名画の中の人喰い蛇

美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

マネ「老音楽師」 生贄の儀式?

生命とは何か、人生とは何かを知りたい。人はどうして生まれ、何処へ行くのかを何とかして知りたい。自分が得意な美術の世界、とりわけ絵画の世界にこの疑問に答えるヒントが隠されていると思った。どうやら人間は蛇神によって創られた食糧としての家畜であるらしい。その神に定期的に生贄を捧げるのが使命である事を古今の名画は教えている。(ただこの家畜たちにも近年になって自我が目覚め、レジスタンスを起こし始めていると僕は認識している。)

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エドゥアール・マネ 「老音楽師」 1862年 ナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C.)

老いた音楽師が田舎の道端で子供たちにバイオリンを鳴らして聞かせている。子供たちは貧しくみすぼらしい服装で、左の赤ん坊を抱いた少女などは靴も履いてない。子供たちは神妙に音楽に聞き入っている。右の男二人もこの小さな音楽界に参加しに来ている。老音楽師は人生に達観し、こんな貧しい子供たちにさえ音楽を与える。加藤登紀子の「百万本の薔薇」のメロディーを何となく思い起こしてしまった。

老音楽師は鞄の上に腰かけ、今バイオリンの弓を使わず弦を指ではじいて演奏している。足元手前には袋状の、肩掛けバンドの付いた鞄が置いてある。

この足元の鞄に違和感を覚えた。何の意味もない荷物を手前の一番目立つ場所に置くはずがない。

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僕にはこの物体が人間の上半身に見えた。肩掛けバンドに見える部分はそんな色の布に包まれた頭部である。両手を胸の前で交差し、白い布で包まれて仰向けに転がっている。胴の切断面が少し見えている。

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画面中央手前には岩のように見える物があるが、画質を変えてよく見ると人間の体である。上図イラストの様に左側に尻を見せた裸の体が横たわっている。その右側に別の体が覆い被さっている。手や足もあちこちに重なって置いてあり、バラけた人間の遺体が山になっている。右の上半身布にくるまった遺体よりも少し小さめの体である。

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老音楽師の顔。こちらを凝視している。唇が異様に赤く、頬が鼻の横の所で膨らんでいる。音楽を奏でているというより言うよりも何かを口に入れて喰っているのであろう。それも血の滴るような何かを。口の周りの髭も血で染まっているように見える。

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赤ん坊の子守をする貧しい家の少女。よく見ると眼も鼻も口も判然としない。この顔を作っているのは肌色の大蛇ではないか。上から下がって来た大蛇の両眼が見える。また髪や体等別の部分も蛇で組み立てられているのが見て取れる(上図右イラスト)。

抱かれている赤ん坊も蛇で造られている。眼に見える部分は蛇の大きく開いた口である。小さな可愛い手も肌色の蛇の頭である。蛇で形作られた赤ん坊はその肩に掛けられた布に見える茶色い大蛇に喰われている。この子は死んだ眼をしている。

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音楽師の手の表現が何かおかしい。右手は人差し指と中指の間に弓を挟み、親指と中指で楽器の弦を弾いているらしいが、こんな指の形は(自分でもやってみたが)出来ない。親指と小指は他の三本の指と別の蛇であろう。

弓の先が隣の少年の腹に突き刺さっているようにも見える。糸鋸のような形のこの弓で少年の腹を切ったのであろうか。

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画面全体をイラスト化してみた。音楽師以外の人物全て露出している顔や手・足以外はそこに存在しない。全て蛇に取って代わられている。手前に転がった遺体がその失われた部分である。中央に少年二人の体(イラストではここに頭部を描いたが見間違いかもしれない。少年の頭部は上にあるから)、右側にその大きさから少女の上半身が転がっていると思われる。地面は血だらけである。少女の抱く赤ん坊も血を流し少女のスカートを汚している。少女の足元には大量の血が溜まっており、右の踵も血が付いている。

その他画面左上の木の葉にも蛇の顔がたくさん見られ、地面にも空にも巨大な蛇が無数にいて、皆人間たちに向かって来、口を付けている。

老音楽師だけが別者と思える。生贄の人間たちを自ら喰っている。この老人の背後に喰い付く大蛇がいるが(イラストではクリーム色の部分)、これは老人の下半身に繋がっているのかもしれない。神の子イエスやマリアのような下半身が大蛇の化け物であるかもしれない。

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画面全体を大きく見てみた(上図左)。その為画像を小さくし、ぼかしを入れた。この方が全体を大雑把に観れる。空の中に人物たちを喰おうとする巨大な蛇が見える。中央に一体、その左右に一体ずつが目立つ。さらにこの三体が合わさって画面全体に一番大きな一体が見えて来た。右の男のシルクハットと左の少女の頭がその両眼である。

この絵の中の人物たちは小さな有機生命体(蛇ではあるが)の集まりで出来ており、より大きな有機生命体の食糧となっている。またさらに大きな有機生命体が彼らを喰ってその命を保っている事を示している。人間もこの食物連鎖の中の途中の生命であり、決して地球の支配者では無い事を彼らは伝えている。

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蛇神への生贄の差し出し方だが、似た表現が他の絵画に見られる。マネのこの絵では鞄に見せかけて白布に包んだ人間の上半身を描いてあるが、これと全くと言っていいほど同じである。

上図上部は横山大観の「龍興而到雲」(1937年)の部分。龍の下に岩や波が描かれているがそこが生贄の人間の姿が見て取れる。両腕を胸の前で交差させて布に包まれている。

上図左下がゴーギャンの「ファイヤーダンス」(1891年)の部分。白布に包まれたまたは白衣を着た人間が転がされている。周りの巨大蛇が喰っている。

上図右はミレーの「晩鐘」の部分。祈りを捧げる女の後ろの一輪車の上、布に包まれた子供が乗っている。これから生贄にされる所だろうか。

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上図左はモネの「白と黄色の睡蓮」(1915~1917年)の部分。黄色線で囲った部分が、ゴーギャンの上の絵とそっくりではないか。白布に包まれた人間が足を折り曲げて横倒しになっている。その上から巨大な蛇が襲って来る。

上図右はミレーの「パンを焼く農婦」(1853~1854年)の部分。かまどにパンを入れる姿と言うよりも白布に包んだ赤ん坊を恐る恐る窓の外に突き出す女にしか見えない。

白布に女子供を包んで蛇神への生贄に差し出す、と言う形の意味が分からない。ただこの形が西洋でも日本でも19世紀・20世紀でも行われているらしいことは推測される。日本の龍神への生贄伝説も、伝説では無く今現在も秘密裏に行われている儀式なのかもしれない。