名画の中の人喰い蛇

美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

コロー 「ナポリの浜の思い出」 喰われる人間の過去・現在・未来

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「ナポリの浜の思い出」 1870~72年 国立西洋美術館

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ミレーと同時代のフランスの画家コローの作品を見る。上野にある西洋美術館が所蔵する、日本には早くから認知されている作品らしい。縦175センチ×横84センチの縦長の画面で畳一畳分くらいある。

木立の中にすでに蛇神らしき像が見えるし、手前の地面にも生贄の人体らしい陰があるようである。

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フランスで描かれたそうで、イタリア旅行の際のナポリの浜の明るい様子や楽しかった思い出を思い出しながら絵にしたらしい。白く明るい砂浜をバックに女二人が手をつないで踊っているのか。一人の女は子供を抱いており、顔をその子に近づけている。もう一人の女は手に持ったタンバリンを頭上に掲げている。高い木立の間の小道にいる。浜から踊りながら上がって来た所だろうか。

しかしこの女たち、たくさんの大蛇に絡みつかれている。周りには大蛇どもが女たちに噛みついている。右の女は後ろにいる大蛇に噛みつかれて左手を上げさせられているのであって踊っているのではないらしい。表情も楽しそうではない。子供を抱いた女の服の端々に赤い色があるのは血だろうか。女が赤ん坊を齧っている? 

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画面右下部分、僕にはこんな風に見て取れた。生贄にされた人間の死体がそこら中に転がっている。と同時に大蛇がこれらに喰い付いている様子が重ねて表現されている。大蛇の顔の中に人間の身体が入り込んでいる。大蛇の身体は過去に呑み込んだ人間の成分によって出来ている事を表している。

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画面左下部分。散乱する骸骨、それを口に入れる大蛇が見えるが、目を少し遠目にして大きくとらえると赤ん坊の姿が見えた。上のイラストのように赤ん坊が仰向けになって逆さに横たわっている。それに大蛇どもが集っている。

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画面下端を左右繋げてみるとまた別の物が見えてきた。左に仰向けの赤ん坊、真ん中に仰向けの女(乳房らしきものが見える)、右側にうつ伏せになった女(土下座のような格好になっている)がおり、小道を歩く女二人と子供がここに倒れていることが分かる。浜から上がってきた三人は現在大蛇に襲われており、未来において地面に死体となって転がることが説明的に表されている。

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三人の頭上の木立や空は、画面の四分の三くらいを占めるが、ここに描かれているのは蛇神たちである。両側に立ち大木を輪郭線とした巨大なのがまず目に入る。こいつは後ろの蛇が前の蛇に喰いつき連結する形で、より巨大な蛇の姿になっている。

そして木の中には人体と思える不気味な画像が見え隠れする。これらは巨大な蛇であると共に、過去生贄になり、喰われた無数の人間が現れ出ているのだろう。巨大蛇の身体も人間を構成していた有機物を吸収して再構成された物であろう。

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この絵には過去に喰われた人間、今現在襲われて喰われている人間、喰われた結果の人間の姿が同時に描かれているようである。イタリア旅行の楽しい思い出なんかではない。巨大な蛇神に喰われ続けて行く人間の悲惨な状態が描かれているだけである。

 

ただ喰われる人間に喰われることをこうして教えているのは何故か。人間は家畜に「お前は喰われるために生きているのだ。」とか言うだろうか。言っても理解できないから出荷・と殺・解体の最後の現場まで言わないのではないか。蛇神が人間に対して絵の中に食人画を隠しこんでいるのは恐らく人肉をおいしくするためではないか。デービット・アイクだったか、「人間は恐怖を感じると血液中にアドレナリンが増え、レプティリアンたちはその血液がおいしく感じるので喰う前に恐怖を与える。」と言っていたと思う。レプティリアンは蛇神の仮の姿だと思うから、「蛇神たちが恐怖を与える。」と言い換えても良いと思う。蛇神たちは名画の中にこんな隠し絵を仕込んでおいて人間をおいしくして喰おうとしているのだ。

「恐怖」というものは極めて正常な感情であり、やがて克服されるべき存在である。「恐怖」自身もそれを知っていて、克服されるのを待っている。「恐怖」の克服には「知識」が一番である。敵の何たるかを知ってしまえば「恐怖」は消えて無くなる。敵の出方・物の表し方・言い方等を研究し知る事でいずれ敵は敵で無くなる。