名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

重文 「大仏頂曼荼羅」 大日如来は地球の支配者、人間牧場の経営者

釈迦はイエス・キリストであるらしい。摩耶夫人は聖母マリアで、この関係は日本神話でもアマテラスとイザナミと同じであるらしい。父もあり、大日如来と呼ばれている者がそうらしい。キリスト教での神・日本神話でイザナギギリシャ神話ではゼウスと呼ばれる存在があり、全て同じ者を指しているのではないか。

大日如来と釈迦如来が並べて描かれている絵があった。

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重要文化財 「大仏頂曼荼羅」 12世紀(平安時代) 奈良国立博物館

敬愛・息災・増益を願って拝むご本尊様だそうだ。上方の金輪の中に釈迦が胡坐をかいて座り、中央の大日金輪の中に大日如来も座る。その下には須弥山がある。下方、海から訪れるのは七頭竜・九頭竜を従えた四賢人で、如来の周りには七宝(転輪・馬・象・兵その他)が散りばめられている。

この絵もとんでもない隠し絵が仕込んであった。

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中央の大日如来、すなわち釈迦の父。蛇の身体に人間たちをたくさん纏っている。両足も蓮の座も全て人間の形が見て取れる。肩と両手を形作っているのはどうやら首に巻き付くように乗った人間である。胸の部分のみが蛇の胴体で、それは背後に回り、八の字型にくねっているようである。この画像も大蛇が人間の身体を寄せ集めてそれらしく見せているだけのまがい物である。

左手人差し指を右手の指で握ると言うこの「智拳印」の形は性行為を連想させる。

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顔のアップ。膨らんだ頬・顎、口の形から何かをモグモグと喰っている様子が見られる。

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上方の釈迦如来。同様に人間の身体がたくさん見つかる。後方に回った蛇の胴体の中にも人間がいる。呑み込まれた人だろう。画面に向かって左下には肉を喰われた後の骸骨さえもが描かれている。この釈迦の絵では人間同士がセックスをしている所があちこちで見られる。胸のあたり、右足の所、後ろの八の字の胴体に中でも皆後背位でセックスをしている。また後背の金輪の中等に浮いている「車輪」の上には尻が見える。この「車輪」は女性器を表すのではないか。

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顔アップ。絶対何か喰っている。唇も異様に赤い。

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大日如来の下の須弥山(天国・極楽)の拡大図とイラスト(下)。大きい所を見れば二組の男女がセックスをしている図であろう。イラストでは緑の男が薄緑の女の背後から立ったまま交接している。男の身体と女の身体は重なる部分が透けている。その交接部分に「車輪」がある。黄色い男がうつぶせた薄黄色の女の後ろから接合している。

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左が元絵、右が全体のイラスト。二人の如来の外側にある人・物は全て人間の身体で出来ている。竜にも牡丹の花にもさまざまなポーズをした人間が見える。二人の蛇の化身は生贄の人間を喰いに空から降りて来たようである。

この段階で背後の茶色い濃淡の中に色々な物が見えて来出す。下腹に気を込めてゆっくり時間を掛けて見ると次第に見えて来る。あれやこれや色々と見方を変えて画像を大きくしたり小さくしたり、暗い部分を明るくしたり、コントラストを付けて見たりしながら、さらにトレースしながら形を捉える。

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トレースを何度も描き直しながら出来たのが上図である。こんな風に見えた。

左は女性器ご開帳図。下に赤い輪郭で、四つん這いの女の後ろ姿。性器の所に「大日如来」がいる。上は青い輪郭で上向きに大股開きをする女。性器の所に「釈迦如来」がいる。・・・・坊さんはこんな絵を拝みながら修業していたのか。

右は複雑である。まず赤い輪郭の女が仰向けになっていて身体を思いっきり丸めて尻を上げ、女性器を見せている。その中により小さな女が後ろ向きの四つん這いになっている。この人の女性器が先の赤い輪郭女の女性器と重なっている。その上に薄緑色の男が横向きになって(顔を向かって右にして)男性器を二人の女の女性器に突っ込んでいる。この男性器は「大日如来」そのものである。薄緑の人の上に大きな横向きの男(?)がいて薄緑の人に覆いかぶさっている。よく見えないが馬が男性器かも知れない。

セックスをしている人間を隠し込んでおり、この仏画を見る人に無意識のうちにそれをしたくなる気持ちにさせる効果を狙っているのだろう。

しかし男の背後から被さる男と言うのはどうだろう? これは下の二人の女に身体を重ねる二人の男と言う事で、これ以上絵を重ねて描くと見えにくくなるので上の男は離して描いたのだろう。

一つの絵の中に幾通りもの画像を見つけられる。これは作者が「モーフィング・ソフト」を使って描いている事が予想される。男の写真と女の写真を二つ使ってその中間の顔を画面上に創り出し、二人の間に生まれた子供の顔を予想する、こんなコンピュータソフトを使って作った絵ではないか。

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左元絵。右はまた別の見方のイラスト。今度は「出産」シーンをこれだけ見つけ出した。「釈迦」も「大日」も須弥山も、その下でも、画面上のありとあらゆる場所で出産が行われている。馬や象、賢人たちも全て女の尻から生まれ出ている。セックスを励み、子供をたくさん産んで増やし、食糧を増産させようと言う魂胆である。

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左、比較のために再び元絵。右は蛇神のイラスト。これも見える。こんな風に「大日如来」を中に含んだ青い輪郭の巨大蛇は、人間を咥えて喰っているように見えた。それら全てを呑み込む存在もいる。さらにイラストには描かなかったが、画面全体が巨大蛇の正面顔になっているようである。

蛇型生命体たちにも階級制があるらしい。まず人間がいて、その人間を神に捧げる者(この絵での賢人のような巫女的存在)、人間を喰う蛇の化身(釈迦のような)、その父(大日如来)、彼らをも喰う者、その彼らをもまた喰う存在と言った階層があるらしい。釈迦は地上で人間を導く(家畜となる事を強要する言わば羊飼い)で、その父「大日如来」は天界にあって地球を支配する、牧場の経営者だろう。

 

国宝「釈迦金棺出現図」 この世の仕組みを表す絵

釈迦の正体を知りたいのでこんな絵を調べてみた。 

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国宝 「釈迦金棺出現図」 11世紀(平安時代) 京都国立博物館 

縦160cm×横229.5cmの大きな絵で、画面いっぱいに人物がひしめいている。

入滅後棺桶に収められていた釈迦が、遅れて来た母の為に復活し、説法をしたと言う故事を絵にした物である。画面中央に大きな釈迦、向かって右下に母親の摩耶夫人と取り巻きの女官たち、右側に釈迦の弟子たち、左側に捧げ物を持った人々、左上に異教の神々が描かれていると解説される。釈迦の前には供物を備えるテーブルがあり、その左に衣を掛けた台がある。猿や象や獅子までもがいる。周りの人々は一様に驚いている様子である・・・・この説話、イエス・キリストの復活話とよく似ている。母の名前もマリヤと「マヤ夫人」でほぼ同じだし、その着ている服も赤と青のマリアと似ている。釈迦の後背の丸い形や説法の中から飛び出た小仏像の存在、乱れ飛ぶ沙羅尚樹の花も何やら別の意味が有りそうである。

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釈迦の顔。1000年ほど前の絵なので損傷があり見えにくいが、頭の上に人間が乗っているように見える(右イラスト)。耳も口ひげも人間と思える。口から白っぽい小さな人間が這い出ているように見える(絵具の剥落ではないと思う)。真っ赤な下唇も血に染まった小さな人間ではないか。頬が膨らみ、顔に赤っぽい汚れがあるのは生肉を喰っている事を示しているのではないか。

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「摩耶夫人」も頭に小さな人間を乗せている。着ている物は全て蛇を集めて出来ている。両足の前に頭を蛇に咥えられた子供がいる。肩の上にも一人の人間が巻き付くようにして乗っていると思える。左手に抱いているのは大きな赤い男性器である。

「摩耶夫人」もマリアと同様身体が大蛇になっている。その胴体は下方で後ろに回ってとぐろを巻き前を通ってまた後ろに流れている。ちょうどコブラが鎌首をもたげるような形になっている。

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画面左下の人々。釈迦の死を知って捧げ物を手に集まってきたが、その復活を見て驚いている・・・・と言う事だが、何か恐ろし気な物を見てしまって恐れているようでもある。

この部分図では右端に、何かドーム型のガラス容器のような物を捧げている人がいる。この容器に注目した。

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画質を変えても不鮮明だが、時間を掛けて見つめるとこんな物が見えて来た(右イラスト)。容器の中には小さな裸の人間が何人も詰まっている。その人間たちはお互いに重なり合ってセックスしている。こんな風に僕には見えた。

この容器は食糧としての人間を増産する為の装置かもしれない。

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画面最下段中央に猿と何か黄色い物が描いてある。この位置にある画像には作者の言いたい何かが示唆されているはずである。

右の黄色い物は鳥が数羽描かれているらしい。その頭が二羽分だけ見える。この鳥も人間の身体で出来ていて、上から来た蛇に喰い付かれているようである。左の猿も人間の身体で出来ており、上下逆さまになった人間が見える。手に持った小さな人間を捧げているが自らも蛇に喰われているらしい。

爬虫類を先祖に持つ鳥と猿は人間を創る時の素材になった物ではないか。この部分はこの二つの遺伝子を混ぜ合わせて人間が出来た事を暗示しているのではないか。

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全体図元絵。コントラストを付けて暗い部分を強調してある。

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登場人物のほとんど全てが生贄の人間の身体で形作られている。黄色く描いたのは喰われる人間たちである。釈迦の前のテーブルの上だけでなく場面全体が食糧となっている。あちこちに蛇がいてこの人間たちを襲っている。画面上方部に薄緑色で塗った人間たちは出産している人間たちである。尻の間から小さな人間が生まれ出ている。つまり繁殖させ、喰う。蛇神の化身である釈迦とその母が地球上の餌場に降りて来て家畜たちを喰っていると言う、この世界を表した絵となっている。釈迦の後背の上にずらりと女の尻が並び、子供を産み落としている。産んだ子が小仏像や花になって舞っているかのようだ。または後背は卵子であり、それに取り付く精子にも見える。家畜の増産を願った絵である。

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比較の為に再び元絵。画質を変えない元々の絵。

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動物も弟子たちも群衆も異教の神々も、釈迦やその母までもが蛇神に喰われている。これがこの世の現状である。喰うか喰われるかだけが人間を含めた生命の存在の意味であると蛇神たちは言っている。感情の無い、冷血動物である奴らの言いたそうな事だ。

・・・・と言う事はまたこんな考え方も出来る。地球に君臨するこの蛇神たちをも喰う存在がいるはずである。いや既に次元を超えた中にその存在を明らかにしつつあると思う。僕が人食い蛇の存在に気付いたのもその表れの一つであろう。

 

玉虫厨子 「捨身飼虎図」 己が血肉を蛇神に捧げよ!

イエス・キリストがまがい物であるならば、仏教における釈迦とはどういう存在か。方便が違うだけの同じ物では無いのかと思い調べてみた。

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国宝 玉虫厨子須弥壇右側面「捨身飼虎図」 7世紀 法隆寺

左が教科書で見知っている玉虫厨子全体の写真。二階建ての厨子の下の段が須弥壇であり、本尊の仏像が収められていたと言う。ここの向かって右側面に有名な「捨身飼虎図」が描かれている(全体図では見えない部分)。

上図右がそれである。釈迦の前世サツタ王子が飢えた母子の虎を見つけ、自らの肉体を布施する話で、絵の上方に衣類を木にかけ、中ほどで崖から飛び降り、下方で虎の母子に喰われる場面を描いてある。わが身を犠牲にして飢えた命を救うと言うのが仏教の大事な一要素であると言っている。釈迦も前世のサツタ王子も同じ者とみなして話を進める。

虎に喰われる際の描写が変にリアルである。腹がえぐられ腸だか皮だか分からない部分が子虎に引っ張られている。右足が既に何個かの肉塊に分断されている。顔をそむけたくなるような光景である。見る人に恐怖を抱かせる。

ただこの話、僕には何ら共感できる話ではない。自己犠牲は確かに崇高な行為かもしれないが、飢えた虎に一つの肉体を与えても、野良猫に餌を与えるおばさんでは無いが一時だけの物で、その動物を死ぬまで面倒を見ると言うのでなければ救いにはならない。人の血肉の味を覚えた虎はこの後近隣の村人を襲う人食い虎となるかもしれない。こんな浅薄な教えが本当の教えなのだろうか。真意は違う。

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画面最下段、虎は虎ではない。詳細を観察すると裸の人間の塊である。王子の身体の詳細はよく見えないが、子虎たちも人間で形作られている。この最下段は例によって生贄の人間が捧げられた場所であろう。

母虎の身体は数体の人間であるが同時にどくろになっている。左の崖に見られるC型の白い物は骨であり、要するに喰われた人間の残骸である。

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上段の王子は木に衣を掛けるが、この衣は人間である。木に咲く花も人間で、王子は小さな人間を木の枝に刺して干物にしている図である。もしくは蛇神に捧げている図である。王子の身体も人間の集まりで表されているのは、彼が人間を喰っている事と、彼が架空の存在である事を示している。

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中段の、飛び降りる王子の横には巨大な蛇が見える。大口を開けた横顔である。口の中には既に人間が何人かいるのがうっすらと見える(大蛇の舌のあたり)。

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左が元絵、右はイラストを繋げて全体図にした物。背景の紺色一色の濃淡の中に大蛇や尻の形が見えて来る。

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左は巨大蛇を中心に見た物。横に顔を突き出す蛇以外にも数匹の巨大蛇が上から降りて来ている。画面全体をC型にぐるっと回るように大きく描かれ、下段で王子を呑み込む蛇もいる。全ての存在が喰われて死ぬ。

右は隠されたテーマの一つである「人間の増産」を中心に見た物。画面全体に大きく女の尻があり(赤)、その女性器から赤ん坊らしきものが這い出している。上段にも尻(青)があり、その女性器と王子が重なる。王子の股間はこの女性器に挿入されているかもしれない。中段の飛び降りる王子とその周辺の白いニョロニョロした物は噴出した精液かもしれない。最下段では右側でセックスをしている者が二組ほど見える。左側には生まれた赤ん坊がいて、仏像のような形で胡坐をかいて座っている。

見える物をイラストで描き並べているだけで、その意味はよく分からない事が多い。しかし仏教の教えは結局「繁殖して食糧を増やせ! 蛇神の為に自らの血肉を捧げよ!」とキリスト教と同じ事を目指させている事は分かる。 

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上図は須弥壇正面「舎利供養図」。仏陀の骨を供養する僧侶二人と天女二人が描かれているが、この絵は遠目に見るとまさに「鬼」の顔である。僧侶を両目とし、最下段の供物台を口とする角の生えた「鬼」である。そしてこの実体は巨大な蛇神の顔が上下に二体ほど重なってそう見えるようになっている。最下段の人間たちを喰っている巨大蛇神である。

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これは同じ須弥壇の背面の絵「須弥山世界図」。最下段の家屋に三人ほどいて、何か供物を捧げているらしい。その背後に平等院鳳凰堂のように左右に翼を広げた様な形の家屋があり、屋根の中央に舞い上がる何かがあり、それに龍が巻き付いている。さらに上にも家屋が見えるからあたかも比叡山延暦寺のような山ごとの大伽藍が作られているようである。これが極楽の世界(天国)であるらしい。

不鮮明であり見にくいが、全体的に何か大きな蛇の頭が幾つも見える。右のイラストでは上から降りて来る青い蛇とその左右に緑の蛇を描いた。黄色い部分は全て人間で、龍さえも人間の身体で出来ている。

さらに重ねて描いたので見にくいかもしれないが、出産図があちこちに見れる。一番大きなそれは茶色の輪郭だけで示した。龍の所を女性器にして大股開きでご開帳をしている図である。顔らしき部分も見える。西洋のキリスト教の絵画と全く同じ隠し絵がここにも見られた。やはり究極の宗旨は同じなのだ。仏教でも釈迦の物語を語ると見せかけて実はこの事を人間に見せたいのである。「産めよ! 増えよ! 家畜ども! 女のココは極楽の入り口であるぞ!」

 

ティントレット 「キリストの洗礼」 人は何のために生まれ何のために死ぬのか

イエス・キリストと言うのはどう言う存在か調べた。幼児期のイエス聖母マリアと共に描かれているが、その際のイエスは蛇の化身マリアに喰われる人間の子供として描かれていたので本当の救世主ではない。成人のイエスを探したらこんな絵があった。

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ティントレット 「キリストの洗礼」 1585年 カピトリーニ美術館(イタリア・ローマ)

レオナルド・ダ・ビンチがヴェロッキョ工房で共作した「キリストの洗礼」のイエスは男性器を露出していて、洗礼者ヨハネの手が上下逆さまに描かれていて、いかにもまがい物である事を示していたがこれはどうか。

エスが川の中で膝まづき、頭を垂れている。ヨハネがその後ろに立ち、布に浸した水をイエスの頭に掛けているようである。空には首だけの天使(ケルビムと言うのか)が祝福するように舞っている。森の奥の方には子供を抱いた女たちがいてそれを見守っている。

二人とも筋骨たくましい男である。イエスの後光(?)の表現が独特である。

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エスの身体や衣が不明確であり、精査して見ると上図右のイラストのようになった。上半身・下半身を別の人間が形作っている。頭も顔も小さな人間で出来ている。上半身の人間は尻を上に上げ、その尻からあたかもイエスの頭の部分の人間の塊を生み出しているかのようである。イエスの手はこの人間の足である。下半身の人間はしゃがみこんでその尻からやはり子供を産んでいる。イエスの足はこの人間の手である。

身体が大小の人間の組み立てで出来ている事から、イエスは架空の存在である事を示しているのではないか。手が足で足が手であるのは、イエスの話が一般に信じられている事とは逆である事を意味しているのではないか。

水の中の草は人骨である。彼はそれを見つめているが、左右の手に掴む物体は小さな人間であり、口には肉片を咥えているように見える。

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洗礼者ヨハネも小さな人間を集めて組み立てられている。

ここで気付いた。彼は不思議なポーズをしている。右手を股間の辺りに持って行き、男性器を露出してしごいているのではないか。精液を噴出させ、イエスの頭に掛けているのではないか。

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その部分を拡大してトレースして見ると、やはりそうらしい。竿の根元に小さな人間が張り付いていて、また指が邪魔をして分かり難くしているがそれに違いない。精液がイエスの頭に大量に降りかかって後光のようになっている。

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エスの頭はまん丸である。これは卵子を暗示していると思える。ヨハネの放った精子の一匹が卵子と出会い、授精した瞬間他の精子を受け付けないために卵子はその外側に幕を張る、そんな授精の瞬間がイエスの頭で表現されている。

ひとつ前の図右のイラストでイエスの髪の辺りやヨハネの腹の辺りをトレースしたが、殆ど全ての小さな人間たちはその尻、股の間から子供を産んでいる。

エスは神の子とかでは無く、普通の精子卵子の授精で生まれたと言いたいのかもしれない。

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画面最下段に蛇神への生贄の供物が置いてあると言うのが多くの名画のパターンだが、この絵にあるのは「死」である。白骨化した人間の死体、奥には白骨化過程の死体もある。

左の岩は人間の尻であり、ここでも出産が行われている。人間の「生」と「死」を表現している。・・・・「人間は喰われて死ぬために生まれて来るのだ」と言っているのか。

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左が元絵。右が全体をイラスト化した物。あちこちに尻が見える。その尻から人間の子供がどんどん生まれている。奥の女たちも、首だけの天使たちも尻の下におり、ありとあらゆる場所で人間が生まれている。イエスヨハネの身体を構成している大小の人間たちさえも出産している。

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別の視点で見るとこんな風に見えた。

上図左、ヨハネの背後に大きな女(水色)が尻を突き出している。その女性器からヨハネの頭がが出て来ているかのように描かれている。この女自身もさらに大きな、画面いっぱいに描かれた女(薄緑色)の尻から生まれているかのようである。

上図右、ヨハネの上半身は尻を上に向けた逆さの女(黄緑)である。ヨハネの頭を産んでいる。イエスの背後、その衣とヨハネの足で使った人間(青)も見えた。四つん這いで尻をこちらに向けている。この人間の右手はヨハネの右足である。またこの人間の左手はイエスの右手である。分かり難いが僕はそう解釈した。イエスの尻の右横に転がる子供はこの女が生んだものであろう。

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またもう一つ。上図左。画面いっぱいに大股開きの女が見て取れた。画面上方にはヨハネを産んでいる女(薄緑色)。両手で足を掴んでいる。画面下方にはイエスを産む女。こちらもやはり大股開きのご開帳ポーズを取っているようだがちょっと形を掴みづらい。

最期に上図右、巨大蛇神の食事風景。イエスヨハネもその他すべての人間たちを残らず喰い尽くすたくさんの蛇神たち。イエスヨハネも大蛇(赤と赤紫)に巻き付かれ、呑み込まれようとしているし。上からも狙われている。(最も大きな蛇神が画面いっぱいに描かれているがイラストが複雑になりすぎるので今回それは省略した)

 

イエス・キリストなどいなかった。聖書に書かれている事も信じてはいけない。そこには結局「神である私だけを信じ自分の頭で考えずに家畜でいろ! もっと繁殖しろ! そして私の餌になれ!」と言う事しか書かれていない。 

これが現在地球を支配している蛇神の指令である。自分たちはこんな世界に生まれて来たのだと気付く事がまず第一歩であろう。

セザンヌ「大水浴図」見直し  「脱糞」では無く「出産」の図

最近出産のポーズをよく見付けられるようになったが、セザンヌのこの絵の「野グソ」ポーズももしかして出産ポーズではないかと思えて来たのでもう一度確認する。

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ポール・セザンヌ 「大水浴図」 1894~1905年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

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左は元絵を明るくした物。右は4月にこのブログで揚げた「野グソ図」。後ろ向きにしゃがみこんでいる人が大きく描かれている。尻の下の小さな人間の山が糞に見えた。

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左、今回見直して描いたイラスト。右足もその輪郭を辿れる。尻の割れ目の下にいる女たちや隠れた人間たちも女性器から出て来た子供に見える。「脱糞」と言うよりも「出産」と見た方が正しいのではないか。やはりこの絵も人間の繁殖を願って描かれた物であるらしい。セザンヌが人間を「糞」のように扱って馬鹿にする態度は変わらないが、彼が蛇神に指令されたのは人間の繁殖を隠し絵にして出来るだけ多くの人間に見せ、サブリミナル効果で子作りに励ませるように仕向けていると言うのが本当ではないか。

右、同じ絵がこんな風にも読み取る事が出来る。大股開きの女性器を真ん中にして画面いっぱいに描かれている。手で足を支え、顔もこちらに向けている。その女性器の周りに水浴する女たちが集まっている。真下にいる犬のように見える青黒い赤ん坊その他は生まれ出た人間たちである。股の上にも白い雲に見せた赤ん坊が這い出している。(この絵に描かれた水浴する女たちも全てこの大開脚の女の股から生まれ出たのか出産の手伝いをしているのかその辺が分からないが。)

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さらに左がまた別の見方のイラスト。後ろ向きに立ったまたは跪いた女たちが並んでいる。左端の女は特に大きい。この大きな女の足裏が地面にうずくまる青黒い赤ん坊と重なっている。そしてこの女たちの尻の間からそれぞれ子供が生まれ出ている。水浴する女たちはここでは出産を補助する助産婦のように見える。

また右のイラスト。こんな風にも見えた。画面左右に足を上に高く上げた女がいて、それぞれ尻を見せ、子供を生み出している。

いろいろな見方が出来るように曖昧な表現で描かれている。

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左、元絵。右、食事をする蛇神たち。大小さまざまな巨大な蛇たちが多く重なり、イラストでは描き切れないほどだ。

結局名画のテーマは全て同じらしい。

・巨大な蛇神が空から降りて来て人間を喰う事を知らせる

・蛇神は人間を家畜として繁殖を促している

この事がどの名画を見ても隠されている。