名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ゴーギャン 「我々は・・」 追加

前回のゴーギャンの絵の中で、気になる部分がいくらかあるので付け加えたい。

f:id:curlchigasaki:20191002183853p:plain

画面中央下部、一番目立つ所にこんな光景がある。物を食べる子供の右側、何かを空に捧げる青年の左側である。猫が二匹いる。この猫の後ろに赤味がかった肌色の物が転がっている。

この肌色の物体は人体の一部ではないか。頭や胴体が切断されてバラバラに置かれた人肉ではないか。他の部分の隠し絵の中の人体は人の形を保っているが、これは切断され血の色をも見せている。イラストにすると上図右のようになった。猫が人肉を喰っている。

猫の身体は人間を喰っているから人間の形で構成されている。

地面の青い部分・灰色の部分にも人体が転がっているが、この肌色の部分はそう言う隠し絵では無く実物が存在する。明らかに果物では無い。すると右の青年が高く掲げているのはこの人体からもぎ取った心臓であるか。

f:id:curlchigasaki:20191002183950p:plain

残酷な表現が画面の一番手前に描かれていたが、他に気になる部分がある。

画面向かって左奥の神の像の左側に、ホタテ貝のような物に包まれた女がいる。これは何か? 肌色の大蛇が大口を開けて女を呑み込もうとしている様に見える。またこのホタテ貝は女性器であり、女が生まれ出る瞬間にも見える。

ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」をも彷彿とさせる。

f:id:curlchigasaki:20191002184032p:plain

拡大し、イラスト化して見るとこんな風になった。肌色部分は二人の人間である。

聖書の記述では「アダムのあばら骨からイヴが生まれた・・・。」とかあったがそのイヴ誕生の瞬間にも見える。

僕が一番強く思ったのは以下の光景である。その周りは人食い大蛇で一杯である。一人の女を大柄な男が身体を丸めて蛇から守っている。男の背や足には蛇が取り付き、上からくる大蛇に今にも喰われそうになっているが、少しでも女の死を遅らせようと身を挺してかばっている。

f:id:curlchigasaki:20191002184125p:plain

この絵はゴーギャンの「 Upa Upa(The Fire Dance)」1891年(イスラエル美術館)の部分図である。女を抱きかかえる男・肩を寄せ合う男女が描かれている。

右の仰向けになった女は腰から下が既に大蛇に呑まれている。男はその女にキスをするかの如く顔を近づけている。

この絵は「我々は・・」より6年ほど前に描かれた物だが、ホタテ貝の男女と共通するものを感じる。「愛情」・「哀しみ」と言った物が表現されているのではないか。

 

同じ蛇型生命体仲間でも色んな性格の持ち主がいるらしい。自分たちには無い「愛情」とかに特に興味を示し、悲しい運命の弱い人間たちを憐れみ、畏敬の念すら持つ個体もいるのかもしれない。

ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 再考

 ゴーギャンの代表作を再び調べる事にする。今回はより細かく丁寧に見た。この絵の題はこのブログの趣旨と一致し、僕の残りの人生で解明したい事柄である。

f:id:curlchigasaki:20190929193642p:plain

ポール・ゴーギャン 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」 1897~98年 ボストン美術館

ゴーギャンはこの絵を描き終えたのち自殺を図ったと言う(Wikipedia)。絵の中にそれほどの何かを込めてあるのだろう。何が描かれているのだろう。ゴーギャン自身が言うように「人生のはじまり・成年期・老年期」を表しており、左端の鳥は「言葉は無力である」事を表しているという通り一遍の説明で解説で済むのだろうか。もっと別の意味が隠されていると思う。

前回調べた時に、この絵が蛇で満ちている事を知った。蛇が人間を襲っている事を知った。絵の中の人物10人ほどのポーズがそれぞれインパクトがありすぎて意味深であるが、それを考えていると本筋を見失うので注意しなければいけない。

f:id:curlchigasaki:20190929193730p:plain

一番目立つ中央の青年。顔がでかい。肩幅が狭い。左目の下にあざのように見える物がある。口が斜めに曲がっている。何を手にしているのか。そもそも何をしているのか。疑問点がいっぱいである。おそらくマンゴーのような果物を収穫しているのだろうが、樹そのものが描かれていない。

精査して見ると体の中に小さな人間が入っている。その人間は同時に蛇にも見えるように描いてある。例の「人間を喰った、蛇の遺伝子を強く持った巨人」であるようだ。顔も小さな人間と蛇で描かれている。両手で掴んでいるのは、大きく見れば蛇の頭である(赤っぽいから心臓の可能性も捨てきれないが)。その蛇の頭の中でもより小さな蛇が人間を襲っている。この巨人の青年は蛇に小さな人間を喰わせているらしい。いわば蛇神に生贄の人間を捧げていると言って間違いないだろう。

f:id:curlchigasaki:20190929193817p:plain

画面中央手前の子供。この子の食べているのは人間である。この子の身体自体も人間の形の集合体で、食べた物が透けて見えていると言った描き方である。

子供の服の中・後ろのヤギの胴体・その後ろの地面には人間の交接図が隠れていた。

f:id:curlchigasaki:20190929193914p:plain

右端の赤ん坊は寝ている? いやよく見ると白目をむいていて、死んでいるのではないか。この子の身体も大小の人間(同時に蛇)の組み立てで出来ている。

f:id:curlchigasaki:20190929193957p:plain

画面右半分。中央の青年の身体に隠された人間は、逆立ちをしている。太い両腕を地面に着け、頭は右太ももの所に隠れている。両足を高く上に上げている。鎖骨の辺りが尻である(この表現はゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」の子供の身体でも見られた)。でかい頭が尻から出ているが、これは出産を意味しているらしい。他の人物も上下逆さまの人体が隠れているかまたは人体が数体集まった物である。皆上になった尻から頭を出産している。

人物の背後には蛇どもがたくさんいて人間に喰い付いている。中央の青年やその右に立つ二人の女は背後から大きな蛇に呑まれそうだし、右奥の遠景では人間が数匹の蛇に寄ってたかって喰われている。カラフルな地面には人間の身体が幾つも横たわっているようだ。

f:id:curlchigasaki:20190929194045p:plain

画面左側。左端の老女(逆さになった人間が隠されている)は単に死の恐怖に怯えているのではない。神への生贄の人間が目の前で残酷に喰われている事に恐怖しているのだ。青い神の像の足元の台は人間で出来ている。左右のくねくねした木の枝は空から降りて来た蛇たちであり、人間に喰らい付いている(拡大してトレースしたらイラストのようになる)。手前の子供の後ろにいる猫が喰っているのも人間であるが、もうここでは赤い切断面が見えている。右の猫の喰い付いているのは首の切断された人間かもしれない。その他地面の赤っぽい所は血がしみている所であろう。この老女のように顔をそむけたくなるような凄惨な現場である。

画面右でも左でも、手前に並んだ人物たちはグレイ色の所にいるが、これは生贄の祭壇の岩の色であるからこの人物たちもいずれ贄となる運命である。f:id:curlchigasaki:20190929194134p:plain

全体のイラスト。大量の人間が大量の蛇に襲われている。空から降りて来た蛇神に喰われるために我々は生れ、死す。喰われるために我々は存在すると言っているようである。空色の神の像は蛇神の擬人化でその正体はもちろん地球を支配する蛇型生命体である。

f:id:curlchigasaki:20190929194226p:plain

f:id:curlchigasaki:20190929194313p:plain

僕にはこの絵がこういう風にも見える。人間の交配図である。青い男が赤い女の背後から被さって交接している図が画面いっぱいに描かれている。男と女の身体は互いに透けており、その輪郭を辿る事が出来る。ちょうど女の性器の所に肩を寄せ合う女二人が生まれ出ている(小さく見て行けば男女交接図は至る所で見つかるが大きなところだけを見ている)。

f:id:curlchigasaki:20190929194358p:plain

またこんな風にも見えた。今度は頭が逆に右向きになっている。女の性器の所にはホタテガイのような絵があり、男の尻の所にも神の像がある。

子供をどんどん作れと言う命令が隠されている。こんな隠し絵のサブリミナル効果で鑑賞する人間を洗脳している。美術館で長い時間この絵に見とれている人々の脳内にはこういう絵がインプットされているのだ。

f:id:curlchigasaki:20190929194451p:plain

f:id:curlchigasaki:20190929194536p:plain

全てはこいつら蛇神の仕業である。

こいつらの手先として絵を描き続ける事に疑問を感じて抵抗するために、ゴーギャンは自殺を試みたのかもしれない。

 

ゴーギャン 「二人の女」 蛇どもが人間を喰う事・繁殖させる事

少し分かり易いのを一つ。ゴーギャンの絵である。

f:id:curlchigasaki:20190923162053p:plain

ポール・ゴーギャン 「二人の女(Two Women)」 1901~1902年 メトロポリタン美術館(ニューヨーク)

タヒチの女二人を描いたゴーギャン晩年の作品。遠景に森を持った草原をバックに若い女と老女が身体を寄せ合って記念写真のように描かれている。老女の横には見た事もない不思議な形の花。果物のような実がなっているが、こんな植物があるのだろうか。不思議な所は他にもある。老女の膝、地べたに座って片膝を立てているのか。若い女の膝も位置が高すぎる気がする。おかしな表現である。二人とも手先が黒く汚れていて土いじりでもしていたのだろうか。老女の眼は真っ黒でまるで死人の様だ。若い女の顔がオカマっぽく胸も無い。画題は「Two Women」となっているがこの二人本当に女だろうか。いや人間だろうか。

f:id:curlchigasaki:20190923162138p:plain

ここが分かり易いと思う。若い女の背後にゴジラに似た大蛇がいて女の頭に齧り付いている。

よく見るとこの化け物の口には小さな人間も一緒に呑み込まれようとしている。女の長い髪の毛も小さな人間である。女の口には拡大して調べたら、より小さな人間が何体か張り付いていた。この女も人間を喰う巨人であるらしい。

f:id:curlchigasaki:20190923162217p:plain

いくら南洋の人間であっても指先がこんなに黒いはずはなかろう。画題に「女」とあるのだからもう少し綺麗に描いてあげられなかったのか。

f:id:curlchigasaki:20190923162300p:plain

若い女の手の甲は蛇の頭であり、その口先に咥えられた二人の人間の足が見えているらしい。黒いのは血で汚れているからなのだろう。

この女の上半身には一組の男女が隠し絵で入っている。バックでセックスをしている場面である。

f:id:curlchigasaki:20190923162344p:plain

眉間にしわを寄せた老女も頭を大蛇に齧られている。口から小さな人間をこぼしながら喰っている。頭の上にも人間を乗せていてそれが髪の毛に見えている。頬や顎にも小さな人間が見て採れたが、恐らくこの皺の多い顔全体が人間の身体で形作られている可能性がある。しかし今回そこまでは判別できなかった。

向かって右上にも大蛇に喰われる人間の姿があるようで、僕には上図右のイラストのように見えた。

f:id:curlchigasaki:20190923162434p:plain

老女の上半身にも男女の交合図が隠されている。老女の右乳房に見える膨らみは下になった女の肩であろう。男の尻からも女の尻からも赤ん坊のような小さな顔が覗いている。出産を表しているのだろう。老女の右膝に見える部分では別の男女が交接しているらしい。膝の丸みは上になった男の尻である。

f:id:curlchigasaki:20190923162528p:plain

上図左は元絵、暗い部分を明るくした。右は全体のイラスト。

どうも僕は心が汚れているせいか、男女の性交図ばかりが目に入って仕方がない。蛇どもが人間を襲っている場面もたくさんあるのだが、蛇の姿の中に人間の身体が透けて入っているのでついそちらを見てしまう。出産の光景もある。

美術館で大事にされているいわゆる名画には、一つの物を描いて三通りくらいの形に見せる場合が多い。絵の登場人物・蛇・隠し絵の人間と言った物が同時に重なっている。宗教上の教えのように、一つの物にはあらゆる局面があり、別の見方がいくつもある。幸せな時は後日そうだったと気付くようなものだろう。近視眼的にみて肖像画が見えても、細かく見れば別の隠し絵が見え、絵から少し離れて大きく見るとまた別の絵が見えて来る。

f:id:curlchigasaki:20190923162617p:plain

巨大蛇が人間を喰うと言う視点から見た図はこうである。上下右左から二人が襲われている。さらに巨大な蛇が全ての人間・蛇などの生命体を呑み込む。

f:id:curlchigasaki:20190923162701p:plain

人間の繁殖を念頭に置いて見ると(僕の得意な所だが)こういう絵になる。二人の女の頭に齧り付く大蛇はひとつの女の尻である。その上半身は右上にある。性器から子供が生まれ出ている。二人の女の身体は別の見方をするとこんな男女の重なりになった。老女の膝には後背位で重なり合う男女がいる。男も女も皆尻から出産している。老女に向かって左側には大開脚の女が性器から子供(果物に見えた物)を無数に産んでいる。

画面右方の草原にうっすらと人間が立っているのが見えた。子供を背中におんぶしているように見えるがこれは何だろう。やはり男女交合図なのかもしれない。

f:id:curlchigasaki:20190923162746p:plain

さらにこんな風にも見えた。上方の尻をこちらに向けた女、上半身が向かって左にあり、顔と左腕が見えている。しかも出産ではなく陰茎が真下の女に向いているという男の図である。

そう言えば若い女の膝は大きな男性器に見えなくもない。この巨人族の二人は両性具有である疑いが大きくなる。

はっきりとした結論は出ない。いつも検証途中である。僕の場合頭がさほど良くないので、ひたすらトレース(模写)と言う手作業を繰り返すことで探って行きたい。

 

ゴッホ 「夜のカフェテラス」 名画で人間をコントロール

この絵もどこが良くて大事にされているか分からない。大胆な色使いが良い? 作者の情熱的心が絵に出ている? ポスト印象派として後の絵画芸術に影響を与えた?

f:id:curlchigasaki:20190920185455p:plain

フィンセント・ファン・ゴッホ 「夜のカフェテラス」 1888年 クレラー・ミュラー美術館

カフェテラスのランプで明るく照らされた黄色い部分と、星空の青色の対比が目に心地よい事は確かであるが、それ以外に良い所を見つける事が出来ない。ゴッホの代表作の一つとされているらしく画集等でよく見かけられる。

人物の描き方も雑で誰が何をしているか細かくは分からないし、石畳も色と線をそこに置いてあるだけで形を成してない。テラスのランプの光に対する石畳の陰はこの絵の様ではないはずで、弧が逆さまになるはずではないか。右の樹の葉にも灯りの反映が無い。中央奥に半円形の暗い陰があるがこんな陰がどうしてできるのか? 疑問だらけである。

絵画芸術は自由であると、時代のアカデミズムに反抗した印象派の画家たちのやり方がこうであると言われて今まで何となく納得していた。多くの偉い人たちが良い作品だと言うのでそう思っていた。自分も絵画芸術をもう少し極めればその価値を認められるようになるのかもしれないと思ってきた。

f:id:curlchigasaki:20190920185541p:plain

この絵をじっと見続けたらこんな絵に見えて来た(上図右イラスト)。中央の人々を周りから集まってきた巨大な蛇が寄ってたかって喰っている図である。特にカフェテラスの人々を丸ごと全部口の中に収める巨大な蛇が醜悪である。

f:id:curlchigasaki:20190920185632p:plain

人々の描き方は雑で何が何だか分からない。白いテーブルも変な形に歪んでいる。しかしこのテーブル、ブリューゲルの「農民の婚礼」のプディングのようにひょっとして人間かもしれない。ミイラのように白布で包まれた生贄の人間にも見えて来る。店の黄色い壁もよく見るとその濃淡の中に形が見えて来る。

f:id:curlchigasaki:20190920185715p:plain

絵の下半分。テーブルや椅子、店や建物の壁、石畳にも何やら人の形が浮かび上がってきた。

f:id:curlchigasaki:20190920185755p:plain

絵の上半分。やはり性交図があちこちに隠れていた。右の樹の葉は蛇に咥えられた人間が大勢ぶら下がっているのだ。

f:id:curlchigasaki:20190920185842p:plain

全体図で見るとこうなる(上図右イラスト)。星空の中で一組、石畳で一組、カフェテラスの壁で三~四組子作りをしている。同時に尻から子供を出産している。

f:id:curlchigasaki:20190920185937p:plain

また大きく見るとこんな風に見えた(上図右イラスト)。右に両足を上に上げた女(赤)が斜め横向きに描かれている。それに覆いかぶさり男性器を女性器に突っ込んでいる男(青)。これも横向きで顔をこちらに向けている。カフェテラスのファサードが男性器である。そして同時に女が六人ほどの子供を出産している。

何日もこの絵を見続け、トレースをしながらより良く見、その結果見えて来たのがこれであった。

f:id:curlchigasaki:20190920190027p:plain

巨大蛇による食人図はこんな風にもなっている。最初見えた図とは若干変わっている。カフェの壁の柱のような物は巨大蛇に咥えられた人間であるらしい。描かれた人物以外にも人間がたくさんいて、それらは全て巨大蛇に喰われている。

 

結局絵画芸術と言うのは、人間は食糧である事を教える他に、そういう家畜である人間に繁殖を促す為の一方法であるらしい。音楽もそうであろう。現在ではテレビ・映画・ゲーム等をも使ってコントロールしている。

この現状から抜け出すためにはどうしたらよいか分からない。敵はあまりにも巨大で知能があり、この現実を気付いた者が情報発信していく以外の方法を僕は知らない。ただ名画の中にヒントが必ず隠されていると思っている。爬虫類には無い「感情」・「情感」・「愛」などが最大の武器であるらしいことは気付いた。また奴らは目を攻撃されると弱まるらしい事も気付いた。この他に隠されている事をもっと探りたい。

 

ゴッホ 「アルルの寝室」 平凡な絵の中にセックスが充満している

台風一過の後始末に時間を取られる。倒れたニンジン・黒大豆を立ち上げて土寄せ、トマト・ピーマンは倒れたまま終了、少し壊れた農機具小屋と吹き飛んだビニールハウスの天板はこれから時間を掛けて直して行く予定。

f:id:curlchigasaki:20190916190901p:plain

フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの寝室」 1888年 ゴッホ美術館

この絵は昔から知っている。美術関係の本には必ず載っている。弟の仕送りでアルルに部屋を借り暮らしていた時の当時を知る事の出来る絵であるが、それ以外にどこが良くて大事にされてきたのだろうか。青い壁・黄色い家具・茶色い床、これらの色彩がこれまでの絵画に無い新鮮な発色をしているから? 考えてみると不思議である。

何の変哲もない普通の部屋、変な配置の机と椅子、部屋の内側に開いている窓(普通外側に開かないか)、何かおかしい。ベッドの枕は二つ(ゴーギャンと一緒に住むのはこの少し後であり、一人暮らしのはずでは?)(ゴーギャンとの暮らしであっても男同士枕を並べては寝ないだろう)。ベッドの上の赤い塊は何か。掛け布団?ベッドカバー?確かにこの赤があるおかげで絵全体がカラフルになって楽しいが、その為だけの物か。 f:id:curlchigasaki:20190916190939p:plain

壁に掛かっている絵を四つ詳しく見てみた。どの絵もじっと見続けて行くと次第に見えて来た。大蛇が人間を襲っている図である。左から二番目と四番目の絵では明らかに人間が喰われている図になっている。

f:id:curlchigasaki:20190916191029p:plain

ベッドの上の赤い塊は、絵具の盛り上がりを辿ってみると人間の塊になっている(右のイラスト)。また赤い塊全体で見るとこれが大蛇の頭である。口先に黄色い小さな人間が咥えられているように見える。

f:id:curlchigasaki:20190916191106p:plain

ベッドの裏側の板にもその濃淡の中に人間の形が辿れる。どうやら後背位での性行為をしているらしい。しかもその後ろからさらに覆いかぶさる人間が見える。二組の性行為の見間違いだろうか。

f:id:curlchigasaki:20190916191146p:plain

ベッドの向こうの壁に三連のハンガーがあり、その真ん中の一つを拡大してみた。絵具のチューブをそのままキャンバスに擦り付けた様な感じがする。そんな大胆な描き方であっても不思議と蛇の形が描けている。上の図の左端には蛇が何かを咥えているのが分かる。この蛇が胴体を伸ばし壁にとぐろを巻いているのだが、この胴体の途中が蛇の頭であると見る事も出来る。右に頭を向けた人間を咥えている。またはじめ蛇の頭に見えた部分はしゃがみこんだまま横になった人間に見える。

乱暴に絵具を置いているだけに見えるこのタッチも何かより進んだコンピュータソフトによって画像処理された物であると思える。

f:id:curlchigasaki:20190916191218p:plain

机の上には何が置かれているのか。花瓶・洗面器・酒瓶・竹籠のように見えるが、詳細に見て見ると、小さな人間がたくさん置かれている。瓶や籠はそれぞれ人間で出来ている。籠の中に並べられた人間が悲しい。

その他机全体が人間、または蛇の形で作られているようである。PhotoShopの進化系で「蛇」・「人間」の二つどちらにも見える画像が作られたのだろうか。

f:id:curlchigasaki:20190916191301p:plain

画面上半分。ほとんどの部分が人間の身体の線を隠していた。同時に蛇の輪郭線も辿ることが出来、その蛇の口の所に人間がいるようになっている。つまりどこもかしこも蛇が人間を喰う事を示唆しているらしい。また人間同士重なって子作りし、出産して繁殖している事をも示している。ベッドに枕が二つあるのもセックスを奨励する為か。

f:id:curlchigasaki:20190916191350p:plain

画面下半分。床の濃淡を強調しじっと見続けるとこんな絵が見えて来た。床面には人間の子作り現場がこれでもかと描かれている。

f:id:curlchigasaki:20190916191527p:plain

左が元絵。右が全体図イラスト。

この何の変哲もない部屋の絵はセックスで満ちている。出産も描かれている。大蛇による食人も隠されている。この絵が珍重されるのにはこんな訳があった。こういう隠し絵がいかに巧みに隠されているかが名画たる所以なのだろう。そしてこれに気付いていながら「色が素晴らしい・・」「印象派だから・・」「ゴッホの狂気じみた孤独が・・」等色々と評論する人たちは蛇の仲間であろう。絵を高値で取引し、いかにも価値ある絵だと知らせ、教科書にも載せる。すべてこういう絵をたくさんの人間に見せるための所作である。そして人間を洗脳する。「・・・・産めよ。増えよ。地に満ちよ。」

f:id:curlchigasaki:20190916191610p:plain

ゴッホの絵はセザンヌと共にとりわけセックスを強調した物が多い気がする。

上図左は巨大蛇による食人の図。黄色い人間を青い蛇・緑の蛇が喰っている。大きく見ると巨大な赤い蛇も喰っている。

上図右はセックス図。赤い女が後ろ向きの四つん這いでいる。青い男がその後ろから襲っている。奥が透ける画法で描かれているからお互いに重なっても、例えば女の尻の輪郭が辿れる。男のやたら大きな男性器(ベッドの上にあった赤い塊)が女性器に挿入されようとしている。時間的におかしいが女は出産をしている。

 

この絵には苦労した。大きく見ようとしても中々見えてこない。眼を細めたりして時間を掛けて、腹に気合を入れて等多角的に見たがここまでであった。間違ってみた所もあるに違いない。まだ分からない事が多い。だが自分の眼を信じたい。自分の眼で見た事だけが真実なのだ。