名画の中の人喰い蛇

美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

「山越阿弥陀図」 仏教に救いは無い

自分も歳を取ったら宗教に生きるのかと思っていた。毎日念仏を唱え阿弥陀のお迎えをひたすら待つ時間が多くなるかもしれないのかと思っていた。確かに「歎異抄」・「般若心経」・「正法眼蔵」・「徒然草」等坊さんが書いた書物をよく読まずに死ぬのも何か物足りない気がする。ただ釈迦の教えは絵画で見る限りどうも胡散臭い。少し前千手観音の絵や釈迦来迎図の中に悪魔的な食人蛇の画像を発見してからは仏教と言うのもキリスト教と同じくインチキな宗教ではないかと思うようになってきた。

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「山越阿弥陀図」 鎌倉時代 13世紀 京都国立博物館 国宝

お釈迦様が山を越えて自分を迎えに来る。眷属が楽器を演奏しながら従っており、共に極楽浄土に導いてくださる・・・・と思って多くの人がこの絵を拝んできたのだろう。人は臨終の後に極楽と言う所に行くのだと思わせている。その案内は空も飛べる山よりも大きなお釈迦様がすると言うのだ。

絵を丹念によく見ると山の描き方が普通でない。日本の山ならば霞んでいるとかもっと幻想的な風景を描くのが自然ではないか。このごつごつと小さく波打った岩のような山の所々に樹のような物が散在している光景は釈迦のお迎えの舞台としてふさわしいかどうか。画面上方を見ても光背が黒っぽいたわしのようであるし、背後の空に続く雲が蛇の尻尾のようである。

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古い絵なので細かい部分はよく見えなくなっているが、光背の中に大蛇の正面顔がかろうじて見て取れる。釈迦であっても蛇神に喰われる存在である事を示している。また釈迦の唇の赤がいまだに色褪せずに残っているのが驚きである。

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画面上半分を精査すると蛇だらけである。空一面に巨大な蛇が存在し釈迦や眷属の頭を咥えている。釈迦の頭上にある蛇の尻尾のような雲は釈迦自身の蛇の胴体部分であるかもしれない。キリスト教における聖母マリア同様下半身が大蛇の化け物であると想像する。

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画面下半分、山の部分であるが、ここに秘密が隠されていた。ごつごつした奇妙な岩肌の山は生贄の人間の身体が積み重なった山であった。

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イラスト化するとこうである。人体を黄色に、蛇神を黄緑にした。正に生贄の人間が画面手前の一番目立つところに置かれている。中央下に両手を挙げて仰向けになっている子供、左に尻や背中を見せた女、右に後頭部を見せて突っ伏している片腕の男、その上の逆さになった男、左奥にもイラストに描いたような人体があり、左上の手の表現が特に生々しい。それぞれ損傷があるが原型をほぼ保っている。(見つけられる部分だけをイラスト化したが、まだこれ以外にも人体の部分が積み重なっているのかもしれない。)

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全体図と全体のイラストを揚げる。解読してみるとひどい生贄図である。食糧としての人間が露骨に、家畜の解体現場の様に描かれている。釈迦の姿に被せて次元の違う世界から来た巨大な半透明の蛇神が生贄を喰っている。

こんな絵を人々は拝んでいるのだ。蛇神に素直に喰われることが極楽への道であると騙されて・・・・。

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これは以前観た「阿弥陀来迎図」の再掲であるが、画面左下に岩と見せた巨大蛇が人間の手足を咥えている。釈迦の本当の姿は上図真ん中下のこの化け物のような物なのだろうか。

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12世紀の千手観音像(東京国立博物館 国宝)も以前観た。上図の絵を見れば、一目で悪魔の顔だと分かると思う。こいつは口から蛇の舌まで見せている。博物館に展示してあれば誰でも気が付きそうなものだがどうしてなのだろう。「国宝の千手観音像は化け物の顔をしている」と叫ぶ人はいないのだろうか。

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彫刻ではあるが、京都三十三間堂の千手観音立像(重文)の内の一体。多くの手が大蛇の顔を形作り、手と手の空間で大蛇の眼を表している。全体としては鎌首をもたげた大蛇の像である。

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同じく彫刻、広隆寺の宝冠弥勒(国宝)は大蛇の化身の像である。胴が異様に細くとぐろを巻いているのがその後ろ姿を見る事で分かる。台座も蛇のとぐろである。

 

このように仏教も悪魔教である。キリスト教と全く同じ教義を教えるために存在している。すなわち、蛇神の教えに素直に従う事、普段は奴隷として家畜として労働に精を出し、喰われる時もおとなしくしてなさい。浪費しなさい。テレビ等を見て低次元のままの存在であり続けなさい。決して自分たちの本来の存在のあり方を探ったりしてはいけない・・・・と。

国宝と称して人間たちの払う税金で大事に保管している絵はこんなものなのだ。この国をこの世界を支配している蛇神はこんなに残酷で慈悲が無い。仏教の教えに従う限り救いは無いとこの国宝たちは教えてくれる。