名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ティントレット 「天の川の起源」 神話の神々も結局喰われる

炎天下での農作業がつらい。過酷な労働をしなければ生きて行けなくなっているのはこの世を支配している者の仕業であろう。

f:id:curlchigasaki:20190526202246p:plain

ティントレット 「天の川の起源」 1575~80年 ロンドン・ナショナルギャラリー

夜空に見える天の川が出来たのはこういう理由によると神話が伝えているーーーー全知全能の神ゼウスが女に産ませたヘラクレスに乳を与えようと、妻の一人ヘラの寝ている所に行ったが、怪力ヘラクレスの乳を吸う力の強さにヘラは痛がって起き上がり、彼を突き飛ばした。その時飛び散った乳が天に昇って天の川になったと言う。ヘラは最高位の女性神であり、その乳には不死身の力が宿っていたのでヘラクレスは伝説の英雄になったーーーー。画面上にはゼウスを表す「雷を掴んだ鷲」・ヘラを表す「二羽の孔雀」が描き込まれ人物の特定が出来る。

ーーーーと言う事なのだが、この絵も神話に画題を借りた「人食い蛇」の絵であろう。

そもそもヘラのベッド、あまりに乱れすぎていないか。ヘラクレスにいきなり乳を吸われその痛みでベッドの端から転げ落ちているにしても、こんな寝室の光景は無いだろう。足元の布切れは何でそこにある? ゼウスを表す鷲の掴んでいる「雷」はクワガタムシのようだ。躍動的な画像だがそれぞれの人物が何故そこにそんな体勢でいるのか理由が分からない。頭の中に疑問符がいっぱい付く絵である。

f:id:curlchigasaki:20190526202428p:plain

左から「ヘラ」・「ヘラクレス」・「ゼウス」の顔。女性の最高神・神話の中の英雄・全知全能の神の顔であるはずだがどうもそれらしくない。ヘラは目の中がほとんど黒目で死体のようである。ゼウスは普通の人間のような平凡な顔であり、ヘラクレスに至っては目も口も描かれて無い。

f:id:curlchigasaki:20190526202559p:plain

四隅に飛んでいる天使たちの表情は暗い。それにみな首の付き方が不自然である。切断された生首がそこに置いてあるとしか見えない。

f:id:curlchigasaki:20190526202708p:plain

乳飲み子ヘラクレスの身体は蛇に占領されている。頭は胴体と繋がってないからこの頭は大蛇の顔であるらしい。

f:id:curlchigasaki:20190526202833p:plain

ヘラの頭も少し左にずれている。手先・足先とこの頭だけが本物でその他は大蛇で出来ている。空の中に巨大蛇が見え、そいつが彼女の頭や手を咥えている。両足も大蛇に齧られている。

ヘラの右手先はイラストのように伸びて変形し、天使の羽のように見せているのか。

f:id:curlchigasaki:20190526202941p:plain

ゼウスの胴体は長すぎる。頭が手前に来て足が後方にあるのだから遠近法で実際はもっと短いはずである。これは腹の所で切断されている事を意味している。赤い大蛇に巻き付かれて宙に浮かんでいる単なる男であり、蛇に喰われている人間に見える。神の姿とは思えない。

背中に小さな人間が見える(イラストで黄色くした)。彼は巨人族であり、小さな人間を過去に喰っている事を示しているのだろう。

f:id:curlchigasaki:20190526203112p:plain

ヘラの足元の布切れがいかにも不自然であり、足の間の白いシーツなどは大蛇に見えたのでトレースしながら調べてみた。案の定ここには大小さまざまな人間が山になって積まれていた。遠景の空にも横たわった人間がいる。すべて蛇神に捧げる生贄の人間であろう。

f:id:curlchigasaki:20190526203304p:plain

絵全体の下半分。孔雀の胴体にも人間が隠れていた。天使の翼の先はみな小さな人間である。

f:id:curlchigasaki:20190526203454p:plain

上半分。ゼウスの纏った赤い布には小さな人間がこれだけ張り付いていた。これはゼウスに巻き付いた赤い大蛇が過去呑んだ人間たちであろう。

左上のもくもくとした雲の中の人間はエジプトのミイラのように白い布に包まれているらしい。白布で人間を包んで捧げるのが正しい生贄の作法なのか? 彼らは上の大蛇に咥えられ、空に連れ去られようとしている。

f:id:curlchigasaki:20190526203649p:plain

全体のイラスト化。神話とは関係なく、人間が蛇神に喰われている図である。ヘラ等の神々も例外ではなくやはり頭や腕・足を千切られ呑まれる存在である。

生贄の人間に大きいのがあるのは、神々の共食いを示唆しているのか?

この世界は喰い・喰われの生存競争だけであるとこの絵は教えている。人間も喰われる存在である事をしつこくしつこく語り掛ける。

f:id:curlchigasaki:20190526203811p:plain

画面に散りばめられた生贄の人間たちを喰っている大蛇のイラスト。

左が小さく見た場合の大蛇たち。ゼウスの身体に巻き付く赤い大蛇・ヘラの股下から這い出している白い大蛇がいる。四人の天使にはそれぞれ喰い付く大蛇がいる。ゼウスは蛇に巻かれ空中に浮かんでいるのであって飛んでいるのではない。ヘラは両手両足を蛇に持っていかれてこういうポーズをしているのであってその体勢は自分の意志ではない。

上図右は大きく見た場合の蛇神の様子。画面の四隅から迫る巨大蛇が画面内のすべての生贄をその体内に取り込む。

 

ティントレット 「スザンナの水浴」 人間を喰う巨人族

f:id:curlchigasaki:20190520104738p:plain

ティントレット 「スザンナの水浴」 1555年~56年 ウィーン美術史美術館

ルネサンス期の絵は形がはっきりして良い。モネのようなボヤッとして曖昧な表現が少ない。今日はミケランジェロやティティアーノの次の画家ティントレットの作品を観る。

画題は旧約聖書から取られている。美貌の人妻スザンナが水浴している所を、好色な長老二人が彼女をものにしようと生垣の端から覗き見している場面である。

装飾品を傍らに置き鏡に映るわが身に見とれているふくよかな裕福そうな女は右足を布で拭いている。左の長老は地べたに這いつくばってそれを覗いている。

f:id:curlchigasaki:20190520104816p:plain

スザンナの全身。頭部に比して身体が少し大きすぎる。手が長すぎる。右足の足首とすねの線が一直線で繋がらず、ずれている。髪の毛が蛇のようだ。

時代によって美の基準は違ってくるのだろうが、こんな肉襦袢を着たような女が当時好まれていたのだろうか。いやそうでは無く、体の輪郭に沿って蛇が張り付いているのである。頭部・手先(肘から先)・足首は切断されている。それ以外の身体の部分は彼女本来の物ではなく、肌色の蛇が構成している。乳房が有るのか無いのかはっきりとしない。特に左側の乳房は腕でつぶされているがこんな風にはならないと思う。

f:id:curlchigasaki:20190520104854p:plain

足の付け根に沿って蛇が這っているのが薄く見えるが、何故かあるべき所に男性器らしき物が見える。眼も見えるから蛇の顔が股間から飛び出しているのかもしれないが、乳房の無さと考え合わせてこの人は女では無いらしい。

f:id:curlchigasaki:20190520104942p:plain

スザンナの表情。冷たい眼をしている。口の右端から何か赤っぽい小さな蛇のような物が飛び出ている。何かを喰っているのか、あるいは血を噴き出させているのかもしれない。

f:id:curlchigasaki:20190520105054p:plain

左手前の長老、生垣の奥の長老、共に裸のスザンナを見ていない。うつむいて何かに耐えているような表情である。人妻をたぶらかして欲望を果たし、彼女を罪に陥れようとする人間には見えない。

f:id:curlchigasaki:20190520105140p:plain

左下の長老の左手の位置がおかしい。この体勢だと左手上腕がものすごく長い事になる。この人の手先も切断されていてそこに置かれていると思える。実際肘と手首の中間くらいの所に赤い切断面らしき部分がある。

この長老の身体も蛇で形作られているようだが、周りに小さな人間たちが無数に描かれていて、この長老も生贄の肉の一つである事が表されている。赤い衣の中、生垣の中には大小さまざまな人間が隠れている。これは蛇に呑み込まれた人間たちを示唆しているのだろう。

f:id:curlchigasaki:20190520105248p:plain

画面の下半分。生垣の中以外でも、池の中、その囲いの辺り、スザンナが足を拭う布の中にも小さな人間が隠されていた。彼女が右手で掴んでいるのは布の端ではなく、小さな人間である。すなわち巨人族が人間を集めて喰っている場面が描かれている。

生垣に立掛けられた鏡に映っているのは大きな男性器である。鏡の外、下には睾丸とも見える部分がある。スザンナはこれを見つめていた。直立した男性器は禿げた爺さんの物とも思えない、若々しい立派なものである。その位置関係も大きさも合わない。するとこの男性器は何を意味しているのか。

・・・・蛇神は人間を創る時の試作品として巨人族を創ったがそれは男女の別が無く繁殖能力が無く一代限りであった。遺伝子を次世代に残す事が出来ずに巨人族生殖器に憧れていた。この憧れをこのスザンナは表している・・・・と考えるのだがどうだろうか。(それともこの絵を見る人間たちに対する侮蔑の意味を込めているのか。)

f:id:curlchigasaki:20190520105502p:plain

画面上半分。生垣や木の幹の中に比較的大きな人間がいる。遠くの地面にも人間が横たわっている。細い樹々は空から降りて来た蛇たちである。

遠景の樹々の合間の空に人間の尻が幾つも見える。これはもしかしたら「脱糞図」かもしれない。印象派の時代よりもずいぶん前からその表現があったのかもしれない。確かに尻の割れ目から細い蛇やら、鹿やらが出て来ているようにも見えるがこれはどうもはっきりとはしない。

f:id:curlchigasaki:20190520105356p:plain

これが元絵。暗い部分も明るくしてある。

f:id:curlchigasaki:20190520105604p:plain

そしてこれが画面全体に渡って存在する蛇神たち。各色で輪郭線と眼を指摘した。スザンナも長老も小さな人間たちも全てを呑み込んでいる。

結局この世は喰い・喰われの捕食関係でしかないと奴らは繰り返し言っている。人間には生まれた時からの教育で、自分たちが食物連鎖の頂点にいると思い込ませている。知らせないほうが良いのだろうと思っているらしい。だが気付いてしまった人間がここにいる。奴らが人間には分からないだろうと芸術作品の中に隠し込んだヒントを見抜いてしまった者がいる。奴らは人間を馬鹿にしているから(または嘘が付けないのか)真実を必ず画面のどこかに潜ませている。

 

モネ 「積わら 夏の終わり」 「脱糞図」はここにも存在する

クロード・モネ 「積みわら 夏の終わり」 1890~91年 シカゴ美術館

f:id:curlchigasaki:20190514173357p:plain

自分の眼で見た物のみが真実である。

前回少し自信を無くしかけたが、名画の中に自分の眼で見える物は変わらない。人間は巨大な蛇神の食糧である事が繰り返し描かれている。農作業で忙しい中、絵の中に隠された物を調べて行きたい。

モネの「積みわら」連作は、移ろい行く光の具合を捉えて魅力的である。この絵は「夏の終わり」と言う事で夏の強い光が少し和らいだ時期の景色が描かれている。「積みわら」と言う何でもない物でも光を受けると人を感銘させる絵画に成り得ることを証明している。

・・・・とここまでは絵の表面的な事、隠された真意は別である。この「積みわら」は単なる「積みわら」では無い。

f:id:curlchigasaki:20190514173436p:plain

向かって右側の「積みわら」をよく観察すると上図右のイラストになった。これは人間が積み重なって山になった物である。黄色い蛇がその外周を囲っている。山の下部には頭蓋骨のような物が転がっている。地面にも人間の遺体が転がっている。巨大な蛇神はこんな風に人間をまとめて喰っているらしい。

f:id:curlchigasaki:20190514173512p:plain

向かって左の「積わら」も同様に生贄の人間の山になっている。奥の方では人間が大蛇に喰われている真っ最中である。

f:id:curlchigasaki:20190514173608p:plain

画面中央の樹々に見える部分、ここでは大蛇たちが人間を襲い、喰っている様子が描かれている。

大人が子供をかばって守ろうとしている部分もある(イラストの黄色で描いた人間)。蛇神に指導されたモネはやはり人間同士の「愛」に関心を持っている。

遠景の山の中に大きい人間とかがあって、人間の大小がまちまちである。現実的な表現ではない。空間や時間を超越していると言うべきか。

f:id:curlchigasaki:20190514173653p:plain

絵の下半分。色数が多く、隠し絵を見つけるのに苦労したが、真ん中の青い陰の部分に人の顔が見えた所から見え出した。イラスト化して行く過程で一面人間の遺体だらけである事が分かった。様々なポーズの人間が大蛇に噛み付かれている。

左下にモネのサインがあるが、ここに大蛇の大きな正面顔がある。そいつは人間を咥えている・・・・と言う事はモネもこの蛇たちの仲間であり、人間を喰う存在である事を示唆している。

f:id:curlchigasaki:20190514173736p:plain

絵の上半分、中景辺りにまた違う人間の姿が見えて来る。子供をかばう大人が3~4組ほど描かれているようだが、子供を襲う大蛇にも見えなくもない。大蛇の頭の横に伸びた蛇を配置すれば子供を抱く大人の絵になるのだが、あえてこの配置を多用していると言う事はやはり母が子を抱いた所を描いていると思わざるを得ない。

空から巨大な蛇神が降りて来ている。地上の食糧を喰いに来ているのである。

f:id:curlchigasaki:20190514173820p:plain

絵の上下を繋げ、全体図にした。蛇神の食事風景が描かれている。

f:id:curlchigasaki:20190514173857p:plain

さらにこんな風にも見えた。

上図左イラスト、例の「脱糞図」である。「積わら」の真上に尻の割れ目が位置しており、意図的にそれが「糞」になるようになっている。すなわち人間の山は「糞」である。

上図右イラスト、半透明の蛇神。眼を細めて全体を見ると何かの拍子に見え出す。空から降りて来た巨大蛇神が二体(薄緑の輪郭とピンクの輪郭で表した)。左から来て右の「積わら」に齧り付く一体(青い輪郭)もいる。

 

モネ 「印象・日の出」 蛇・食人・脱糞・愛

 

クロード・モネ 「印象・日の出」 1872年 マルモッタン・モネ美術館 

f:id:curlchigasaki:20190509211708p:plain

日本で今最も好かれる画家モネの歴史的展覧会の出品作とされる。

絵具を薄めに溶いて筆でカンバスに乱暴に擦り付けた様な絵であり、展覧会では散々酷評にさらされたと言うのは頷ける。

朝もやの中の港の光景なのだろうか、小船が三艘浮いている。遠くには大きな船があるらしいがぼんやりとして良く見えない。朝焼けの中の太陽だけがくっきりと描かれ、水面にその赤い光が反射している。

この絵が印象派の出発点となる歴史的作品と言われるのは何故だろう? 写真機のように見える物をそのまま機械的に写し取るのではなく、画家の目・脳を通して人間的に書き表した最初の作品・・・・と言う説明で良いのだろうか。どうも秘密が隠されている気がしてならない。

f:id:curlchigasaki:20190509211750p:plain

太陽の辺りの部分図。僕にはこう見えた。水の中は人間の身体が無数に浮いている。大人も子供もいて、大人は子供をかばうような形で大蛇に喰われている。太陽も子供の頭であり、大人がこの子を両腕で抱きかかえている。

描写が曖昧で見方によっては別の物にも見える。

f:id:curlchigasaki:20190509211831p:plain

画面左側、真ん中の小舟の辺り。小舟の背後に大きな人の顔が見えた。上から降りて来た大蛇に頭を呑まれているが、その両手に子供を抱いているようである。

f:id:curlchigasaki:20190509211927p:plain

絵の下半分で見ると確かに子供をかばって抱いている母親らしき大人がいる。画面右の方にも二人の子供を両腕に抱えるようにしている大人が伏せている。その人は後ろから大蛇に喰い付かれている。上から大蛇がたくさん降りて来ているし、左下には大蛇がとぐろを巻いている。

人体に見える部分はそのまま大蛇の顔にもなっている。腕は蛇の胴体にも見える。

人間は宇宙から来た爬虫類遺伝子を半分持っていて(あとの半分は地球由来の類人猿らしい)、事実爬虫類脳をも持っているから人間に爬虫類遺伝子がある事を知らせる為にこう言う描き方をしているのかもしれない。 f:id:curlchigasaki:20190509212023p:plain

絵の上半分では仰向けになった人間が両手をこちらに向かって上げて寝ている姿が大きく描かれている。左手は半ば開き、右手は握りしめてそのこぶしの中に太陽が入っている。またこのこぶしは右側にうつ伏せる人間の頭にもなっているが、そう見ると人間の頭の中に太陽が入っている事になる。これらに表現が何を意味するのか分からない。

f:id:curlchigasaki:20190509212123p:plain

これが元絵。画質を変えてある。

f:id:curlchigasaki:20190509212211p:plain

そしてこれが全体のイラスト。生贄の人間が散乱している。空から巨大な蛇が降りて来て人間を喰い、体内に取り込んでいる。左下のモネのサインの所にいる大蛇はとぐろを巻いてこちらを見つめているが、これがモネの本当の姿なのだろうか。

f:id:curlchigasaki:20190509212250p:plain

またこの絵はこんな風に見る事も出来る。

上図左、脱糞図である。波間や空の微妙な濃淡を繋げると巨大な尻が見えて来て、その尻の割れ目からウンコのような物が下に垂れている。太陽は肛門であり、左下の蛇は巻き糞である。蛇神に指導されてモネはこんな物を描き、自分自身を含めて人間をあざ笑っている。

上図右、大きく見るとひとりの人間が仰向けになって大蛇に喰われている図となる。大蛇の背後からさらに巨大な蛇が喰い付いている。小さく見ても大きく見ても結局蛇が人を喰う事を描いている。しつこく繰り返し描いている。

それが至上命令であるかの如く画家たちはあらゆる形でもって蛇の人喰いを描く。

 

実はこのブログで追及している名画の中に最近「人食い蛇」以外の物が色々見えてしまって戸惑っている。「死体の山」と「脱糞図」と「子供をかばう大人」である。イラスト描いていて嫌になるほどである。夢にも出て来る。

このモネの絵のような茫洋とした曖昧な表現の作品では見る人によってどうとでも見れるだろう。雲の形が何かに似ている、と想像力を働かせてみるのに近い事を僕はしているのではないかと不安になる。何か行く先が見えない混迷の世界に迷い込んだような気持である。

モネのこの作品はそんな様々な要素が混ぜこぜに入った作品には違いない。この事が歴史的作品である理由かもしれない。この作品が暗示する事全てが解明出来る分けでは無い。まだまだ見える事があるのだろう。

 

モネ 「睡蓮 柳のある明るい朝」 死の直前で人間の抱く愛情

前回解析したことをもう少し詳しく調べ直した。モネの「睡蓮 柳のある明るい朝」には隠し絵で人間の愛情らしきものが表現されていると言う所である。

f:id:curlchigasaki:20190506180900p:plain

全体図のイラストにここで便宜的に丸印で場所を示し、AからEまでの記号を付けた。A・B・Cはごく小さく描かれた所、D・Eは大きく描かれた所である。これを順番に見て行く。

(その他の所は不明確であり、だれでもがこのイラストの通りに見えるとは限らないと思うので省略した。)

f:id:curlchigasaki:20190506181705p:plain

A 蛇が渦を巻くように回転して人間を襲っているらしいが、同時に上のイラストのようにも見えた。子供を抱き抱えるようにして覆いかぶさり守ろうとする人がいる。その右上にも腕に子供を二人ほど抱いて保護している人がいる。
こうは見えない人もいるだろう。これとは別の形を捉えることも出来るからである。人間の身体は同時に大蛇の頭でもあったりする。どちらでも捉える事が出来るような曖昧な描き方がされているからである。僕にはこう見えたと言っておこう。

f:id:curlchigasaki:20190506201421p:plain

B 子供二人を片手で抱いて横たわる人。子供の片手は大蛇に噛み付かれており、自身の頭も大蛇に喰われている。
f:id:curlchigasaki:20190506181019p:plain

C 二人ほどの子供を膝に乗せてうなだれている人。イラストではこう描いたがこの人は子供の顔により近づいて口づけをしているのかもしれない。(ブログの文章を書く途中で画像を見直すとそんな風にも見えて来た。)

f:id:curlchigasaki:20190506181059p:plain

D これは捉え難いかもしれないが、波間の波紋を繋ぎ合わせると睡蓮の葉を眼とする頭蓋骨が見えて来た。肩・腕等も繋がっている。そしてその後ろに抱き付くもう一人の人。男女か親子か判らないが、親密な感情をお互いに持っている二人だろうと見た。

f:id:curlchigasaki:20190506181144p:plain

E 睡蓮の葉を眼とする頭蓋骨がある。こちらに向かって這いつくばっている。その左手の下に睡蓮の葉を口とした子供の顔。背後に寄りそうもう一人の子供。家族が一緒に生贄になっている図であると見た。

これらと同じような隠し絵を今までに見た事があった。

f:id:curlchigasaki:20190506181225p:plain

浅井忠 「小丹波村」部分図 

街道わきの小さな建物の手前に、子供をかばうようにして覆い被さる人。二人とも大蛇に噛み付かれているが、この人は笑顔で子供をあやしているように見える。

f:id:curlchigasaki:20190506181314p:plain

ゴーギャン 「ファイヤーダンス」部分図

瀕死の女を抱き寄せる男、手前には肩を寄せ合う男女。

皆死から免れる事は出来ないのを知っているかの如く神妙であり、逃げ出す事をしない。

 

親子の愛情・男女間の愛が絵の中にこんな形で表されているのを時々発見する。 

また先の尖った物で蛇の眼を突く表現も時々見られる。 

これらが何の目的で描かれているのか(これらが奴らの弱点である可能性はある)は今後の調査で解明したい。