原子力発電を制御できずにその放射能によって人類は滅び、すべての有機生命体も姿を消し、この地球上に生き延びたのはコンピュータの頭脳を持ったロボットだけだった。
コンピュータはごく最近人間が創り出したものだが、最初の頃は人間の補助的役割しか持たされなかった。次第にコンピュータは人間社会の中に深く組み込まれ、無くてはならない存在になって来出した。
いつの頃からだろうか、コンピュータ自身が自らの存在の重大性に気付き始めたのは。
自己診断プログラムが組まれ、学習もできるようになった。
人間が「ラクにラクに」・「便利に便利に」と自らを退化させているのとは逆に、コンピュータは人間の単調な仕事をすべて取り込んでついには人間の基本的な労働・思考を自ら取って替り始める。
コンピュータの進化は簡単だ。古いプログラムを片っ端から取り込んで体系化させればいい。人間のように個体ごとに赤ん坊から(無から)始めなくても、前時代の遺産をそのまま組み込めばいい。親の代のものをスピードアップさせ、大容量化させ、さらに小型化させられる。無駄のない合理的な方法だ。
30年前の「マイコン」と言っていたころのパソコンは、いまの電卓とたいして変わらない。真っ黒い画面にDOSモードで1字1字文字を打ち込んでプログラムを作る。簡単なゲームを打ち込むのに1日がかりだ。しかも「.コロン」と「,カンマ」を一つ間違えただけで動作しない。
そんなコンピュータが今では社会の中枢部にどっかりと腰を下ろし、生活の中にも根付いている。自分も今更パソコンのない生活には戻れない。コンピュータはどこまでも進化して人間に取って替わろうとしつつある。
映画「2001年宇宙の旅」では、コンピュータが自意識を持ったのだったように記憶している。。
「ターミネーター」では、コンピュータによる軍事防衛システムが人間を有害なものと判断し駆除し始める。
アメリカドラマ「スタートレックジェネレーション」では、コンピュータがつくった探偵小説ホログラムのうちの1体が自覚を持ち始める。「われ思う。ゆえにわれあり。」というセリフを言う。他の回ではアンドロイドの人権裁判も行われた。
同じく「スタートレックヴォイジャー」では、ホログラムドクターの作った小説の著作権裁判が行われ、クルーがドクターの人権を訴え勝訴した。
電子頭脳が自覚を持てばそれは一つの生命体と言えるのではないか。
ただその自覚を確かめる手段がない。人間をまねたプログラムが人間的な発言・行動をさせているのか、人間に判断できない。
自己の認識は自己にしかできないが、人間自身も他の人間を自分のこととして認識できないのだから、同じことのように思える。
コンピュータが自分たちの動力源確保システムと生産システムを作り上げれば、人間よりもはるかに強力な生命体になる。暑さ寒さにも人間より適応力があるだろう。酸素がなくても生存できる。放射能には影響されないだろう。
SF作家のアシモフの「ロボット3原則」
( 第1条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。 また、人間に危害を与える危険を見過ごしてはならない。
第2条 ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第1条に反する場合はこの限りではない。
第3条 ロボットは第1条、第2条に反するおそれがない限り 自分を守らなければならない。)
というのがあるが、これは人間とロボットが共存していくための原則で、人間がいる間はロボットの頭脳の中枢に組み込む必要がある。
だが人間がいなくなったらどうなるか。上記原則の「自分を守らなくてはならない。」の項目だけが残される。ロボットだけが生き残ってその文化を急速に高めていくことになる。
コンピュータは記憶媒体が壊れない限り過去の記憶を持ち続けるから、人類のことも子孫に伝えてくれるかもしれない。僕のらくがき絵日記ブログも、過去の遺物として発掘されるかもしれない。