名画の中の人喰い蛇

美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

セザンヌ「リンゴとオレンジのある静物」 ここも死体だらけ蛇だらけ

トマト・ナス・ピーマンの耕運機を使っての畝立て作業と共に姉の葬儀をもやって肉体的に辛い日々である。その合間に名画の中の死体を探しているせいか悪夢を見た。自分が他の人を刃物で殺しまくると言う夢だった。精神的におかしくなっているのか、夢を見る事で発散して精神の安定を図っているのか、よく分からない。

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ポール・セザンヌ 「リンゴとオレンジのある静物」 1895~1900年 オルセー美術館

静物画と言う物のどこに芸術的価値があるのか分からない。色彩があふれ、器物の作りだす形が心地よいリズムを感じさせはするが、それがどうしたと思うだけであった。

この絵はセザンヌ晩年の作品であるが、テーブルだかソファーだか分からない所に白いテーブルクロスがくしゃくしゃに掛けられ、形のゆがんだ食器と果物が雑然と置かれている。どこが名画なんだろう。

フェルメールの絵の中のテーブルクロスはその中に人間の身体が隠されていた。ここにもあるのだろう。右上に横たわった人間の尻が見えた。テーブルクロスの左右にやはり人間の尻が見える。頭も見えて来る。蛇の姿も見え出して来る。画質変換をしなくても時間を掛けて見れば見るほど人間の身体と蛇の姿が浮かび上がってくる。 

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見えた人間の身体はこんな風になる。左上から2本の足が下がって来ており、その内の左足は足首辺りで切れている。切断面が露出していて、テーブルクロスの合間に見えている。切断された足先は右足のかかと辺りにある。人間の大きさは大小さまざまである。うつ伏せで尻を見せている物が多い(今の所判別できた物だけをイラスト化した)。

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同じ絵の中に蛇を探すとこうなる。人間の身体がそのまま蛇にもなっている。水差しは蛇の顔で出来ている。顔の上に小さな蛇で取っ手を形作っている。全体を大きく飲み込む蛇もいる。蛇の口先のあるものは人間の肉であろう。

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この辺が分かり難い。果物の内赤い血の色をしているリンゴは喰われている肉であろうが、人間の身体なのかどうか。水差しの蛇が咥えているの(上図右上)は人間の手か足の一部であるらしい事は分かる。他の果物は蛇の眼と口が見えるが、周りを蛇の口に囲まれて丸く見えている肉なのだろうか。

ゴーギャンの「我マリアを拝する」では頭蓋骨を蛇の口が囲ってまん丸のスイカに見せていた。それと同じ方法でこれらの果物もすべて人体の一部なのかもしれない(非常に分かり難いが)。

器物がゆがんでいるのは、全体の美しさの為に一部を非現実的に変形させているというのではない。ただ単に蛇がそれを形作っているために有機的曲線を持つ形になっているだけであろう。

美術評論家の言う言葉を鵜呑みにしてはいけない。彼らは表面的な事に対して推測で物を言っているだけで真実は知らない。最も僕自身も真実を探っている途中であり、今まで分かった事以上に深い意味を知っている訳ではない。まだ名画の中に蛇がいる事、生贄の人間がいる事、時にセックスシンボルが入っている事までしか知らない。人間が大きな蛇の食糧である事を知った後、その先の物を見たい。一つの絵の中に真実の全てが含まれていると信じる。自分の眼がそれを見られるように進化すれば良いのである。