名画の隠し絵

美術館にある名画には隠し絵がある。それは巨大な蛇の形をしており、人間を喰う姿が絵になっている。

レンブラント 「テュルプ博士の解剖学講義」 巧みに隠された秘密

ここ日本では正月は蛇神様への感謝の気持ちを表す月となっている。ワラで絡んだ蛇の輪を作り玄関先に飾り、とぐろを巻いた蛇の形のお供え餅を床の間等に置き、神社に我が成長を見せに行き、蛇神に祈る事でその支配下にある事を見せる。

年を超えても僕は相変わらず名画の秘密を追求する。

f:id:curlchigasaki:20190102205037p:plain

レンブラント・ファン・レイン 「テュルプ博士の解剖学講義」 1632年 マウリッツハイス美術館(オランダ)

レンブラント26歳の時の作品と言うから驚く。医学博士の解剖実践を街の名士たちが見学している図だそうだ。画面には明部と暗部がはっきり分かれていて劇的効果が出ている。博士の冷静な顔に対して、見学の男たちの困惑したようなまたはそれを表情に出さないようにしている顔が対比される。七人の男たちの顔が規則的に並び、矢印の形になって博士の右手の先に視線が集まるようになっている。

暗い部分が怪しい。秘密はここに隠されている。低画質の写真では分からない、肉眼でも多分何時間も目を凝らして観ても分かるかどうか。PhotoShopで画質を変えて暗い部分だけを明るくしてみて初めて分かるのではないか。美術館の学芸員が名画の中におかしな怪物や気持ち悪い蛇画像を見つけたというのは聞いた事が無い。

f:id:curlchigasaki:20190102205117p:plain

博士の真っ黒な服、腹から上向きに咥える大きな蛇がいる。胴体部分をぱっくりと呑み込んでいる。肩にも大蛇が下から這い上がって来ているし、両手は手首から上が大蛇に咥えられている。椅子の背もたれに掛けられた外套はこれまた大蛇の頭であり、こいつは壁にいる、上から降りて来た大蛇の口から出て来ている。博士も大蛇たちに喰われる存在でしかない。顔と手先だけが蛇に喰われていない部分である。

f:id:curlchigasaki:20190102205158p:plain

画面左の男の服が一段と黒い。画質を変えてみても、他の男たちの服よりはるかに黒い。椅子の背もたれがおかしな形である。右手右足の表現がはっきりとしない。だが台上に横たわった遺体の明るさとのコントラストが強くてこの暗い部分にはふつう目が行かない。

f:id:curlchigasaki:20190102205245p:plain

この部分に化け物がいた(上図右イラスト)。切断された人体を両手で押さえつけながら喰っている爬虫類人レプティリアン)。この部分図の右端に人間の頭らしい物があり、椅子の背もたれに見える物は切断された人間の腹部らしい。この筋骨たくましい爬虫類人は蛇の集合体である。よく見ると蛇の頭が連結して繋がっているのが分かる。

f:id:curlchigasaki:20190102205346p:plain

同じ部分を蛇だけで見て取るとこんなイラストになった。蛇が縦横無尽に張り付いて人間の右半身に見えたり、爬虫類人が上から襲っているように見えたりする。黄色く塗った部分は実際には赤いので多分血の付いた人体の部分だろう。腕や足が何本も大蛇に呑まれ、または喰い付かれている。

f:id:curlchigasaki:20190102205448p:plain

手術台の下にも何か怪しげな物が見える。人体のパーツとそれをむさぼる大蛇どもである。上図真ん中下に見える円筒形は腕だろうか。それを大蛇が口を縦に大きく開いて喰っている。左には足らしき物があり、そのふくらはぎに大蛇が喰い付いている。右の本に見せかけた大蛇が人に腕や足を一呑みに呑み込もうとしている。

f:id:curlchigasaki:20190102205546p:plain

次に、細かい部分を見ず大きく見るとまた別の物が見えて来る。巨大な蛇どもである。

f:id:curlchigasaki:20190102205630p:plain

壁の部分は上から巨大な蛇が降りて来ているのが描かれている。画面左右に大きな柱があり、奥行きがありそうな壁なのだが、中央の人物の影が壁に映っている。壁は遠いのか近いのか分かりにくい遠近感の掴みにくい表現である。この不自然な表現の中に蛇神どもがいる。空からやってくる。やって来てその口から別の大蛇を吐き出す。ちょうど映画の「エイリアン」の様に口から別の口を突き出す。イラストでは黄緑の巨大蛇が上から来てその口から緑の蛇を吐き出し、そいつの腹の中に見物の男たちの頭が入っている。イラストで水色をした巨大蛇が上から来てその口から青い蛇を吐き出し、別の見物の男たちの頭を腹に収めている。この青い蛇は博士の首に噛み付いている。イラストでピンク色の巨大蛇は柱の陰のふりをしながら上から降りて来て、手術台の下を通り左手前の男の服のふりをしながら赤い巨大蛇の頭になる。この巨大蛇は下方に描かれた人間のパーツ(人肉)を呑み込んで腹に入れている。さらに画面全体に描かれた巨大蛇がいる。画面内の人物のほとんど全てを呑み込む超巨大な奴である。画像を遠くにして初めて見える蛇神である。・・・・僕にはこんな風に見えた。画質を荒くしたり、画像を小さくしてみたり、トレースしながら考えるとこんなイラストになった。

名画の中に不自然な表現を発見すること、実際にはあり得ない表現・不明確な表現には何かあると考えながら見る事で違う物が見えて来る。美術評論家や何か専門家はその作品の外郭を教えてくれて有り難いが、作品自体の寸評は信じない方がよさそうだ。感覚だけの表面的な評論は必要ない。

f:id:curlchigasaki:20190102205720p:plain

博士が摘み上げて見せている筋肉組織の腱の部分だが、ここに何か注目すべき所があるのではないか。鋏のような器具(持針器と言うらしいが)で持ち上げた部分は蛇の頭になっている。筋肉の陰になった部分は蛇の眼である(うっすらと眼の光が見える)。「蛇の眼に尖った物を突き立てる」と言う表現がここでも見られた。少し前にダヴィンチの「最後の晩餐」等で、ナイフを蛇の眼に突き立てている事を指摘したが、これも同じである・・・・食べられるだけの人間に抵抗を示してみろとばかりこう言う所で暗示しているのか。それとも奴らは眼が弱点なのか。人間には分からないと思って馬鹿にして己の弱点をわざと暴露しているのか。

 

レンブラント 「水浴する女」は「女」では無い

昨日のレンブラント「水浴する女」の検証続き。

やはり「女」では無い。

f:id:curlchigasaki:20181227223421p:plain

股間の男性器、左太もものあたりにぼやっと描かれている。股下にぶら下がる睾丸もある。

f:id:curlchigasaki:20181227223511p:plain

拡大して画質変更し、時間を掛けて見つめていると次第に見えて来る。上図右イラストの様に描かれている。一見するとぼんやりした陰があるだけだが、それがあると思って集中して観れば見えて来る。同じレンブラントの「夜警」の隊長・副隊長の露出した男性器の様に非常にあいまいな表現である。

「ダナエ」の横たわった一見女に見える人物も衣の中に男性器が透けて見えていた。この「水浴する女」と題された絵の人物も世間には女と見せてチンチンを付けている。(昨日ネット公開の直前に気付いた。ただその時はこの上方のたくし上げた衣の中にある金色の蛇が亀頭に見えた。それでも位置的におかしくは無いのだが、こちらの太ももの方の物が正しいようである。)

蛇が至る所にいて、男性器を上下左右から咥えているので観にくい。半透明の蛇が同時に描き込まれている。それは上から下に向かっている。顔の左半面を通って垂れて来ている紐の様に細い蛇はここまでも繋がって、ついには水の中に落ち込んでいるようである(上図右側の汚れにも見える縦線状の蛇)。

 

観る人には「女」と見せかけて「男」を描くのは、人間を馬鹿にしている部分もあるのだろうが、もっと深い意味があると思う。人間を創った当初は性別は無かった事を暗示しているのではないか。

地球上の類人猿と爬虫類型宇宙人を遺伝子操作して人間を創ったと言われる。聖書の中のアダムは男女両性を持っていて、イブを分けてから男性になり、有性生殖が始まった。名画の中のヴィーナスは僕の見た所皆両性を持っているからこの絵でもその頃のヴィーナス(創世期の人間)を描いているのではないか。

日本の土偶や世界のヴィーナスの塑像から繋がっている、「蛇神」の何らかの意思表示を17世紀のレンブラントにも命令されていたのではないか。

もうすぐ正月、また蛇の絡まったしめ縄のある神社に人々が集まる。人喰い蛇を神と崇め、奴らに自らの生命を捧げる事を喜びとするように教育された人間たちが集まる。知らなければ知らないで、それも幸せなのだろう。知能も力も圧倒的に強い彼らに支配される事が自然の摂理であるならば受け入れるしかない。ただその事実に気付くかどうかが問題で、気付く事自体が彼らの支配の終焉の始まりであるかもしれない。

レンブラント 「水浴する女」 人喰い蛇、こんなにはっきり描かれているのに信じられないか

f:id:curlchigasaki:20181226221922p:plain

レンブラント・ファン・レイン 「水浴する女」 1654~1655年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

背景に一瞬大蛇が見えたのでこの絵を詳細に見てみる。

洞窟の中だろうか、非常に暗い中で一人の女が衣服をたくし上げて足を水に漬けている。背後の大岩のような物の上に上衣を置いているが、それは所々金色に光る上等な物のようである。結構裕福な家の女らしい。身に纏っているのは下着なのだろう。水に濡れないようにまくっているが、まくりすぎて下腹部まで見えている。画面右や上の部分はかなり黒く何が描いてあるのか分からない。レンブラントはこの絵で何を描きたかったのか。

f:id:curlchigasaki:20181226222007p:plain

暗い画面を明るくしてみると暗い部分もしっかり描き込んであるのが分かる。女の顔である。顔の左の部分は汚損しているのか、不自然な縦線が上から下に大きく付いている。この液だれのような縦線の下端には大きな水滴型の蛇の頭があり、白い点の眼が二つ付いている。よく見ると縦に降りて来る物だけでなく、頭の中央から額の端・頬の端を蛇が伝っている。左頬は全くの蛇の頭である。口の中から右側に向けて赤い蛇が飛び出している。どうやらこの女の顔や髪の毛は全て蛇で出来ているらしい。

f:id:curlchigasaki:20181226222054p:plain

少し引いてみると女の顔に掛かった縦線が、かなり上から降りて来ている紐のように細い蛇である事が分かる(上図右イラスト)。もう一筋右肩にも上から降りて来た細い蛇が描かれている。この蛇は背景の中の黒い大蛇の口から出ている。その他背景の中には大小の蛇が上から垂れて来ている。

女の体も衣服も背景も全てが大小の蛇で出来ており、この事は森羅万象仏で無い部分は無いと言った仏教思想にも通じる。仏とはすなわち蛇である。有機生命体である。

人間の体を動かしているのももしかして脳の作用の表れではなく、無数の細胞あるいは体内細菌の意志が人間を動かしているのかもしれない。

f:id:curlchigasaki:20181226222138p:plain

この女は本当に女だろうかと少し疑問を持った。同じレンブラントの「ダナエ」には男性器がほんのかすかな陰影で描かれていたからである。この人物の両乳房は左右が段違いで、左乳房のふくらみがはっきりしない。たくし上げた下着の下に見える下腹部に何か男性器っぽい物が見える。

f:id:curlchigasaki:20181226222215p:plain

下腹部を画質変更して左側の円内にイラスト化した物を置いた。ちょっとはっきりしない。男根が下向きになってぶら下がっているようにも見えるし、黒っぽい蛇が下から這い上がって来て女性器のあたりに喰い付いているようにも見える。

f:id:curlchigasaki:20181226222302p:plain

次に両腕を見る。左手は全く手の形を見せていない。レンブラントがこんな稚拙な手を描く訳が無い。これは人間の手では無い。この人物の左手は既に無く、蛇どもがそれらしく形を作っているのである(上図左イラスト)。

右手は肘から肩まで(上腕部)が無く、蛇どもがその振りをしている。

f:id:curlchigasaki:20181226222342p:plain

大岩の上に置かれた上着は大蛇である。肘に噛み付く者・尻に噛み付く者がいて、その下にひっくり返って何かを咥えている大蛇がいる。金色のそれは人間の手ではないか。失われた左手はここにあった。この赤い大蛇が喰っているのである。

f:id:curlchigasaki:20181226222430p:plain

水の中にも欠損した人体の部分が見つかる。まず先ほどの赤い大蛇は下向きの大蛇に変わり、鳥のくちばしのような口の下にあるのは右手の上腕であろう。その手前に横倒しになっている肉隗は女のすねから下の足先。左右が並んで沈んでいる。結局人物の見えてない部分は全て欠けており、バラバラにされて大蛇どもに喰われている。この足先にも左右や上から大蛇が迫って来て口を付けている。

f:id:curlchigasaki:20181226222510p:plain

画面全体を大きく見るとまた別の物が見えて来る。背景部分は何通りにも見る事が出来、二例を揚げた(上図イラスト)。

左のイラスト。大蛇が画面上から右側にくねり降りて来て、女の背後下の上腕部肉隗を喰う(赤色で描いた)。左上部からも大蛇が降りて来て女の肩に喰い付く(黄緑)。女の真後ろから頭を咥える奴もいる(青)。画面左からやって来て女の尻にかぶりつく奴もいる(緑)。こいつは同時に女の左手をも喰っている。

右のイラスト。画面いっぱいに巨大な蛇の頭がある。その上に少し小さな大蛇が乗っている。そいつの口から出たやつが女の頭に喰い付く。画面いっぱいの巨大蛇の口から真正面を向いた巨大蛇がおり、そいつの口からまた別の巨大蛇が吐き出される。そいつは振り向きざまに女の尻あたりを齧る。こちらの奴は女の手や足のパーツには目もくれず、体全体を喰おうとしている。

 

こんなにはっきり巨大な蛇が描かれているのが人々には見えないのだろうか。UFOの存在を信じない人は実際にそれを見ても認識しないと言う。だから名画の中に巨大な蛇が描かれていても見えず、自分にとって都合の良い物だけしか見ようとしない。

巨大な蛇が人間を喰っている絵を見ても、「そんな馬鹿なことが実際にあるはずがない」と見て見ぬふりをする。生まれた時からの教育で洗脳されているから、そんな一般常識でしか考えようとしない。現実を自分の眼で見ようとはせず、一般常識からはずれる事を恐れている。自分の眼に見えた物だけが真実であり、教育・マスコミ・有識者の意見等常識になっているような他人に教えられる事はほとんど全てが違うのだ。騙されているのだ。

 

人喰い蛇を刃物で突き刺す絵 奴らへの抵抗?

名画の中には蛇が描き込んであり、それらが画面上の人間を喰っている・・・・と言う事を発見し、多くの名画でそれを立証してきたつもりだが、まだまだ理解できないことがたくさんある。そのうちのひとつは絵の中の邪悪な蛇どもに抵抗していると思える人間が垣間見える事である。隠し絵の蛇の眼をナイフや剣や何かで刺している者がいる。喰われるばかりでなく、運命に逆らうようなレジスタンスを試みているように見える。

f:id:curlchigasaki:20181223220923p:plain

前回見たダヴィンチの「最後の晩餐」では、ペトロの持ったナイフの先にある物に注目した。上図では左上の全体図の中に白丸で囲んだ部分である。両手を胸の前に上げたアンデレの腹の位置には大蛇の顔が見える。彼の体を呑み込んだ大蛇とは別の、そいつに巻き付いているのか下から這い上がって来ているのか分からないが、顔をこちらに向け、口を大きく開けている奴がいる。こいつの左目をペトロの持ったナイフの先が突いている(上図左下のイラスト)。f:id:curlchigasaki:20181223221011p:plain

次に同じダヴィンチの「東宝三博士の礼拝」。聖母の背後に似た表現が見られる。誰が持つ物か分からないが、剣か槍か何か鋭利な刃物がやはり隠し絵になっている大蛇の眼を突いている。しかも前後二か所である。上図右の部分図では上方の三人のうち、右二人の間に後ろから割り込んで来て手を咥えている大蛇と、左端の人物の下にいる大蛇、この二匹の眼を同時に刺している。

f:id:curlchigasaki:20181223221102p:plain

ダヴィンチの作品をもう一つ。「受胎告知」。天使ガブリエルが左手に持つユリの茎の下端が下から上がって来る大蛇の眼を突いている。(この陰になった部分は下から来て手に喰い付くようでもあり、地面にある何かに上から喰い付くようにも見える。ひとつの絵で二重の表現がされている。)

f:id:curlchigasaki:20181223221138p:plain

ルノワールの「アルジェ風のパリの女たち」。前回も少し触れたが、左端の女の右手にある針(編み物の針だと思うが)の先が、左手人差し指の付け根を刺している。この人差し指と親指は実は女の実際の指ではなく(女の指は三本である)、蛇がその振りをしていてその眼が第二関節の後ろあたりに付いていて、その眼を針の先で刺している。

f:id:curlchigasaki:20181223221228p:plain

先日見たティントレット「春の寓意」。女の腹に当たっている新緑の樹の枝の先はやはり蛇を突いていると見た方が正しいのではないか。女の左手は左から来た蛇の頭を親指と人差し指で掴んでおり(上図左下イラスト)、下から来る蛇が親指に喰い付いておりその蛇の眼を突いているらしい。

f:id:curlchigasaki:20181223221312p:plain

彫刻ではあるが、ロダンの「考える人」にも同様な表現があると思う。刃物で蛇を刺してはいない。しかし手の甲にいる蛇を不自然な形の口で咥えている(上図イラスト)。この彫刻は体中蛇で占領された人間像であるが、唯一この口が喰われることの抵抗を示しているように思えるがどうだろうか。

 

名画を残す画家たちは、自ら望んで蛇型爬虫類人に支配され、奴らの協力を得て未知の画材で作品を作ったのだろう。肉体も改造されたのかもしれない。彼らの中には奴らの支配に抵抗する者もいたかもしれない。奴らの強力な支配の中で、ほんのわずかに後世の人間にメッセージを残すと言う事で抵抗の表れが今回見た「蛇の眼を刃物で突く」等の表現かも知れない。食糧としての人間にも希望はある・・・・と。

さらに蛇型爬虫類人は人間を知能の劣った家畜としてしか見ていないから、名画やテレビ・映画・マスコミ等で人間をコントロールしながらその中に抵抗の手段を必ずヒントとして隠し込んでいたりするように思える。

 

ダヴィンチ 「最後の晩餐」 巨大蛇の人間食事会

レオナルド・ダ・ヴィンチ 「最後の晩餐」 1495~1498年 ミラノ サンタマリア・デッレ・グラツェ修道院 420cm×910cm テンペラf:id:curlchigasaki:20181219190449p:plain

クリスマスも近いのでキリスト関係の絵を探っていたら、こんな絵を見付けた。

Google Art & Culture のダヴィンチの頁、現在の絵ではなく、1977年からの大修復の直前の絵でもなく、恐らく大戦前の絵ハガキのような物の写真だろう。

損傷が激しく詳細が見えないが、色の具合や微妙な陰影の変化が残っていてかえって見やすい。修復士の努力を評価しないわけではないが、修復士も人間である限り絵を人間の形を中心に見て、自分の思う通りの方向に向けて修復してしまう。絵の中に蛇が隠れている事に気付かなければそれを無視してしまう。使徒の特定や彼ら一人一人のポーズで表れる感情の違い等ばかりを研究してしまう。

部分を順番に見て行く。

f:id:curlchigasaki:20181219190533p:plain

中央のイエスの右隣り、一塊になったトマス・大ヤコブ・フィリポとされる三人。彼らの衣服は全て蛇である。大蛇に噛み付かれて驚き、苦痛に苦しんでいる。彼らの肉体は顔と手先しか無く、それらは大蛇に咥えられて空中に浮かび、様々なポーズをしている様に見えている。大ヤコブとフィリポの体は下から来る大蛇にすっぽりと呑まれている。トマスは頭部のみを咥えられ、顔が空中に浮かんでいて体が無い。彼らの背後の壁には、上から降りて来た大蛇がいて、一人一人の頭に齧りついている。彼らはイエスに「お前たちの中に裏切り者がいる。」と言われて驚き、それを否定したりしているのではない。彼らは単に大蛇どもに襲われ、喰われて苦しんでいる動きをしているだけである。フィリポの腹のあたりは血のような赤色が広がっている。

f:id:curlchigasaki:20181219190618p:plain

画面右端の三人、マタイ・ユダ(タダイ)・シモン。これも同じ、喰われる人間たち。大蛇どもの食事風景である。人間の頭や手を我先にと争って喰う蛇ども、その肉隗や蛇がまとまって普通の生きた人間に見える瞬間を写真の様に捉えたのがこの絵である。

f:id:curlchigasaki:20181219190705p:plain

エスに向かって左側に見える一塊の三人、裏切り者ユダ・ペトロ・ヨハネ。同じように食糧としての人間が描かれているが、このユダの表現はどうだろう。金の入った袋を握りしめ、体を逃げるようにのけぞらせて顔も暗く描かれている。しかし僕に言わせれば、右手で握っているのは肩から降りて来た蛇の首であり、上体を後ろにそらしているのは右下から這い上がって顎に噛み付いている大蛇の為だろう。

ヨハネはこれはヨハネではなくマグダラのマリアであるとする説があるが、確かにどう見ても女であろう。体を変に傾けてイエスの体との間にV字の空間を作る。映画「ダヴィンチコード」ではこれは聖杯の形を表し、女性の子宮を暗示し、イエスの子孫が現在も存在する云々とやっていたが真実はどうだろう。

f:id:curlchigasaki:20181219190755p:plain

左端の三人、バルトロマイ小ヤコブ・アンデレ。演劇的なポーズで驚きを表すアンデレ、思わず立ち上がるバルトロマイ、彼らも単に大蛇に喰われている肉隗にすぎない。バルトロマイの衣服は剥落が激しいようで、修復後の写真にはそれがうまく消されている。しかしこの白い模様のような所、本当は蛇の柄ではないのか。彼の体には肩から首からと言わず肘からも蛇が垂れ下がっているが、腹のあたりに特に大きなのが二、三匹いる。判別しにくいが大体イラストのような位置にいると見た。彼の左右の手先に向かっている。

ここで注目するのは、アンデレの腹にいる大蛇の眼をペトロの持ったナイフの先が突いていると言う事である。ひとつ前の図に揚げたペトロはヨハネの耳に顔を近づけているが、右手を後方に出し、ナイフを不自然に逆手に持っている。アンデレはこのナイフに驚いているようにも見えるが、腹に巻き付いた大蛇の左目を確かに刺している。こんな表現をどこかで見た記憶がある。ルノワールの「アルジェの女たち」だった。女の一人が蛇の眼を刺繍針で突いていた。時々名画の中の人喰い蛇に抵抗を見せて戦うそぶりを見せる人間の表現がある。悪魔の大蛇は同時に戦うヒントを与える天使の要素をも持っているのだろうか(この辺は後々追求して行きたい)。

f:id:curlchigasaki:20181219190918p:plain

テーブルの下はよく見えないが、わずかな色の変化を時間を掛けてみて見るとこんな風に見えた。まず画面左側。使徒たちの足先があるらしいがよく見えない。修復後の絵を参考に位置を特定して置いてみた(黄色部分)。するとその足先の全てに大蛇の口先が来ていた。テーブル下でも人肉食が隠れていたのである。

左下の剥落が激しいように見える所は、地に這う大蛇の柄であろう。

f:id:curlchigasaki:20181219191025p:plain

右下でも人間の足が喰われている。上から額を見せて喰っている大蛇、上から降りて来て右から左に這っている大蛇が目立つ。

テーブルクロスの端にも白い蛇が垂れ下がっている。縦線模様もどうやら蛇であるらしい。パンは蛇の頭であり、こちらに向かっている。

f:id:curlchigasaki:20181219191136p:plain

人物の後ろの背景は遠近法がどうだとか、部屋の背後の空間がやたら広いとか、さまざまに言われるが、僕にはこんなものが見えた。

エスの背後の窓上のアーチ型は巨大な蛇の正面を向いた顔である。よく見ると両目と口が見える。その後ろにさらに大きな蛇がいる。前の蛇を丸呑みする巨大蛇である。その後ろに一段と大きな蛇がやはり前の蛇を呑んでいる。窓の枠はこの蛇の牙にも見える。その後ろに・・・・その連続で、五段目くらいに一番大きな蛇が天井全体に見えた。その眼は天井の木の桟の中の微妙な陰影の中に隠れていた。ほとんど半透明な存在で、こいつがイエスの父「神」だろう。

上方から降りて来る大蛇はその他にもたくさんいて、部屋の壁を伝って使徒たちの頭にかぶりつき、またテーブルの下まで潜り込んで彼らの足を喰っている。

さらにこんな風にも見えて来た。使徒全員が一直線上に並んでいる理由である。イエスの衣服は赤い部分が左斜め下に流れている。その蛇っぽい体を使徒の方に繋げると(イラストで赤く描いた)・・・・フェルメールの「取り持ち女」の売春婦の様に、半身蛇の体に人間を呑み込んだ姿が見えて来た。イエスの体は大蛇であり、使徒たち人間が三人一塊になった所を山の様にくねって呑み込んでいる。

ヨハネとされる物はメス型の大蛇でありイエスの伴侶である(イラストで青く描いた)。イエスと同様右に並んだ使徒たちを呑み込んでいる。

どちらの大蛇も画面の端で上方に向かっているのではないか(この辺ははっきりと見えず自信がないが)。メス型はオスのイエスのひざ元を通って、もしかして交尾しているかもしれない(これは半分想像が入っている)。

 

この絵は「最後の晩餐」と言う画題を借りた、巨大蛇による生贄の食事会の絵である。喰われているのが人間で、喰っているのは自らを「神」と呼ばせている巨大蛇である。