畑・生き物・美術

畑にある命・美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

写楽「市川蝦蔵の竹村定之進」 背景に人間を食糧としている者の顔が見える

写楽の役者絵の背景にも巨大蛇の正面顔がある。以前に見た「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」には、東博の物・メトロポリタン美術館の物共に背景画面いっぱいの正面顔があった。この作品も同様である。

写楽蝦蔵1
写楽蝦蔵1 posted by (C)カール茅ヶ崎

東洲斎写楽 「市川蝦蔵の竹村定之進」 1794年 アムステルダム国立美術館

東博にも同じ作品の別刷りがあるが、こちらの方が背景の印影が見やすい。

(また、この役者は四代目蝦蔵の前に五代目市川團十郎を襲名していたようでその名前でこの絵が掲示されることがある。) 

写楽蝦蔵2
写楽蝦蔵2 posted by (C)カール茅ヶ崎

背後に巨大な蛇の顔がこちらを睨んでいる。その口のあたりに人間の頭があり、これから喰おうとしているかのようである。

あらゆる美術品にこの表現がある。古代のエジプト壁画から現代アートまで、また広告宣伝用のポスター写真からテレビ映像に至るまでこの表現が採られる。この事は何千年も前から今に至るまで、人間を支配しているのはこの背景に描かれた生物であることを示している。

この絵は版画とされているが、版木に絵の具を乗せて紙に刷る事でこのような微妙な陰影の蛇顔画像が表れる訳はない。人間の描いた物ではない。

巨大な蛇が一匹こちらを見ているように見えるが、二匹以上にも見える。細かく見ると無数の蛇が上から垂れてきたり、人間の頭に登っていたりする。ムンクの「地獄の自画像」は1903年の作だからこちらの方が100年ほど前の作品ということになる。蛇顔の表現が非常に似ている。蛇神工房には国の違いはなく、時代の違いもない。

写楽蝦蔵3
写楽蝦蔵3 posted by (C)カール茅ヶ崎

役者の髪の表現。黒蛇がうじゃうじゃと固まって髪を形作っている。

写楽蝦蔵4
写楽蝦蔵4 posted by (C)カール茅ヶ崎

顔の肌にもごく薄く蛇の眼や頭が見える。画質を変えたり、拡大したりしてみると何となく見えてくる。左目の横にあざのように黒ずんだところがあって、そこにいる蛇どもが比較的見易い。こめかみの上でこちらを向いて口を開けて威嚇するようかのような奴もいる。眉毛は二匹くらいの黒蛇で出来ているし、眼も黒蛇と白蛇で作っている。目玉は黒蛇の正面を向いた顔で、その両目がうっすらと見える。

歌舞伎役者の「見栄」の顔はこいつら蛇どもが引っ張り合って作っているらしい。

写楽蝦蔵5
写楽蝦蔵5 posted by (C)カール茅ヶ崎

口の部分を拡大すると、口は黒蛇と茶色蛇が横に這って作っている。茶色蛇の頭と眼が右向きになっているのが見える。少し開いた口の中に見えるのは歯でも舌でも無く、赤蛇が三匹ほど顔をのぞかせているようだ。こいつらは役者レプティリアンに喰われているのではないか。

蛇神が画家や絵師に描かせた絵には必ず法則のようなものがある。それは巨大な蛇が中くらいの蛇を飲み込み、喰い、その蛇が人間の姿をした者を喰い、その人間の姿をした者も小さな蛇を喰っていると言う、食物連鎖のようなような関係が必ず描き込まれていると言う事である。高画質画像が手に入った肖像画の人物の口の中には大抵小さな蛇が入っている。そいつを噛んで人物の口の中は真っ赤である。

人間は食物連鎖の頂点に立ち、全ての動植物を食べると教わってきたが、実は人間の上にも連鎖の頂点がいる事を絵画等に隠し込んでいるらしい。すなわち人間もその生物の食物であると言う事を・・・・。

写楽蝦蔵6
写楽蝦蔵6 posted by (C)カール茅ヶ崎

上図、上がアムステルダムの物。下が東博の物。アムステルダムの物は画面左下部分が損傷しているので東博の物も参考のためにここに掲げた。

共に画質調整して肌の陰影を見易くした。

三本指のはずだがここでは判別しがたい。ただ右手の揃った指三本には関節がなく、蛇っぽい。左手の指は人間の指にしては長すぎる。作画上の変形ではなく、実際のレプティリアンの手をそのまま描いたのだろう。爪の表現もおかしく、普通と逆だろう。丸みを帯びた方が指先に来るはずだ。爪の周りを蛇が囲っているようである。

この手の形、右手の指先の小蛇どもが何かを喰っているようにも見える。左手の指先の小蛇どもも右手を齧っているのではないか。レプティリアンの体を構成している蛇同士も喰い合う。この世界は喰うか喰われるかしか無いのだと蛇神は言いたいのかもしれない。