名画の中の人喰い蛇

美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

ルノワール 「舟遊びをする人々の昼食」 食物連鎖?

雨が降ると農作業は比較的暇になるので前回の続きを進める事にする。

ルノワール 「舟遊びをする人々の昼食」

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画面右上、五人ほどの群像だが、皆頭に小さな人間を乗せている。髪の毛が人間で出来ていたり帽子が人間で出来ていたりする。これら巨人族の身体を形作るのは蛇である。そしてこの五人の頭を上から来た大蛇が喰い付いている。人間を喰っている彼らもまた蛇に喰われる存在なのである。

奥の黄色い帽子の男は首だけの存在である。首だけを上の大蛇に咥えられている。他の四人の男女もひょっとして首以外は無いのかもしれない。

有機生命体は喰う物でその身体が出来上がっている。だから人を喰う者の身体が人の集合体で表されるのは一つの表現方法として間違ってはいない。実際には喰った物は元素に分解され細胞に取り入れられて生命活動に結び付くのだが、露骨に原理的に説明的に表せばこの絵のようになる。

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画面上中央の人々も上からの大蛇に咥えられている。

ここで気付いたがこれらの人々の身体の中に大きく裸の人間が存在している(上図右イラストのクリーム色部分)。人々の肩の所が中にいる人間の尻になっている。

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画面左上部分の男の身体にも人間が含まれている。男の肩・首は中の人間の尻になっている。

川面のぼやっとした表現の中に大蛇の頭が幾つも見え、人物たちの頭に食らい付いている。船の屋根部分も大蛇であり、小さな人間を咥え上げている。

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絵全体で見るとこうである。前幾つかのイラストをコピペして使っているが若干手直しもしてある。

巨人族の身体には比較的大きめの裸の人間がいる。大抵尻を上に向け逆さになり、尻を肩に見せたりしている。例えば右端の椅子に座る男の腕は逆さになった人間の足である。男の手先は人間の足先となるので形が変になっている。

左端の立つ男も逆さの人間の尻が肩になっており、足先が手先になるので少し変形している。

手すりに持たれる奥の女も中の人間の尻が女の肩になり、女の両手は中の人間の両足である。皆中の人間の尻から首が生えているかのようである。

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ルノワールの隠し絵にある人間の身体はどれも尻をこちらに向けている。人物の身体は逆さになった裸の人間であり、人物自体の自前の物は首しか無い。尻の上に人物の首が据えられている。テーブルを作る生贄の人間も全て尻をこちらに向けている。空から降りて来る大蛇は尻にも見えるようになっている。

上図では尻の画像に注目して青緑色でそれだけを示してみた。画面上尻だらけである。そして尻の二つの膨らみの真ん中から脱糞のような表現が見られる。逆さ人間の尻の上の首と言い、空から迫る尻からひりだされる人間と言い、ルノワールの脱糞表現はここでも健在である。こんな絵が世界的に高評価を受けているのだ。技術的には人間離れした物を持ってはいるが精神的には最低な奴ではないか。

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上図左が元絵(少し画質を変えてある)、右が大きく見た場合の巨大蛇神のイラストである。右上から生贄のいるテーブルに向かって降りて来ている蛇神、人間を喰っている。何匹か前後に連結している。その他真ん中上からも、左右の斜め上からも巨大な蛇が降りて来て登場人物たちを丸ごと呑み込んでいる。

人間は食物連鎖の頂点であると教わって来たが実はそうでは無い。有機生命体は連鎖の輪の中から逃れる事はできない。そう言う事をこの絵は教えてくれるわけだが、こんな残酷な形であったと信じるのは難しい。実際にこの目で生贄現場を見たわけでは無いからである。ただ本当にこんな巨大な蛇に遭遇したら生き残る確率は少しも無いだろう。だから証言する人はいない。あまりに力が違いすぎるから名画の画家たちはただ従って生き残ったようである。