名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

ミレー 「落穂拾い」 蛇神による食人の洗脳

ジャン・フランソワ・ミレー 「落穂拾い」 1857年 オルセー美術館(パリ)

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ミレーのこの有名作をもう一度見直すことにした。ナスやピーマンの種まき・育苗等だんだん忙しくなってきて体力的にきついのだが、頑張りたいと思う。

この作品は横110センチほどの物で、高解像度の画像を調べても「蛇神」像が掴みにくい難しい作品だった。

遠くの方で農家が大勢で麦わらを集めて山にする作業をしている。手前の三人の女はこぼれ落ちた麦わらを拾っている。そこに付いている僅かな麦の実を集めて食べるのだろう。喰う物にも困るこういう貧民層のみじめな姿を描いたこの絵が日本人には好まれ長く愛されてきた。軍備拡張の為重税に苦しんだ明治から昭和の戦争の時代、その後の復興のために食う物も食わずに労働した戦後の時代、日本人は国に逆らわず素直だったから落穂を拾って生活するこの女たちに共感を覚えたのだろう。

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画面の下三分の一、近景の地面で生贄の人肉が転がっている光景はミレーの他の作品と同じ。ただここの判別が非常に難しかった。横たわった人体と見えたものが後で見るとまた別の形に見えたりする。大蛇の隠し絵が見つかったらその口先に必ず人肉(か別の蛇)が咥えられているはずだから、それを頼りに判別する。人間の頭・顔・尻・手足等に見えるかどうか見方を変えてみる。うっすらと人体が見えてきた物をイラスト化してみた物が上図である。

女三人分だけでなく、多くの人間の死体が地面の中に埋もれているようである。

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画面中央の遠景部分には藁を束ねる男女が小さく描かれているが、この人々は大蛇に襲われている。藁束自体に大蛇が化けている。それに下半身を呑まれていたり、頭から呑み込まれていたりしている。

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画面向かって左の遠景にも大蛇に喰われる人間が描かれているが、こちらは頭を残して体を全て呑み込まれた人間が多く地面に転がっているのか。

この光景は白布で包んだ生贄の人間を神に捧げる形にも似ている。空から降りてくる巨大蛇神を迎えるばかりの状態になっている。

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女たちの顔を拡大した。どの女も蛇で形作られている。蛇の集合体である。右端の女などは被り物から蛇がはっきり顔を出している。女たちはまた同時に蛇に喰われる人間でもあるらしく目を見開いた恐怖の表情である。

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非常に微妙な陰影で空の中に蛇神が描かれている。画像のコントラストを強め、暗い部分を強調して初めてうっすらと見えて来た。空から降りて来て三人の女の頭に喰い付く巨大な蛇である。

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画面全体を見るとこの巨大蛇神の他にさらに大きな蛇神が見える。

まず前回この絵を調べた時にも発見したが、三人の足元の地面に大口を開ける巨大な顔がある(イラストでは青の輪郭線で囲った)。メイが腹に乗ったトトロのようである。しかしこのトトロは人間を喰ってしまう。地面の中の横たわった人体はこいつが過去喰った人間たちかもしれない。

右上から画面の半分くらいにかけて覆いかぶさっている半透明の蛇神が見える(緑の各線で囲った)。反対に左上から斜め右下に向かって降りてきた蛇神も見える(赤い輪郭線)。

この絵も蛇神による食人図である。こんな絵を人は有難がってお金を払って美術館に見に行く。あるいは教科書等で強制的に見せられる。これが洗脳なのだ。蛇族に人間が喰われるはずがない、そもそも巨大な蛇型生命体など存在しない、と思っている事自体が我々が生まれた時から教育されてきた事で、だれも信じようとしないだろう。ではこの絵の中に見える物は何だ。単に脅かしで描かれているのならば全世界全時代の名画と言われる物に見えるのは何故だ。それが真実であるからではないのか。










 

コロー 「ナポリの浜の思い出」 喰われる人間の過去・現在・未来

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「ナポリの浜の思い出」 1870~72年 国立西洋美術館

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ミレーと同時代のフランスの画家コローの作品を見る。上野にある西洋美術館が所蔵する、日本には早くから認知されている作品らしい。縦175センチ×横84センチの縦長の画面で畳一畳分くらいある。

木立の中にすでに蛇神らしき像が見えるし、手前の地面にも生贄の人体らしい陰があるようである。

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フランスで描かれたそうで、イタリア旅行の際のナポリの浜の明るい様子や楽しかった思い出を思い出しながら絵にしたらしい。白く明るい砂浜をバックに女二人が手をつないで踊っているのか。一人の女は子供を抱いており、顔をその子に近づけている。もう一人の女は手に持ったタンバリンを頭上に掲げている。高い木立の間の小道にいる。浜から踊りながら上がって来た所だろうか。

しかしこの女たち、たくさんの大蛇に絡みつかれている。周りには大蛇どもが女たちに噛みついている。右の女は後ろにいる大蛇に噛みつかれて左手を上げさせられているのであって踊っているのではないらしい。表情も楽しそうではない。子供を抱いた女の服の端々に赤い色があるのは血だろうか。女が赤ん坊を齧っている? 

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画面右下部分、僕にはこんな風に見て取れた。生贄にされた人間の死体がそこら中に転がっている。と同時に大蛇がこれらに喰い付いている様子が重ねて表現されている。大蛇の顔の中に人間の身体が入り込んでいる。大蛇の身体は過去に呑み込んだ人間の成分によって出来ている事を表している。

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画面左下部分。散乱する骸骨、それを口に入れる大蛇が見えるが、目を少し遠目にして大きくとらえると赤ん坊の姿が見えた。上のイラストのように赤ん坊が仰向けになって逆さに横たわっている。それに大蛇どもが集っている。

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画面下端を左右繋げてみるとまた別の物が見えてきた。左に仰向けの赤ん坊、真ん中に仰向けの女(乳房らしきものが見える)、右側にうつ伏せになった女(土下座のような格好になっている)がおり、小道を歩く女二人と子供がここに倒れていることが分かる。浜から上がってきた三人は現在大蛇に襲われており、未来において地面に死体となって転がることが説明的に表されている。

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三人の頭上の木立や空は、画面の四分の三くらいを占めるが、ここに描かれているのは蛇神たちである。両側に立ち大木を輪郭線とした巨大なのがまず目に入る。こいつは後ろの蛇が前の蛇に喰いつき連結する形で、より巨大な蛇の姿になっている。

そして木の中には人体と思える不気味な画像が見え隠れする。これらは巨大な蛇であると共に、過去生贄になり、喰われた無数の人間が現れ出ているのだろう。巨大蛇の身体も人間を構成していた有機物を吸収して再構成された物であろう。

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この絵には過去に喰われた人間、今現在襲われて喰われている人間、喰われた結果の人間の姿が同時に描かれているようである。イタリア旅行の楽しい思い出なんかではない。巨大な蛇神に喰われ続けて行く人間の悲惨な状態が描かれているだけである。

 

ただ喰われる人間に喰われることをこうして教えているのは何故か。人間は家畜に「お前は喰われるために生きているのだ。」とか言うだろうか。言っても理解できないから出荷・と殺・解体の最後の現場まで言わないのではないか。蛇神が人間に対して絵の中に食人画を隠しこんでいるのは恐らく人肉をおいしくするためではないか。デービット・アイクだったか、「人間は恐怖を感じると血液中にアドレナリンが増え、レプティリアンたちはその血液がおいしく感じるので喰う前に恐怖を与える。」と言っていたと思う。レプティリアンは蛇神の仮の姿だと思うから、「蛇神たちが恐怖を与える。」と言い換えても良いと思う。蛇神たちは名画の中にこんな隠し絵を仕込んでおいて人間をおいしくして喰おうとしているのだ。

「恐怖」というものは極めて正常な感情であり、やがて克服されるべき存在である。「恐怖」自身もそれを知っていて、克服されるのを待っている。「恐怖」の克服には「知識」が一番である。敵の何たるかを知ってしまえば「恐怖」は消えて無くなる。敵の出方・物の表し方・言い方等を研究し知る事でいずれ敵は敵で無くなる。

 

ミレー 「種まく人」 山梨の絵も同じか

ジャン・フランソワ・ミレー 「種まく人」 1850年 山梨県立美術館

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ミレーは同じ画題で複数の絵を描いている。僕が知りたいのは真の画題(人食い蛇の食人)の描き方がどう違うかというところである。

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左が前回見たボストン美術館の物、右が山梨県立美術館の物である。

山梨の方は画面が黄色っぽく不鮮明な印象で、風が強いのか種が顔面の方に飛び散り大変そうだ。右手は動きが速いせいかはっきりとは描かれていない。ボストンの物と比べて男の足が短く歩幅も狭い。絵としては動的なポーズがより強調されたボストンの方が上だろう。しかし農業が土まみれの重労働であることを知っている僕には、泥にまみれたような山梨の方に共感が持てる。

前回同様に画面の詳細を順に調べる。

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画面右下、やはり死体だらけである。大蛇に喰われまくっている真最中である。地面に半分埋まったボストンのようではなく、まだ死体が生々しい。

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画面左下、種をまく男のまた下に女が仰向けになって頭をこちらに向けていると見えるのだがどうだろう(上イラスト)。じっくりと見トレースをしながらさらに見たらこんな風に見えた。死体に喰い付く大蛇の頭と骸骨が区別しにくい。左上にも大蛇に咥えられた人間がぼんやりと見えている。

画面左下隅にはこちらを向いた蛇の顔が並んでいる。これ見よがしに・・・「どうだ」と言わんばかりに自慢げな顔である。

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男の両目が大きく見開かれているのがここではよく見える。

さほど解像度の高い元絵ではないのでよく見えないが、口から蛇か血が出ているらしい。

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両目を見開くのも当然で、全身あらゆる場所を蛇に齧られている。頭は帽子に見える大蛇に咥えられているし、右手は背景の中にいる巨大な蛇に咥えられている。肘あたりまで呑み込まれている。首にも左手にも蛇が巻き付いている。

背後の空の中に巨大な蛇がおり、飛び散る種と見せているが実は男に喰い付く蛇である。

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勃起した男根を握りしめているのは同じ。左手の表現は不明確で指だか蛇の顔だかわからない。種の入った袋は大きな睾丸を模しているのは同じだが、手にした人間の胎児の表現が違う。

ここでは布を手で握ってその布の端が右下に流れるように表現されているがそれが胎児である。よく見ると頭らしきところ、肩・尻・足らしきところが見えてくる。万歳をした格好で上の蛇に頭を咥えられてぶら下がっている。右足もかすかに見て取れる。その他の部分は上から降りてきた蛇に覆い隠されて見えない。(逆さに吊るされて下の方に顔を見せているようにも見えるが、もう少し高解像度の画像で見ないと確認できない。)

この胎児に見える部分、同時に男根から噴出した精液にも見える。大量の精子(種)を畑にばらまけとの暗示か。

情け容赦のない露骨な表現である。人間の描いた絵ではない。

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蛇神は空から降りてきて種まく人に絡みつく。その他地上にもいるやつも含めてあらゆる方向から男に喰い付いている。胎児にさえ喰い付く蛇神もいる。男の右手だけでなく両足も大蛇に咥えこまれている。

画面下方に正面を向いた蛇が誇らしげな顔を並べている。

ボストンの物と真の画題「人間は蛇神の食糧に過ぎない。俺たちが喰った分は種をまいて増産して補充しておけよ。」とのメッセージは同じであった。

ただ表現方法がこんなに違うとは思ってもみなかった。隠し絵部分で全く同じところが無いのだ。人間の描いたものなら同画題の二作品を、時間差で描くとしても同じ描き方でより洗練されたものにして行くだろう。男の足が大股になっただけではない。この絵では蛇神の配置も死体の置き方も、男根も精液も、両手先の描き方も全てが違う。そしてその全ての画像が蛇に見えると同時にその他の物にも見え、小さく見ても大きく見ても形を成しているという表現である。一体どんなコンピュータソフトを使ったらこんな風に描けるのだろうか。

 

 

ミレー 「種まく人」 喰われた人間の増産

ミレーの代表作を見る。

ジャン・フランソワ・ミレー 「種まく人」 1850~51年 ボストン美術館

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山梨県立美術館にも同名の作品があり、このボストンの物かどちらかがサロン入選作だというがそれはどうでもいい。ミレーの作画の真意を探りたい。

農民が大地に種をまく。服装もみすぼらしく貧乏そうである。足には藁を巻いているのか。農地自体も石や何かがごろごろしているやせた土地であるらしい。しかも耕作しにくい斜面地である。こんな畑とも思えない所に種を乱暴にばらまいている。農業を営む者としてはこんなやり方で育つのだろうかと心配になってしまう。種から苗になるまでは神経を使って大事に育てないとだめだろう。赤ん坊と同じでその時期だけは大事にしなければうまく育つ確率が非常に低いと思うのだが。

この作品は昔から日本人に好まれていて大勢の人が穴のあくほど見てきたはずである。しかし一般には画素の荒い印刷物でしか見られないし、本物が来日することがあったとしても、美術館の中の大勢の一人として、縦1メートルばかりのこの暗い画をじっくり落ち着いて検討することが出来る人はあまりいなかっただろう。まして今のように高解像度画像をPhotoShop等で画質変更して見る事が出来た人は多くないだろう。僕のような素人が簡単にそれができるようになったのは喜ばしいことである。

ただ絵の中に恐ろしい真実を発見してしまうと戸惑ってしまう。

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画面右下、男の右足の先の地面である。そこに何やら怪しげな物がたくさん転がっている。時間を掛けてトレースしながらイラストにしたら上図右のようになった。骸骨がごろごろ転がっている。半分地面に埋まった身体も見受けられる。

こんな風に見えるのは僕だけだろうか。特に手前の仰向けの死体と上の方の横倒しになっている死体はわかりやすいと思う。その他は時間を掛けて何度も視点を変えながら見ていった結果を絵にした。骸骨が同時に蛇の顔にも見えるように描いてあったりするので判別が難しい。いくつかの蛇や骸骨が集まって別の大きな蛇になっていることもある。

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画面左下、男の左足の下にも人間の死体が埋もれている。前に出した右足が踏み付ける形で、肩と後頭部をこちら側にして背中を見せている人間がいる。左右の足の真ん中に突き出た地面のこぶのような物は人間の右肩であるらしい。頭頂部をこちらに見せている。この人の手や身体も土に埋まってはいるが半分ほど見えている。種をまく男の後ろにした左足の所に太い骨が置いてある。もしくは足か何かがあってその肉から突き出ているのか。

右足の右に別の切断された人間の足が転がっているように見える(これはちょっと自信がない)。

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種まきはもっと丁寧にしろと言いたくなってしまう。それはさておき、この男、表情が変だ。

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眼がうつろで口が半開き。しかしよく見ると口から何か出ている。赤い蛇が顔を見せているのか、赤い血が口から噴き出しているのか。その右目は大きく見開かれ断末魔のような表情である。どうやら体中蛇に巻き付かれ、千切られ、喰われているのだろうと想像できる。

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この作品を調べるのは二回目で、前回はこの男が勃起したチンチンを握りしめている事を発見した。何回見てもその状態は同じで、しっかり握っている。男の指は人差し指から薬指までの三本しかなく、その下に男性器の竿部分が見えている。睾丸も透けて見える。種を入れた布袋自体も大きな睾丸状になっている。

 

今回高解像度画像を調べて気付いたのは、男のこの手から牛の胎児のミイラのようなものがぶら下がっていることである。男の親指の所が同時に子牛の頭にも見える。

ウサギの足をキーホルダーにしてぶら下げる人がいるらしいことは知っているが、これは何のまじないか。種が無事育つように牛の胎児を手に持って・・・・だろうか。

よく見ると・・・・まさかと思いながら微妙な陰影を辿ってあらゆる見方をしてみると・・・・人間の胎児であるらしい。イラストのような体勢で蛇に頭を咥えられてぶら下がっている。尻の形が見える。足は途中から肉がなくなり骨だけになっている。

あまりの残酷さに頭に血が上り、気が変になりそうである。

冷静にならなくてはいけない。人間も鶏の卵などを日常食べているではないか。卵のカラザは胎児の胎盤なのだ。そのことを棚に上げて自分たちだけ特別で、食物連鎖の頂点にいるとの錯覚を捨てなければならないのだろう。

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画面の下段だけでなく奥の方にもいくらか死体が横たわっているようである。地面は死体だらけである。確かに土というのは有機生命体の死体を分解したものを主成分にしている。「あなたは土から生まれ、土にかえるのだ。」と言われるが、こんな露骨な表現で絵にしなくてもよかろうものを。

空にも大地にも巨大な蛇がおり、この生贄の人間たちを喰っている。人間をたくさん喰って消費したらまた増産しなければならない。それを男の生殖器と種まきという行為で表している。雌の子宮に種をまき、子供をたくさん作らせることを男の手にぶら下がった胎児で表している。「(喰って無くなった分)産めよ!増えよ!地に満ちよ!」との蛇神の声が聞こえてくるようである。

 

ミレー 「星の夜」 蛇神は時空を超えた存在か

ゴッホが影響を受けたというミレーの絵を見る。

ジャン・フランソワ・ミレー 「星の夜」 1850~65年 イェール大学美術館(アメリカ)

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ゴッホの「星月夜」より30年ほど前に描かれた、似た画題の絵である。保管状態が悪いのか、最初からこうだったのかわからないが非常に暗い。下半分が真っ暗なことで星の瞬きが幻想的に引き立てられることはあるが他人に見せる絵画芸術としてはどうだろう。天の川銀河や流れ星らしきものが描かれ、地平線がほんのりと明るい。地表には何があるのか全く分からない。

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PhotoShopの画質変更で明るくしてやっと見えてきた。地表には地平線へと続く道がある。画面の真ん中にそれがあるのはゴッホの「カラスのいる麦畑」と同じ構図である。ゴッホはこの絵を参考にして「星月夜」・「カラスのいる麦畑」を描いたのだろうか。

道や左右の草むらがやたら凸凹している。道の両脇に溝があり、そこに赤い色が付いている。画面最下段の表現が怪しい。

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陰影の微妙な変化を辿ってトレースしてみると、その作業を通していろいろなの形の物が見えてくる。結局上図下段のイラストのように見えた。

生贄の人間の体が道の上にゴロゴロと転がっている。道の向かって右側には頭蓋骨らしきものが並べられて奥まで続いている。画面右隅にも人間の頭があり、大蛇に噛みつかれているようである。画面左隅には人間の足のようなものが血だらけになって置いてあり、これにも大蛇が喰いついている。道の両側の赤い色は奥まで続いているがこれは流れ出た血が溜まっているのだろう。これは夜中の生贄現場であろう。

(もしかして地平線の向こうまで全てが生贄の人肉であるのかもしれない。人体も基本的には蛇画像で組み立てられているからである。大蛇に見える部分も人肉である可能性もある。だとしたら大変な地獄絵図である。)

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画面上半分に星空が描かれている。ここには生贄の人肉を喰いに来た巨大な蛇神が無数に描かれている。星の光はその蛇の眼の輝きであったりする。この空の蛇神の口から飛び出している比較的小さな蛇が遠景の木立に見えている。

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全体を見るとさらに巨大な蛇神の存在に気付く。すべて上から降りてきているが、左の足らしきに物を口を付けるやつ、真ん中の生贄人肉に喰い付くやつ、右端の横たわった人間を喰っている奴と大きく見て三匹の蛇がいる。お互いに重なり合いながら半透明に表現されている。

ゴッホはミレーの画題だけでなく、こんな生贄現場の人食い蛇の表現を参考にしたらしい。あるいはまたゴッホもミレーも操る者は同じなのだろう。こういう描き方(生贄の人肉を絵の手前に置き、上から降りてくる巨大な蛇神を大きく表す描き方)は日本の古い絵にも現在のWindows10の起動画面にも使われているのはその指導者が同一であることを示しているのではないか。

蛇神たちはひょっとして人間の誕生から現在まで存在し続けているのかもしれない。もしくは彼らには時間を超える術を持っているのかもしれない。