名画の中の人喰い蛇

美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

モネ 「印象・日の出」 蛇・食人・脱糞・愛

 

クロード・モネ 「印象・日の出」 1872年 マルモッタン・モネ美術館 

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日本で今最も好かれる画家モネの歴史的展覧会の出品作とされる。

絵具を薄めに溶いて筆でカンバスに乱暴に擦り付けた様な絵であり、展覧会では散々酷評にさらされたと言うのは頷ける。

朝もやの中の港の光景なのだろうか、小船が三艘浮いている。遠くには大きな船があるらしいがぼんやりとして良く見えない。朝焼けの中の太陽だけがくっきりと描かれ、水面にその赤い光が反射している。

この絵が印象派の出発点となる歴史的作品と言われるのは何故だろう? 写真機のように見える物をそのまま機械的に写し取るのではなく、画家の目・脳を通して人間的に書き表した最初の作品・・・・と言う説明で良いのだろうか。どうも秘密が隠されている気がしてならない。

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太陽の辺りの部分図。僕にはこう見えた。水の中は人間の身体が無数に浮いている。大人も子供もいて、大人は子供をかばうような形で大蛇に喰われている。太陽も子供の頭であり、大人がこの子を両腕で抱きかかえている。

描写が曖昧で見方によっては別の物にも見える。

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画面左側、真ん中の小舟の辺り。小舟の背後に大きな人の顔が見えた。上から降りて来た大蛇に頭を呑まれているが、その両手に子供を抱いているようである。

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絵の下半分で見ると確かに子供をかばって抱いている母親らしき大人がいる。画面右の方にも二人の子供を両腕に抱えるようにしている大人が伏せている。その人は後ろから大蛇に喰い付かれている。上から大蛇がたくさん降りて来ているし、左下には大蛇がとぐろを巻いている。

人体に見える部分はそのまま大蛇の顔にもなっている。腕は蛇の胴体にも見える。

人間は宇宙から来た爬虫類遺伝子を半分持っていて(あとの半分は地球由来の類人猿らしい)、事実爬虫類脳をも持っているから人間に爬虫類遺伝子がある事を知らせる為にこう言う描き方をしているのかもしれない。 f:id:curlchigasaki:20190509212023p:plain

絵の上半分では仰向けになった人間が両手をこちらに向かって上げて寝ている姿が大きく描かれている。左手は半ば開き、右手は握りしめてそのこぶしの中に太陽が入っている。またこのこぶしは右側にうつ伏せる人間の頭にもなっているが、そう見ると人間の頭の中に太陽が入っている事になる。これらに表現が何を意味するのか分からない。

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これが元絵。画質を変えてある。

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そしてこれが全体のイラスト。生贄の人間が散乱している。空から巨大な蛇が降りて来て人間を喰い、体内に取り込んでいる。左下のモネのサインの所にいる大蛇はとぐろを巻いてこちらを見つめているが、これがモネの本当の姿なのだろうか。

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またこの絵はこんな風に見る事も出来る。

上図左、脱糞図である。波間や空の微妙な濃淡を繋げると巨大な尻が見えて来て、その尻の割れ目からウンコのような物が下に垂れている。太陽は肛門であり、左下の蛇は巻き糞である。蛇神に指導されてモネはこんな物を描き、自分自身を含めて人間をあざ笑っている。

上図右、大きく見るとひとりの人間が仰向けになって大蛇に喰われている図となる。大蛇の背後からさらに巨大な蛇が喰い付いている。小さく見ても大きく見ても結局蛇が人を喰う事を描いている。しつこく繰り返し描いている。

それが至上命令であるかの如く画家たちはあらゆる形でもって蛇の人喰いを描く。

 

実はこのブログで追及している名画の中に最近「人食い蛇」以外の物が色々見えてしまって戸惑っている。「死体の山」と「脱糞図」と「子供をかばう大人」である。イラスト描いていて嫌になるほどである。夢にも出て来る。

このモネの絵のような茫洋とした曖昧な表現の作品では見る人によってどうとでも見れるだろう。雲の形が何かに似ている、と想像力を働かせてみるのに近い事を僕はしているのではないかと不安になる。何か行く先が見えない混迷の世界に迷い込んだような気持である。

モネのこの作品はそんな様々な要素が混ぜこぜに入った作品には違いない。この事が歴史的作品である理由かもしれない。この作品が暗示する事全てが解明出来る分けでは無い。まだまだ見える事があるのだろう。