名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

岸田劉生 「麗子微笑」 不気味な食人の絵

岸田劉生は好きな画家の一人だった。物事を徹底的に突き詰めて描くその求道的精神が感じられて自分の生き方に影響を与えられた。劉生は愛娘麗子の絵を多く残しているが、その中の一枚を調べる。結論を先に言うと反吐が出そうになるほど残酷な表現が隠されていた。嫌になるほど希望が無い。

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重要文化財 岸田劉生 「麗子微笑」 1921年(大正10年) 東京国立博物館

麗子が8歳の時の肖像画で、暗い画面の中で大きなおかっぱ頭の麗子が肩掛けを掛け、右手に赤い毬のような物を持っている。この異様に大きな頭と小さな手・暗い画面に一種鬼気迫る劉生の求道精神が垣間見れる・・・・と思っていた。絵画芸術を突き詰めて真剣に絵を描いて行くとこんな絵になるのかもしれないと思っていた。映画の黒澤明監督も晩年「乱」のような救いようの無い暗い映画を作っていたではないか。

それにしても父親が愛娘をこんな不気味な姿で描くのだろうか。普通なら女の子の可愛らしい姿をもっと明るく楽しく描くのではないだろうか。この絵の不気味さの謎を少しでも解明したい。

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ああ、やはりそうだ。拡大して見ると麗子の口は小さな人間を喰っている。過去にも人間を喰ったから顔の皮膚自体も人間が元になって出来ている。血も垂れている。人間が創られた当初は巨大蛇どもは巨人族を従えていて、奴らは小さな人間を餌にしていたと想像している。名画の中の登場人物は大抵巨人族であり、小さな人間を喰っている。上図左の元絵には口の両端近くに小さな牙が見えている。

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麗子の髪の中に小さな人間が隠れている。一人の背後にもう一人がぴったりとくっ付いて、後背位で性交しているように見える。また同時に人間は蛇にも見え、麗子の右側頭部の膨らみなどは人間の尻のふくらみにも見えるが、蛇の頭のふくらみにも見える。この蛇は人間を数人咥えており、人間の足だけが口からぶら下がっている。

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右手に持つ毬のような物は蛇の頭であろう。両目が見えるし、ギザギザした歯も見える。人差し指は噛まれて血が流れている。

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手と毬の蛇の部分をイラスト化するとこうなる(上右)。毬の蛇は人間の身体で出来ている(人間を喰っているから)。

人差し指の下に赤い人間がいる。麗子に掴まれている。蛇にこの人間を喰わせるために持っているようである。小さな人間は巨人族が手助けして蛇に喰わすが、巨人族自身もいずれ蛇に喰われると言う事か。

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この右手、肘から上が無い。顔と比較して異様に小さな手だから他の娘の手を持ってきてそこに置いてあるのか、または手の大きさは正しく、麗子の頭が鑑賞者の方に突き出て大きく見えるのか。

この手の切断面の下に髑髏がある(イラストでは黄色くした)。上向きの横から見た髑髏で目・鼻の孔・口・歯も描かれている。肩掛けの下端の白い房はこの髑髏のあばら骨か手の指の骨でもあるだろう。

麗子の右手は毛糸の肩掛けの中に隠された大蛇に喰われている。

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麗子の身体の中に蛇と共に隠れているのは、少し大きな人間である。一人は麗子の胸の所に白骨化した顔を見せる前屈した人。この人の足が麗子の右手と繋がるのかもしれないがそこのところがよく分からない。この人の胴が麗子の上腕になるので麗子の上腕は下碗に比べて太い。

もう一人は麗子の左肩を尻にした人。この人の頭は麗子の髪の後ろに突き出ているように見える。この人の胴体が有る為に麗子の頭が本来あるべき位置からずれて手前に突き出ているのではないか。言い換えればこの人の背中に麗子の頭部だけが乗っている。麗子は頭部と手先だけしか無い。

またこの人の脇・麗子の髪の下端に隠れて人が見えるのは僕だけだろうか。

肩掛けの向かって右側の下端の房は人間の手の指の様だ。

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背景の茶色い壁の中に人間がいる。腹這いになって折り重なっている。頭が右を向いているのか左を向いているのかはっきりしない。性交して同時に子供を尻から産んでいる。

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全体図にした。所々蛇の頭にしか見えない所があって(イラストでは白抜きにした)、その蛇の口先には必ず小さな人間がいる。

画面右下、肩掛けの下端はイラストのように人間の手指と頭・肩ではないだろうか。

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全体を蛇中心に見るとこんなイラストになった。肩掛けは蛇で出来ている。こいつらが餌となる麗子の手や胸に集まって来ている。下端の骸骨はもう喰われてしまった人間。麗子の右手は毬の蛇だけでなく肩掛けの蛇にも人間を与えている。

麗子の後ろに巨大な蛇が大口を開けている。今にも呑み込もうとしているようである。この表現は肖像画で多用される。結局全てを最終的に喰うのは巨大蛇族だと言っているかのようである。人間に対し自らを神と呼ばせ崇めさせている悪賢い生命体である。

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この絵はレンブラントユダヤの花嫁」(1667年 アムステルダム国立美術館)の部分図であるが、麗子の手に持つ蛇の餌とこの花嫁が手に持つ蛇の餌の表現が同じである。

この女は金と宝石をもらって男に胸を触らせているのだが、右手に持つ金貨の入った赤い袋は蛇である。手の下に麗子像よりも少し大きな人間がブラ下がっている。服の中に隠れた大蛇にもこの人間を喰わせている。名画の中の登場人物たちは蛇神の為にその食事の手助けをする。17世紀オランダのレンブラントも20世紀日本の岸田劉生も蛇神の手下と言う事では同じなのだろう。

 

尊敬していた岸田劉生も悪魔の手先である事が確認出来て希望が持てない。名画の中にヒントが見つかればと思って日夜トレース作業をしているのだが、またこんな残酷な絵を見つけてどうも気持ちが暗くなってしまう。それが目下の悩みである。