家の道路わきに生えている小笹に、少し雪が積もって、何とも言えない趣があったので絵にしてみました。
馬と共に農作業
2014年は午年という事で馬の絵を描いてみた。
(就農1年目は色々とやる事が多くて、中々ブログ更新できなかったが、2年目の今年は余裕が出来次第少しずつでも続けたい)
トラクターに取って替わられるまで、馬は農作業の中で無くてはならない存在だったようだ。この国に馬がやって来てから前の戦争直後くらいまで、人と馬との付き合いは千年くらいに及ぶのだろうか。
ガソリン等で動かす農業機械にしても農業資材にしてもプラスチック・ビニール・化成肥料を多用するから、石油無しには現在の農業は成り立たない。
有限の化石燃料を消費する機械による農作業は先が見えないが、馬を使ったそれは間違いなく持続可能だ。
できる事なら馬や牛・鶏等の生き物と共に農作物を作りたいものだが、それは出来ない。効率が悪く生活費が稼げず、生きていけない。
農業で一人生活して行くには、30アール以上の畑に種を播き、効率よく育て、出来るだけ手間を掛けずに収穫・調整・出荷してそれを換金するシステムを作り上げなければならない。多少のロスも見越して種は多めに撒き、収穫のピークを過ぎたらさっさと片付け、次作に移る。除草に防草シート・除草剤をうまく使い、防虫・殺菌には農薬を使う。つまり手間のかかる事をどれだけ減らせるかが、利益に繋がっている。
生き物と共存できないジレンマがある。元々農業とは、作りたい作物の為にその他の植物(雑草)を滅ぼす作業で、その作物を好む生き物(害虫等)を殺したりする行為だ。だからあまり徹底的に防虫・防草をやるときっと自然からしっぺ返しが来るに違いない。
程度の問題だが、それが1年や2年では分からない。自分が生活できる程度のお金を稼ぐための収穫量、また自分が体力的に耐えられるだけの作業量を今後5年間くらいで決めないといけない。
今年は20アール程の畑で、自分一人の生活費を稼ぎ出す事が目標。納屋もパイプハウスも建てたし、今年は耕作放棄地の地ならし作業も無いので、去年より少しは余裕があるかもしれない。1年12か月、安定した収益が出るように計画的に作付けする。
農地を守って自然環境の破壊を食い止めるという事では、僕のやっている事もまんざら悪い事でもないと信じてやって行こう。
彼岸花のメッセージ
茅ヶ崎市芹沢では、小出川沿いに植えられた彼岸花を観に、たくさんの人が散策している。ちょうど見頃だろう。
この彼岸花の赤い花はなぜ血のような赤い色なのだろう。
僕は戦争映画や戦記小説を読むのが好きで、最近も日中戦争とかソロモン沖海戦とかインパール作戦とかに関する本を読んでいるが、彼岸花を観ていると、戦争で亡くなった日本人の鮮血が地下から吹き出しているように思えてならない。
国の為、家族の為と信じて戦い、死んでいった日本人達は忘れられないように、年に1回地下からメッセージをくれているのか。
僕は昭和30年生まれだから、テレビ等を通じてアメリカの文化にどっぷり浸かって親米的に育てられ、日本の戦争遂行者は全て否定するように教育されてきた。父に対しても高校生の時くらいまでは、戦争で人を殺してきた罪のある人間のように思っていた。しかし最近は大分考えが変わってきた。
戦死した伯父(母の二人の兄)の写真が実家にあるが、彼らの事について誰も語ってくれないので、自分で調べてみた。
芳蔵伯父は陸軍。大陸で多勢の中国軍に向かって率先して突撃して、敵の将校を倒し、その時の負傷が基で病死している。この伯父の勇敢な戦いぶりを称えた手紙が戦友や部隊長から来ていて、それが残っている。
孝平伯父は海軍。当時の最新鋭空母「蒼龍」の機関兵(確か曹長)で、有名なミッドウェーの海戦で米軍の航空機に沈められた。
(父は戦争では生き残ったが、中国戦線から南方に行く輸送船が沈められ、九死に一生を得、飢餓と戦いながら戻って来た人だ。)
国の為に命を落とした伯父たちの血の上に自分たちは生きている。せめて彼らの事を忘れないようにしたい。実家に残っている手紙・陣中日記・写真等をいつか整理してみよう。記録としてどこかに残したい。
毎年台風の被害を受ける
今回の台風でピーマン類の半数くらいが倒された。
ナスも葉が風でボロボロになっている。
ブロッコリーも芽キャベツもニンジンもその一部が、畑の中に出来た水の流れに浸って根がむき出しになったり、流されたりしている。
トマトは支柱ごと倒されたが、もう収穫が終わっているのでまだ良かった。
台風が通過したと思える午後から修復に出かけているが、あともう1日かければ収穫量に影響ないくらいに出来ると思う。
ピーマンは折れた枝もあるが根は傷んでなさそうなので、元通りに出来そう。農機具をしまってある納屋が壊れたわけでもなく、ビニールハウスも材料を買ってはあるがまだ建ててないので被害は無い。
露地野菜はこういう被害を見越して作らなければならない。ただもうちょっと金をかけて丈夫な支柱を立てておけば良かったと悔やまれる。
支柱は近くの竹藪で切ってきた竹支柱ではなく金属製の物で、結束もテープナーを使うにしても、所々麻ひもでしっかり固定しておきたい。
畑の所々や縁に水の流れを導く溝を掘り、ナスやピーマン・トマトの周りに「ソルゴー」(背丈2m以上になるイネ科の防風作物)を植えておこう。
自然との真正面からの闘いはもう4~5年になるが、まだまだ慣れない。少しずつ少しずつしか進歩しない。
田んぼの跡地に土盛りして作った畑の法面に、除草剤を使うのは良くない事も今回分かった。斜面の雑草の根まで枯らして無くすと、土中に空間が出来、水の通り道が出来てそこが広がって崩れるようだ。刈払機で地上部を何回も刈り取るしかないようだ。
自分なりの技術が確定するまで辛抱するしかない。5年か、10年か。