名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

浅井忠 「小丹波村」 穏やかな風景の中に隠された人食い鬼女の絵

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浅井忠 「小丹波村」 1893年明治26年) 三重県立美術館

明治の初めに日本美術界を牽引した画家のひとり、後の有名な画家たちを教育した人。この画家がこんな絵を残している。小丹波村は現在の東京都西多摩郡奥多摩村。自然豊かな田舎道を描いている。今でもこんな風景を探せばどこかに残っていそうな気がする、そんな懐かしい風景である。山中の人家のある道で女が小川から汲んだ水で洗い物でもしているのだろうか藁ぶき屋根の家の前でしゃがんで何かしている。道を上がって来た二人連れは行商人であろうか。樹には葉が少し残っているようである。日差しは明るく、小春日和の秋の光景と思える。遠くに霞むの山の稜線が目に心地よい。

こんな絵の中に非常に残酷な隠し絵があるとは思えなかった。あまり高画質の画像は得られなかったが、それでも細かい所をじっくり見てみると・・・・ひどい。〇〇村の〇十人殺しの言い伝え、映画の「八墓村」の大量殺人、浄瑠璃の「安達ケ原」の鬼女等を思わせる残虐な光景が含まれている。

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画面左手に丸太の様な物が置いてある。茶色い樹の幹で右側は皮を剥いたのか肌色の木肌が見えている。ここを詳細に見ると上のイラストの物が見えて来た。肌色の部分は裸の人間(多分女)である。茶色い部分は日焼けした男の上半身か(または女の下半身か)。手足が途中から無くなっている。左端に樹が立っているが、これは直立した子供のようである。たくさんの白っぽい蛇に襲われている。丸太の二人の下に小さな人体が散乱している。右の肌色の人の胸の下にあるのは乳房にも見えるが、別の人の頭にも見える。茶色い髪の毛と白い目が見える。その他切断された手足も転がっている。手前の肌色の地面にもよく見ると人間が横たわっている。

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画面右下にも人間が大勢横たわっている。一番手前に寝ている大きな人間は子供を胸の下に抱え込んだ母親かもしれない。この人物は足が途中から見えなくなっている。左手は小屋の壁板を装った蛇に呑まれている。井戸に見える部分は死体の山である。こういった人体の表現は同時に蛇の形をも表していて見分けにくいが、人体と見てその輪郭線を辿れば間違いなく人体である。画面下方に表現された生贄の人間である。

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画面真ん中近くにあるのは大木をくり抜いて作った水溜の装置らしい。小川の水を汲み上げてこれに溜め、炊事や洗濯をするのかもしれない。ただこれに溜まった水が真っ赤である。結局イラストのように見えた。輪切りにされた人間がいる。木の断面に血だらけの人間の顔。手前に皮を剥がされたような赤い足・・・・。

この部分図の真ん中に鉈(なた)のようなものが木に噛ませてある。これがひときわ赤い。これで人間を切断したのだろうか。

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画素が荒く拡大してもボケてしまうが、中央の女の左には米びつがある(上左)。目の前の風呂桶のような物には汲み上げられた水がたっぷりとあるので、女は食器や何かを洗っているのだろうか。それとも人を切り殺した凶器を洗っているのだろうか。

「安達ケ原」の鬼女は旅人を一泊させて、夜に殺して喰ってしまうと言う話である。この女がその鬼女であるかもしれない。また同時にこの女自身も蛇に巻き付かれ下から背中まで呑まれているようにも見える。

旅人は鬼女にとって格好の餌食だろう(上右)。

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画面下半分をイラスト化するとこうなる。地面の人体は過去に死んだ人の身体で、人間が土に還る事を表しているのだろう。左右の人間の塊はより新鮮そうである。

それにしても死体だらけで、ホラー映画以上の凄惨な地獄絵図である。死体は周りにいる蛇どもに集られ喰われている。

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藁ぶき屋根の民家の軒屋根の上に青白い生首が置いてある(上左・右はその拡大図)。いや生首だけではなく人間が仰向けに二人横たわっているようだ。蛇神に捧げるためにここに置かれているのだろう。

また軒下に人間が干されているようにも見えるし、暗がりの奥に(上図右の右端)心霊写真のように人の顔があってこちらを見ているようでもある。

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もう一度全体を揚げる。下のイラストと比較しやすいように。

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藁ぶき屋根の屋根自体にも人間の身体が含まれていると見える。また遠くの山自体も横たわった人体である。この絵では生贄の人体の大きさが実にまちまちである。ゴッホの「星月夜」の描かれた山も同じように人間の身体であった。観念的・象徴的表現を採っているのだろう。

そして空から巨大な蛇神が降りて来て地上の生贄を喰う。

 

一見温和な作風の絵に還って残酷な表現がされることがある。フェルメールの作品がそうである。彼のおとなしそうな室内画にはバラバラになった死体がはっきりと描かれていた。その他残酷な表現を隠している画家が大勢いる。

こんな死体だらけのイラストを描きたくはない。胃が痛くなる。しかし自分の眼に確かに見える真実は誰かに伝えなければならない。