名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

一山一寧 「達磨図」 禅の悟りとは?

正月だから日本人の心に根付いている画題を選んでいる。今回は「ダルマ」。禅宗の開祖と言われるインド人仏教僧と言う事である。

僕は若い頃丹沢の大山で木彫りの達磨像を買い、未だに手元に飾っている。自然の木の根の造作を衣に見立ててその上に顔を彫った物である。目的のために口を引き締め「我慢」・「辛抱」する精神性が気に入っており、常に手元に置いてきた。

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一山一寧賛 「松下達磨図」 14世紀 東京国立博物館 重要文化財

一山一寧(いっさんいちねい)は、鎌倉時代元寇の少し後に来日した中国僧である。書家であり、この絵の賛を書いたが絵の作者かどうか分からない。しかしそれはどうでも良い。この絵の隠された意味を十分に知っていると思われる。一山一寧は初め伊豆の修善寺に幽閉され、のち鎌倉の建長寺円覚寺の住職を務めたと言うから地域的に僕には親しみやすい。昔建長寺の座禅教室に言った事もある。

中国の少林寺で岩壁に対面して座禅を組み9年に渡ったと伝わるが、この絵は岩に面してはおらず松の木の下で座禅をしている。険しい山上の岩棚なのか背後には霧のような物が流れている。ただひたすら座禅を組み、瞑想する事でこの人は「悟り」を得る事が出来たのだろうか。

呼吸を整え、「気」を充実させる事で冷静に物事を見れるのは僕も知っている。このブログでも僕はへそ下丹田に「気」を集め、絵を何十分も見続ける事を自然に心掛けている。それも「禅」の心なのだろうか。

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顔の拡大図。眼を大きく見開き、髭を蓄えているというのは「達磨図」の定型だが、この顔の表情からは「恐怖」または「苦痛」を感じる。まるで背中を短刀で刺された時のような表情をしている。詳細に見ながらトレースして行くと上図右のようになった。顔全体に大蛇が人間を喰う図が散りばめられている。開いた口の中の赤っぽいのは小さな人間だろう。

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頭や肩に被さった衣はもう少し大きな人間である。西洋画にもあったように予備の餌としての人間を身に纏っているのだろう。胸の中にも背景の霧の中にも大蛇が人間を喰う図がある。

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腹の辺りには小さな人間をまとめて持っているのか。これらを時々口にほうり込んで喰っているのだろう。衣は全て人間だが、特に大きいのは両足を包んでいる部分である。人間が背中を向けて横倒しになっている。

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画面下端の岩棚の部分は、例によって蛇神への生贄の人間が山積みになっている。

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最上部の松の木辺りにも大蛇の姿とそれに喰われる人間の絵がたくさん見える。こういう水墨画の背景の微妙な陰影は老朽化の為のシミや劣化では無く、初めから付けられていたのであろう。全ての陰影に意味が有る。

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全体図とイラスト。蛇に喰われる人間の絵に間違いない。

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画面を大きく見れば上右のイラストのようになった。上から降りて来た(緑の輪郭の)巨大蛇、口に人間を咥えている。右上からくる(赤の輪郭の)巨大蛇は達磨自体に噛み付いている(だから苦痛の表情をしていたのだ)。そして画面いっぱいに(青い輪郭の)巨大蛇がいて、画面下端の生贄を喰っている。こいつには並びの悪い歯と牙が有るようである。

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人間を殺して喰った後は増産させなければならない。画面の至る所でセックスをしている人間の図がある。こう言う隠し絵を見せて潜在意識の中に繁殖を心掛けさせなければならない。達磨の腹には直立した男性器があるようにも見える。背景の中の男女は立ったままの後背位であるが、男の向こうの女の身体が透けて見えている。

この隠し絵、男女ともに目から涙を流しているように見える。作者は、蛇神に家畜として繁殖させられる人間たちに哀れを感じてこんな表現を採るのだろうか。・・・・・「♪~人生って悲しい物ですね」、こんな歌を歌っている人もいた。

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また別の見方をするとこんな風に見えた。女が仰向けに転がって女性器をこちらに向けて足を上げている。両手でその足を押さえている(右手の形がよく分からなかったが)。男が仰向けに寝て大きな男性器を直立させてこちらに見せている。達磨の上半身が陰茎で胡坐を組んだ両足が睾丸である。陰茎は半分女性器の中に入っているらしいが透けて見えている。

禅の悟りとは何だろう。蛇型生命体に支配されており、人間は奴らの家畜であり素直に餌になる事を認めるのが「悟り」なのだろうか。人間は繁殖して数を増やす以外生き延びる方法が無いと言う事を知るのが「悟り」なのだろうか。

いや多分真の「悟り」は奴らの描く絵の中のメッセージとは違って、人間を悲惨な目に会わせている奴らをも一つの生命体として尊重し、共により高い次元に向かう事だろう。有機生命体は有機物を体内に取り込むことでしか生きて行けない。だからどうしても他の命(動物・植物・微生物等)を奪わなければ己を維持できない。奴らが人間の肉を常食とするのも許して初めて「悟り」が得られるのではないか。

僕にはその境地には当分たどり着けそうにない。