名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

岸田劉生 「麗子微笑」 不気味な食人の絵

岸田劉生は好きな画家の一人だった。物事を徹底的に突き詰めて描くその求道的精神が感じられて自分の生き方に影響を与えられた。劉生は愛娘麗子の絵を多く残しているが、その中の一枚を調べる。結論を先に言うと反吐が出そうになるほど残酷な表現が隠されていた。嫌になるほど希望が無い。

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重要文化財 岸田劉生 「麗子微笑」 1921年(大正10年) 東京国立博物館

麗子が8歳の時の肖像画で、暗い画面の中で大きなおかっぱ頭の麗子が肩掛けを掛け、右手に赤い毬のような物を持っている。この異様に大きな頭と小さな手・暗い画面に一種鬼気迫る劉生の求道精神が垣間見れる・・・・と思っていた。絵画芸術を突き詰めて真剣に絵を描いて行くとこんな絵になるのかもしれないと思っていた。映画の黒澤明監督も晩年「乱」のような救いようの無い暗い映画を作っていたではないか。

それにしても父親が愛娘をこんな不気味な姿で描くのだろうか。普通なら女の子の可愛らしい姿をもっと明るく楽しく描くのではないだろうか。この絵の不気味さの謎を少しでも解明したい。

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ああ、やはりそうだ。拡大して見ると麗子の口は小さな人間を喰っている。過去にも人間を喰ったから顔の皮膚自体も人間が元になって出来ている。血も垂れている。人間が創られた当初は巨大蛇どもは巨人族を従えていて、奴らは小さな人間を餌にしていたと想像している。名画の中の登場人物は大抵巨人族であり、小さな人間を喰っている。上図左の元絵には口の両端近くに小さな牙が見えている。

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麗子の髪の中に小さな人間が隠れている。一人の背後にもう一人がぴったりとくっ付いて、後背位で性交しているように見える。また同時に人間は蛇にも見え、麗子の右側頭部の膨らみなどは人間の尻のふくらみにも見えるが、蛇の頭のふくらみにも見える。この蛇は人間を数人咥えており、人間の足だけが口からぶら下がっている。

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右手に持つ毬のような物は蛇の頭であろう。両目が見えるし、ギザギザした歯も見える。人差し指は噛まれて血が流れている。

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手と毬の蛇の部分をイラスト化するとこうなる(上右)。毬の蛇は人間の身体で出来ている(人間を喰っているから)。

人差し指の下に赤い人間がいる。麗子に掴まれている。蛇にこの人間を喰わせるために持っているようである。小さな人間は巨人族が手助けして蛇に喰わすが、巨人族自身もいずれ蛇に喰われると言う事か。

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この右手、肘から上が無い。顔と比較して異様に小さな手だから他の娘の手を持ってきてそこに置いてあるのか、または手の大きさは正しく、麗子の頭が鑑賞者の方に突き出て大きく見えるのか。

この手の切断面の下に髑髏がある(イラストでは黄色くした)。上向きの横から見た髑髏で目・鼻の孔・口・歯も描かれている。肩掛けの下端の白い房はこの髑髏のあばら骨か手の指の骨でもあるだろう。

麗子の右手は毛糸の肩掛けの中に隠された大蛇に喰われている。

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麗子の身体の中に蛇と共に隠れているのは、少し大きな人間である。一人は麗子の胸の所に白骨化した顔を見せる前屈した人。この人の足が麗子の右手と繋がるのかもしれないがそこのところがよく分からない。この人の胴が麗子の上腕になるので麗子の上腕は下碗に比べて太い。

もう一人は麗子の左肩を尻にした人。この人の頭は麗子の髪の後ろに突き出ているように見える。この人の胴体が有る為に麗子の頭が本来あるべき位置からずれて手前に突き出ているのではないか。言い換えればこの人の背中に麗子の頭部だけが乗っている。麗子は頭部と手先だけしか無い。

またこの人の脇・麗子の髪の下端に隠れて人が見えるのは僕だけだろうか。

肩掛けの向かって右側の下端の房は人間の手の指の様だ。

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背景の茶色い壁の中に人間がいる。腹這いになって折り重なっている。頭が右を向いているのか左を向いているのかはっきりしない。性交して同時に子供を尻から産んでいる。

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全体図にした。所々蛇の頭にしか見えない所があって(イラストでは白抜きにした)、その蛇の口先には必ず小さな人間がいる。

画面右下、肩掛けの下端はイラストのように人間の手指と頭・肩ではないだろうか。

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全体を蛇中心に見るとこんなイラストになった。肩掛けは蛇で出来ている。こいつらが餌となる麗子の手や胸に集まって来ている。下端の骸骨はもう喰われてしまった人間。麗子の右手は毬の蛇だけでなく肩掛けの蛇にも人間を与えている。

麗子の後ろに巨大な蛇が大口を開けている。今にも呑み込もうとしているようである。この表現は肖像画で多用される。結局全てを最終的に喰うのは巨大蛇族だと言っているかのようである。人間に対し自らを神と呼ばせ崇めさせている悪賢い生命体である。

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この絵はレンブラントユダヤの花嫁」(1667年 アムステルダム国立美術館)の部分図であるが、麗子の手に持つ蛇の餌とこの花嫁が手に持つ蛇の餌の表現が同じである。

この女は金と宝石をもらって男に胸を触らせているのだが、右手に持つ金貨の入った赤い袋は蛇である。手の下に麗子像よりも少し大きな人間がブラ下がっている。服の中に隠れた大蛇にもこの人間を喰わせている。名画の中の登場人物たちは蛇神の為にその食事の手助けをする。17世紀オランダのレンブラントも20世紀日本の岸田劉生も蛇神の手下と言う事では同じなのだろう。

 

尊敬していた岸田劉生も悪魔の手先である事が確認出来て希望が持てない。名画の中にヒントが見つかればと思って日夜トレース作業をしているのだが、またこんな残酷な絵を見つけてどうも気持ちが暗くなってしまう。それが目下の悩みである。

尾形光琳 「太公望図」 人間を家畜として育て見守る

今回も引き続いて日本の名画を調べる。

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重要文化財 尾形光琳 「太公望図」 江戸時代 京都国立博物館

後に周の文王の軍師となり斉の始祖となる呂尚は、初め他人に認められず落胆して渭水で釣りをしていた。占いで人材を得ると言われた文王は呂尚と邂逅し、重く用いる事になった。呂尚は大公が望んだ者としてその後太公望と名乗る。・・・・と記録にある。太公望渭水で釣りをしている場面を江戸時代中期の尾形光琳が絵にしたのがこれである。

おかしな形の岩棚に乗った老人。後ろの崖も変に丸い。金箔が張られた部分は霞だろうか、これも不思議な形である。川の中に釣り竿らしき線が有るようで無い。この絵は何だろうか。一国の軍事・政治を任せられるような能力を持った自分を用いてくれる人間が訪ねて来るのを待ち続ける姿、一国の軍師と言う地位を釣り上げる為には釣り竿はいらない。ただ寝て待つのみだと作者は言っているのだろうか。

それにしてもこの絵のような岩・崖・川・霞の表現がどうして採られたか。

順に調べて行く事にする。

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太公望の顔拡大図。口の周り、髭の中だけ明らかに色が変わっている。元絵全体図では気付かないが拡大して画質調整すると、口の周りに丸く明るい色の物がある。さらに良く見るとその濃淡の中に小さな人間が数体見える。人間を喰っている事を表しているのだろう。右手となっている所も二体の小さな人間であろう。また目のところ、にこにことしながらつぶっているのではなく、白目をむいて開けているのではないか。

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太公望の身体。衣と見せているが実は食糧としての人間をたくさん貼り付けさせている。右ひざを立てているがここには正面から抱き合った人間(おそらく男女)が見える。ここは同時に(右ひざと見せて)大きな男性器なのかもしれない。

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背後の丸みを帯びた岩は、大開脚した女の出産図にしか見えない。顔らしき所、手らしき所、女性器から這い出る赤ん坊らしき物が見える。

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老人が座る岩棚の先端部分(老人の向かって左下)。人間の顔が見つかる。するとその身体も見えて来る。トレースしながらさらに良く見るとその人間の身体は上下に重なっている。どうやら後背位で性行為をしているのだと気付く。少なくとも三組の男女が性行為をしている。彼らの頭は大蛇に呑まれ、その状態で尻から子供を産んでいる。

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老人の右側の地面にも男女交合図が隠れていた。地面の中に単に人間が埋まっていると言うだけではなく、人間同士が交接し子供を作っている。

老人は巨大な男性器の上に乗っている。馬の背であるかのように鞍を乗せそれに乗っている。川に突き出たその巨大男性器の先から大量の精液が流れ出ている。老人の大きな性器から流れ落ちている液も一緒になっているかもしれない。

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画面左下、川の中に岩っぽい物がある。ここにもたくさんの人間が横になっている。岩に付いたコケに見える物はその人間の尻の所にあるので生まれ出た赤ん坊だろう。ここは同時に大きく見れば蛇の頭がいくつも並んでいるようにも見える。

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中国大陸の中の大河の一部と言う事だが、小さな池にしか見えない。僕には人間を製造するための培養液の池と思える。画質調整してもはっきりとは見えないが人間の顔か、蛇の顔の他に人間の胎児の姿が見える。赤ん坊も見える。右の老人が注ぎ入れた精液によって創られた人間がここで育まれているのではないか。

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老人の頭の後ろの訳の分からない金箔部分。太公望の大きな夢を表しているとも思えるが、細かく濃淡を追って行くとイラストのように人間の交尾図ばかりである。この爺さん、セックスの事しか考えてない。

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今まで見て来た部分図を合わせて全体図にした。金箔の部分は大きく見ると後ろ向きで出産している形の女の図になった。この女が卵子を放出し、老人が精子を出して水の中で人間が発生しているのだろう。

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蛇神による食事風景。画中の全ての隠された人間たちはこの巨大な蛇によって喰われる。老人は口の尖った龍のような顔の蛇(青色)の上に乗っている。この蛇は口からよだれを垂らしている。左下の岩も迫りくる蛇(黄色)である。全ての蛇が渭水の水に向かって集まって来ているようである。老人は人間を交配出産させ、育て、蛇神に喰わせる為に見守る役目(牧場の番人・羊飼いの役)を持っているかのようである。

 

人間は巨大な蛇型生命体の食糧であると、どの名画も示唆している。

それが真実なのであれば、それはそれで仕方がないのではないか、と思うようになってきた。人間自身も家畜を残酷に殺して食糧にしているし、それを食わなければ生命を維持できない。動物を食わずに野菜だけを食うにしても、その野菜を食う虫を大量に殺しているのは事実である。人間が地球上での食物連鎖の頂点であると言うのが間違いであるのを受け入れるのはつらいが、奴らも生きるためには喰わなければならない。認識を新たにする必要がある。

この緒方光琳の絵には残酷な表現は一つもない。隠し絵の人間はどれを取っても身体が損壊していない。裸で交配し、出産し、蛇神の体内に素直に取り込まれている。養豚場の主人に優しい人・厳しい人がいるように、蛇神にも(名画の作者にも)色んな性格があるらしい。

狩野秀頼「観楓図屏風」 蛇による食人・増産、こんな風にしか見えない

台風のせいでまた被害が出、収入が落ちそうだ。農業だけでは生活できず、年金を合わせてかろうじて食って行ける状態だが、めげずにやって行くしかない。

今回は狩野永徳と同じ時代の屏風絵。少し丁寧に細かい所から調べて行く事にした。

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国宝 「観楓図屏風」(高雄観楓図) 狩野秀頼楓筆 16世紀 東京国立博物館

狩野永徳の叔父か従兄弟の「秀頼」と言う名の印が画中にある。永徳の「檜図」と同時代か少し前の作品と思われる。京都西北の高雄山にある楓の名所、清滝川のほとりで紅葉狩りをしながら宴会を開いている男女が描かれている。右上に高雄山神護寺があり、中央はその参道に架かる橋らしい。左上には雪を被った愛宕神社。鳥居や参拝する人々も描かれている。

地味な色合いで紅葉の赤はさほど多くない。土色の地面や霞が主で、人物の着物の鮮やかな色と愛宕山の雪の白、川の青色だけが目立っている。

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画面右下の女たちの部分。赤ん坊に乳をやる女、それを見て微笑む女、歩き回る子供たち、皆笑顔で楽しそうだ。酒も入っているらしい。僕としては地面のところどころにある赤いシミのような陰が気になるが。

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画面左下では男たちが宴会をしている。扇子を持っておどけて踊る者、鼓を打つ者、手を打つ者とこちらも楽しそうだ。柿のような食い物も置いてある。後ろの地面の赤いシミの付いた曲線的部分は大きな人体か。

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画面中央一番下に見える岩は、苔むした岩ではなく、人間の身体の積み重なった物である。やはり一番目立つ所にこう言う物が配置される。それが見えると川の中にも、橋板にも何やら怪しげな人の形か蛇の形が見え出す。

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右下隅の岩の部分。人間の形が見て採れる。別の人間に背後から覆いかぶさる人間は恐らく性交している。尻を向けその尻から何か丸い物を出している人間は出産しているのだろう。楽しげに遊んでいる子供たちの足元の赤いシミの中にも人間がいる。この部分図の右端の立ち上がった岩は女の尻であり、赤ん坊を産み落としている。またこの女の腹の部分に胎児が透けて見えている。

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画面左下隅。ここにも人間の山積みがあり、尻から子供を産んでいる。上の楓の樹は人間の繋ぎ合わせで出来ているが、同時にそれは上から降りて来る蛇にもなっている。楓の樹の細かい枝の中にも人体が隠されている。枝を輪郭とした空間に尻を向けた人間が何人もいる。また上から岩の人間を喰いに来た巨大蛇の輪郭も徐々に見え始める。

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画面左上の愛宕神社参道。白い雪は大きな人体であり、神社の樹々は大きな蛇である。大きな蛇神に喰われるために人間たちが参道を登って行く。神社の樹の赤い幹は今喰われている人間である。

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画面右上の高雄山神護寺空海最澄の名が関連付けられて説明される由緒正しい寺であるらしい。この絵をトレースして見ると、この寺には空から来る巨大蛇が人間を喰っている様子が見える。露出した山や木々の中には交接している男女の人間がおり、それらが蛇に喰われている。また雲の中の微妙な陰影の中にも人間や蛇の形が見える。

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画面中央の橋の架かる川の部分は最も重要な部分と思える。対岸の岩は人間が積み重なっており、川の中にも人間がうじゃうじゃといる。あたかもクローン培養液の中のようにも見える。遺伝子を組み替えて人間と言う生命体を創っている現場の光景?

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今まで見て来た部分図を合わせて全体図にした。空白部分も繋ぎ合わせて見ると、至る所で大蛇が人間を襲っており、人間は襲われながらも交尾し出産していると言う図である。

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空からやって来た巨大蛇が人間を襲い喰うと言う事を念頭に置いてイラスト化するとこうなる。画面いっぱいを埋め尽くす巨大蛇ども、その口先には餌となる人間の山(イラストでは黄色くした)がある。

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人間の増産と言う事を念頭に置いてイラスト化。

上図上は交接図。小さな交接図もたくさん受けられるがこれが一番大きく見える。青い男の巨大な性器が女の身体を貫いている。杯型の川は男性器であると共に女の子宮を表しているのかもしれない。また男の尻から赤ん坊が生まれている(女=イブが創られる前は男=アダムにも出産能力があったのか)。

上図下は出産図。こんな風に見えた。

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またこんな風にも見えた。画面全体に大きく見て採れるのは生まれ出る赤ん坊の図である。その両腕を蛇に噛み付かれている。この匍匐前進の形で這い出る赤ん坊はこの絵の中にも所々見えるが、大抵後ろ向きの女の尻の間に描かれている。だからここでも尻が見えるはずなのだが、その形が捉えられない。作者に聞いてみたいところだがそれは叶わない。東博学芸員でも答えられない(そもそもこんな風には見えないと言われてしまうだろう)。自分一人の眼で見続けてより認識を深めて行く他無いだろう。

 

 

狩野永徳「檜図屏風」再考 人間の増産による抵抗

この絵を見直してみる事にした。

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国宝「檜図屏風」狩野永徳筆 安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館

巨木の生命力の力強さが、金色の霞により省略化された背景の中で際立っている。織田信長のいた戦国時代、武将の気概や美意識をこの絵が残っている事で垣間見ることが出来る。

・・・・と美術解説者なら言うだろうが、僕はそれだけでは無く地球の支配者からのメッセージが隠し込まれていると見る。前回は巨大蛇の画像が隠れている事を見つけたが、今見直すとまた別の隠し絵が見える。

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向かって左半分(左の2曲と言うのか)にこんな絵が見えた(右イラスト)。大小の人間が性行為をしている。性行為をしながら尻から子供を出産している。西洋画と同じ隠し絵がここでも見られた。左下の池の中の岩は、先回名画の中の残酷な表現と言う事で餌としての人間の山積みとしたが、その人間たちも性行為をしているらしい。左下隅の背中を見せる女は(拡大してよく見ると小さな人間と蛇の形が集まって出来ているが)、大蛇に喰われる人間たちを呆然と眺めている。鑑賞者がこの女の眼を通して真実を見てほしいと作者は言っているかのようである。

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向かって右側の半分、檜の樹の枝にも背後の霞の中にも後背位で行為をする男女が隠れている。分かり難いが出産もしているようだ。

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上が元絵。少し明るくしてある。下が全体のイラスト。観る者に「増産に励め」と言うメッセージを伝えている。

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上元絵。下は蛇神の食事風景の隠し絵イラスト。ここに描いた蛇どもよりも大きな蛇の顔も何となくも見えて来るが、煩雑になって見難くなるのでやめた。最も大きな蛇は左下の岩場の人間を喰おうとする画面いっぱいの蛇が一匹。紺色の池が口で、画面中央にある枝の丸みが目である。もう一匹は右側の檜の幹のY字型を輪郭とする巨大蛇である。下端に口を付けている。

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上元絵。下は別の見方の性行為図イラスト。

緑の男が紫の女の背後から襲っている。女の尻から子供が生まれている。女の尻の上の尖った岩は男の生殖器にも見えるし、また別の見方で見えて来る女の尻から生まれ出る子供かもしれない。女の生むのは一人ではなく、池の中に子供が何人もいる。エルグレコの「受胎告知」(ビルバオ美術館)でも、子供が無数に生まれ出ているように描かれていたがそれと同様か。

右側の檜の樹全体は股を大開脚した女であるらしい。イラストでは赤で描いた。股の間から女の顔が見えるのだが、イラストのように僕は幹の一部をそれとした(或いは紫の女の顔と重複するのかもしれない)。やはり子供を産んでいる。

 

人間は殺されても殺されても、子供を増やす事で蛇神に抵抗していると言えるかもしれない。食糧の増産を計る蛇どもの計画よりも、はるかに多くの人口を持ってしまう事でしか対抗できないのかもしれない。

 

 

人間を恐れさせる残酷な表現が隠されている

人間は損壊した人体・腐乱した人体・白骨化した人体を見せられると恐怖を感じる。それは「死」を連想させるからである。そんな恐怖の絵が名画の中、それも画面最下段の一番目立つ所に隠し絵で描かれている場合が多い。何と言う性格の悪さだろう。いや奴らにしてみれば、人間が家畜を解体調理すると言う事と何ら変わりの無い日常の光景であるのかもしれない。人間は奴らの家畜であり、食糧であると言う現実をさりげなく名画の中に見せているのである。

過去一年くらい当ブログで扱ったそんな残酷なシーンを集めてみた。これでもかと言うばかりに人間は皆食糧となっている(イラストに少し手を加えて分かり易くした物もある)。

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国宝 玉虫厨子須弥壇右側面「捨身飼虎図」  法隆寺

画面下部に太子が虎の親子に身を捧げる場面が描かれている。太子を喰う虎は骸骨にもなっている。左側の崖にも骨が散らばっている。肉を喰われて骨になる事を見せつける絵である。

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国宝「高野山聖衆来迎図」  有志八幡講十八箇院蔵

三福の内向かって左の双下部の岩山と思える部分である。普段見かける蛇よりもはるかに大きく、頭だけで1メートルくらいありそうな巨大な蛇が人間を口に咥えている。奴らはこんな風に噛み付き、生のまま(調理などする事無く)丸呑みするのだろう。

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「地獄草子」の内「火炎地獄」奈良国立博物館

画面右下に日本の絵とは思えないほどのリアルな人体が転がっている。焼け焦げた死体だろうか。

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国宝 狩野永徳筆 「檜図屏風」 東京国立博物館

左下隅に背中を見せる長い髪の女がいる。その向こうの池の中の岩は人間の塊である。生きているのか死んでいるのか分からない。奴らは生きたまま喰うのが好きなようだから、その眼で催眠状態にして積み重ねて置いてあるのかもしれない。 

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ダヴィンチ・ヴェロッキオの合作)「キリストの洗礼」   フィレンツェウフィツィ美術館

川の中に人間の腕や足がいくつも沈んでいる。そのうちの一本は、イエスの衣を持つ天使の千切れた足であろう。蛇神と同類のイエスやマリアは餌となる幼児や子供と一緒に描かれる場合が多いが、この天使もイエスの餌であろう。

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ティントレット 「キリストの洗礼」  カピトリーニ美術館(イタリア・ローマ)

川の中の水草は人間のあばら骨である。頭蓋骨も半分見えている。衣を掛けた岩の向こうに腐乱した、白骨化途中の死骸が転がっている。

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ピーテル・パウルルーベンス「ヴィーナスの戦車」 スウェーデン国立博物館

たくさんの人物が描かれた大きな絵だが、画面中央下部を拡大するとこんな部分がある。赤・白・紺の布が単に置いてあるのでは無い。その下に人間の足、小さな子供の身体がある。この絵は蛇神の同類ヴィーナスの餌として子供がたくさん集められた現場が描かれていた。

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ピーテル・パウルルーベンス 「キリストの降架」 聖母マリア大聖堂(ベルギー・アントウェルペン

アニメ「フランダースの犬」のネロ少年が見たがっていた絵の一つ。イエスを十字架から降ろすための梯子の下(画面右下)に紙抑えの石ころが描かれている。これは明らかに人間の頭である。イラスト化しなかったが、皿の底面は小さな人間の胴体が丸まって収まっていると思える。

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カミーユ・コロー 「ナポリの浜の思い出」  国立西洋美術館 

縦長の画面の一番下にこんな絵が隠れていた。楽しそうに歩く女二人と子供、その三人が数刻後にこういう姿になると言っているようである。大蛇に襲われて呑まれている。

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ジャン・フランソワ・ミレー 「種まく人」 ボストン美術館

画面下部に人間の姿が多く見えた。死んで土となった人間を説明的に表現したものだろう。性交している男女にも見える。この絵には種まく男の手に持つ種袋に胎児も見え、性行為・出産すなわち人間の増産がテーマである事は間違いない。それにしても露骨な表現である。

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ヨハネス・フェルメールリュート調弦する女」  メトロポリタン美術館

画面左下の机の下の暗い部分であるが、ここに人間が悲惨な形で集められている。損壊した数体分の人間が隠すように置かれている。日本では人気のあるフェルメールだが、こんな一見温和な室内画を描く画家が意外に残酷であったりする。

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ヨハネス・フェルメール 「居眠りをするメイド」メトロポリタン美術館

画面最下段ではないが、左下の食卓の上が描かれた部分。皿の横に転がっているのは人間の足であろう。居眠りをしているように見えるメイドの下半身は既に無く、一部はテーブルクロスの下に、一部は皿の横にこの様に露出しているのだろう(壺の後ろの足を分かり易く手前にしてイラスト化した)。

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エデゥアール・マネ 「草上の昼食(水浴)」 パリ・オルセー美術館

画面左下、裸の女の後ろに散乱した果物バスケット・酒瓶等があるが、よく見るとここに人間の手足が散乱している。四人の登場人物の手足であるらしい。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの跳ね橋」 クレラーミュラー美術館(オランダ)

画面下部の草むらは蛇神の餌置き場である。喰われるための人間の身体がゴロゴロと転がっている。実際に左端の大蛇が喰っている。

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エドガー・ドガ 「Breakfast After The Bath(風呂の後の朝食)」スイス バイエラー財団

絵の下半分。女がバスタブから出ようと片足を上げている。

他の見方も出来るだろうが、僕にはこんな風に見えた(イラスト)。大蛇が人間の上半身を咥えている。下半身は無い。遠近法で鑑賞者のすぐ近くにまでその人間を持ち上げている。右の方でも女が二人ほど大蛇に咥えられ持ち上げられている。真ん中にあるのは切断された足か。

 

どの国の、どの時代にも、名画と言われる絵の中にはこんな残酷な表現が隠れている。実際にはこんな光景には出くわさない。なぜならばこういう光景を見た時は既に助からないからである。生き延びて他の人間に伝える事は出来ない。人間と奴らとはあまりにも力の差が有りすぎる。

奴らは余裕を持って僕たち家畜に真実を伝えている。あらゆるメディアの中にそのヒントをほのめかせながら。気付けるなら気付いてみろと言わんばかりに。