畑・生き物・美術

畑にある命・美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

ラファエロ「ひわの聖母」 あまりにも残酷な表現

名画の中の幼児の表現には残酷な物が多いと思える。この絵もそうである。

ラファエロ・サンツィオ 「ひわの聖母」1506年 イタリア・フィレンツェウフィツィ美術館

ラファエロひわの聖母1
ラファエロひわの聖母1 posted by (C)カール茅ヶ崎

この作品は破損がひどく、修復が施されている。修復で小奇麗にはなったが、作者の真に意図した「巨大蛇神の食人」と言うテーマが見えにくくなっている。

上図左が修復前、右が修復後である。

聖母と幼児期のイエス・洗礼者ヨハネが描かれていて、画面向かって左のラクダの皮衣のヨハネが受難の象徴「ゴシキヒワ」をイエスに見せ、イエスはその鳥に手を伸ばしている。荒野の岩に腰かけた聖母マリアが本を読むのを中断してそれを見ている・・・・と言う図である。

聖母の頭上・遠景等に巨大蛇の顔が、修復前のは比較的良く見えるのに、修復後のそれには見えにくくなっている。

ラファエロひわの聖母2
ラファエロひわの聖母2 posted by (C)カール茅ヶ崎

修復前の写真でこの絵の全体を見ると、画面全体が蛇で埋まっているのが分かる。空の中・遠くの丘・近くの地面に巨大な蛇がいて、三人を目指して集まって来ている。真上の空から画面右横に掛けて、巨大な蛇が繋がって囲っている様にも見える。また見方によってはこの同じところが別の蛇の顔の連続に見えたりもする。表現が半透明だったりして、見方によって違うように見える。聖母マリアの下半身は大蛇であり、それが画面右から背後の荒野の方に流れる様に描かれているらしいが、どれがその胴体部分かと言うとどうもはっきりとは分からない。

どちらにしても巨大な蛇神に人間が喰われている事を示唆している。

ラファエロひわの聖母3
ラファエロひわの聖母3 posted by (C)カール茅ヶ崎

聖母マリアの顔(以後拡大図は修復後の絵から採っている)。愛する我が子を慈愛に満ちた表情で見つめているのではない。冷酷な眼で無表情に見つめている女である。上まぶたに蛇の眼が見える。眼そのものが開けられた蛇の口になっている。その口の中に別の黒い蛇が顔の覗かせていて、それが瞳に見える様になっている。こめかみの所・小鼻の所・髪の毛にも蛇の顔が見て取れる。下唇の左側・右側ともに何か白い小蛇の様な物が這い出て来ているらしいのがかろうじて見える。

ラファエロひわの聖母4
ラファエロひわの聖母4 posted by (C)カール茅ヶ崎

幼児イエスの顔。眼は鳥を見ずヨハネの方を見ている。心ここにあらずで、恨めしそうである。頭の上から額を通って右頬にまで蛇が垂れ下がっている(頭髪の産毛がここまで下がってくることは無い)。右手の上にも小さな蛇が這っている。口は半開きで苦しそうである。

ラファエロひわの聖母5
ラファエロひわの聖母5 posted by (C)カール茅ヶ崎

ヨハネの顔。遠目には笑顔に見えるが拡大するとこんな苦しそうな顔である。口から血を吐いてその血が顎まで垂れているように見える。

ラファエロひわの聖母6
ラファエロひわの聖母6 posted by (C)カール茅ヶ崎

画面手前の物体、イエスの足元にある物は何だろう?

僕にはこれが人間の足に見える。岩とかではなく切断されて地面に転がっている人の足、左側には指らしき物も見える。

ラファエロひわの聖母7
ラファエロひわの聖母7 posted by (C)カール茅ヶ崎

写真掲載サイト「フォト蔵」にアップロードしてから気が付いたが、人間の足と思える物体はもう一本あった。ヨハネの足元にも同様な切断された人間の足が見える。非常に暗く描いてあるので、右の足を喰いに来る蛇の内の一匹だと思ったが違う。こちらは少し古く、腐敗が進んでいる足だろうか。

地面上の二本の足を蛇どもが集まって喰っている。

右の足の上に花があるが、これは黒い蛇の胴体の柄だろう。身体をくねらせて肉片を喰っている花柄の黒蛇をそれごと口に入れる大きな蛇、それをまた別の蛇が呑み込もうとする。最期には空から垂れ下がって来た巨大蛇に全て喰われる様子が描かれている。

ラファエロひわの聖母8
ラファエロひわの聖母8 posted by (C)カール茅ヶ崎

ヨハネの左足は切断されている。

左足の付け根部分はラクダの皮衣の毛に見せているが、実は切断面であり、赤い肉が見えている。また背後の岩は巨大蛇であり、そいつに尻を噛まれて大量出血している。両足の下の地面に血だまりが出来ており、臍の真下あたりの衣の先端の下の地面にも血の滴った跡がある。

ラファエロひわの聖母9
ラファエロひわの聖母9 posted by (C)カール茅ヶ崎

エスの左足も怪しい。修復前の絵で見ると分かりやすかった。腰に回した薄いベールが左足と繋がって蛇の顔に見えた。肌色の蛇が口を開けてイエスのおチンチンを咥えている。この蛇は別の蛇を呑み、この蛇自体もまた別の蛇に呑まれて繋がっている。

 

どうやら手前の足は二人の幼児の左足であるらしい。二人の足は切断されて大蛇どもに喰わせるのだと作者は説明したいのだろう。時間的な差を同一画面に描くのはよくある事で、ルノワールの「若い母親と二人の子供」では、拉致された女の子がこれから行く先が画面右上に描かれていた。

この聖母マリアは巨大な蛇の化身である。どこからか人間の幼児を捕まえて来て人のいなさそうな荒野で喰っている。そこに他の蛇どもも集まって来ている。そんな絵である。ゴシキヒワでキリストの受難を予言しながら聖母子の穏やかな日常を描いている絵などではない。

ヴェロッキョ工房でレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「キリストの洗礼」では少年の片足が無く、その切断面が描かれていたが、ラファエロのこの絵でも幼児の片足が地面に転がっているという非常に残酷な表現がされている。何だか頭が痛くなる。

絵画の中の子供の表現には今後も注意して見て行かなければならない。