名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ゴーギャン 「二人の女」 蛇どもが人間を喰う事・繁殖させる事

少し分かり易いのを一つ。ゴーギャンの絵である。

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ポール・ゴーギャン 「二人の女(Two Women)」 1901~1902年 メトロポリタン美術館(ニューヨーク)

タヒチの女二人を描いたゴーギャン晩年の作品。遠景に森を持った草原をバックに若い女と老女が身体を寄せ合って記念写真のように描かれている。老女の横には見た事もない不思議な形の花。果物のような実がなっているが、こんな植物があるのだろうか。不思議な所は他にもある。老女の膝、地べたに座って片膝を立てているのか。若い女の膝も位置が高すぎる気がする。おかしな表現である。二人とも手先が黒く汚れていて土いじりでもしていたのだろうか。老女の眼は真っ黒でまるで死人の様だ。若い女の顔がオカマっぽく胸も無い。画題は「Two Women」となっているがこの二人本当に女だろうか。いや人間だろうか。

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ここが分かり易いと思う。若い女の背後にゴジラに似た大蛇がいて女の頭に齧り付いている。

よく見るとこの化け物の口には小さな人間も一緒に呑み込まれようとしている。女の長い髪の毛も小さな人間である。女の口には拡大して調べたら、より小さな人間が何体か張り付いていた。この女も人間を喰う巨人であるらしい。

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いくら南洋の人間であっても指先がこんなに黒いはずはなかろう。画題に「女」とあるのだからもう少し綺麗に描いてあげられなかったのか。

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若い女の手の甲は蛇の頭であり、その口先に咥えられた二人の人間の足が見えているらしい。黒いのは血で汚れているからなのだろう。

この女の上半身には一組の男女が隠し絵で入っている。バックでセックスをしている場面である。

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眉間にしわを寄せた老女も頭を大蛇に齧られている。口から小さな人間をこぼしながら喰っている。頭の上にも人間を乗せていてそれが髪の毛に見えている。頬や顎にも小さな人間が見て採れたが、恐らくこの皺の多い顔全体が人間の身体で形作られている可能性がある。しかし今回そこまでは判別できなかった。

向かって右上にも大蛇に喰われる人間の姿があるようで、僕には上図右のイラストのように見えた。

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老女の上半身にも男女の交合図が隠されている。老女の右乳房に見える膨らみは下になった女の肩であろう。男の尻からも女の尻からも赤ん坊のような小さな顔が覗いている。出産を表しているのだろう。老女の右膝に見える部分では別の男女が交接しているらしい。膝の丸みは上になった男の尻である。

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上図左は元絵、暗い部分を明るくした。右は全体のイラスト。

どうも僕は心が汚れているせいか、男女の性交図ばかりが目に入って仕方がない。蛇どもが人間を襲っている場面もたくさんあるのだが、蛇の姿の中に人間の身体が透けて入っているのでついそちらを見てしまう。出産の光景もある。

美術館で大事にされているいわゆる名画には、一つの物を描いて三通りくらいの形に見せる場合が多い。絵の登場人物・蛇・隠し絵の人間と言った物が同時に重なっている。宗教上の教えのように、一つの物にはあらゆる局面があり、別の見方がいくつもある。幸せな時は後日そうだったと気付くようなものだろう。近視眼的にみて肖像画が見えても、細かく見れば別の隠し絵が見え、絵から少し離れて大きく見るとまた別の絵が見えて来る。

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巨大蛇が人間を喰うと言う視点から見た図はこうである。上下右左から二人が襲われている。さらに巨大な蛇が全ての人間・蛇などの生命体を呑み込む。

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人間の繁殖を念頭に置いて見ると(僕の得意な所だが)こういう絵になる。二人の女の頭に齧り付く大蛇はひとつの女の尻である。その上半身は右上にある。性器から子供が生まれ出ている。二人の女の身体は別の見方をするとこんな男女の重なりになった。老女の膝には後背位で重なり合う男女がいる。男も女も皆尻から出産している。老女に向かって左側には大開脚の女が性器から子供(果物に見えた物)を無数に産んでいる。

画面右方の草原にうっすらと人間が立っているのが見えた。子供を背中におんぶしているように見えるがこれは何だろう。やはり男女交合図なのかもしれない。

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さらにこんな風にも見えた。上方の尻をこちらに向けた女、上半身が向かって左にあり、顔と左腕が見えている。しかも出産ではなく陰茎が真下の女に向いているという男の図である。

そう言えば若い女の膝は大きな男性器に見えなくもない。この巨人族の二人は両性具有である疑いが大きくなる。

はっきりとした結論は出ない。いつも検証途中である。僕の場合頭がさほど良くないので、ひたすらトレース(模写)と言う手作業を繰り返すことで探って行きたい。

 

ゴッホ 「夜のカフェテラス」 名画で人間をコントロール

この絵もどこが良くて大事にされているか分からない。大胆な色使いが良い? 作者の情熱的心が絵に出ている? ポスト印象派として後の絵画芸術に影響を与えた?

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「夜のカフェテラス」 1888年 クレラー・ミュラー美術館

カフェテラスのランプで明るく照らされた黄色い部分と、星空の青色の対比が目に心地よい事は確かであるが、それ以外に良い所を見つける事が出来ない。ゴッホの代表作の一つとされているらしく画集等でよく見かけられる。

人物の描き方も雑で誰が何をしているか細かくは分からないし、石畳も色と線をそこに置いてあるだけで形を成してない。テラスのランプの光に対する石畳の陰はこの絵の様ではないはずで、弧が逆さまになるはずではないか。右の樹の葉にも灯りの反映が無い。中央奥に半円形の暗い陰があるがこんな陰がどうしてできるのか? 疑問だらけである。

絵画芸術は自由であると、時代のアカデミズムに反抗した印象派の画家たちのやり方がこうであると言われて今まで何となく納得していた。多くの偉い人たちが良い作品だと言うのでそう思っていた。自分も絵画芸術をもう少し極めればその価値を認められるようになるのかもしれないと思ってきた。

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この絵をじっと見続けたらこんな絵に見えて来た(上図右イラスト)。中央の人々を周りから集まってきた巨大な蛇が寄ってたかって喰っている図である。特にカフェテラスの人々を丸ごと全部口の中に収める巨大な蛇が醜悪である。

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人々の描き方は雑で何が何だか分からない。白いテーブルも変な形に歪んでいる。しかしこのテーブル、ブリューゲルの「農民の婚礼」のプディングのようにひょっとして人間かもしれない。ミイラのように白布で包まれた生贄の人間にも見えて来る。店の黄色い壁もよく見るとその濃淡の中に形が見えて来る。

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絵の下半分。テーブルや椅子、店や建物の壁、石畳にも何やら人の形が浮かび上がってきた。

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絵の上半分。やはり性交図があちこちに隠れていた。右の樹の葉は蛇に咥えられた人間が大勢ぶら下がっているのだ。

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全体図で見るとこうなる(上図右イラスト)。星空の中で一組、石畳で一組、カフェテラスの壁で三~四組子作りをしている。同時に尻から子供を出産している。

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また大きく見るとこんな風に見えた(上図右イラスト)。右に両足を上に上げた女(赤)が斜め横向きに描かれている。それに覆いかぶさり男性器を女性器に突っ込んでいる男(青)。これも横向きで顔をこちらに向けている。カフェテラスのファサードが男性器である。そして同時に女が六人ほどの子供を出産している。

何日もこの絵を見続け、トレースをしながらより良く見、その結果見えて来たのがこれであった。

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巨大蛇による食人図はこんな風にもなっている。最初見えた図とは若干変わっている。カフェの壁の柱のような物は巨大蛇に咥えられた人間であるらしい。描かれた人物以外にも人間がたくさんいて、それらは全て巨大蛇に喰われている。

 

結局絵画芸術と言うのは、人間は食糧である事を教える他に、そういう家畜である人間に繁殖を促す為の一方法であるらしい。音楽もそうであろう。現在ではテレビ・映画・ゲーム等をも使ってコントロールしている。

この現状から抜け出すためにはどうしたらよいか分からない。敵はあまりにも巨大で知能があり、この現実を気付いた者が情報発信していく以外の方法を僕は知らない。ただ名画の中にヒントが必ず隠されていると思っている。爬虫類には無い「感情」・「情感」・「愛」などが最大の武器であるらしいことは気付いた。また奴らは目を攻撃されると弱まるらしい事も気付いた。この他に隠されている事をもっと探りたい。

 

ゴッホ 「アルルの寝室」 平凡な絵の中にセックスが充満している

台風一過の後始末に時間を取られる。倒れたニンジン・黒大豆を立ち上げて土寄せ、トマト・ピーマンは倒れたまま終了、少し壊れた農機具小屋と吹き飛んだビニールハウスの天板はこれから時間を掛けて直して行く予定。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの寝室」 1888年 ゴッホ美術館

この絵は昔から知っている。美術関係の本には必ず載っている。弟の仕送りでアルルに部屋を借り暮らしていた時の当時を知る事の出来る絵であるが、それ以外にどこが良くて大事にされてきたのだろうか。青い壁・黄色い家具・茶色い床、これらの色彩がこれまでの絵画に無い新鮮な発色をしているから? 考えてみると不思議である。

何の変哲もない普通の部屋、変な配置の机と椅子、部屋の内側に開いている窓(普通外側に開かないか)、何かおかしい。ベッドの枕は二つ(ゴーギャンと一緒に住むのはこの少し後であり、一人暮らしのはずでは?)(ゴーギャンとの暮らしであっても男同士枕を並べては寝ないだろう)。ベッドの上の赤い塊は何か。掛け布団?ベッドカバー?確かにこの赤があるおかげで絵全体がカラフルになって楽しいが、その為だけの物か。 f:id:curlchigasaki:20190916190939p:plain

壁に掛かっている絵を四つ詳しく見てみた。どの絵もじっと見続けて行くと次第に見えて来た。大蛇が人間を襲っている図である。左から二番目と四番目の絵では明らかに人間が喰われている図になっている。

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ベッドの上の赤い塊は、絵具の盛り上がりを辿ってみると人間の塊になっている(右のイラスト)。また赤い塊全体で見るとこれが大蛇の頭である。口先に黄色い小さな人間が咥えられているように見える。

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ベッドの裏側の板にもその濃淡の中に人間の形が辿れる。どうやら後背位での性行為をしているらしい。しかもその後ろからさらに覆いかぶさる人間が見える。二組の性行為の見間違いだろうか。

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ベッドの向こうの壁に三連のハンガーがあり、その真ん中の一つを拡大してみた。絵具のチューブをそのままキャンバスに擦り付けた様な感じがする。そんな大胆な描き方であっても不思議と蛇の形が描けている。上の図の左端には蛇が何かを咥えているのが分かる。この蛇が胴体を伸ばし壁にとぐろを巻いているのだが、この胴体の途中が蛇の頭であると見る事も出来る。右に頭を向けた人間を咥えている。またはじめ蛇の頭に見えた部分はしゃがみこんだまま横になった人間に見える。

乱暴に絵具を置いているだけに見えるこのタッチも何かより進んだコンピュータソフトによって画像処理された物であると思える。

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机の上には何が置かれているのか。花瓶・洗面器・酒瓶・竹籠のように見えるが、詳細に見て見ると、小さな人間がたくさん置かれている。瓶や籠はそれぞれ人間で出来ている。籠の中に並べられた人間が悲しい。

その他机全体が人間、または蛇の形で作られているようである。PhotoShopの進化系で「蛇」・「人間」の二つどちらにも見える画像が作られたのだろうか。

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画面上半分。ほとんどの部分が人間の身体の線を隠していた。同時に蛇の輪郭線も辿ることが出来、その蛇の口の所に人間がいるようになっている。つまりどこもかしこも蛇が人間を喰う事を示唆しているらしい。また人間同士重なって子作りし、出産して繁殖している事をも示している。ベッドに枕が二つあるのもセックスを奨励する為か。

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画面下半分。床の濃淡を強調しじっと見続けるとこんな絵が見えて来た。床面には人間の子作り現場がこれでもかと描かれている。

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左が元絵。右が全体図イラスト。

この何の変哲もない部屋の絵はセックスで満ちている。出産も描かれている。大蛇による食人も隠されている。この絵が珍重されるのにはこんな訳があった。こういう隠し絵がいかに巧みに隠されているかが名画たる所以なのだろう。そしてこれに気付いていながら「色が素晴らしい・・」「印象派だから・・」「ゴッホの狂気じみた孤独が・・」等色々と評論する人たちは蛇の仲間であろう。絵を高値で取引し、いかにも価値ある絵だと知らせ、教科書にも載せる。すべてこういう絵をたくさんの人間に見せるための所作である。そして人間を洗脳する。「・・・・産めよ。増えよ。地に満ちよ。」

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ゴッホの絵はセザンヌと共にとりわけセックスを強調した物が多い気がする。

上図左は巨大蛇による食人の図。黄色い人間を青い蛇・緑の蛇が喰っている。大きく見ると巨大な赤い蛇も喰っている。

上図右はセックス図。赤い女が後ろ向きの四つん這いでいる。青い男がその後ろから襲っている。奥が透ける画法で描かれているからお互いに重なっても、例えば女の尻の輪郭が辿れる。男のやたら大きな男性器(ベッドの上にあった赤い塊)が女性器に挿入されようとしている。時間的におかしいが女は出産をしている。

 

この絵には苦労した。大きく見ようとしても中々見えてこない。眼を細めたりして時間を掛けて、腹に気合を入れて等多角的に見たがここまでであった。間違ってみた所もあるに違いない。まだ分からない事が多い。だが自分の眼を信じたい。自分の眼で見た事だけが真実なのだ。

 

セザンヌ 「川沿いの田舎家」 蛇の人食いを残酷に描いた物

いろんな時代のいろんな画家の作品を観る事で、別の物が新たに見えて来ることがある。今回のセザンヌの作品では、セザンヌがいかに残虐性を持った悪魔的画家かと言う事が再確認できた。

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ポール・セザンヌ 「川沿いの田舎家」 1890年 イスラエル美術館

大きな木に挟まれた田舎の家が描かれている。手前の川面にその家と木が映っている。木の茂り方が尋常ではない。家をも包み込みそうなくらいに茂っている。夕日か朝日かを浴びているのか絵全体がオレンジ色がかっている。僕はこの絵を見た時何か不気味な物を感じた。

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左が元絵。右が僕の眼に見えた画像のイラスト。画面左で大きな化け物が振り向いている。その右腕は肩から千切れて無くなっている。右目から蛇が飛び出し、口には小さな人間を咥えている。画面右では大きな蛇が赤ん坊を頭から咥えて持ち上げている。赤ん坊の下半身は下からまた横から噛みつく蛇に喰われて無くなっている。ホラー映画のワンシーンの様だが以下検証してみる。

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左の振り向く化け物の所は、大蛇が人間を襲って食う場面である。蛇は大小さまざまで折り重なって高く積み上がり、人間を咥えて空中に持ち上げている。上の部分図の左下にも大蛇が人間を咥えている。赤い屋根の家も人間の身体の積み重ねになっている。

ひどく直接的な残酷な絵である。ブリューゲルの時代よりもこの印象派時代の方が、見る人間を怖がらせる要素が多くなっている気がする。

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画面右上の赤ん坊に見えた部分。細かく見ると別の人間が多く見つかり、大小の蛇に襲われている。人間の身体は同時に蛇の頭にも見えるように描かれていて、人間の身体だけで画面を埋め尽くすようにも捉えられるし、全て蛇で表されているようにも見える。「蛇が人間を喰う」と思ってイラスト化するとこんな風になった。

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画面左下、川面の部分。巨大な蛇が人間たちをまとめて口の中に入れようとしている。そのギザギザの歯で人間を容易にかみ砕きそうである。田舎家の水面に映った辺りにも人間がいるが、性行為をしているようである。また左の尻をこちらに向けた人間は子供を出産しているらしい。尻の辺りに子供の眼鼻・頭の輪郭が見える。

巨大な蛇どもは人間より遥かに長い寿命を持っているのかもしれない。高々100年足らずの人間を見るにつけ、その誕生・生殖行為・出産・死など一瞬の間に行われている物との認識なのかもしれない。いわば人間がカゲロウ等の昆虫を見る時のように思っているのか、すべて同時に一つの画面に描き込まれている。

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画面下方右寄りの、赤ん坊を下から喰い千切る大蛇に見えた部分。大蛇は2匹以上に見えるが、その口元にはやはり人間たちが大勢捕まって喰われている。ただこの人間たちはセックスしながら、出産しながら喰われている。

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部分的に見た物を繋げて全体図にした。人間たちが上から下からあらゆる方向から大蛇どもに襲われ喰れている。

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上図左、巨大蛇を観点に別の見方をしてみるとこうなる。右方で上半身だけになった赤ん坊が咥えられ、持ち上げられているのは最初眼に入った画像と変わらない。左は巨大な蛇が人間を二人ほどまとめて口の中に入れて持ち上げている図である。その下でも大蛇が後ろ向きの人間を咥えている。こう言う直接的な残酷な表現が見られるのは珍しい。セザンヌの性質がもともと残虐なのか、この世界に恨みを持つようになってこんな絵を描くようになったのか。

上図右、人間の繁殖、セックス・出産の観点から見たイラスト。後背位での性交図がたくさん見つけられた。男を青、女を赤で表そうとしたのだが、所々どちらか判別できない人間がいる。両性具有の巨人族かもしれない。女の背後から性交する男と思えたが、その男の尻から子供が出産されている。画面右の中ほどに男性器が3本ほど見られる。これがどの体に付属しているのか判別できなかった。

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またこんな絵にも見えた。例によって大開脚・出産の図。両足を上げて足裏をこちらに見せている。青いのが這い出す赤ん坊である。

 

ブリューゲル 「農民の婚宴」 人肉食の宴

ピーテル・ブリューゲルは、僕の高校時代に美術に関心を持ち始めたきっかけになった画家なので少し時間を掛けて細かい所まで調べて見る事にした。しかし実際にこの作業をしてみるとこの絵は細かい所まで実に描き込まれており、絵筆の跡も絵具の単色の溜まりさえも見つけることが出来ず、細かく見れば見るほどミクロの世界に入り込むようで、まるで絵では無く現実世界ではないかと思うほどであった。

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ピーテル・ブリューゲル(子) 「農民の婚宴」  東京富士美術館

同じ画題の絵がウィーン美術史美術館にある。それは1568年 同名の父の作品と言われる。この絵は長男のブリューゲルが父のブリューゲルの作品を模写したとされている。大きさも父の物は114×163cmなのに対してこの作品は73×104cmと一回り小さい。模写は5点ありその内の1点だそうだ(Google Arts&Culutureによれば)。本当だろうか。僕に言わせればウィーンの父の作品よりもこれの方がこのブログの趣旨をよく表していると思える。すなわち人食い蛇が人間を喰い、人間の増産を勧める為の絵である事がより分かり易い。父の作品の模写にしては絵の隅々までしっかりとしたコンセプトが貫かれている。父の作品かこの作品かはどうでも良いがこの絵は同一の作者がウィーンの絵の習作として描かれた物のように思える。

野外で結婚披露宴が営まれている。近親者以外にも招待客が大勢来ており、プディング等の御馳走が配られている。ポットにビールを注いでいる男も左に描かれている。花嫁は中央奥の垂れ幕の前でしおらしくしている。花婿は・・・・どこにいるのか分からない。当時の習慣として花婿は客を持て成さなければならないので、プディングを配っている茶色い服の男かビールを注いでいる男かまたはここには来ていないともされている。

ブリューゲルは農民画家とも言われ、農民に愛情を持って絵に描いた様な事を言う人がいるらしいが、この絵を見る限り作者は「農民は馬鹿だ」と思っている事が伺える。絵の中の農民たちの馬鹿面はどうだろう。花嫁も不細工だし、皆てんでバラバラに意地汚く料理を喰っている。右の方ではささやき合う怪しげな男女。何と言っても手前のプディングを運ぶ二人が馬鹿だ。戸板に棒を渡して料理を運んでいるのだがそのバランスの悪い棒の当て方。たぶん一皿を男が取り上げたとたんにこの戸板はひっくり返るのではないか。

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招待客(上左)も料理を運ぶ男(上真ん中)も手前の子供(上右)も、皆なんて馬鹿面なんだろう。まるで知能が無なさそうである。

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花嫁は背後の巨大な蛇に呑み込まれそうである。髪の毛も蛇で出来ているらしい。またその上半身の中にM字開脚した女の姿が隠れている事を発見した。

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プディングを配る男(花嫁の視線がこの男に向いているので花婿はこの初老の男かもしれない)。皿の中に入っている物をよく見ると(長い事見続けてやっと見えて来たが)小さな人間である。四つん這いのようになって入っている。この婚礼の席で食事をしているのは人間よりも遥かに大きな巨人たちらしい。しかも喰われているのは人間。男の口先から何か飛び出している。テーブルの上のチーズとパンのような物にも人間の形が見て取れる。テーブルの下の暗い部分にはおこぼれの人肉を狙う蛇たちがいると思える。

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この男の身体デッサンが狂っている。腰が後ろに膨らみすぎ、膝小僧の位置が高すぎ、腕が太すぎる。調べて見るとこの身体は二体ほどの人間の身体の組み立てで出来ている事が分かった。右腕は上半身を作る人間の左足で、両足は下半身を作る人間の腕である。腰の辺りで二人の身体が重なっているから厚くなっている。手と足が逆さまになっているこんな表現はよく見かける。ルノワールの「舟遊びをする人々」の人物もこうであった。「人間の眼で見ている事は逆さまなんだよ。」と言われているようだ。

後ろのテーブルには食糧としての人間がたくさん置かれている。 

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この男も身体が変である。上半身が大きすぎ、頭が小さすぎる。これも上下二体の人間で出来ている。上体の人の尻の割れ目から頭が出ている。これは出産を表しているらしい。

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楽器を演奏することを忘れている男。花嫁の方を見て欲情しているのではないか。股間のプロテクターと言うのか、当て具が異様に尖っている。バグパイプの袋も睾丸の様だ。下卑た口元には小さな人間が咥えられている。上半身は逆さになった人間であり、その足が男の腕になっている。イラストで黄色くした部分は全て人間である。

隠し絵の人間は、同時に蛇の集まりにも見える。例えば腕と見せた足は蛇の連続で出来ており、その先端の蛇の口先には人間が咥えられている。人間でもあり蛇でもあると言う表現は、人間と言うのは蛇の遺伝子をも持っている事実を伝えているのではないか。太古の昔、蛇型宇宙人が地球にやってきてそこにいた猿と自らの遺伝子を混ぜて人間を創って家畜とした事を教えているのではないか。蛇の口先には必ず小さな人間が描かれるが、これも蛇が人間を食糧としている事を教えているようである。

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ビールを注ぐ男。男の腹の所にあるのは壺の胴体部分であるらしいが、何かおかしい。この肌色の物は人間の尻である。上半身が別の人間の下半身であるし、口から何か喰っている物が飛び出している。左足の上肢が大きな男性器に見えるのは気のせいか。

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地べたに座り込んで空の皿を舐める子供。よく見ると舐めているのは自分の指ではなく、小さな人間の足である。ひざ元のチーズも人間で、身体も大小の人間で出来ている。腰のナイフで人間を刻んで喰っているらしい。

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全体のイラスト。神話時代、巨人たちが小さな人間を食卓テーブルに乗せて宴を催している図である。こうしてイラスト化して行く内にさらに怪しげな隠し絵が見え始める。花嫁の背後に大股開きの女が見える。その左横に見えるのは胎児か。右の方にはセックスをしているらしい人間が二組ほど見える。画面上方から降りて来る巨大蛇神が見え出す。

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左元絵。右蛇神のイラスト。小さな人間たちを喰っている巨人族たちもこの巨大蛇に喰われる。

・・・・生きて行く事は喰って行く事である。巨大蛇神たちも有機物を食糧としている限り他の生き物を殺して喰って行くしかないのである。現代の人間は家畜を残虐に殺して喰っている事を自覚していない。家畜を切り刻んで元の形が分からないようにして火を通して調理して喰うがやっている事はこの蛇どもと同じである。生き物を殺して喰う事でしか生きて行けないのは同じである・・・・

と人間のように暖かい血が流れていない蛇どもは名画を通して言いたいようであるがどうだろう。

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画面を大きく見るとまた別の絵が見えて来る。眼を細めたりして時間を掛けて捉えた隠し絵がこれである。左は男女交合図。女(赤)が四つん這いで尻をこちらに向けている。その背後から男(青)が覆いかぶさるようにしている。花嫁がちょうど女の性器の位置にある。

右は大開脚の出産図。プディング(子供)が女性器からたくさん出て来ている。

人間をいくらたくさん殺して喰っても、セックスさせ、子供をたくさん産ませれば元通りに増えるから問題ないのだと言っているかのようである。

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最期に気になるのがここの画像である。画面左下隅のポットの存在が怪しい。男が大瓶から子壺にビールを分け入れている図だが、かごの中に乱雑にほうり込まれた子壺を前面の目立つ所に配置すると言う不自然さがある。

拡大して精査すると右のイラストのように見えた。壺は人間で出来ている。その口から赤ん坊の頭が覗いている(口の中の暗い部分は凹凸が逆である。フェルメールの「牛乳を注ぐ女」のミルクポットの口と同じ表現である)。子壺の人間は尻を壺の口の方に向けて赤ん坊を産んでいるように見える。右の瓶には人間がいっぱい入っている。瓶の下の地面は人間の血で真っ赤だ。ビールを注いでいる男の持つ瓶からは蛇が飛び出し、子壺の赤ん坊に注がれる。

男は猿の赤ん坊に蛇の遺伝子を注いで、人間を創っているのではないか。画面の一番目立つ部分に描かれているのは作者にとって重大なテーマであってもおかしくない。人間はこうして創られたと暗示しているのではないか。

確かに今の人間には爬虫類脳があり、その発生時子宮内で爬虫類を経由して人間の赤ん坊の形になる。人間に体毛が猿ほど多くないのは蛇の遺伝子が混ざっているからだと思えなくもない。さらに人間は口から肛門までの蛇であり、その外側に大きな運動機関である手足が付いているのだと思えなくもない。その手足に付いた肉こそ蛇神が求めた食糧なのかもしれない。

人間は本当の事を全く知らない「馬鹿な農民」なのだ。