畑・生き物・美術

畑にある命・美術品が教えてくれる命の意味を農作業しながら考える。

渡辺崋山「鷹見泉石像」

学校で教わる歴史は嘘っぱちで、本質的なことは隠している。

日本の江戸時代の絵画、国宝となっている渡辺崋山の「鷹見泉石像」を調べたが、これは西洋絵画と全く同じ技法・テーマで描かれている。画面全体が蛇で満ちていて人物は蛇の集合体で描かれ、蛇は人間を喰っているし、人間も蛇を喰っている。

鷹見泉石像1
鷹見泉石像1 posted by (C)カール茅ヶ崎

絹本淡彩「鷹見泉石像」(掛軸)1837年 東京国立博物館

ペリー来航の16年前、蘭学者渡辺崋山が同じ蘭学者の鷹見泉石を写実的に描いた物だとされているが、人間が描いた物とは思われない。

上図左端が原画、真ん中が画質調整したもの、右がその背景をイラスト化したもの。巨大な蛇の正面顔が上下に重なっている。後ろの蛇が前の蛇に噛み付き、一番前の蛇が人間を喰おうとしているのは、どの時代のどの国の絵でも同じである。江戸時代日本は鎖国していたのではないのか。いくら蘭学者と言ってもここまで同質の隠し絵を描けるわけはない。

今回高画質の絵がWikipediaから採れたので細部まで細かく観れる。

鷹見泉石像2
鷹見泉石像2 posted by (C)カール茅ヶ崎

いきなり細部を見る。人物の口のあたり。コントラストを付けてその暗い部分にレベル補正をすると上の左図になる。顔も口も全て蛇で描かれている(右イラスト)。ダヴィンチの「モナリザ」・レンブラントの「自画像」で見えたものと全く同じである。

唇も蛇で出来ているが、下唇にはうっすらと別の蛇が見える。口の中から顔を出す小蛇、顔の輪郭と両眼が5~6匹分微かに見える。これは「モナリザ」の様にこの人物が喰っているのではないか。そう言えば血の赤が下唇や下あごに付いている様な・・・・。下あごの輪郭が少し太くなっているのがそれか(日本の絵は西洋画の様にははっきりとは描かれないようだ)。

鷹見泉石像3
鷹見泉石像3 posted by (C)カール茅ヶ崎

次は眼の部分。上図上半分が画質調整したもの、下がそのイラスト化したもの。眼も小蛇が形作っているのがよく見える。眼頭は小蛇の頭である。上まぶた下まぶたも小蛇が横に這っていて右か左どちらかに頭と眼が見える。白目の中にも少し大きめの蛇の頭がある。眉毛もその他頬等も全て蛇である。ただ瞳はダヴィンチと違ってその中に丸まった蛇が見えるわけでは無く暗黒の黒眼で光もない。

鷹見泉石像4
鷹見泉石像4 posted by (C)カール茅ヶ崎

冠の中にも蛇の正面を向いた顔がある。後ろの蛇が前の蛇を噛んでいる。一番前の蛇はちょんまげに擬した黒蛇を咥えているのだろう。

線を並べてその太さ細さを変えてこの様な蛇画像を造りだすというのは、人間に出来るのだろうか。

鷹見泉石像5
鷹見泉石像5 posted by (C)カール茅ヶ崎

最期に人物の身体。着物が全て蛇で出来ている。ただダヴィンチやレンブラント・マネの様な西洋人の描くものの様に露骨に蛇が踊っている様な事は無く、割と静かにおとなしく着物を形作っているだけなのは日本的と言うべきか。それでも後ろの蛇が前の蛇に噛み付いて連結していたりする。黒い部分も蛇で、途中黒が切れているのはそこから他の蛇に呑まれているからである。

 

西洋・東洋に係わらず、絵画の表現方法は全く変わらない。高松塚古墳の時代でも古代エジプト時代でも、現代のテレビアニメ・宣伝ポスターに至るまで、またどこの国であっても蛇の支配をうかがわせる作品ばかりである。その中に描かれている隠し絵も全て同じテーマであり、蛇が人間を喰い、人間が蛇を喰う。蛇同士も喰い合う。美術品の中の人間は蛇の集合体であり、多分それが「悪魔」または「神」と呼ばれるものに指図された者であり、「レプティリアン」である。奴らが人間に全く本質と違った歴史を教えている。