげも別の蛇が絵の中でくっ付いているだけであるのが見て採れた。この子供向け番組の作者はこの世の支配者とその補助者の事を知っているのではないか。以下東洋・西洋における蛇神とその補助者の画像を列挙してみる。

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国宝「高野山聖衆来迎図」絹本著色 三福 平安~鎌倉時代  有志八幡講十八箇院蔵

阿弥陀様が眷属を引き連れて西の空からお迎えに来る。しかしその正体は巨大な蛇神である。この画像の中で阿弥陀は膝の上に人間を乗せて神の鼻先に乗っている。あたかも神を案内して地上の人間を喰う場所に連れて来たような形になっている。

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国宝 「山越阿弥陀図」 鎌倉時代 13世紀 京都国立博物館 

この絵でも阿弥陀が山(人間の山)の所に蛇神に案内する為に鼻先に乗っていると見ることが出来る。また阿弥陀は蛇神の頭の中に入っているので、いづれ人間と共に喰われてしまう運命を暗示していると言う事もあるのかもしれない。

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国宝 「釈迦金棺出現図」 11世紀(平安時代) 京都国立博物館 

分かり難いが、画面全体に巨大な蛇神の頭の輪郭がうっすらとうかがえる。その眼と眼の真ん中に釈迦が、神の口先にその母がいる。地上、神の周りには無数の人間がいる。キリスト教でのイエスとマリアに相当する二人が神に人間たちを喰わせている図であろう。

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重要文化財 一山一寧賛 「松下達磨図」 14世紀 東京国立博物館 

阿弥陀・釈迦に限らず、この絵のように達磨太子のような聖人も蛇神の鼻先に乗って食事の補助をしている。達磨自身も小さな人間を手に持ち喰っているらしい。

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国宝「辟邪絵 天刑星」 平安時代12世紀 奈良国立博物館 

新型コロナウィルスに対抗する神として「アマビエ」と言うのがもてはやされているが、この怪物も厄病神を食い殺す神として描かれたようである。しかし明らかに巨大な蛇神の鼻先に乗って共に人間を喰っている図で、喰っているのは厄病神ではなく普通の人間であろう。

蛇神は絵の中ではこのような巨大な蛇として描かれるが、そのままの姿で地上に降りて来ることは恐らく出来ないのであろう。別の星からやって来たので地球上の生物とは身体の組成・次元が違っている。地上の既存の生命体を食糧にする為に様々な試みをし(遺伝子の掛け合わせを試し)地上の猿に似た生物に自らの遺伝子を組み合わせた生命を創った。それが神話上の神々・宗教上の神・聖人たちで、今の人間に比べて巨人であった。彼らは男女の区別なく一代限りの存在なので、より繁殖力が強くより地球に適合した小さな人間を創った。さらに免疫力の強化のために男女に分け、多様性を付けた。地上に小さな人間たちが繁殖すると、巨人たちに手伝わせて定期的に空から降りて来て食事をする。以後現在までこの状態は変わらない・・・・と、こんな風に思っている。

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ティントレット 「聖母子を崇める二人の伝道者」 1570年以前 ベルリン絵画館

西洋キリスト教のマリアとは、蛇神が最初に創った巨人だったのではないか。もちろん地上の既存の生命体と蛇型宇宙人とのハイブリットである。この絵ではマリアは巨大蛇神の鼻先に乗りながら食糧としての幼児を手にしている。蛇神は地上の伝道者と見える複数の人間の塊を神に喰わせている。

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ルーベンス 「聖母被昇天」 1625~1626年 アントウェルペン聖母マリア大聖堂

この絵は聖母が天に召される所を描いた物では無く、逆に神を案内して地上の人間たちを喰いに降りて来た所を描いてある。マリアの身体に食い物としての人間が何体もへばりついている。

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ミケランジェロ・ブオナローティ 「最後の審判」 1537~1541年 システィーナ礼拝堂(ヴァチカン)

僕には神の顔がこんな風に見える。その鼻先にイエスが乗っている。地獄(地上)から巨大な蛇神が小さな人間たちを口でさらって喰っている。

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ラファエロ・サンティ 「キリストの変容」 1520年 ヴァチカン美術館

イエスの死後復活昇天のこの絵は、日本の「釈迦金棺出現図」とよく似ている。蛇神の上のイエス(釈迦)、右下にマリア(釈迦の母)らしき女が配置され、地上の人間たちを神に与えている。

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レンブラント「キリストの説教」(ハンドレッド・ギルター・プリント) 1646~50年 リンクス美術館(オランダ)・メトロポリタン美術館アメリカ)等

この版画でも同様の構図が見られる。巨大な蛇神の鼻先にイエスが乗り、地上の人間たちを喰わせている。

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ラファエロ・サンティ 「ユリウス2世の肖像」 1512年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ローマ教皇の背後に恐ろし気な怒り顔の神が隠れている。教皇は神の鼻先におり、下半身の人間を喰わせている。教皇自身も後に神に喰われる。

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レンブラント 「ルクレティア」 1664年 ナショナルギャラリー(ワシントンD.C.)

同様にこの聖人も下半身その他の所にいる人間を神に喰わせている。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「荒野の聖ヒエロニムス」 1480年頃 ヴァチカン宮殿

地上に人間の身体が散乱している。獅子の身体も人間で組み立てられている。画面全体が血の赤い色で染まっている。聖人ヒエロニムスが神の鼻先で食事の補助をしている。自らの心臓を右手でつかみ取り、その血を桶に溜めて神に捧げている。神は人間の生き血を好むようだ。

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サンドロ・ボッティチェリ 「ヴィーナスの誕生」 1483年頃 フィレンツェウフィツィ美術館

この絵での蛇神の顔は僕にはこう見えたがどうだろうか。蛇っぽくないので多少違うかもしれない。ヴィーナスが鼻先に乗っているとすれば神はこの位置にいるはずだと言う事でこんなイラストになった。ヴィーナスはマリヤと同一の物、もしくは同等の役目を持つ存在だろう。地上に横たわる人間たちの所に神を案内して来た。

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サンドロ・ボッティチェリ 「プリマヴェーラ(春)」 1477~1478年 ウフィツィ美術館フィレンツェ

巨大な神の頭の輪郭がそれとなく見える。真ん中で少し浮き上がっている春の神プリマヴェーラが神の補助者である。

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ウジェーヌ・ドラクロワ 「民衆を導く自由の女神」 1830年 ルーブル美術館

自由の女神が民衆を導く。何処へ導くのか。神の口元へである。

革命とか戦争とかで人々を殺し合わせるように指導するのはこの女神のような存在なのだろう。その殺し合いの混乱に隠れて神が人間を喰いに来ているのではないか。

現在米中戦争を危惧する声が聞こえるが、米中戦争は既に行われているのではないか。過去の戦争のようなあからさまな殺し合いではなく、ウィルスを世界中にばらまく・サイバー攻撃をする等で発生した騒動・混乱自体が現代の戦争の形態では無いのか。そんな中で今の日本のでは、一見魅力的に見える指導者(某都知事)が混乱に拍車をかけている状態では無いのか。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「ウルビーノのヴィーナス」 1538年頃 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

前回見たこの絵では、ヴィーナスが神の口先で横たわっている。ベッドのシーツの中に隠れている人間たちを神が喰うのをヴィーナスが補助しているように見える。奥で立っている女も食糧としての人間を集めて神に提供する役目の者だろう。

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エドゥアール・マネ 「オランピア」 1863年 パリ・オルセー美術館 

前々回のこの絵も全く同じ趣旨である。ただこの絵の場合、黒人召使の方が補助者としての役割が強く、横たわる裸婦自体は喰われる存在としての役割が強いように思える。

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「まんが日本昔ばなし」のエンディング曲と共に流れるこの映像が、何か別の意味に思えてくる。すなわち裸の子供二人、ウサギ・クマ・キツネのペアは繁殖を願っているし、「いいな いいな にんげんていいな」と言う歌詞は「人間は喰うにはおいしくていいな」に聞こえる。

現在でも蛇型生命体の人間支配は続いている。地球上に家畜として繁殖させている。その食事の際には人間の姿の似た指導者・英雄その他の補助を得て人間には分からないようにしている。

 

ティツィアーノ 「ウルビーノのヴィーナス」 人間は生贄用の家畜

横たわる裸婦、今回はティツィアーノの作品。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「ウルビーノのヴィーナス」 1538年頃 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

見やすくするために明るくする。

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神話の女神像ではあるが、16世紀当時の室内のベッドの上に横たわらせている。綺麗な体の裸婦と背後に従者二人がチェストに頭を突っ込んで衣服を取り抱いている光景が描かれている。ベッドの足の方には犬が丸くなって寝ている。

この裸婦、よく見ると色々おかしな点がある。腹がぽってりと膨らんでいる。足が少し短く胴が長くはないか。右手に持っているのは何かの果実? 素っ裸でベッドの上で物を喰っている? 画面左下でシーツがめくれているのは何故か。

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奥で衣料ケースに頭を突っ込んでいる、この尻の異常に大きな女、これがまず気になった。この女の両腕と頭がどうもおかしい。上のイラストのように腕と頭を大蛇に呑まれているのではないか。

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ヴィーナスの顔。整った美しい顔だが、下唇が赤く染まっているような・・・・。高画質の元絵が手に入らなかったので核心的な事は言えないがどうも怪しい。唇の右端から何かが出ているようにも見える。

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右肩の盛り上がりがはっきりしすぎており、僕にはそこに小さな人間が見える。またこの右手は肩の所で切断されていると思える。赤っぽい髪の毛で隠されているが、何となく切り口がうかがえる。右乳・右肩の膨らみを尻の両丘とした人間が見える。前回のマネと同じである。とすると首も切れているのかもしれない。

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右手に持っているのは葉付きの赤い果物ではなく、小さな血だらけの人間たちであるようだ。葉っぱはそれに喰い付く緑の蛇だろう。ヴィーナスはこの小さな人間たちを喰っていたのである。

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下に落ちているのも血だらけの人間と緑の蛇と思える。

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左手の指の隙間から小さな人間の身体の一部が見えている。ヴィーナスの腹と左右の足が尻の形になっていてヴィーナスの下腹部に向かっている。この三方向の尻から生まれ出た小さな赤ん坊をこの左手は掴んでいるのだろう。

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もう少し高画質の物だったら良かったが、それでも指の間から飛び出ている小さな手や足や頭らしき物が見えるだろう。

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ヴィーナスの右足、膝の下に蛇が顔をのぞかせている。隙間から向こう側が見えると見せかけて実はこちらに出っ張った物体がある、こう言う表現をたまに見かける。

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フェルメール 「牛乳を注ぐ女」 1658~1660年頃 アムステルダム国立美術館

この絵のミルクポットの中には大きな黒い蛇が顔をのぞかせていている。ポットの中の黒い面が見えているのではない。凸面を凹面のように見せているのである。本来なら中のミルクが見えるはずの角度で描かれているのに見えないのはその為である。

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手前に来た左足のかかと部分や右足の指の表現もおかしい。指も長すぎる。恐らく喰われた人間の身体が含まれているのを示したかったのだろう。

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奥の立っている女が担いでいるのは衣装とかカーテンではなく、大きめの人間である。両手でそれを掴んで持っている。蛇神の食糧を運び込む補佐的な巨人族だろう。この女が見つめる左側の跪いた女も食糧の一つであるかもしれない。

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ベッドの上の犬。後ろ脚、前脚の表現がどこかおかしい。よく見てイラスト化するとこんなになった。小さな人間たちが固まって形作られている。生贄の食糧であった。

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またこの犬、部分図を小さくして遠目で見ると、骸骨が横たわっているように見える。

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ハンス・ホルバイン 「大使たち」 1533年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー 

画面の中の骸骨の隠し絵と言えばこの絵が有名である。ティツィアーノのヴィーナスと同じころの作品で、画面下の変な浮かんだ物体を絵を右斜めから見るとそれが見える。ティツィアーノはこれほど露骨では無いが、分かる人には分かるように骸骨を置いているのではないか。ティツィアーノの犬の骸骨は、奥のチェストに頭を突っ込んだ女の頭であるかもしれない。

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ヴィーナスの身体全体を見る。過去に喰った人間の身体で組み立てられている。下腹部に集められた人間の尻から出て来る赤ん坊と、右手に持った人間を喰っている。また彼女自身も首・右肩・左肩・そしておそらく右足首が切断されている。

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全体のイラスト。ベッドのシーツの中にも人間の身体が何体も横たわっている。これら生贄の人間たちを上方からやってくる巨大な蛇たちが喰おうとしている。

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巨大蛇たちの内最も大きな者が画面いっぱいに描かれている。ヴィーナスはこの蛇神に人間を食糧として与える者として存在しているのか、巨大蛇の鼻先に乗っている。キリスト教のマリア像が巨大蛇の鼻先に乗っているのと同じである。

地球上に人間が創られた当初から現在まで、真実は変わってないのだろう。人間は牧場に飼われる家畜であり、時々空から来る巨大な蛇神に喰われている。その食事の補佐をするのがかつてはヴィーナス・マリア・観音等と呼ばれる巨人族たち。太古の昔(教科書で教わる事の無い歴史以前の長い時間)は人間は狩られるだけの存在だった。、現在では巨人族ではなく、より人間に近い大きさの英雄・偉人・政治家・富豪・皇族・貴族・華族たち。その手下もたくさんいるようである。現在ではより秘密裏に生贄の儀式がどこかで行われていると思われる。生贄にされない大部分の繁殖用の人間たちも奴隷のように労働を強いられている。

 

マネ 「オランピア」 ベッドの上の肉塊 供出された食糧

ベッドの上に横たわる裸婦、この画題は多くの画家たちによって度々選ばれてきた。ティツィアーノ・ゴヤ・アングル等である。今回採り上げるマネもその一人で、花束を持った黒人召使と共に描かれている。

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エドゥアール・マネ 「オランピア」 1863年 パリ・オルセー美術館

首に巻いた紐・サンダル・右端の黒猫(女性器の隠語)と「オランピア」(娼婦の通称)と言う画題から、娼婦を描いたとされて世間では不評だったそうだ。

画面が暗くて詳細が分からないので明るくする。

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ティツィアーノの裸婦と同じポーズだが、尻の下に敷いた黄色っぽい布は何だろう。ベッドのシーツが左下部でまくれ上がっているのは何故だろう。花束を持った召使は胡散臭そうな目で裸婦を見ているのは何故だろう。また裸婦自身も顔が大きすぎないか。手足が短かすぎないか。

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この女性の首紐の所、首が向かって右方向にずれている。首が切られて生首がそのまま置かれているような感じになっている。

口の真ん中に何かが飛び出しており、頬が何かを含んだように膨らんでいる。

右肩・左肩の輪郭がどこか不自然である。

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ポール・ゴーギャン 「食事」(部分) 1891年 パリ・オルセー美術館

ゴーギャンのこの絵ではこの子の首が切られており、切り口は赤く、テーブルの上にナイフが置かれていた。死んだ目をしている。これと同じ首切りの絵ではないか。

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顔の部分図をイラスト化するとこんな風に見えた。小さな人間を過去に喰った巨人族、また現在も人間を口に入れている巨人族である。この巨人自体も首を切られている。

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右手で掴んでいるのは小さな人間たちだろうか。これを喰っている最中だったのか。

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股間に当てた左手。親指の腹が変に膨らんでいる。小指・薬指は他の三本の指と色合いが違うのでこの巨人の本当の指は三本だけかもしれない。爬虫類遺伝子を濃く持っているこの生命体は鳥のような手先を持っているのだと思える。

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右手で持っているのは人間の足かもしれない。切断されて切り口から大量の血を噴き出している。

左手で隠した下腹部の周りには人間の尻が集まっている。すなわち左右の足、腹に人間の尻の表現があり、この巨人の女性器に向けて出産の体勢を取っている。

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足先とスリッパの所。この辺がよく分からない。スリッパの裏面の表現が明らかにおかしいし、右足先の指もおかしい。

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左足先はどうやらスリッパの中に入っておらず、後ろの布の中に突っ込まれているらしい。このスリッパに見える物は蛇ではないか。蛇が大口を開けて右足の指に見える人間を呑んでいるのではないか。右足先は恐らくここには無い。

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召使の表情、上体を後ろにそらし気味にした感じ、忠実な従者には見えない。

左手が見えないので絵としてバランスを欠いているのではないか。

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黒人召使の顔。口から何か飛び出していると思ってイラスト化してみるとこんな風になった。小さな人間を何人もほおばっている。口の端から血を滴らせながら。

額から頭に掛けてやたら大きいのはここに大蛇がいるかららしい。イラストのようにも見えたが頭全体にかぶり付く大蛇であるようにも見える。

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拡大すると下唇の辺りの違和感がよりはっきりと見える。

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花束が僕にはこう見えた。胴体が色とりどりのニシキヘビ、それがとぐろを巻いている。口に小さな人間を咥えている。

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黒猫の尻尾は上から降りて来る蛇である。猫の身体は人間の身体を組み立てて出来ている。 

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横たわる裸婦の身体だけを見る。両肩・乳房の所に人間が見える。右肩右乳を尻の両丘とした後ろ向きの人間がいる。この上に生首が乗っている。腹の所に性行為をする男女がいるようだ。後ろの男の尻はこの巨人の下腹部に接触している。右足左足にも人間がいてやはり尻を巨人の下腹部に付けている。

巨人が右手に持つのはこういう形の人間の足と見えて来た。

ベッドの上に横たわるのは人間にとって魅力的な裸の女性ではなく、人間を食糧とする生命体から見たおいしそうな肉の塊である。所々呑みやすいように切ってある。いわば食卓の上の豚の丸焼きのような物であろう。もっとも彼らは肉を調理せず、生のまま食べるのが常である。しかも繁殖行為中でも出産途中でも喰うらしい。

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ドミニク・アングル 「グランド・オダリスク」1814年 ルーブル美術館

以前調べたアングルのこの作品でも、裸婦の身体は人間の身体の組み立てであり、尻から子供を出産している所が含まれていた。それと切断された人体の一部が所々に見られた。裸婦の持つ扇・枕・背後の衝立の中に輪切りにされた人体が置かれている。

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アメディオモディリアーニ 「赤い裸婦」 1917年 ジャンニ・マッティオーリ・コレクション(イタリア)

マネの作品の50年ほど後であるが、こういう作品が描かれている。裸婦の身体を見ると、右肩と右乳を尻の両丘とする人間がそこにいる。女性の下腹部に集まる人間の尻がある。そこに集中して出産するかのような表現がある。全くマネと同じ表現である。しかもモディリアーニのこの作品でも、裸婦の手先は切られ、ベッドの上等に切断された人体が転がっている等も同じである。

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全体のイラスト。ベッドの上に人体が転がっているのが見えて来た。黒人の持っているのは蛇と人間であるらしい。その人間は足を切られ血を噴き出しているようにも見える。

黒人召使はベッドの上の肉を蛇神の為に準備する役目を持っているらしい。

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全体図を見ると画面いっぱいに蛇神の顔が隠れている。黒人召使は蛇神の鼻先に乗って餌場まで案内して来たかのようである。

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左 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 「ウルビーノのヴィーナス」 1538年頃 ウフィツィ美術館

右 フランシスコ・デ・ゴヤ 「裸のマハ」 1797年~1800年頃 プラド美術館

これらの類似した裸婦像も恐らく蛇神に供出された肉塊の表現であろう。また詳しく調べてみたい。

 

プッサン 「ヴィーナスとファウヌス・プットーたち」 信じがたい真実

美術品の中の隠し絵で何故人間を食べる巨大蛇が描かれているのだろう? 何故人間の生殖行為が描かれているのだろう? これがこの世を支配している何かの、人間に対するメッセージであるとしたら何故分かるようになっているのだろう? 

もし人間が支配者(自らを人間に「神」と呼ばせている)の家畜・食糧であるとするならば、この真実を知らせる必要は無いのではないか。牛や豚に「お前はいずれ俺たちに喰われるのだ」と言う人間はいないだろう。それとも人間に恐怖心を抱かせる事が喰う際の良い味付けになるのか。

あるいは巨大蛇神は人間にとって悪であると同時に善なる存在であるのか。悪魔は同時に神であると言えるのか。その辺のところがまだよく分からないので色々な名画を調べても結論はいつも同じになる。もう少し深く真相を知りたいものだ。

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ニコラ・プッサン 「ヴィーナスとファウヌス、プットーたち」 1630年 エルミタージュ美術館

ギリシャ神話のパンはローマ神話のファウヌス、エロス・キューピッドはプットーとなる。ヤギに跨って乗ろうとしているヴィーナスの背後からファウヌスが口説いている様子らしい。プットーたちの一人はヤギを引っ張って飛んでおり、もう一人は子供のファウヌスにこぶしを上げて殴りかかっている。神話の知識が無いのでよく知らないが、Wikipediaによるとファウヌスは家畜・多産の意味が含まれた農耕の神であるから美の女神ヴィーナスにちょっかいを出していると言う図なのではないか。プットーたちは単に遊んでいる?

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この絵を最初見た時、こんな風に見えた(イラスト)。ヤギは後ろ向きの人間、それを後ろからヴィーナスがセックスしようとしている。このヴィーナスには男性器が付いている。ファウヌスは背後の岩に見える巨大な蛇の口に喰われている。他にも喰われている者がいる。つまりファウヌスの上半身・下半身(足)は別の人間の物である。

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ファウヌスはいかにもスケベそうな顔をしているが、黒目が大きく、化け物に噛み付かれていて痛みに耐えている表情にも見える。ヴィーナスの右手はどうなっているのか。蛇が伸びてファウヌスに喰い付いているようでもある。

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ファウヌスの衣辺りとヴィーナスの身体の拡大図。人間の身体がこんな風に見て採れる。人間の繁殖行為・大蛇の食人が隠れている。

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ヤギの尻は前屈した人間を後ろから見た物である。尻から子供を産んでいる。ヴィーナスの股間に男性器らしき物が有るような無いような・・・、イラストの位置にあるのか、ヤギの尻尾の右側のがそれなのか?

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ヴィーナスの顔。下唇から人間の小さな足が出ているように見える(元絵がもう少し高画質の物だったらもっとはっきりするのだろうが・・・)。

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ファウヌスも口の中に何かを入れている。顔の色が異様に赤いのは血だらけだからか。

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プットーが子供のファウヌスにこぶしを振り上げている図だが、この二人、どちらも大蛇に頭や足を喰われている。バラバラの肉塊を組み立てて置かれたように見える。下のファウヌスは頭が黒い蛇に丸呑みされているし、上のプットーは左足が身体に繋がってなくてやはり蛇に呑まれているようだ。ヴィーナスの足先が下の子の頭を押さえ付けている。

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全体図で見ると、どうやらこの絵は巨大蛇が巨人たちや人間を喰う図だが、巨人の中のヴィーナスが巨大蛇の協力者として存在し、後ろのファウヌスを右手で蛇の口の中に押し込み、プットーたち三人の幼児を捕まえて次の餌にしようとしている図であると思える。

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岩山を一匹の巨大蛇と見たが、別の見方をすると他の巨大蛇も見える。小さめの蛇もたくさんいるがこの蛇が見やすかった。この他に左上から降りて来る巨大蛇も見えるし、画面いっぱいに、左下の子供二人を口先に当てる超巨大蛇も捉えることが出来る。隠し絵が二重三重に重なっているので見分けにくいが、時間を掛けてじっくり見ると次第に見えて来る。

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そして必ずあるのがこう言う隠し絵。人間の性行為の図と同時に出産する図である。この絵の場合、赤い岩山が横たわった女であり、尻をこちらに向けている。木の幹等で表されているのが男であり、女の背後から生殖器を突き立てている(手先・足先の形がどうしてもうまく捉えられなかった)。女の尻から、また男の尻からも子供が生まれ出ている。

 

人間を喰う巨大蛇・人間の繁殖行為の隠し絵、こう言う物が何故隠されているのだろう? また僕には何故これが見えてしまうのだろう? 

 

この世はまやかしの仮想現実のような物。親から、学校から教わった事柄は真実と程遠いもの、もしくは真実の表面的な事を浅くさらっただけの物であった。その真実は信じられないほど残酷で不都合な物なのかもしれない。これを受け入れるしかないのか。死ぬまで知らないふりをしていた方が楽だ。

プッサン 「バッカスの養育」 人間の宿命

自分は死んだら何処へ行くのか、何処から来たのか、そもそも命とは何か、と言う事を知りたくてこのブログをやっている。昔勉強した美術、その中の有名絵画の中に答えがあると目を付けている。

名画の中に蛇の形や人間の姿が隠し絵になっている。人間たちは蛇に喰われている、食われながら繁殖行為をしている事が次第に見えて来た。

その隠し絵が地球の支配構造を表しているらしいことが分かってきた。すなわち地球を支配しているのは巨大な蛇型生命体であり、人間は彼らによって創られた家畜(食糧)であると名画の中に繰り返し表現されている。

示唆的な柔らかい表現であったり、ひどく残酷な表現であったりするが、そんな名画の作者の中で、レオナルド・ダ・ビンチとニコラ・プッサンの二人に含蓄が多く含まれているように思える。この二人の絵には他の作者の絵のようには容易に解明できない隠し絵がある。一つの形に複数の含みが込められていると思える。

今回はニコラ・プッサン。

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ニコラ・プッサン 「バッカスの養育」 1628年 ダルウィッチ絵画館(ロンドン)

Google Arts&Cultureでたまたま見つけた絵だが、この絵には前回調べたプッサンの「アルカディアの牧人」同様に、人間と言う存在の意義が多く隠れているのではないか。

森の中で幼ないバッカスが周りの大人たちによってワインを飲まされているらしい。ローマ神話のワインの神はこうして育てられたと言う絵なのだろう。画面向かって右の男がバッカスの身体を支え、左の男(半獣神パン)が手に葡萄と皿を持ち、飲ませている。背後の男はそれを見ている。右には翼を持ったエンゼルとヤギ(エンゼルはバッカスにワインで無くヤギの乳を飲ませよと指図しているらしい)、左に相撲をとって遊ぶ子供たちがいる。

この絵で不思議なのは、所々不明確な表現・不鮮明な表現・不可解な表現が見られることである。左の獣神の葡萄を持つ左手は高々と上げられ、不自然に曲線的なのは何故か。右の男の背中が盛り上がりすぎている、幼児バッカスの両手先が不鮮明、ヤギの顔も角もどこかおかしい、左の子供たちは赤く染まっている・・・・。これらのおかしな所に作者の隠された示唆があると見て解明して行きたい。

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大人二人と右のエンゼルの顔は何故か悲痛だ。こんなに厳しい表情を与える必要があるのだろうか。幼児バッカスの手はどうなっているのか。皿の形も皿っぽくなくてどこかおかしい。バッカスの頭の上で葡萄を絞って今更酒になるはずが無いのに、この男は何をしているのか。ただ幼児の呑んでいるのがワインである事を説明するためにこういうポーズをしているだけなのか。

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幼児は手先に何かを巻き付けている。グローブを付けているようだ。

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幼児バッカスをイラスト化した(上右)。元の部分図をトレーシングする事でより良く見る事になる。時間を掛けて、手を動かしてよく見るとこんなイラストになった。

幼児バッカスは小さい人間の形で組み立てられている。これは人間を常食している神々に共通の表現である。所々に人間に喰い付く蛇の姿があり、これも蛇が人間を喰うと言う事の説明である。幼児の手先に人間がおりそれを口に当てている。皿自体も人間の身体で出来ている。要するにこの幼児もワインを飲んでいるのではなく今小さな人間を喰っている。

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左の半獣神パンも人間で組み立てられている。顔から頬に掛けて一人の人間がおり、彼の目は人間の尻の割れ目である。左手に持った葡萄は一粒一粒が小さな人間であるかもしれない。右足が大蛇の頭になっており、幼児の足に噛みついている。

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右の男は上半身と下半身が別の人間で組み立てられている。彼の両腕はこの人間の足である。尻の間から出て来ているのが男の頭であり、男が生まれ出る瞬間を表現している。

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背後の人物の顔。髪も長いし女っぽい顔立ちだがどうだろう? 女神なのか。

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隠れて見えない部分を想像してみた。足を組んで座っているようである。ちょうど股間の辺りに前の男の葡萄を握る手がある。この手の形、背後の人物の股間の男性器を握っているのではないか。

神話時代の神々は男女の区別が無く、生殖機能を持った単一性の生命体であったのではないか。今まで他の名画を見て来てもそんな気がしている。聖書のイヴが創られるまで、またはパンドラ(?)が出来るまで男女の別は無かったのではないか。

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エンゼルは口に何か入れている。

ヤギの角が透けているように見える。これは明らかに蛇だろう。

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エンゼルとヤギの所の部分図。ここがよく分からない。

一応見えたとおりにイラスト化してみたが、どうも判然としない。ヤギの身体と地面に人間の姿が見える。食糧としての人間がこんな形で積み重ねられているのか。

また大きく絵を見た場合の隠し絵をも含めてあってその為に分かり難くなっているのか。一つの形に複数の隠し絵が込められていて分かり難いのはレオナルド・ダ・ビンチの絵と似ている。

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左の相撲をとる子供たち。向こうの子供の顔がやたらでかい。額の所にあるのは切り傷か。手前の子供の顔は死人の様だ。脇腹に付いた斜めの線は刃物で切られた跡か。二人が赤いのは夕日を浴びているからではなく、身体を切られて血だらけになっているのを表しているのではないか。

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二人をイラスト化してみたらこんなになった。下半分が前屈した一人の人間であり、その上に別の人間が逆立ちして重なっている。腕は足である。手前の子供の頭は逆立ちした人間の尻から生まれ出ており、向こう側の子供の顔は単に蛇が数匹取り付いている姿が描いてあるだけである。つまりこの遊んでいる二人の子供に見えるのは、殺された人間(巨人族の子供だろうが)が積み重ねられて置いてあるのであろう。

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イラストを集めて全体図にした。空から降りて来た巨大な蛇どもが巨人族たちが用意した小さな人間たちを喰っている。巨人たち自身も巨大蛇に喰われている。

人間たちは地面に多くおり、咥えられて空中に浮かんでいる者もいる。

幼児バッカスの股下から別の巨人が生まれ出ているように見える。

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蛇の姿をした神の中の神が画面いっぱいに描かれている。三人の大人たちの補助により、幼児たちが神の口の中に呑み込まれる。大神は地面に積み重ねられた人間たちもその他の物も全て呑み込む。

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また別の見方が出来るようにも描かれている。人間の繁殖行為の図である。女(赤)がうつ伏せになり、その背後から男(青)が覆いかぶさっている。エンゼルの伸ばされた手が男性器であり、幼児バッカスが女から生まれたばかりの赤ん坊である。

絵を観る人間家畜たちに繁殖を促す為の隠し絵となっている。

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真ん中の人物四人に、生命の循環のような物が描かれているように思える。

後ろに座った人物の性器を左の獣神が握って精液を出し、皿に注いでバッカスに飲ませる。飲んだバッカスは股下から別の子供を産み落とす・・・・とこんな風に見える。人間の生命のリレーを表しているのではないか。

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さらに大きく見るとこんなイラストになった。人間の女が後ろ向きで赤ん坊を産んでいる図である。バッカスの股下の布はこの女の足先、左の二人の子供は女の手先である。女の右手はエンゼルを掴んでいるから(イラストでは描かなかったが)産んだのは二人の赤ん坊かもしれない。

 

人間は喰われる生き物だから、増産せよとこの絵は言っている。プッサンは蛇神の立場から家畜人間を増やす事を願って絵を描いているのか、それとも人間たちに対して、数を増やして対抗するしか人間のこの不幸な宿命から逃れ出る方法はないと教唆しているのか。

真実を明らかにするのはなかなか一朝一夕には出来ない。